#MHA #感想2022年47号感想
待っていたぜ、この時を
※差別表現について書いています
個人の意見だから真に受けないでほしいけど、インターネットに文章を公開する以上それは不義理だと思いますので慎重に書きますが、それでもおかしいところや私が持つ差別意識、被差別属性の恨みつらみがにじみ出るところはあると思うんだけど。
嫌だなって思ったらすぐに読むのをやめてほしいというのはあります。
どうしても意見を言いたいという人はwavebox(てがろぐページの左上 絵文字を送るリンク)からよろしくです。
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▼以前、「人の形をしていないものを指して異形と呼ぶ社会に差別がないわけがない」とツイートしていましたが、今まで明確に異形差別について触れてはいませんでしたがここでまとめてきたというわけですね。
堀越先生が監修しているスピンオフ『ヴィジランテ』ではカマキリの個性を持っていて人より体が大きい人の居住権についてちらっと触れられていましたが原作で触れたのは初めてではないでしょうかね。
無個性への差別意識に関してはデクくんの過去で触れられていましたが。
▼障子くんの夢小説で、異形個性の結婚差別がありそうだなと思っていましたがこの感じだと、あるなと思いました。忌み血て。
▼「人間の顔をした奴にはわかんねえべ」
これがもう効いた。
そして過去に異形個性の虐殺が起きていたであろう示唆もあり、月曜の朝からこれは重たいと思いつつ読んでいます。
多分だけど政治からも、行政からも、福祉からも、異形個性はあぶれてしまっているのかななんて思ってます。
▼そんでもって担ぎ上げられたスピナーは頭がぐるぐるしている。これ酷くないですか。多分これ敗戦処理でスピナーに全部被せますよ罪を。
▼うまく言えないだけど病院を襲わないとか、先に患者を避難させるというのはもちろんそうするべきなんだろうけど、今怒りに染まっていて、自分達の立場を暴力革命によって一新しようとする人々にかける言葉かなという気持ち
▼さんざん虐げられてきた属性のものが、そうでないものが傷ついているからって手を緩めたりしますか?(現実のわたしたちの歴史をみても、そうじゃないよね)
▼だからこそ、異形であり、被差別側であり、ヒーローである口田くん障子くんの立場って難しいなって思った
▼被差別側の立場で、差別なんてされてこなかった人型に生まれた「ヒーロー」に囲まれて「ヒーロー」の道理で「正しさ」を執行する
障子くん、口田くんがなんでヒーローやろうと思ったのか、やってほしい
▼これもまた以前ツイートしたことなんだけど、ヒーロー側からの、今回の被差別層である異形個性、無個性は非常に見えにくくなっているのではないと思っています
ヒーローになっている人って、パッと見ただけでもヒーロー科出身の人が多いと思ってて、そういうマジョリティが意思決定をしている環境で見えなくなっている異形、無個性の立場が危ういのはまあ、そうだよね…という感じ
▼この戦いに明確な悪って存在するんだろうか
私たちの現実の歴史のように、自分に降りかかってきた火の粉を払うために振り上げ続けてきた手が結果的に人を殺してしまったっていうか
ひどい迫害を受けてきた属性を持つ人々がとあるきっかけを得てまとまっていったみたいな
▼「どれほど強い光でもそれ一つで全ては照らせない」
これはそうだと思う
オールマイトのこと言ってんだろうけど、どんなに頑張っても人型で、強い力持っていて、雄英高校ヒーロー科卒で、というマジョリティの属性を剥がすことはできないので、オールマイトだけがすごくても社会は回らないむしろ、そういうマジョリティが幅を利かせただけで終わっているのでそうじゃない属性の人は日陰者になっていく
みたいな
▼じゃあどうすればよかったのか
インクルーシブ、ダイバーシティももちろんいいけれど、差別の存在を認めることができていればと思います
みんな仲良く、垣根なくと言われれば聞こえがいいかもしれませんが、それは差別そのものを綺麗な布で覆っているだけではないかと考えています。臭い物に蓋をするだけでは問題解決には至らないと考えています。
なくすには、その存在を認めないとなくすことは難しい。自分や、自分の祖先が持つ差別意識に目を向けるのは難しいことです。誰しもが自分の悪い部分、汚い部分に目を向けたいとは思わないからです。もしかしたら、自身の差別意識より、愛する人や尊敬する人の差別意識を差別意識と認めたくないと考えるかもしれません。その差別は区別であり、“正しい差別”だと認識したがるかもしれません。
そういった葛藤を乗り越えて、差別があったこと、それがあやまちであったことを誰もが認め、社会参加への障害を取り除き(議員の何%かに異形個性を参入させる など)子々孫々にその恨みを受け継がせないことがこのヒロアカ世界線の社会の着地点ではないかと考えています。
▼田舎は差別が激しいのか
そりゃもちろん場所と時代と教育の浸透と当時の異形個性へのあたりもあるけど、現在75歳の北海道の道央出身の祖母の兄弟からびっくりするほどのきつい差別意識を開陳されたことはあります。
それが田舎だからとかなのかはわからないけど、堀越先生があそこまで田舎と都会で差別意識を分けたがったのはなんでだろ
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