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けものみち #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #ゲオルギウス

けものみち #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #ゲオルギウス


 魔術の発端は、ヒトが抱くささやかな悪戯心や、あこがれのあの人が振り返ってほしい、自分とは別の人間に心を奪われてしまってにっちもさっちもいかなくなってしまった弱さを押し隠したい、なんていうささやかな願いなんじゃないかなと夢想する。

 そんな俺のしたたかな劣情を映し出した液体は、俺が知っている色の中で一番近い色は紺色だが、フラスコを傾けると水面が眩しいくらい鮮やかな赤に照る。
 俺は俺の魔術師としての才能なんて一切無いと思っていた。なんとなく便利な技術で、おまじないの域を出ないだろうと本気で思っていたし、知識がないながらも懸命に作ったもので、すてきなあの子がどんな顔が見せてくれるんだろう、なんてくらいにしか思っていなかった。そしてもしかしたら、俺のこの妙な体質の仲間が出来て、ともに歩んでくれるかもしれない……それは思い上がり過ぎじゃないか、いやでも彼は、普通の人間なんかとは違うから大丈夫、だなんて考えていた。

 人類史を紐解くと、思想というものは流れゆくものであると実感する。
 女性に関して言うと、今からは考えられないし、失礼だし配慮に欠けるどころの騒ぎじゃないとは思うが、女性そのものが堕落を誘う、楽園を追われた原罪の象徴だとみなしていた時代があった。
 男性を堕落させるから罪、という論理であるらしい。過去に存在した思想に関して現在から解き明かすとして仮定の域を超えることは無いが、随分な言いようだ。
 けれどその時代に生きた先人たちの考え方を根本から否定する気になれない。なんだかんだ言いながらも俺は人類が愛おしいのだと思う。迷い、間違えながらも前に進むことをやめない人類が。
 それじゃないとこんなに危ない、ストレスで胃が千切れ飛びそうなことできやしない。途中で自害しているだろう。

 だから、この薬を作ったのは単なる興味でもある。
 たとえば、その教えに殉じて命すら差し出した人間が、原罪そのものになったとしたらどうなるのか?

 泣き狂うのか、それとも新たな生、いや性を楽しむのか?

「マスター、ちょっと」
 例の薬を少しずつ投与して、五日目に差し掛かるかというときに声をかけられた。わくわくをどうにか押し込めて、努めて平静に、何?どうかした?と返事する。
「その、少し言いづらいことで」
「じゃあ、俺の部屋で話しましょう」

 自然に自室に連れ込めたこともうれしい。俺への警戒心がずいぶん薄れたことが伺える。無駄を完全にそぎ落としたこの無機質な部屋が今は華やいで見える。
「で、どうしました?」
「その……私もにわかに信じがたいことなのですが」
「はぁ」
 好青年ぶって、心底あなたを心配していますあなたの現在の命も守る主として、というふうに接してみせる。所在無さげにマントの端をいじるゲオルギウスにあったかいほうじ茶を淹れて渡す。一緒にきなこもちを添えて。
 不安定な丸椅子ではなく、ベッドの端に腰かけるように勧める。
 勧められるがままに俺の隣に座るゲオルギウスの顔を覗き込むと、言うか言うまいか迷っているように見える。
「言えないようなことですか?」
「それが……その」
 そりゃあ言えないよな。五日といったらそろそろ子宮の形成が終わり、膣の形成が終わり、膣口の形成が始まる頃だ。その前に乳房が形成されているはずだ。そりゃあ、もう無視できない。気のせいだと自分に言い聞かせるのも限界だろう。
「何でも言ってください、あなたの力になりたい」
 その言葉に心動かされたのか、固くひきむすばれた唇が解け、喉から引き絞られるように言葉がこぼれ出る。
「身体が、女に」
「えっ…と……それはどういう?」
 初めて聞きました、そんなことにわかに信じがたいと言わんばかりの表情を顔に貼り付け、内心では成功を喜ぶ幼児のように無邪気に笑い、ねぇ、すごいでしょう、私は何もできない単なる人の子ではありませんと自分の力量を誇示したくなる。それをどうにか抑え、鎧の上から身体を伺おうとする。

「やはり見てもらった方が早いだろう」
「えっ?」
 おそろしいほど複雑な鎧の留め金を外し始めた。元は男だからべつに恥ずかしがる必要は無いはずだが、今は女の身体をしているはずだから見てはいけないような気がして、目を伏せた。

「マスター」
 なんだか声も少し変わっている気がする。俺より先にキャスタークラスのサーヴァントに相談されていたらなにもかもが終わっていた。そうなっていないということは運命の女神や、もしかしたら彼が祈る神ですら俺の味方だったりして。
「その、シーツどけても大丈夫でしょうか」
 肌を見せることを、思想上忌避していたはずの時代から来た人だからひどく迷っているだろう。顔面は蒼白で、唇は紫色になってしまっている。
「ムリしないでください、ストレスの方が良くないです、きっと」
「いや、その、信じてもらいたいのです、本当にそうなってしまってしまったことを」
 震える手でシーツで包まれた傷だらけの身体を露わにする。
 先日風呂で見たときは立派な胸筋があったところの少し上側に、そこそこの大きさの乳房があった。
「あっ、本当にあるんですね……」
「これで信じてもらえただろうか」
「うん、ちょっと信じられなかったですが……」
 まじまじと眺めていると肌を隠されてしまった。あわてて目を逸らす。
「でも胸がちょっと変わっちゃっただけでしょう?ならそこまで支障ないんじゃ」
 唇を噛みしめて目を逸らされてしまった。それはそうだろう。もうそろそろ生理が始まってもいいくらいの時期だから体調もおかしくなってきているのだろう。少しかわいそうになってきて、横になってと言うと素直に従う。
「数日前から下腹部が痛くて」
 生理痛だろう。下腹部を温めるようにさすると大人しく受け入れられた。
「頭も痛いし身体も熱い」
 小さな湯たんぽを引っ張り出して、湯を用意する。横になった途端眠気が襲ってきたのだろう、瞼が落ちかけている。
 タオルにくるんだ湯たんぽをシーツに押し込んで、腹にあてると少しよくなるらしいのであててやる。眉間に刻まれた皺が少しだけ緩くなったような気がする。
「我慢できないくらい痛いなら痛み止めあげるよ」
「マスターは痛み止めを常用しているのですか?」
「うん、怪我したときとか我慢できないくらいときありますし」

 明かりを消して、少し寝たら?と言うと暗がりの中で頷いた衣擦れの音がした。表情は窺い知れないが沈痛な面持ちでこちらの反応を伺っているのだろう。
「大丈夫、俺は味方です、それに誰にも言いません。安心してください」
「ありがとう」
 掠れた声で言うものだから、英霊となるまで、英霊となってからも強く在った人だというのに急に庇護欲をくすぐられてしまった。痛むと言っていた腰のあたりを優しくなでる。
「こんなこと、主が許すはずがない」
「え?」
「罪の具現である女になるなんて」

 価値観が違う時代から来た人間なのだから、とどれだけ言い聞かせても、体中の血が端から凍っていくのがわかる。
 もしかしたら、この人が私と同じ状況―性が自分の意志に関わらず突然、前触れなく変わってしまう―になったら、縋るものがある人間ならば、こんな状況になってしまった私を救ってくれるかもしれない、と思っていた。
 俺は彼をなんだと思っていたのだろうか。人間より素晴らしい生き物だと言われているのだから、もしかしたら俺とは違う考え方で、この状況を撥ね退けてくれるかもしれないなんて考えていた。
 勝手に身体を、興味が向くままに変えておいて、自分の思ったとおりの反応を得ることができなかったからと失望をして。随分非道なマネをしたという自覚はある。
「じゃあ、その主に俺の事も助けてって言っておいてください」
「何故です……あなたは男性でしょう」
「今はそう見えますよね」
 俺は深くため息をついて、発言の意図がつかめずにいるゲオルギウスの腰を撫で続けたまま言葉を選んで話を戻す。
「堕落を誘う、あなたが言うところの原罪そのものに、自分の意志に関係なく、自分とは全く別の女になってしまう、ということです」
 意味が解らない、と言う目で見てくるゲオルギウスに触れる手は今は筋張っているが、自らの意志に関わらず、オレンジ色の髪と琥珀色の瞳を持った女に変わるときがある。人格は一緒のままだ。そんないかれた状況でも、男から女に、見た目が全く変わったというのに変わらず「俺/私」を認識し、名前を呼ぶダ・ヴィンチちゃん、ドクター・ロマニ、本来一人のマスターに一人のみ召喚ができるはずのサーヴァントたち。それに、マシュ。
 サーヴァントをその身を貸出したとはいえ、カルデアがこうなってしまう前から俺の事を知っているはずの俺の後輩。そのマシュですら俺/私の事を認識できていない。
「言ってる意味、わからないですよね……ごめんなさい」
 何に対しての謝罪だろう。きっと範囲が広すぎて自分でも収拾がつかない範囲への謝罪。ゲオルギウスは上掛けが落ちてくるのも厭わず手を伸ばし、頭を撫でてくれる。そのまま倒れ込むように隣に横になると、そのまま抱きしめてくれる。押し付けられた胸はさきほどより少し大きくなったような気がする。もちろん胸筋ではない。温かく、やわらかな脂肪だ。
「肌を晒すなどと、昔は考えられなかったのですが」
 ふふ、と小さく頭の上で笑ったのがわかった。

「お辛かったことでしょう」
 お前に何がわかる、偉そうに、そうやって一歩上の立場から見下ろして、あなたが誠心誠意、文字通り全て捧げた存在が貴方に何をしてくれた、などと口汚くののしりたかったが喉には嗚咽が張り付いて、そんな言葉でてきやしない。ただ彼の身体に残る傷跡に爪を立ててささやかに、目と鼻の先にある安らぎに抵抗する。
「時々、あの四十七人が冷凍保存されている部屋で一人嘆いていますね」
「なんでしってるんですか」
「子供の考えることくらい、大人はお見通しなのですよ、マスター」
 悔しくて堪らない。惨めったらしくて、腹立たしさすら感じる。ゲオルギウスの言うとおり、もう何もかも、人類史だなんだって全部投げたしたくなったらあそこに行っている。このなかの誰か一人でも奇跡的に起きだして、俺の代わりになってくれやしないかって泣いている。だれかにこんな役目押し付けて、どこかへ行ってしまいたいと嘆いている。
 できるだけサーヴァントの前では強い主人であろうとしている。そうでもしないと寝首をかかれやしないかと気が気でない。そんな努力が無駄だと笑われたような気になってしまう。普段ならこちらも、そうなんだ、と笑い飛ばせたようなことが妙に心がささくれ立つ。
「あんたなんか大嫌いだ」
「とおっしゃられますが、いささか抱きしめる力が強すぎるようですよ、マスター。少し苦しいです」
「ごめんなさい、好きです」
「ええ、私もです……マスター、言葉と行動が一致していませんが」
「ごめん、もう少しこのままでいさせてください」
 あなたが俺に言う好きと、俺があなたに言う好きの意味は違うと言ってもっともっと困らせてみたい、と思うだけにとどめておく。

 ◆◆◆
「これから数日、俺の部屋で寝起きしてください」
 よそ様の胸に顔をうずめている割には偉そうな物言いだが、そうでもしないと俺のちっぽけなプライドが守れない。
「どうしたのです、急に」
「治してあげます」
 自分でやっておいて治すもなにもないが、効果が早く切れるようにする薬には少し匂いがある。その時にバレてしまってはきっとカルデアじゅうの聖人たちに囲まれて人として歩むべき正当な道を説かれ、今度こそ俺の精神は音もなく壊れるのだろう。と予想がついている。
 強すぎる光は影を落とすことを知らない、自分がそう、強すぎる光であるからこそ影が見えない人たちばかりだから、自分の身体がおかしいからといって、他人も同じ状況に置こうとするなど、俺の卑小な考えなんて理解できない。それでも救うべき哀れな子羊のために懸命に「救って」みせようとするだろう。きっと俺の目の前にいる人もそうだ。

 他人に勝手に求めて、勝手に失望して。
 ときに双方向に求めあっていたら「恋が成就する」だなんて言う。俺が、そして彼が愛した人類はそうして命をつないできたかと思うと、少しだけ恐ろしい。そんな恐ろしく低い確率を踏み越えて人類はここまで命をつなげたのだ。
 恐ろしい、と感じるのは無理もないと思う。だってできなかったことは理解しようがない。残念ながら。人類すべてを愛して死んでいった人と、その人ただ一人を愛している俺。どうしたって違いすぎるじゃないか。
「目立たないように、布で押さえましょう」
「ええ、お願いします」
 包帯として使っていた、要らなくなった衣服を切り、縫い合わせて作った布をなるべく裸の胸を視界に入れないように、それでいて、極力俺の部屋に居てもらうものの、誰かに見た目で異変に気付かれないよう、豊満になりつつある胸を押しつぶすようにして布を巻いてゆく。
「マスター」
「どうかしましたか?」
「いえその、少し苦しいです」
「すみません、でも緩めると目立ってしまうので……」
「では、ここから出るときは布を締めていただく、ではいけませんか」
 少しの間逡巡し、それで構いませんと言って布をほどく。圧を失った脂肪はもとの大きさに戻り、ゲオルギウスは大きく息を吐いた。
 体調が思わしくないのか、失礼、と断りを入れたあとベッドに横たわりぬるくなった湯たんぽを引き寄せる。確か俺/私が生理痛のときに飲んでいた豆乳があったはずだ。どれだけ効果があるかはわからないが、何もしないよりいいだろう。
 紙パックに入った、賞味期限にはまだ余裕がある豆乳をマグにあけ、電子レンジであたためる。人肌程度に温まったところで引きあげて、試験管の三分の一まで水を注いだものにラムネのような薬剤を溶かし、静かにマグへ注ぐ。うまく豆乳の匂いと混ざって気にならなくなった。これで少しだけ、もとに戻るのが早まるはずだ。
 気分が悪そうに眉間にしわを刻むゲオルギウスの側に腰かけ、サイドテーブルにそっとマグを置く。
「起き上がれますか?女の方の俺があなたのような症状になっていたときに飲んでいたものを飲んでみませんか」
 だるそうに身体を起こすゲオルギウスの腰にクッションをあててやり、ハンカチで包んだマグを持たせる。マシュがスミレの花を刺繍をしてくれたかわいらしいハンカチ、それが少しだけ罪悪感を刺激する。
 ぽってり厚い唇がだるそうに薄く開かれ、溜息が零れる。顔と精神性が美しいひとはなにをしても綺麗だ。それはほかの英霊たちもうそうだけれど、刹那的に生きた人間の表情は誰も見たことが無いものである可能性がある。それでいて自分しか知らないかもしれない。それに得もいえない喜びを感じる。なんだか、憧れていたものが少し身近になったような錯覚に陥る、少しの失望を含んだ喜び。

 明かりを落として、昔聞いた歌を口ずさんで子守唄代わりにする。ふるさとを想い、家族や友達の息災を願う歌。
 いつもは頭を撫でようものなら、明言こそしないものの好ましくない、といったそぶりをされるが、今はむしろ心地よさそうにその長い髪を預けてくれている。時々何かの鱗だったり、欠片、血の塊などが絡んでいるのを丁寧に取り除き、俺/私が使っている櫛で梳くと元通りの艶が戻ってくる。
 手に取った毛束にこっそりキスを落として、何事も無かったように、梳く。今まで彼に相対するときは尊敬を全面に押し出してきたのに、ここらで我慢が足りなくなってしまった。今なら、彼、いや何と呼ぶべきかわからないが、この人と俺は理論上子を成せる、とあまりに倫理に反したことが頭をよぎったことを恥じる間もなく、ゲオルギウスの苦しそうな吐息に意識を引きずられる。
 ときにひどく傷むらしく、額に脂汗が浮いている。固く絞ったタオルで額をぬぐうと気持ちよさそうに目を細める。やっと、俺が彼に何かしてあげられた。
 してあげられた、といっても原因が俺なので手放しで喜べない。鎧越しでない彼の掌はひどく熱くて、傷とマメだらけだった。
「これから数日は、ここから出ないでください……もう、声が女性のものになっています」
 無言で頷いてくれる。いい機会だからマントを洗濯し、鎧にさび止めを塗っておくのもいいだろう。俺は変な方向に前向きだ。

 ◇
 朝、俺のものではない体温と寝息で目が覚める。それが自分が好ましいと思っている人ならばなおさらだ。まだ深い眠りの中にいることを確かめたのち、そっと肩に触れる。どこで貰ってきたのかわからない、きっと人間の者ではない深い噛み傷。その歯列の一つ一つをなぞっているうちに、聞きなれない女性の声で、おはようございます、マスター、と声を駆けられる。
「起こしてしまいましたか?すみません」
「問題ありません、そろそろいつも起床している時間ですから」
 ゲオルギウスが起き上がると俺の頬に髪の毛が降ってくる。失礼、とすぐ払われてしまったけれど、彼の匂いがふわりと鼻をくすぐるのでそう悪くない。

「マスター、これは?」
「その、下着の当て布です。こう、包装を剥がして……」
「そうだったのですか、これは失礼」
「いいえ、とんでもない……使い終わった当て布は隅にある箱に入れておいてください」
 申し訳なさそうにトイレに入り、生理用ナプキンを取り換える。言葉にしてしまえばそれだけのことなのに、ひどくそそる。そんな邪心を振り払うように朝食の準備をする。昨日のうちにドクター・ロマニにはオブラートにくるんで話をつけてあるから、よほどの緊急事態が無い限りは施錠したままになるはずだ。目玉焼きと、ベーコンと、トマトと豆のスープと、パン。あの恵まれた体格を意地するためにはこれでは少ないかと思ったが、食欲がいつもより無いらしいので、このくらいにしておく。
 食事の前にも、彼は何かに祈りをささげている。俺には祈る神なんていないが、先に食べ物に手をつけるのもなんだか居心地が悪くて黙って待っている。
「お待たせいたしました、いただきましょう」
「ええ、そうしましょう」
 さくり、と彼の歯がトーストに突き立てられたのを盗み見て、この人は特別おいしそうにものを食べるなと思う。自分が作った、あまり見栄えがいいとは言えない食べ物をおいしそうに食べているところを見ると悪い気はしない。

 仮にも彼も大衆からあがめられた存在であるが、今は洗い物を進んでしている。今日の朝の薬も飲ませたし、端的に言えば暇、である。
 それを聞いたゲオルギウスは、カメラを取ってきて欲しいという。持ってくると、マスター、と呼ばれ、脚の間に誘われる。この人は俺が純粋で、よこしまな心を持たない子供だと思ってはいないだろうか、と疑念に駆られるが大人しく収まっておく。柔らかな胸が背中にあたって気が気じゃない。
「あなたが救ってきた者たちの記録です」
 そんなものを撮っているとは知らなかった。思わず見入ってしまう。ローマの市街地で遊ぶ子供、寝ぼけ眼のマシュの髪の毛を梳くブーティカ、しくみが気になるのかレンズを覗き込むネロ、母の腕に抱かれるオルレアンの子供、ジャンヌの旗を広げて模様に見入るマシュ、それにドレイクの部下たちに飲みつぶされた俺、それを笑って冷やかすドレイク、介抱するマシュ。光源が松明だけなのでどうしても暗いが、その笑顔はどこまでも明るい。
 霧に煙るロンドン、モードレッドにジキル、寝所に行く前に行き倒れたアンデルセン、物思いにふけるシェイクスピア、折り紙をするフランケンシュタインと、俺とマシュ、遠くから撮ったのでピントがぼけているニコラ博士。そしてアメリカ。どこまでも広がる荒涼、という言葉が似合う大地にたたずむジェロニモと、その話を聞き入るマシュ。俺の顔に木の実を並べて遊ぶエリザベートとビリーと、それをたしなめるロビンフッド、エジソンの毛並に触れるか触れまいか迷う俺と、それを見守るブラヴァツキー。
 思わず笑いが零れる。恐ろしいくらいの責任が俺の両肩に圧し掛かり、おかしな体質まで抱えているのに、実にほほえましいじゃないか。
「こうして、皆あなたが血反吐を吐きながらも立ち向かうからこそ、生きた証を残せているのです」
 いつもみたいに説教臭くなく、優しくささやくように言い聞かせてくる。この人なりに俺を奮い立たせようとしているのかもしれない。

「これ、一枚もあなたの写真がないですね」
「そうですね……私はいつも撮る側でしたからね」
「治ったら、俺があなたのことを撮りたいです」
「ええ、そうですね、お願いしましょう」

「そう言えば、体調はよくなりましたか?」
「おかげさまで、随分良くなりました。時に刺しこむように痛みはしますが……そんな悲しそうな顔をするほどではありませんよ」
「本当ですか?遠慮はなさらないでくださいね」
「本当ですよ、ありがとうマスター」
 慈愛、という言葉が似合う笑みの作り方は変わらない。いまこの表情を記録に残したかった。

「あの」
「なんです?」
 本来メンテナンスが不要なはずの英霊の装備にさび止めを塗る手を止めて、こちらに注意を向けてくれる。
「竜を殺すこと……というか自分より強大なものに立ち向かうのが、怖いと思うときはありますか?」
「それはもう、怖くて堪らないときもありますよ」
 驚きのあまり彼から目を離せないでいると、苦笑いを一つ零して鎧を分解しはじめる。
「本当に?あなたほどの人でも?」
「ええ」
 意外だった。誰も彼もそんなそぶり見せたことが無いのに。彼ほどに伝説を積んで、英霊として召し抱えられるほどの偉大な魂でも、強大な敵は恐ろしいのだ。
「あの、俺本当にいつもいつも、怖くて……異形の敵や、思想を違えた英霊が、そしてあの、ソロモンが」
「マスター、あなたは本当に良く頑張っています……ドクターに聞いたら、あなたは特別な訓練を受けたわけでもない方だというじゃないですか」
「いつだって逃げたい、という気持ちが起きてしまう」
「あれだけの敵が立て続けに来るのであれば、そうなっても仕方ありませんね」
「……あなたは怒ると思っていました」
「怒る?」
「意気地なし、お前の両肩に人類の未来がかかっているというのに、って」
「……マスター、あなた私をそんなことすると思っていたのですか」
「だって、今までこうして話す機会もなかったですし」
「そうですね、いい機会だったかもしれませんね」
 とんでもない状況に陥っているというのに、悲観的な雰囲気は無い。むしろ前向きにとらえているような気すらする。

「あなたが苦しいとき、私が傍に居りましょう」
 胸がつぶれそうなほど苦しい。文脈からしてそんな意味じゃないはずなのに、すべてが終わってしまえば、英霊の座とかいう場所に戻ってしまうというのに。悟られぬよう笑顔で、そうですね、よろしくお願いしますと絞り出すのが苦しくて仕方ない。
「ほら、もう泣きそうな顔はおよしなさい、愛らしいお顔が台無しですよ」
「……子ども扱いはやめてください」
「おや、それは失礼」
 そうやってまた優しい言葉をくれたり、不用意に触れてきたり。俺が心残りをたくさんゲオルギウスに残してしまうようなことをする。人理さえ救済していまえば、俺の役割は終わりだから、合理的といえば合理的と言えるだろう。人理救済までは生かされているのだ。あなたへの執着で、俺は生き延びると言ったら、彼はどんな顔をするだろう。その執着が遠因となってあなたの身体は今こんな状態になって居ると知ったら。
 なんて恐ろしい想像だろう。知らせなくていいことは知らせないでおきたい。彼が、英霊の座とやらに帰ってしまうときには全て忘れてしまうにしても、俺がマスターだったときに、深い悲しみに沈んでほしくない。
 自分でも支離滅裂だとは分かっている。なら懺悔でもしようか?彼の祈る神に。あなたを崇拝する信者を、いずれ必ず別れが来る存在に執着するあまり、自分の体質に近づけて、教義上、良しとしない存在にしました。それでも、それでも俺は彼を愛おしいと同じ口で宣ことを許しますか。
 そこまで考えて、俺は許しなど求めていないことに気付いた。この背徳こそ、彼がいなくなったあと俺と彼をつなぐ。ならば許させてはいけない罪なんだ。これで俺の凶行にも説明が付く。
「マスター、どうしました。難しい顔をして」
「いえ、なんでもありません」
 笑い出したいのを堪えて、さっきから床についてしまっている髪をまとめる髪ゴムを探す。自分でも面白い道理を考え付いたものだ。

===
おそらく2016年6月19日発行のぐだゲオコピ本の再録です。

憐みを抱かぬよう喉に牙を立てて #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #アルジュナ

憐みを抱かぬよう喉に牙を立てて #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #アルジュナ


 じわじわと意識が覚醒し、現実に浮上する。
 けたたましいセミの鳴き声と、肌に張り付くTシャツのうっとおしさに辟易しながらどうにか身を起こす。
 最近、何かを忘れているような気がしてならない。それが何なのか一切思い出せないのだから性質が悪い。
 昨日の晩御飯……アルジュナとうどん屋で食べた。この暑いのにアルジュナが汗みずくになりながら熱いきつねうどんを食べていたことだって覚えている。
 今週末の小テスト……だんだんわけがわからなくなりつつある古文の書き下しテストがある。
 と、思考を練っているうちに起床しないと間に合わない時間になっている。

 慌てて飛び起き、急いで身支度を整える。
 台所に置いてあったバターロールを無理やり押し込んで、夏用のベストを羽織る。
 制服が白だと所作に気を遣わなければならないので面倒で仕方ない。

 玄関を開けると、見知った顔が腕時計を見ていた。
「二分遅刻です」
「ごめんね」
 返事をせずに歩き始めたのはあまり怒っていない証拠だ。
 気に食わないなら徹底的に叱責してくる。胸をなでおろして歩き始めた彼につづく。

 前後に人がいないことを確認して、その指に自分の指を軽く這わせる。
 案の定、こんなところで、と責めるような目線が横顔に刺さる。
「だめ?」
 彼にしては珍しく、迷っているのか目を泳がせ、観念したかのように唇を軽く噛んで指を絡ませてくる。
 俺が軽く笑い声を漏らすと、何がおかしいと言わんばかりに爪を立てられる。それすらいとおしくてそのまま手を握る。

 ああ、幸せだなぁ、だなんて考えながら。


 ◇◇
 授業中も、アルジュナの掌の感触を思い出してはにやついている。
 俺より少し大きな掌、短く切ってある形の綺麗な爪、指の関節のひとつひとつを。

 けれどテストがそう遠くないからあまり意識を離していられない。
 あまり興味が持てないものの、どうにか置いていかれないよう手を動かす。

 ◇
 一番楽しみなのは、もちろん昼食の時間だ。
 学食で買った菓子パンと、烏龍茶の紙パックを持って階段を一番上までのぼる。
 両手がふさがっているので、すこし品が無いが、脚でノックすると扉が開いた。
 本当は生徒立ち入り禁止なのだが、なんというか生徒会特権とかいうやつでどうにかなってしまっているらしい。
「あれ?アルジュナ、ごはんは?」
「あなたと会う前に買いました」
「そっか、あるならいいや」

 日蔭に陣取っても暑い。湿気を帯びたぬるい風が頬を撫でる程度の涼だけだが、なぜかどれだけ暑かろうが寒かろうが、俺たちはここで昼食を取るようになっている。
 あたりまえのようにアルジュナが隣に腰を下ろす。さらに暑くなるが、これで拒絶の意志を少しでもにじませようものなら以降近寄りもしなくなるから黙っておく。

 暑い中甘ったるい菓子パンを全部食べる気になれずに半分以上残してしまう。
「食欲ないんですか?」
「んー、もっとさっぱりしたものがよかったかな、ってカンジかな……大丈夫、足りるよ」
 心配そうに覗きこんでくる黒い瞳が俺の青い瞳を写した。そんなに近く寄らなくてもいいのに、と思うけれど、ここまで近いならキスができる距離だ、とも思う。

 軽く顎を掴んで引き寄せると、俺よりずっと力が強いのに抵抗の色さえ見せない。
 すんなりキスが成功してしまった。人目を気にする方なので、嫌がられると思った。

 よくよく考えてみれば建物の高さの関係からどこからも死角になるのがこの日蔭だ。
 彼がそういうことを考えるとは思いにくいけど、ここなら何でもできてしまう。
 この前初めて身体の関係になったばかりでこんなところで盛るのはハードルが高いかな、いやでもその後サルみたいにヤりまくったな……などと思ったけれど俺の身体はそれほど抑えが利く方でもない。

 ご飯を食べているアルジュナが暑がってもべたべたと彼の身体に掌を這わせていると案の定。
「ちょっと……」
「うん、勃っちゃった……」
 ゴムはある。と財布のコインケースから取り出すと、アルジュナは少し目を見開いて、呆れたように深いため息をついてみせた。
 それも、フリ、だろう。彼の身体を触っているときから、彼のスキなところだけを触っていたのだから彼だって そういう 気になっているはずだ。
 汚してしまうから、俺と彼の上着とスラックスを取り払ってしまう。嫌に風通しがよくなってしまい、羞恥だか解放感だかわからない感覚が脳味噌を染めあげた。
 背中がコンクリートに当たらないように、俺の上着をアルジュナの背中に敷いて、小分けにして常備してあるローションを後孔に塗りつける。この感覚がどうにもなれないらしく、身を固くしてる。
 好きな人が不安だったり、嫌だと思うことはしたくなくて空いている手で頬に触れると、素直にすり寄ってくる。こういう時はいつもの生意気さはなりを潜めて、とことん甘えてくる。
「痛い……?ごめんね……」
「痛くは、ないんです」
「?」
「なんだか、慣れない感覚があるだけで」
 後孔で気持ちよくなるにはある程度慣れが必要だというが、少しでも気持ちよくなってくれていれば良い。
 ある程度解れたところで指を引き抜いて、指用のコンドームを外して、ペニスにコンドームをかぶせる。正直あまり好きな匂いでも感触でもないが、一度中出しをしたら翌日腹が痛くなったと言っていたので、俺のわがままで彼の体調が良くなるのはいただけない。
「挿れるね、痛かったら言って」

 痛くても言わないことを知っていながら、優しい恋人のふりをする。声を上げてしまわないように、大事な指に歯を立てている。
「ちょっと、指噛んだら弓を引けないでしょ……」
 ほら、と俺の指を差し出すと、これまた素直に俺の指を口腔に招き入れる。
 優しく舐められ、先端を吸われ、音を立てて抽出され。
 こんなことされたら嫌でも俺の身体の裡にも火が灯る。このクソ暑いのに、煽られたら火が大きく燃え上がるなんてあたりまえなんだ。


「ふ、っ、――ッく……んッ」
「苦しい?」
 嫌々、と首を振って否定の意志を示すアルジュナの、額に張り付いた前髪を払って唇を押し付ける、おそるおそる舌を挿入すると、アルジュナの方も少しずつこちらに舌を挿しいれていたらしく、軽く触れあった。
 時に唇を離してはまた寄せて、それで相手を食らいつくしてしまえたらと言わんばかりの動物的衝動で互いの身体に触れあう。

 徐々にアルジュナの声音に甘ったるさが帯びてきて安心した。
 引き締まった身体に汗の粒が浮いては流れる。
 互いの汗が、体温が混ざり合ってこのまま一つになりたい、だなんて夢見がちなことを考え付くくらいにはこのうだるような熱気と、むせかえるような興奮は俺の思考を鈍らせる。

「はァっ……う、くッ……ぐっ、うう……ぅ、アッ……」
「んっ、ふ、ンっ……!アルジュナ、ねぇ」
 きつく閉じられていた瞼が押し上げられ、こちらの声に反応する。言葉にならない、口の形だけで好き、と伝える。
 アルジュナの唇がわたしも、と形作るのを見て、安心した。
「あ、あァッ、もう、ダメっ、ンっ……出るから、テイッ、シュ、おねがいッ……だから……!」
 彼の肌に白濁が飛び散るさまはそれはもう興奮するのだが、今制服を汚してしまうのはよくない。しかたなくポケットに忍ばせていたコンドームをアルジュナのペニスの亀頭に被せてやる。
 ぱちゅん、ぱちゅんと下品な水音がするたびに彼が身を竦ませるのがどうにも胸にクるものがある。俺もそろそろ限界だが、アルジュナの方が先に達するだろう。
 だんだんと表情がうつろになってゆき、手で俺の身体のどこかに触れようと探り出したら、ということをつい最近知った。
 俺の背に手が回ったかと思ったときには息を詰めていても漏れる嬌声とともに、アルジュナはひときわ強く俺を抱いて達した。
 意地でも達するとき声を上げようとしない。ラブホなど、声を上げれるところなら遠慮なく絶頂するアルジュナの声を聴けるのだろうか。今度私服で行ってみようか。

「ごめんね、もう少し」
「ええ」
 イったあとのアルジュナは後が怖いくらい優しい。
 両手を俺の頬に当て、唇の感触を楽しむように押し当てて、俺の腹の底に溜まる欲をすべて吸い取ってしまうかのように優しく俺の吐精を促す。それに流されるように彼の胎内、正しくはコンドームにみっともない声をあげて射精してしまう。
 スッと冷水を浴びせられるように冷静になってしまうのが男の性であるとしても、これはあまりに情緒がない。
 きわめて冷静に、授業に遅れないように汗拭きシートで互いの身体を拭い、コンドームをビニールに放り込む。ときに軽く唇を重ねては見つめ合っているものだから遅々としているが。

 ◇
 興奮冷めやらぬ火照った肌を寄せ合いながら、すっかりぬるくなった烏龍茶を飲み下す。
「帰り、ちょっと待っててね」
「わかりました」
「忙しかったら帰ってていいよ」
「いえ、平気です」
「ん」
 最後に唇ををどちらともなく寄せ、離れる。今までただご飯を食べていただけですよ、と言わんばかりの澄まし顔で。



 ◇
 やはり、俺は何か忘れている。
 すっかり日が陰った廊下は、人の気配がしないだけでこんなにも不気味だ。

 俺がどこからきてここに居るのか、何故家に俺だけが居て、こんなにも、俺にとって都合の良い世界なのか。
 そういった疑問が湧いてはあぶくのように消えてゆく。疑問を覚えていられないのだ。それを考えることを禁じられているかのように。
 俺だけが、何かを忘れている。
 不安でも、誰に話しても気のせいで片付けられそうなことだ。拳を握り込んで爪が食い込む。痛みを確かに感じるので夢ではないはずだ。

 当てもなく廊下をさまようが、それで思い出すはずもない。
 こんなに遅くなってしまったのだから、アルジュナは怒って帰ってしまったかもしれない。

 ◇
「え?」
「え?じゃありません、どうしたんですかこんなに遅くまで」
「いや、ちょっとね……」
「……私にも言えないことですか……?」
 怒ってみせたのは最初の方だけで、こんなに遅くまで学校に居残っていたことが心配だったとひしひしと伝わってくる。
 彼の貌を西日がきつく照らす。朱と、彼の深い黒色の瞳。失礼ながら禍々しい色の取り合わせに生唾を呑みこむ。
「言っても」
「しょうがないだなんて言うんですか?」
「う……」
 責める意図はないだろうが、状況が状況なので反抗しづらい。暑さで頭をおかしくしたのか?と心配させたくないので言葉を選んで自分の中の違和感をどうにか言葉にする。
「笑わないで、聞いてくれる?」
 頷いて、歩き始めた俺と歩幅を合わせてくれる。

「ちょっと前から、なんかおかしいなって思うんだ」
「おかしい……ですか?」
 思い当たる節がもちろんないであろうアルジュナも、思案をめぐらせている。
「うん、なんというか、俺に都合がよすぎるんだ。何もかも。特に、アルジュナ。君に関して」
 いよいよ俺の言っている意味がわからなくなったのか、怪訝そうな顔で俺の顔を見遣る。
 やはりアルジュナにはわからないらしい。けれど俺は言葉を続ける。全体を離してしまえば少しくらいヒントがあるかもしれないと信じて。

「君は、俺をそんな切実に俺を求め、俺を愛してくれる、のかな」
「何が言いたいのです、それに、私を疑うのですか?」
 少しずつ声が震えているアルジュナの腕を掴み、声を抑えるように目で示す。

 黒と青が交わる。
 朱に染まっていた空が藤色に染まり始めている。
 これ以上は、「アルジュナ」に失礼だろう。
 妻を愛し、子を愛し、民に愛され、民を愛した彼に。
 俺と言う個体を愛している今、この時が。

「ごめんね、俺を好きにならせて」
「何を、言うのです」
 いよいよ怒ってしまう。その前に片をつけなければ。

「もういいよ、君は、偽物だ」




 途端、蒼穹にひびが走った。
 バリバリと音を立てて空が剥がれ落ちてゆく。

 普通ならあり得ないことだが、俺は極めて冷静に、泣き崩れる俺の望んだ「アルジュナ」の背中を摩る。
 確かに温かい。が、この涙もきっと俺がそうであれと望んだ、「俺を愛してくれるアルジュナ」だからこそ、だ。

「ここで安寧を得ていれば貴方は危険にさらされることも、悲しみに暮れて"私"に泣きつくこともないというのに……だからあれほど沢山あった聖杯の一つにそう願ったのではないのですか」
「ごめん、迷惑だった?」
「そうではありません、貴方が、辛いと嘆くことのない世界で、温かな生活を、貴方がもと居た世界のまま暮らしてほしかった」
「でも、そのままじゃアルジュナが生きた証も、守った人たちも、残らないから……でも、ありがとう、君のことを、心から――――」



 ◇◇
「ごめん、これは僕の責任だ」
「謝ることじゃないよ、ドクター・ロマン。仮にも聖杯を扱うのだから、こうなる可能性を考えておくべきで、聖杯の力を甘く見た俺が」
「先輩、顔色が悪いです……ドクター、ここは先輩を休ませてあげたほうが」
「そうだね、申し訳ない……ゆっくり休んでね」

 今までずっと寝ていたようなものなのに、眠る気なんてなれない。
 いうなればできのいい夢だ。そんなものも聖杯が叶えてくれるだなんて。
 それにあれはある意味本物のアルジュナだ。
 俺が聖杯で仮想世界を作り、それにアルジュナを呼び寄せた、のだと思う。
 きっと、狂化を取り付ける要領で、聖杯は余計な気を利かせててくれたのだろう。醒めてしまった幸せな夢など、惨めさを際立たせるだけだと言うのに。



 光の粒が舞い、英霊が実体化する。
 白い外套に、黒い髪、それに合わせて設えたかのような黒い瞳。
 今一番顔を合わせたくないが、そうも言ってられない。


「……見た?」
「ええ」
 涼しい顔で言ってのける。
 俺としては恥ずかしさで今すぐここから消えてしまいたい。都合よく目の前の英霊を書き換えた上にその時までは本気で愛し合っていると信じて疑わなかったのだから。
 自分の幸せな夢が恥ずかしい思い出になってしまったことがなにより悲しくて、恥入る余裕などないのだから、これ以上ここに居ないでほしい。

「あれは、私であって、私でない」
「というと?」
「それを考えるのが子供の役目です、マスター」
 そう言って彼は手袋を外し、俺の頬に触れた。
 変わらず温かな肌に、今は失われた「アルジュナ」が思い出されて胸がチクリと痛む。
「貴方が、そうであってほしいと願う方を信じなさい。その方が快いでしょう」
「そうだね、さすが、施しの英雄」

 厭味に聞こえたから厭味で返した。
 それだけのことなのに、妙に感傷的になってしまう。失ったのが悲しいのか、現実の彼は悪くないのに当たり散らしたことが恥ずかしいのか、その両方か。どれであっても俺のせいだ。それでも今は俺だけの胸の裡に広がる痛みに浸っていることくらいは許されるのではないだろうか。

「ごめん、すこし寝る」
「そうですか、では」
 何の余韻もなく彼は去っていく。
 あの「アルジュナ」だったら、添い寝をしてくれていただろうか、と夢想しながら眠りにつく。

2016/8/28
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概念礼装「ヴァーサス」に着想を得た学パロからのそんなもんありませ〜ん

碇を下ろせない港のよう #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #天草四郎時貞

碇を下ろせない港のよう #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #天草四郎時貞

 重苦しい、棺に似た入れ物に、見たこともない言葉が書き連ねられた古くて薄汚い布を何重に巻かれたものを、人類の英知と、武勇とを持ち合わせた英霊たちが欲しがっている、という事実に実感を持てないでいる。
 英霊たちが明かした聖杯にかける願いは人それぞれだが、実にありふれた願いを持った英霊たちが多い、というのが俺が感じた印象だった。
 結局、英霊だ何だと箔付きのお椅子に座っていながら、あれらは欲張りな人間の枠を脱していない。だからこそ俺も彼らに、同じ人間として愛着を持ち、同じ志を持つ同士としてこの過酷な使命を未だ放り投げてしまわないでいる。

 魔術が込められた錠を解いていくうちに、それの実態が見て取れる。

 どれだけの人が悲願を込めたのか、知るよしもない。
 それはどれも相当に古いもののはずだが、その深みのある金には濁り一つない。
 俺らはこれを、聖杯と呼んでいる。

 本来ならこれは一つだけ存在するはずだが、今回のは何もかもがイレギュラー。ここに並ぶ聖杯は十一もある。イレギュラーついでに、それを英霊の霊核と融合させることで、英霊の持つ力を格段に上げる、というのだ。

 一つの聖杯を七基の英霊たちで奪い合あった彼らに言ったら卒倒しそうだ。
 聖杯を一基の英霊につかうだなんて、それも五つも、それで死後の安らぎを人類に売り渡してまで欲した悲願が五つも叶ってしまうではないか、となじられるだろうか?

 いや、それはないかと思う。たぶん。
 彼らの願いは、人類が存在してこそ意味があるもので、人理が焼き尽くされた後叶っても意味がないものがほとんどだ。
 マタ・ハリは永遠の若さを、ジェロニモはこれ以上奪われぬよう、と願うという。といった要領で、彼らはめいめい、人類が存在する前提で願いを聖杯に託すつもりでいる。

 なら、無欲そうに見える英霊に聖杯を託そうと考え、俺はあるサーヴァントを選んだ。

 彼の名前は天草四郎時貞。
 日本史の授業を話半分に聞いていた俺ですら彼のことを知っている。彼は、秘密だなんだとはぐらかし、一度も俺に聖杯に託す願いを教えてくれたことはないけれど、きっと彼なら、聖杯をその身体に受け入れ、より強力なサーヴァントとして人理修復に協力してくれることだろう。


 ◇◇◇
「マスター、それは」
 彼が表情を変えるのを初めて見たかもしれない。
「うん、そう。四郎くんは見たことあるんだよね」
 聖杯大戦のことは、ロード・エルメロイ二世の書棚の隅に積まれていた資料で読んだ。
 ユグドミレニアが冬木から奪った聖杯を奪って、何らかの願いを叶えようとした。ということはわかっている。その前に、得物が手に届く範囲にある彼を令呪で縛る必要がありそうだ。

「サーヴァント・ルーラー……天草四郎時貞に令呪を以て命ずる。黙って話を聞いて、そして、質問に答えて」
 眩い緋の光が視界を染めたのち、手の甲のあざが一つ消え、彼はとりあえず俺を殺して聖杯を奪うということができなくなる。
 いつもの穏やかな表情とはなんだか違う表情をしている。笑みはもちろん、いつもと変わらぬ柔らかさな笑みだが、目が笑っていない。むしろ冷たい氷の刃を模した視線が俺に刺さる。

「だって、そうでもしないと俺が三池典太の錆になっちゃうでしょ」
「そのようなことは」
「しない、と言える?これが君の願いを叶えることができるかもしれないものだったら?」

 答えはなかった。
 彼ほどの人格者が、犠牲を厭わずかなえたい願いとはなんだろうか?俺は本来の目的とは逸れていることを自覚しながらも、彼の願いを聞いてみたくなってしまった。令呪が効いている今がチャンスだろう。

「ねぇ、聞かせて。君の願いは?なんでそんなにコレがほしいの?」
 彼の眼前で五つの聖杯を鳴らせてみせた。
 完全に余計なことではあるが、彼の眉間に皺がよったところを見ることができただけでよしとしよう。

 ◇
「四郎くんは、何か叶えたい願いがあるの?」
「……全人類の、救済です」
「え?」
 言っている意味がよくわからない。というか、おおざっぱすぎて、具体的にどうしたいのかがわからない。俺だって人理の修復を担っており、大枠で言えば俺と同じ願い、と言えなくもないかもしれない。
「もうちょっとわかりやすく」
 彼は、深く深くため息をついて、聞き分けの悪い子供に言い聞かせる親のような穏やかな声音で、この世の地獄を経て得た理想を語り始めた。

「人は、欲を抱きます」
「欲は、善きもの、悪きもの両方を呼びます」

「えーでもそれが人間ってもんじゃない?」
「貴方が話せと言ったのでしょう……話は最後までお聞きなさい」
「はぁい」

 割と強烈にねめつけられて、身を竦める。再び視線を宙に戻して話を続ける。
「……私は、人間が生み出したシステムに押しつぶされる人間を……それを生み出す人間の性質を見過ごしておきたくないということです」
「んー……まだわかんないな……あのさ、四郎くんはすっっっっごいひどい目、って言葉で表せないくらいの目に遭ったのに、なのにまだ、人類を救いたいなんて思うの?」

 また、能面のような笑みを浮かべた。俺はこの笑い方が好きじゃない。なんだか、俺と四郎くんのココロの間に、薄膜を張ったような気がする。さっきみたいに怒りの片鱗をにじませた彼の方がよっぽど魅力的だ。
「私は、憎しみを捨てました」
「ウッソー!そんなゴミ捨て場にちゃんと分別して捨てましたーみたいなノリでできること……なの?」
 彼があまりに穏やかななかにも切なげな表情を浮かべているものだから、途中から語気を保てなくなってしまった。それ以上、言ってはいけないような気もする。いつもの彼じゃないみたいだ。どんなことにも余裕綽々、みたいな表情で同じ年代とは思えない彼とは違うみたいだ。

「ええ、それは自身に対する裏切りではありますが、私は、そうしたかったから、そうしただけで、そのように悲しい顔をなさる必要はないのですよ」

「でも……それって、四郎くんは救われる?」
「私ですか……?それは……わかりません」
 願いを叶えたあとの自分の事なんて初めて思い至った、といった表情で思案を巡らせている。きっと、あまりに願いが大きすぎてそんなところに脳のリソースを割くということ事態思い至らなかったのだろう。

「そっかぁ……それは個人的にイヤだな……」
「それほどですか?」
「うん……そんなにまで頑張ってる人が、やったー!幸せー!ってならないと俺は悲しいな……って、でも四郎くんが望む世界はそんな気持ちも抱かなくなるんだよねきっと……うーん、まあそれはそれで効率がいいのかな……?」
 彼の願いと自分の価値観、どう算段しても掠りもしない。それでも彼個人が報われてほしいと願ってしまう。
「四郎くんは、それが良いんだよね?」
「ええ」

 迷いなく、それが唯一の正しい答えだと信じて疑わない彼があまりに高潔で、俺からずっと遠くにいるような気がしてならない。
 個人の快、不快から遠く離れたところで一人、理想を叶えるために戦う彼は同じものを救おうとしているはずなのに俺とは違いすぎる。

 自分の死が、仲間の死が、修正後はなかったことになる人たちであるとはいえ、死が恐ろしい、傷つくことが怖いと嘆く俺とは、覚悟の質が違うのかもしれない。
「わかった、じゃあ、こうしよう」

「俺と、四郎くんで人理の修復を頑張る!そうしないと四郎くんの救いたい人類がいなくなっちゃうから。そしたら、四郎くんはなんかいろいろ考えて、全人類救済できる方法を探す!で、俺は四郎くんが報われて、かつ四郎くんの願いが叶う方法を探す。これでどう?」
 そんな、子供が叶わぬ理想を語るのを穏やかに眺める老人のような目で俺を見ないでほしい。喜びも怒りも悲しみも捨て去った人間はこういう顔をするのだとあらためて実感する。それがなぜか寂しくて仕方がない。
「お好きになさればよろしいかと。マスターがどうなさろうと、私は私の願望を叶えるだけです」
「そっか、それでいいよ。そうしよう」

 でもやっぱり寂しいものは寂しいから、人理の修復が全部うまくいって、マシュも元気になって、それでも聖杯があったらこっそり……?というのもいいかもしれない。


 ◇◇◇
 やっと本題を思い出した。
 一方通行気味ではあったものの、久しぶりに同年代に見える男の子としゃべれてついはしゃいでしまった。彼の霊核と聖杯を融合させる、という目的があった。ドクターが言うには、霊核のある胸部に近づければ自然と取り込まれるという。簡単すぎ手拍子抜けした。なんかもっとこう……概念礼装のフォーマルクラフトのお姉さんのように、かっこいい呪文を並び立ててみたかった。
「それじゃあ、じっとしててね」
 令呪で縛りを与えている今、じっとしているか、俺の質問に答える以外のことができない彼に追い打ちをかけるように念押しして、聖杯を一つ手に取る。
「っと、その前に……ごめん、ちょっと襟元緩めて胸のあたり出すね」

 返事を聞く前に衣服を緩める。無数の刀傷と、やけどの痕に思わず手を引いてしまった。
「お見苦しいものを見せましたね、失礼」
「い、いや、四郎くんが謝る事じゃ……」

 彼にそんなことを言わせてしまったことがなぜだが嫌に胸を騒がせる。痩せていて筋肉があるわけではない俺の身体とは違い、しっかり筋肉がついている。じろじろ見るのも怪しまれそうなので、聖杯を一つ手に取る。
「痛かったらごめんね」
「構いません」

 この世に堪えることなど存在しない、と言わんばかりに決意を宿した視線からあわてて目を逸らし、彼の胸部に聖杯を近づけると、鈍色、に一番近い色が視界を支配した。それでも聖杯を取り落としてしまわないよう、手に力を込める。
「ッ、グっ……!!」
「えっ痛い……?!ごめん、ごめんなさい……」
 傍らで握りこんだ彼の手のひらが、強く握りすぎて色が変わっているのが見えた。それでも叫びの一つもあげずに、彼は耐える。歯を食いしばり過ぎてギチギチと音を立てるほど苦しいのに、恨み言ひとつ言わない。
 きっと人理の修復のそのあと、彼の目的を果たす際の障害をより効率良く排除するために受け入れた聖杯だろうけれど、彼の力になれば良いとも思ったけれど、彼が苦しむためにすることだろうか……?俺は今、正しいことをしているのだろうか……?
「躊躇うことはありません、続けなさい」
「は、はい……!」
 あまりの気迫に思わず敬語になってしまう。
 額に張り付いた髪を彼の耳にかけると、表情がよく見えてしまった。
 彼が見せるささやかな人間らしさがそこにあるだなんて、想像すらしてなかった。痛みに耐え、喉元にまででかかった叫びを押しとどめる彼は、何と言ったらいいか全然わからないが、その、とってもステキだった。高潔な理想と、垣間見える人間らしさ。それがたまらなくステキに見えた。なぜそう思うのかわからないけど、俺の心の中がすごく、キラキラしてる。


「ボヤボヤしない!次!」
 一つ聖杯を飲み込んだだけで痛みで起き上がれないのに、それでも彼は理想を追うために強さを得ることを躊躇わないのだろう。息が上がっているのが落ち着いてしまったら、それはそれで苦しいのだろうから、何故かほほを伝う涙を袖でぬぐって、もう一つ聖杯を手に取る。
「ごめんね、いくよ」
 触れると同時に、うめき声がまたひとつ上がる。
 苦しげに眉を寄せる彼が見ていられなくて、彼の肩に額を寄せて視界を塞ぐ。当の四郎くんは一瞬身をすくめたが、すぐに小さい子供にするように頭をなでてくれた。四郎くんの方がずっとつらくて、痛いのに。

 ◇
「がアッ……!!!」
 最後の聖杯を飲み込むのが一番つらそうだ。辛いものを食べる時みたいに、すこしずつなれていくみたいなことはないらしい。さっきからずっと俺の頭をなでていてくれたけれど、このときばかりは俺の背中のあたりで握りこんだ手を震わせている。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
「私はッ……大丈夫です」
 顔色が真っ青の人が言っても説得力のかけらもない。どうにか一秒でも早く終わるよう、祈ることしかできなかった。

 ◇
 汗にまみれた彼の身体を濡れタオルで拭き終わるころには、彼も不自由なく起き上がることができるようになっていた。本当に、強い人だ。
「ごめんね、あんなに痛いなんて知らなかったんだ」
「問題ありません。私はこれで私の願望に一歩近づいたのですから」
 なんだか決定的にすれ違っているとは思うけれど、彼がそれでいいと言うなら、俺がどうこう言っても仕方ないだろう。それがたまらなく、苦しい。
「マスター、どうされたのです」
「わがんないげどぉ……」

 汚らしい涙声しか出てこない。何でかわからないのに泣いたのは久しぶりで、自分でも戸惑っている。彼がいつもより少しあわてた様子で俺の目元にタオルを押しつけてくるのがおかしくて、笑いが一緒に出てきそうになる。
「ねぇっ……!!!四郎ぐんはぁ……!ほんどうにぞれでいいのぉ……?!!」

「ええ、そう、決めましたから」
 それはまるで、どれだけ石やら木の枝やらを投げても波紋の一つもたたない湖のようで、きっとそれが切なくて、俺はみっともなく泣いているんだろう。
 大事にしたいと思った人から見向きもされない、被害者ぶりたい子供の稚拙な恋心が、どうしようもなくくすぶっている。

 彼は決して冷たいひとではない。こうして泣き出した子供を前にしたら、落ち着くまでそばにいてくれるくらいのことはしてくれるのだ。
「落ち着きましたか?」
「うん……ありがとう」
「それはよかった」

 そう言って何もなかったかのように去ろうとしている。
「ねぇ、ちょっと待って」
「どうしました?」
「あのさ、俺が四郎くんが報われる方法で、願いを叶える方法を探すっていうのは本当だからね」

「それはそれは……やってみるといいでしょう」

 彼がそんな笑い方をすることを知りたくもなかったし、知ってしまったことで俺の何かが変わってしまったことなんて、彼に知れたらどうなってしまうだろう。
 恐ろしくて、たまらない。

誰かのためにできること #FateGrandOrder #男夢主 #ゲオルギウス

誰かのためにできること #FateGrandOrder #男夢主 #ゲオルギウス
 古い書物の匂いが強くなるごとに、自分がいつもいる世界と隔絶されるような気がして、一人になりたいときはここに籠ることが増えた。
 あの、サーヴァントとかいう人間の理解の範疇を超えた生き物たちの中に居ると気が滅入ってしまう。あれは、たしかに見た目も触れた感覚も人間だが、決定的に違いすぎる。

 それはサーヴァントだから、俺と違いすぎるのか、育ってきた環境が違うからすれ違いは否めないのかがわからない。どんなに近づきたいと思っても、その決定的な違いが俺を邪魔する。


 ◇
 血の海、と表現するのが一番近いだろう。
 何と名前が付いている生き物かは知らないが、血は赤い。それをものともせず赤銅の鎧で固めた、ある人々に聖人と崇められるその人は、息絶えたそれに向かって歩みを進める。

「や、やめようよ、もう死んでる」
 怯えきった声が喉を滑り出し、震える手でマントの裾を掴もうと手を伸ばす。陰り始めた陽に隠れて表情が読み取れない。それに、このまま彼に背いたからと首を刎ねられるかもという疑念が浮かんで、手を引っ込めた。
 いつもなら、俺が恐れていると感じているなら心配はいらないと安心させるために頭を撫でてくれるのに、今は俺に背を向けて再び抜刀した。

「いいえ、マスター。あれは子を孕んでいます」
 竜殺し。
 その言葉が頭を何度もよぎった。自分の信じる正しさのためならどんなに残虐な手段を選んでも許されると考える存在だからこそ、何のためらいもなくその刃をワイバーンと呼ばれる生き物の胎に突き立てることができるのだろう。
 甘いことを言っている。理不尽なのは俺の方で、いずれ修正され、なかったことにされる世界であるものの人々が安心して生活するようにするには、今ここで殺しておくべきである、ということもわかっている。
 それでも、あんなに温厚で、師として尊敬に値する人が、自分が非道と考える道を歩んでいる。

 俺が目を背ける暇も、みっともなく悲鳴をあげるのを抑える余裕すらなく、肉と骨と臓器が断たれる不愉快な音をたてて彼は未だ生まれぬ竜の子を屠った。

 深い緋色の夕日に、白いマントが翻る。
 何に、どんな許しを請うているのか、何に、祈っているのか知る由もない。彼が信じる神はこの筆舌に尽くしがたい惨状がまかり通るということに関して、何か言及しているのかもしれない。

 ◇
 史学に触れたことがあるならばその名前を聞くのは一度では済まない、皇帝ネロの陣営に加わったとはいえカルデアのようなふかふかの布団と空調が用意されているわけではない。

 血と泥と汗を冷たい川で流し、ごわごわと固い服に着替える。最初の頃は不快だったけれど、もうとっくに慣れてしまった。
 もしかしたら、俺もゲオル先生や、ほかのサーヴァントたちと同じように、「総合的に考えれば必要になる殺害」にいつか慣れてしまう日が来てしまうのだろうか?
 たとえば、環境に慣れてしまうように。

 想像しただけで怖気が走った。未だ生まれぬ子ですら手をかけて、それを必要と断じる価値観をいつか俺が持ちえたとして、そうなってしまった俺のことを人間と呼べるだろうか?それはどちらかというと、大事な使命のために小さいものを切り捨てることを容認する、英雄と言うやつの価値観になるのかもしれない、と悶々と夢想する。

 パチパチと火の粉が爆ぜる音と、葉擦れの音が今は恐ろしく感じる。

「おや、マスター」
 急に、俺の思考の根源に居る人から声をかけられて大げさに驚いてしまった。
「隣に座ってもよろしいかな?」
「ええ、どうぞ」
 それ以外に選択肢はないだろう。俺が腰かけていた倒木に彼が腰を下ろせる場所をつくる。鎧のぶんだけ体積が増えるので、必然的に近寄ることになってしまう。
「恐ろしいかったのですね、あれが」

 あたりまえのことを言われて、正答がわからずたじろいでしまう。
 きっと、普段接している彼の性格からすると、正直に恐ろしかった、と言ってしまって良いだろうが、ネロ陣営の兵士、サーヴァントたちも無傷だったわけではない。そのように死力を尽くして戦った彼ら、彼らの戦いぶりを、怖かったの一言で言ってしまうのがどうにも失礼のような気がしてならない。

「マスター」
 呼ばれて顔を上げると、カルデアで見るような、俺が人生の師として仰ぐ人のやわらかな笑顔がそこにあった。
 笑顔一つで疑念が、緊張が、ほどけて消えて行ってしまうのだから、我ながら単純だと思う。鎧越しで、体温なんてひとかけらも感じられないけれど腕に手を伸ばしたら冷たい小手越しの掌が重ねられた。
「めずらしい、オルレアンで甘えたはもう治ったのかと思いました」
「いけませんか?」
 拗ねたように笑いかける余裕が出てきた。それを見てゲオル先生も安心したらしく、仕方ないと甘んじてくれるらしい。
「とっっても怖かったです!そうした方が、これからここで生きる人のためになることはわかります、それでも怖いものは怖かった!」
「そうそう、子供は素直が一番です。マスター……わかっていただけて嬉しいです」
「また子ども扱いする……怖いし、ひどいことするなって思うけど、わかるよ」

 額で軽く鎧を小突くと、驚いたような顔をされてしまった。日頃彼がどれだけ俺を子供だと思っているかがわかる。
「私から見たら、子供どころか、この世に生きる人類すべてが愛し児のようなものですから」
 こうして、遠くを見るような顔をするゲオル先生はあまり好きではない。隣にいるのは俺なのに、彼が見ているのは気が遠くなるほどたくさんの人なのだから。そのうちの一人の事なんて気にかけたことありません、と言われているような気がしてしまう。それでも、俺は尊敬と親愛と、そのほか俺も知り得ない気持ちを込めた視線を、ゲオル先生に受け取られる気配がないとしても、投げかけてしまう。


「じゃあ、ゲオル先生は人を好きになったことなんてないんだね」
 俺の意図がはかりかねる、と言った表情をさせてしまった。彼としては、好きなのだ。
 ただ、俺の好きと違うだけで。
「ごめんなさい、なんでもないです」
「そうですか?」
 きっともう、俺が眠たくなって自分ができないことを言いだしているのだと、ゲオル先生は考えている。その証拠に、俺が最後まで守っていた火を消そうとしている。
「まだ寝ない」
「マスター、よい子は寝る時間です」
「悪い大人だから寝ない」

 彼は優しいのであって甘くはない。俺のささやかな駄々もどこ吹く風で、念入りに火を消している。
「寝ないって言ったのに……」
「おや、子守唄が必要ですか?」
 ほら、こうしてわざわざ子守唄、と、さきほど俺が子ども扱いをするなといったらこの返しだ。
「……いいえ」
「よろしい。おやすみなさい、マスター」
「……おやすみなさい」

 わしわしと、子犬を撫でるように髪を撫でて、肩を軽く叩いて「足元に気を付けて」と言ってくれる。ここまで片付けられてしまったら寝るしかない。素直に寝所に向かう途中、思わず大きなため息が零れた。
 あれはやはり違いすぎる。
 その認識を深めるとともにあれが触れてくる回数が増えた。違いすぎるとわかっていくごとに思考が引きずられてゆく。
 変わりゆく自分と、あれを人型に、血の通った人間と同じ温度で作り上げたカルデアの召喚システムの考案者と、あれの在り方。どれから恐れていいかわからない。

 いや、もっと恐ろしいものがある。
 あれに深入りし、あまつさえ情を注ごうとしている自分の正気が一番恐ろしくてならない。

 俺の頭上でいつの時代も変わらず輝く星、あの瞬きがここに光として届く年月に比べれば些細な悩みなのかもしれない。そんなことを考えながら、眠れないであろう身体を寝台に押し込んだ。

2016/8/14

阿修羅姫 #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #アルジュナ

阿修羅姫 #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #アルジュナ
 
 少女が女に、母が女に、娼婦が女に、もとより、そしてこれからも口紅は女のものであった。
 しかしそれは、まともに生きている女が織りなすことであり、織機を手繰る女が数人を残して魔術王に焼却された今、そのようなことは実に些細なことといえるだろう。
 現に、この眼が痛くなりそうなほどの赤を、俺は彼に別の意味で使用した、といえるだろう。

 ことの起こりは数か月前に遡る。逆に言うと、俺はもう数か月もかの大英雄、アルジュナを侮辱に近い扱いをしておきながら首と胴が繋がっているし、眉間も心臓も矢で穿たれていない。

 これ以上、わずかに残った人間が積み重ねた英知の結晶の風化を進めないよう、完璧な温度管理がされた書物が堆積している書庫の底の底、そこに彼の原典が眠っていた。
 誰の解釈をも交えたくなかったからと、原文、といっても現代ヒンディー語ではなく、古語やら訛りなどで読み進めていくのは恐ろしいほどの労力だったが、不思議と苦痛は感じなかった。それより、ほんの一面でも彼を知れたような気がして、嬉しさを感じていた。

 最初、敵として相対した彼だが、奇跡が幾重にも重なって彼がこのカルデアに召喚されたときは先行している印象が、今の彼と、敵であった彼とは別存在だと頭では分かっているものの、一度その矢が俺を、マシュを、そして人類の未来をも穿とうとした弓兵が恐ろしくてあまり深くかかわろうとはしなかった。
 が、カルデアの電力供給が危うくなった際に行った魔力供給、と大義名分が掲げられているが魔力が込められた体液をサーヴァントが摂取するという、愛に夢見て恋に恋する乙女たちを唾棄するような行為のあと、自分でも恐ろしいほど短慮であるとは理解しているものの、留めがたい執着を彼に向けてしまっている。

 英霊の座とかいうところで、聖杯戦争に関する知識を多少はつけているらしいので説明はいらなかった。
 それに、魔術師でもない俺が、英霊を何基も従えるという不条理に合点がいっていなかったらしく、魔力供給のため必要である、という言葉に特段驚きはしなかった。

 そこまではいい。
 今まで肌を重ねた英霊たち、俺を憐れんで、少しでも良い目にあうようにと尽くしてくれた者、俺を地獄の底に堕すためなら心臓を差し出す、と言わんばかりの憎悪をぶつけてくる者、ただひたすらわが身に起こる不条理から意識を逸らそうとする者、悲しいかな多種多様な反応をこの眼で見てきた。
 だが、さりさやと触り慣れない感触の白絹の外套に手を掛けようとしても、その安い黒ガラスをはめたような瞳には何の感慨も映し出さない。常に気高く、ヒトとは一線を画そうとする彼なら、俺を憐れんできそうなものだと予想していたので拍子抜けした。
「アルジュナ」
 目の前で掌を振って見せると、大げさなくらい驚いてからやっと俺に意識が向けられる。やっぱりいつもと様子が違う。だからと言って世の中のいわゆるカノジョを大事にする男とは違い、心の準備が整うまで待ってやることを状況が許してはくれない。
「ごめんね、恨んでくれていいから」
 英霊という、人間とは違う生き物が彼が俺を恨むようなことがあっても、英霊たろうとする彼が俺を害するようなことはしない、と分かっているからこんな言葉がいけしゃあしゃあと言える。
 いつもよりずっと人間らしい彼の瞳が、雄弁に語る。こわい、どうしてこんな、でもおれは、って。

 というのは妄想だが、不安そうに表情がゆがんでいるのは事実だ。これまで有能かつ人格者として、俺やマシュを助けてくれた彼に無体はなるべく働きたくない。
 どうしたものかと、完全に固まってしまったアルジュナから外套を手際よく剥ぎながら考える。
 うすぼんやりと見える身体が、一つの現実として俺の前に横たわる。ふたつの腕がすらりと、それでいて右肩が厚く鍛え上げられた肩、浅黒くつややかな肌をほめたたえる語彙があまりにもなさすぎて、喉まで出かけた賛辞を呑みこみ、唯、きれい、とだけ素直に述べた。
 アルジュナは上掛けをひきよせ、包まってしまった。
 背を向けられてしまってどんな表情で稚拙な賛辞を受けたのか伺えない。生前から言われ続けていたであろう、彼を称える言葉を受けたのか、気になるところだが、追及はしないでおく。

「あった」
 掌に収まる、赤地に花柄をあしらった小さな筒。
 少し前に、今はもうこの世にいないスタッフが買い置きをしていたらしい、口紅。このまえ整理していたら出てきたものだ。
 それと、瓶入りのリップクリーム。

 薬指で少しリップクリームを取り、アルジュナの肩を軽く叩く。
「ねぇ、こっちむいて。魔法をかけてあげる」


 主の魔力が無いがゆえにこんな目に遭っているというのに、と、目が語っている。もちろん、俺が使う、ここで定義されてい魔法は、サーヴァントの対魔力の前では塵以下、分子以下でしかない。
 顎に手をかけ、強いない程度に軽く上向きにする。
 やはりまだ身体が固い。そりゃあそうだろう。けれど英霊として、人類史を救済するという使命を掲げられたら英霊は、アルジュナは断れない。あまりに憐れ。
 そっと唇にリップクリームを塗る。こんなに冷たい目で見てくるのに唇は十分熱を持っている。
 俺がまだ何にも特別なところがない、将来がうすぼんやりと不安なだけの学生だったころ、恋人には優しく触れたい、愛おしくて堪らない人と肌を重ねたいと思っていたけれど、こんな状況下で、何基もの英霊たちに、人類史に、種馬扱いを受けるとは思わなかった。
 恋を知らぬうちに他人の肌の温みを知ってしまった今、どうやって恋をせよというのか。

「マスター」
 急に動かなくなって心配になったか、何の感慨もない瞳はそのままに声をかけてくる。
「ごめん、ちょっとぼんやりしてて」
 よっぽど憐れな表情をしていたのだろう、やっと彼の表情が揺らいだ。
 彼の唇をふにふにと弄んでいるが、特にとがめられない。

「なんでこんな、こんなことになっちゃったのかな」
 意図せず唇が震え、目頭が熱くなる。アルジュナはいい迷惑だろうし、さっさと済ませたいだろうに。どうにか歯を食いしばり、声を抑える。
「あなたは」
 いつもの冷やかな声が嘘かと思うくらい、優しい声をしている。こんな話し方ができるだなんて知らなかった。
「あなたは、この大役を背負うには弱く、それでいて優しすぎた」
「え?」
 自然に貶されたような気もするが黙って聞く。いつのまにか背中に腕が回され、彼の上に倒れ込んでしまう。必要以上に触れたら嫌がられるかと思っていたが、彼が抱き寄せてきた。だんだんと脳味噌の処理能力を上回りつつあるのがわかる。
「どうして優しくしてくれるの?」
 答えは無い。
 代わりに背中を摩る手が優しい。こうしていると、いつか俺の元から去ってしまう人、いや、聖杯が練り上げた魔術で霊核を固めた人形にほだされてしまいそうだ。
 優しさの先に理想の恋があったとしても、ただひとり残される俺が悲しいだけなのに。
「こんなものは優しさのうちには入らないでしょう……しいて言うなら、そうですね……」

 それきり彼は考え込んでしまった。
 抱きとめられたままでは恥ずかしいからと身をよじって抜け出そうとするが、筋力Aランクは伊達じゃない。彼の素肌に触れている、と認識するだけで顔が火照って仕方ないのに彼は涼しい顔で、言い方を選んでいるように見える。
「憐憫……そういったものが近いでしょう」
「うーん、かわいそうってこと?」
「まぁ、そういうことです」
「そうかぁ、そうだよね」
「ですから遠慮はいりません。十分に私の身体を食いつぶしなさい、マスター」

 これからセックスしようという相手にそんな言葉をかけられたのは人類史上俺がきっと初めてだろう。
 それに俺はそこまでセックスに情熱を注げないので英霊を満足させるなど、食いつぶすほどに抱くというのは無茶というものだ。本当に俺だけがキモチイイだけの、いうなれば性処理だ。
「やっぱり、アルジュナはさ、すごいよね」
 それだけが口を衝いて出てきた。後が続かずあたふたしてしまう。なにかうまいことを言わなければと足りない頭を稼働させる。
「なんか、いっつも弱音を吐いたりとか、悲しんだりとかしないで、平然と構えてる。さすが、授かりの英雄というか」

 アルジュナは俺の言葉を受けて、一つ溜息をついた。
「貴方にはそう見えるのですね」

 ◆◆◆
 その言葉には呆れや嘲り、底の方に少しの嘆きが見て取れた。まるでそうじゃないみたいな物言いだけれど、違うのだろうか。少しだけ思考の外に追いやられた口紅の存在を思い出し、手の中ですっかり温まった筒の蓋を引き抜く。
 嫌味なほどつややかな赤。それを彼の唇に近づけると思いきり顔を逸らされてしまった。
「何するんです」
「何って、さっき魔法をかけてあげるって言ったじゃん」
「……?」
 真意が掴めないらしく、されるがままになってくれた。口紅を薬指にとって、彼の唇に優しく色を塗り込む。これを使っていたモデルは色白だったが、彼に誂えたものかと錯覚するほど肌の色に合っている。
「やっぱり。すっごく似合うよ」
「……これのどこが魔法なのです」
「かけたよ、魔法。これをつけている間は、アルジュナは女の子になるの」
 嫌悪に顔を歪めることも、呆れて溜息をつくこともなく、ただ彼の望む虚無を瞳に宿していた。
 虚無と孤独を望む彼らしい、一時の主人の気まぐれなど意に介さない、といった態度で寝台に横たわる。
 身体を重ねるとはいえ、彼の特別になったなどど間違っても錯覚してはいけない。そんな恐ろしい発想自体恥じるべきだ。
 彼は俺がマスターとして力が足りていないから、妻が居た身でありながらもここで女役をしなくてはならないという前提を頭の隅に追いやらないようにする。そうでなければ人類のために身体を許してくれた英霊たちに申し訳が立たない。

 そんな態度に腹を立て、俺だって被害者だ、と怒りにまかせて乱暴に抱くこともできるが射精したあとの賢者タイムに自己嫌悪で潰れてしまうことは目に見えているので、どうにか堪える。

「女、ね」
「うん、そう女の子」
 笑った。
 バカバカしくて、じゃなく、かわいそうだから、でもなく、ただおかしいから笑った。彼が厭味ったらしく笑うときは本当に厭味ったらしいからよくわかる。
「いいでしょう、あなたは、私を生んだ母と、妻と、同じ性にするというのですね」
「そう、かわいい女の子」
「はは、貴方も相当に、狂っている」
「そうかも」
 狂人と英雄。異質すぎるからこそ互いに興味を持ち、少なくともお互いを憎みあうことなく、愛のないセックスに臨めるのかもしれない。


「うわ~~そのイヤイヤする手コキ最高だよ」
「……」
「やっぱ弓兵は手にマメができるもんなんだね」
「……」
 その、わざとらしい無表情もそそる。引き結ばれたり、恐ろしいものを見て驚いた、といったように薄く開かれる唇はキスの一つもしていないのですこしも崩れていない。彼と共に寝台に横たわり、俺は彼の首に軽く抱き着いている。無理な姿勢だからこそたどたどしい手の動きが嫌にそそる。
「貴方は、男触れられても、その」
「いやむしろ俺は男の方が」
 意味がわからない、という顔をされてしまった。今から価値観の相違から埋めていたら、その間に人類が滅びてしまいそうだ。
「そう言えば、口と尻どっちがいい?」
「は?」
「そのままだよ。どっちがいい?どっちでも痛くないようにやれる自信あるけど」
 彼の長い長い逡巡ののち、口を選んだらしくためらいがちに唇が触れた。確かに直前まで手でできるし、粘膜接触の時間は少なく済むだろう。
 その上は俺は、認めたくはないが早漏のケがある。その方が、俺に大して興味がない英霊たちにとっては都合がいいのだろう。俺だってさっさと出して寝たい。それかどこか、俺と相思相愛になってくれるだけの慈悲のある存在の元で眠りたい。
 心ばかりが逆剥けてゆく。身体ばかりが充たされてゆく。

 これを充足と、言えるのなら。


「ごめん、もう」
 軽いため息が先端をくすぐる。甘えを含んだ腹立ちまぎれに、頭をはたいたのち首が胴についていれるような立場だったらどんなにいいか。彼が含んだのを視界の端に捉えたのち、次に我に返ったのは彼が喉に引っ掛けたらしく咳き込む音だった。背中をさすられても嫌かな、と考えてペットボトルの水の蓋を開けて渡す。
 彼がここにきたころ、ペットボトルを開けようとした彼が、蓋ごとボトルをねじ切ったのは今となってはいい思い出だ。照れ臭ささとばつの悪さがない交ぜになった表情でほほえみあったのがはるか昔のことのようだ。

「ごめんね、恨んでくれていいから」
 いっそ恨んで、呪って、罵ってくれた方が楽だろう。そうすれば悪いことをしている、と自分で認識できる。
 こんな外道な真似を人類のためにしているだなんて言われていると、倫理観というものが何であるか、徐々に剥離してしまう。まるでアルジュナのためにそう言っているように聞こえるが、きっと見透かしているだろう。
 自分のために、恨めと言っていると。その浅ましさも。
 それを全て憐憫、その一言で済ませたところはさすがの大英雄といったところか。結局は人間とは呼べない、ヒトの形をした何か。
「私は、貴方を恨まない」

 ふ、と視界が暗くなったかと思うと、唇に生温い肉の感触。

 顔が離れて初めてキスされたと認識した。やけに長いと思ったら、唇の色が俺の唇に全て移されている。唇に膜が張ったようなねとつきでわかる。
「こんなに憐れな人の子を、私は恨めない」
 生前妻が居た身でこのようなことをされて、被害者、と呼べる立場だというのに彼はどこまでも、世界を、人類を、この世の有象無象を無意識のうちに愛する、英雄だ。
 その意志を称賛しに、全てが終わって一人取り残されても、彼の墓くらいは参っておこう。と一人心に決めた。


2016/7/1

さざなみが浚う夜 #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #アルジュナ

さざなみが浚う夜 #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #アルジュナ


「また泣いているのですか」
 アルジュナが頭の上で溜息をついたのがわかる。呆れ、ではなく、自分と添い寝して何が不満なのか、と言わんばかりの自信からくるため息だ。
「英霊になるほどのすばらしいお方にはわかりませんよーだ」
「僻んだ子供ほどかわいくないものはないですね…………あなたからふっかけてきたのに勝手に悲観的になるのはおよしなさい」
「アルジュナきらい」
「なら離しなさい」
 筋力Aクラスの彼に頭をはたかれると、アルジュナが思っている以上にやられた側は痛いのだと理解してほしい。現にばちん、ととってもいい音がした。
「……ごめん」
 返事の代わりに頭が撫でられる。
 こんな、いつかは役目を終えて消えていってしまう存在に入れ込んで、不毛すぎるということは自分が一番よく分かっている。けれどこんな立場に置かれて、誰とも深く心を結ぶことが不利益になる状態で、必要となればセックスをしなければならない。余りに惨めな役回りだ。
 何かに縋らずにいままで自害せずにいれたとは思えない。

 いうなれば俺は、人理焼却を阻止するために生きているのではない。
 これは誰にも言ったことがないけれど、多分今俺は彼を、アルジュナを失いたくないがためにこの役割に甘んじている。
 唯一人、俺のこの惨めな役を確かに惨めであると認め、半端な慰めをしようとしない。それだけがどんなに嬉しかったか。
 俺がこの状況に感じている違和感を認めてくれる人がほかに居ただけで救われた。そうでもしないときっと気が狂っていただろう。彼が寝入り端に語る、真実とも虚構ともとれる話だけが楽しみだ。

「え?俺の話?」
「ええ、私ばかりが話していても飽きるでしょう」
「そんなことない、アルジュナの話おもしろいよ」
「私が飽きたのです」
「あっそう……」
 そう言われても、彼に話して聞かせるほどの話があるだろうか。ここに来る前は、本当に平凡な人生だったのだ。
 逡巡していると、アルジュナは本当に寝入る気らしく外套と手袋をはずしてサイドテーブルに置いた。
 普段隠されているところが露わになるとどうしてこうも扇情的なのか。あわてて目を逸らしても、きっと彼は気づいている。俺がどんな気持ちでここに居るか。
「毎日学校に行って、帰って、塾に行って、将来はきっと大学に入るんだろうなって思ってた。で、将来どうなるかが何となく不安で、それだけ」
「それだけ、ということもないでしょう」
 いちいち学校はどうとか説明する必要が無いので、いいシステムだと思う。生きた世界が違いすぎた二人をひとときの主従としてまとめ上げるとしたら随分と効率がよくなる。
 だとしても彼には理解できないだろう。
 日本人の平均寿命からしてみるとあまりに短い生を、瞬きのように生きた彼にはこうして流されるまま生き、滞留してはまた流れるという生き方が。
 さすがに聖杯も、そんなところまではめんどうみてはくれないらしい。

「つまらなくはなかったよ、少なくとも、辛くなかった」
 彼は極端に光が絞られた瞳で射抜くようにこちらを見つめている。ここでも彼は射手としての才能を遺憾なく発揮している。現に何とは言わないが既に撃ち抜かれて、無残にばらまいている。

「戻りたいですか」
「……ひどいこと言うね」
 くつくつと彼の喉奥で磨り潰した嘲笑が零れた。

 戻りたい。こんなつらいことはもう終わりにしたい。痛いのも、苦しいのも、嫌がられながらセックスするのも、訳の分からない生き物に食われかけるのも、自分犠牲が当たり前の人間たちのなかで一人、死が怖くてたまらないのも、全部終わりだ。
 終わりにして。

 けれどそんなことできやしないとわかっているから、彼はこうして俺の心に爪を立てて血が滲むのを見て楽しんでいる。
 サーヴァントは、いずれ消える。きっとこの役目が終わる頃、彼は消え、英霊の座とやらで召喚を待つだけの存在に戻るだろう。英霊の記憶に齟齬があっては困るから、ここにいたことなんて全部忘れて。唯一覚えているのは俺一人。
 そんなこと、願い下げだ。人理救済、とかかっこいいことを言っておいて俺一人酷い役回りの末に彼を失わないと終わらないなら―――――

「どうしたのです、珍しく怖い顔をして」
「え?」
 かさついた指が俺の頬を撫でたのを理解したのはずいぶん経ってからだった。
「私の使命を見失ってくれるな、マスター」
「うん、そうだよね」
 彼は別にここに俺の世話をしに来たわけじゃない。もっと大きなことを叶えるためにここに居る。わざわざ念押しされると、ちくりと胸が痛む。勝手に想って、勝手に傷ついて。こんなに苦しいのだから、これくらい許されてもいいのでは、と思う気持ちと、恥じ入るべきだ、という気持ちが交錯する。

 考えるのがばかばかしくなって、布団をまくり上げて潜り込む。彼の態度は冷たいが、身体はぬくい。
 勝っても負けても、いずれアルジュナは俺の元からいなくなり、アルジュナは俺の事を忘れる。俺はいつまでも捉われたままだ。あまりに損な役回りで笑みがこみあげて来る。
「大丈夫、君たち英霊の努力を無駄にしないように最大限努力する」
「いいでしょう」
 その答えに満足したのか、彼は目を閉じ、眠りに入った。俺はひとり取り残されたまま、彼の貌を見つめている。
 彼の貌、吐息、ぬくもり。感じ得るすべてのものを記憶に刻みつけておくよう、俺は眠りゆく頭をどうにか保ちつつ彼に触れないぎりぎりの距離に身体を横たえた。
 文字通り、生き世界が違いすぎるのだ。出会ってしまったから今こんなにも予期する別れが苦しい。
 もっと俺が大人だったら、先々を悲観せず、毎日毎日を刻みつけながら生きればいいとわかるのだけど、今は昏い水底に沈んでいるような気になる。もっと大人になったら、こんな変な人の想い方をしなくても済むのかな、と夢想し、迫ってきた眠気に素直に意識を引き渡した。

2017/7/1

ある恋の話 #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #エドモン・ダンテス

ある恋の話 #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #エドモン・ダンテス


「煙草一本ちょうだい」
 黙って差し出される小箱から一本引き抜いて、ライターを探す。シュ、と火打石の音擦れる音が聞こえたかと思えば小さなプラスチック円筒の先に火が灯されている。
 慌てて煙草を咥えて、吸いながら火を穂先につける。
「ありがと」
 特に返事はなく、彼は元通り長椅子にゆったり腰かけなおし、読みかけの本を開く。自分の部屋で読めばいいのに、という言葉は、奇しくも同室になった、少年の姿で現界したサーヴァントの顔を思い出した。もとより博識な彼の事だから書庫の書物をかたっぱしから読んで、どれかで副流煙のことを読んでのことだろう。
 その上で、彼なりに子供に気遣っているのだろう。
「ライターの使い方、知ってたんだね」
「お前が使ってただろう」
 彼の前で確かに使ったことがあった。そんなところまで見ていたのかと感心してしまう。

「ねぇ、恋バナしよ」
「はぁ?」
 心底不愉快、といったような返事が返ってきた。
 それもそうだろう。彼の恋は恐ろしいほど残酷に潰えているのだから。
 華々しい人生の幕開けともいえる披露宴の最中、物々しい雰囲気のなか引っ立てられてゆく若かりし頃の彼の心中を端から眺めているだけで絶望に呑まれそうになる。
「俺もなんかさぁ、こう、身を焦がすような恋がしてみたいなぁって……」
「それを知らずに死地に赴いているのか」
 鼻で笑われてしまうかと思ったが、以外と冷静に返された。今の言葉は、やはり彼はエドモン・ダンテスの残滓の上に復讐の神という概念を盛り付けているのではないか、という仮説を裏付ける。
「そうなの……なんかここのみんなは大切だけど、家族みたいな感じがしちゃってさ……なんかトキメキがない」
「トキメキ?」
 この人の口からトキメキ、なんて言葉が出てくるのは不似合でしかない。きっと冷たそうな青白い肌と同じく冷たい血が流れていて、俺の不格好な恋など一笑に付されてしまうだろう。

 いや、俺が知らないだけで恋多き男だったのかもしれない。
「そうトキメキ。もう絶対コイツじゃないとダメ、みたいな衝動がないというか……」
「ああ……それは確かに恋とは呼ばないな」

 うーん、と思いあぐねて俺はうろうろと、時に灰を灰皿に落として部屋を徘徊する。
「じゃあさ、メルセデスに恋してた?エデには?」
 不機嫌どころで済まされないくらい嫌そうな顔をした彼は、子供の言うことだからと受け流そうとしているのが見てわかる。

 けれど子供の浅知恵は思わぬ方向に振り切ることもある。俺はあの島から抜け出し、彼を呼び出すまででなにか落としてきてしまったようだ。

 青白い肌をもっと青くして、言葉を絞り出そうとしている彼を眺めている。いくら強く睨んでも、俺の言葉が翻らないのを知ると言葉を選んでいるのがわかる。嫌なら無視するとか、他にやりかたがあるだろうに、なんだかんだとまっすぐで、綺麗な心を持ってる男だと思う。そのまっすぐさを逆手にとって、共に魔術王に勝利した、という勝利の証の具現である俺は、彼にどこまで許されるのか試したくなった。
「してたさ」
 それだけつぶやくように言うと、不機嫌さが極まれたのか、備え付けの冷蔵庫から強いラム酒を取り出してきた。グラスは二つ。

「どんなとこが好きだった?」
 やさしい飴色の液体が、繊細なつくりのグラスに注がれてゆくのを眺めながら、さらに質問を続ける。彼はやっかいな子供を相手にして、すっかり困ってしまった大人の顔をして簡単なつまみを作っている。きまりの悪さを呑みこむように呷り、酒臭い息を吐きながらも手は止めないでいる。半ばやけくそと言ったようにつらつらと語る。

「メルセデスは、」
 昔恋した女を語る彼は、むせかえるくらいの色気を放っている。
 この前エリザベートと一緒に見た映画に、傷つく男はうつくしい、だなんてセリフがあったけれど、まさにその通りだ。昔愛して、共に将来を誓い合った女、自分を待っていてくれなかった女、病に臥せ、悲しみのままに死んでいった父のことを気にかけてくれていた女、そして、憎しみに呑まれそうになったとき救い上げてくれた女のことを語る彼はひどくうつくしかった。ときに切なげに眉をしかめる様など、不埒ながら軽く絶頂すら覚えた。

 チーズとトマトとバジルソースのカプレーゼと、オリーブ。料理の本も読んだのだろう、俺が食べ慣れている味だった。ラム酒は相当キツイもので、俺は彼ほど気前よく飲めないでいた。酔わないと語れないことなのだろう。

「そうかぁ、ありがとうね。なんとなくだけど、俺も恋ってやつが少しだけ身近に感じられたよ」
 舌打ちですませてくれるだけありがたいと思う。あの仄暗いシャトー・ディフでこの話をしていたならもっと違う展開が待っていたに違いない。例えば物言わぬ骸になるとか。
「でも、元カノの名前を、名前がわからないって言ってる女の人につけるのは正直……」
 これが一番悪手だったらしい。彼の不機嫌オーラで俺の肌がチリチリ痛むような感覚に襲われる。
「わかったよ……恥ずかしいんだね……」
「まさかアレだとは思わなかったからな」
くつくつと喉奥で笑みを磨り潰す笑い方をし、彼はまた煙草に火をつけた。俺も彼と同じマッチから火を貰いぼんやり考えた。その感情を恋と呼ぶのなら、俺はもうとっくに恋を知っていたし、していた。今彼に話したらきっととても驚いてしまうだろうから、もう少し暖めておくけれど、俺は彼に恋をしている。この切ないくらいの独占欲、庇護欲、俺はこれを恋と呼ぶ。

歪んだ真珠は歪みに気づかないまま #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #エドモン・ダンテス

歪んだ真珠は歪みに気づかないまま #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #エドモン・ダンテス



 アンドロイドは電気羊の夢を見るか、だなんて知りはしないけれど、俺は今日もひどく恐ろしい夢を見る。

 婚礼のため着飾った美しい人、そして、俺の恋敵、と呼ぶにはあまりに烏滸がましすぎる女性。
 それを愛おしげにみつめれば同じ熱を持った視線が返ってくる。これを幸せと呼ばずに何と呼ぶのかわからないくらいの全身を包む純然たる幸福。と、同時に身体の末端から凍て腐り落ちそうなほどの嫉妬の炎が身を焼く苦しみ。
 ひどい、俺の感情と、この夢の主の感情が交錯している。

 場面が変わり、ひどく喧しく響く靴音、不穏な囁き声。

 そして、気づいたときには。狭苦しくて、自由がきかない。誰かが話す声がするけれど、声を発することはしない。
 何やら男の声がしたのち、体が急に宙へ浮いたと脳が認識したかと思えば、全身を叩きつけられるような痛みが体中に走った。
 これだけのことが一気に起きるものだから、混乱はしているものの身体は勝手に動き、足枷を外して酸素を欲して海面を目指す。
 俺自身はそう泳ぎがうまくないはずなのに、夢の中の俺は迷わず泳ぎだす。この先に島が無かったら、見つかってしまったらと胸に溜まる焦燥感はあるものの、ひとつ共通しているのが、唯生きたいと願う気持ちだ。

 俺はこの夢をみるサーヴァントを知っている。
 どういう仕組みだか知らないけれど、サーヴァントとマスターはときたま夢を共有するのだ。
 初めてサーヴァントの夢を共有したときは恐ろしくて恐ろしくて、久しぶりに声を上げて泣き喚いてしまった。それがブーティカの夢だったのも一因だが、酷い、という言葉だけでは片付かないこの世の、何度繰り返されたかわからない地獄がそこにはあった。
 あまりに大声で泣いていたのだろう、驚いたマシュが駆けつけてくれて、あたたかいタオルで顔を拭ってくれたかと思ったら安心してそのまま眠ってしまった。

 けれど何度か繰り返すうちに、少しだけお酒を飲んで眠ってしまえばいいことが分かった。何度もマシュを叩き起こすのも悪い。

 消灯時間が過ぎているため足元に等間隔に付けられた無機質な灯りを頼りに、食糧庫からラム酒と、一つのライムと少々の塩を失敬し、サーヴァントとスタッフたちが談話室として使用している部屋の中でも自然と口数が少ない者が集まる部屋に向かう。
 これだけ夜遅ければ子供の身体をもったサーヴァントたちは、アンデルセンを除いて寝静まって入るだろうが、念には念いれる。

 今日ばかりは陽気にお喋りする気にはなれない。

 蝋燭の灯りに、青白い顔がぼんやり浮かんでいるのだけ見えたからすこし驚いたけれど、気だるげに視線がこちらを捉え、隣に座るよう促す仕草で彼が巌窟王であることを認識した。
 蝋燭でタバコを灯し、こちらに寄越してくれる。なんだか今日はとってもサービスがよくて後が怖い。

 彼はいつもつけている黒い手袋を外し、氷の塊をアイスピックで表面を削り、それを繊細なつくりのグラスに浮かべ、水で湿らせた飲み口に塩をまぶす。
 それから、胸元から小さなナイフを取り出すと、俺が手でいじっていたライムを二つに切って、一つを寄越してくる。
 少しお行儀が悪いけれど、それを齧りながらちびちびグラスを傾ける。

「あのね」
 返事はなく、唯目線が俺に注がれるだけだ。けれどそれが心地よい。聞く気が無いときは黙って煙草を吹かすだけだからわかりやすい。
「サーヴァントはマスターとときに夢の内容を共有することがあるんだけど」
 これは彼にとっても予想外だったらしく、ひどくむせてしまった。いつもなら身体に触れようとすると嫌がるけれど、背中を摩ってもなにも言われない。
「で、どんな内容だった」
「言っていい?っていうか言わないと怖くて」
 冷静さを取り戻した彼は灰皿に灰を落として、こちらに向き直る。聞く気はあるらしい。

「……っていう夢」
 彼は苦虫を数十匹同時に噛み潰したような顔をしてタバコをふかしている。まさが自分の夢を覗き見られたとは思ってもみなかったらしい。
 彼はベストの内ポケットをまさぐると、ひとつの小物を取り出し、テーブルの上に置いた。

「なにこれ」
「指輪だ」
 もしかしなくても、そうだろう。これは男物で、並べて置いてある小箱は、
「開けていい」
 制止が返ってこなかったのを肯定と受取り、所々削れた、もとは薄紅色をしていたであろう小箱を開ける。
 案の定、女物の結婚指輪だ。
「男用の婚約指輪が無い……?」
「看守共に奪われた。きっと高く売れたろうよ」
 踏み込んではいけなかったところを踏み込んでも、最近はひどく癇癪を起されることは無くなってきた気がする。以前なら、怒らせてしまったらさっさと自室へ帰ってしまっていたから。
「綺麗だね」
「当たり前だろう、そのとき一番腕のいい細工師に頼んだ」
「惚れてたんだ」
 鼻で笑って、まぁな、と返してくれる辺り、彼は本当に丸くなったと思う。
「いやでも、そういう体験しないままいつ死ぬかもわからないところに行くのってなんか損した気分」
「お前には居なかったのか?」
「居たけど、元カノ忘れられないって、大失恋」
「ン……?」
 彼の常識の中では論理の破綻が起きたのだろう。皺ひとつない綺麗な肌に深く皺が刻まれる。
 いちいち説明するのが面倒で、小さくため息をついて、言葉を選んで、けれど語気には悲壮感を込めずに意図を正確に伝えるためだけの言葉を発する。
「俺は男が好きなの……あっでもできれば冷たくしないで」
「……好きにすればいい」
 生前の時代によっては引き攣った表情をどうにか押隠す、興味本位でシてみたいだとか好き勝手言う。彼なら、こう言ってくれるとなんとなく予想していた。
「失恋っていつかは忘れるものかな」
 酷な質問を選んで投げかけた。こんなもの後生大事に取っておいているくらいだから、忘れていないことくらい目に見えている。それでも、俺はひどく幼く、残酷な方法で、彼の意識からもう戻らない人、彼が愛し、恨みに恨みぬいたひとではなく俺を見て欲しいと思った。
 それは愛でも、恋でもなくても構わない。いや、でも愛か恋であってほしいけれども……。いや難しい。まだ保留にしておこう。

 バカなことやっているっていうことは自分が一番知っている。自己嫌悪のあまり恐ろしい夢のことはどこか遠くへ行ってしまい、代わりに自分の浅ましさや愚かしさに頭が真っ白になって手に溜まった汗が凍ってしまいそうなほど手が冷えてしまった。
 そりゃあ、健全なオトコノコですよ。好きな人が手を取って温めたりしてくれないものかな、なんて考えました。

 きっと、恋が叶う可能性があるって思っていたから彼も、俺もこんなにも苦しいんだろう。
「あっ、じゃあ、この女物の結婚指輪を触媒にしたら」
「やめろ」
 多少の怒気を含んだ、けれどできの悪い後輩を押しとどめるようなやわらかさが感じられる声音で制止の言葉が投げかけられる。
「メルセデスは、英霊の座に召し抱えられるだけの器を持ち合わせてはいない」
 彼は何でもなさそうにそう言ってのけ、ライムをひと齧りしたのちラムを呷った。メルセデス、彼を裏切る前のメルセデスに会える可能性を切り捨てた。少しでも喜んでくれたら、なんて単純な思考回路で弾きだされた答えはあまりにも幼稚だった。自分の立場を顧みず思いつきで発言したことが恥ずかしい。
「代わりにこれをやろう、マスター」
 そう言って俺の掌に落とされたのは飾り気のない男ものの結婚指輪。冷たい銀がすぐに俺の体温で温まってしまう。
「これって」
「俺の触媒としては申し分ないだろう」
 蠱惑的に笑む彼は、満足げというか、吹っ切れたような表情でまた一つラムを呷った。 唇の端を懸命に噛みしめていないと、破顔してしまいそうだ。ありがと、とだけ言って襟元をまさぐりネームタグを探りあて、一度外す。
 身元が分からないくらいの死体になったとき使うタグに、俺の片想い相手の結婚指輪が通っているというのはなんだか不思議な気分だ。
「ごめん、留め具が付けられない」
「貸してみろ」
 手袋を外した彼の指先が俺の首筋を掠める。赤みがさした首筋に気付かれなきゃいいけど。
 指輪を服の上から抑えて、どうにか笑みをかみ殺して、噛みしめても噛みしめても綻びそうになる頬を少し抓る。

「できたぞ」
「ありがと」
 彼は慌てて灰を灰皿に落とし、残ったラムを呷って大きくあくびをひとつ。
「俺はもう寝るぞ、―――もさっさと寝ろ」
「うん、俺は飲み終わるまでもう少しかかるから」
 彼は長身をゆっくり起こし、俺の髪の毛を無遠慮に―ペットの犬を撫でるように―掻き混ぜ、おやすみ、とささやいて去って行った。

 一人取り残された俺はすっかり氷が解けて薄くなったラムにライムを絞って、一気に呷る。あの人たらしは、小説で読んだ通り、エドモン・ダンテスのやり口そのものじゃないか。何が巌窟王だ、と苛立ち紛れに呷ったラムに溶け残った氷を噛み砕く。
 こんな、結婚指輪だなんて、彼以外呼び出しようなない物を俺に与えるってことがどういうことだかわかってやっているわけがない、と早鐘のようになり続ける心臓に言い聞かせる。
 こんな日はさっさと寝てしまうに限る。深く深く眠らないと、今度はエドモンとメルセデスのデートの夢なんて見たら今度こそ立ち直れなさそうだし。

2016/5/31