ある恋の話 #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #エドモン・ダンテス


「煙草一本ちょうだい」
 黙って差し出される小箱から一本引き抜いて、ライターを探す。シュ、と火打石の音擦れる音が聞こえたかと思えば小さなプラスチック円筒の先に火が灯されている。
 慌てて煙草を咥えて、吸いながら火を穂先につける。
「ありがと」
 特に返事はなく、彼は元通り長椅子にゆったり腰かけなおし、読みかけの本を開く。自分の部屋で読めばいいのに、という言葉は、奇しくも同室になった、少年の姿で現界したサーヴァントの顔を思い出した。もとより博識な彼の事だから書庫の書物をかたっぱしから読んで、どれかで副流煙のことを読んでのことだろう。
 その上で、彼なりに子供に気遣っているのだろう。
「ライターの使い方、知ってたんだね」
「お前が使ってただろう」
 彼の前で確かに使ったことがあった。そんなところまで見ていたのかと感心してしまう。

「ねぇ、恋バナしよ」
「はぁ?」
 心底不愉快、といったような返事が返ってきた。
 それもそうだろう。彼の恋は恐ろしいほど残酷に潰えているのだから。
 華々しい人生の幕開けともいえる披露宴の最中、物々しい雰囲気のなか引っ立てられてゆく若かりし頃の彼の心中を端から眺めているだけで絶望に呑まれそうになる。
「俺もなんかさぁ、こう、身を焦がすような恋がしてみたいなぁって……」
「それを知らずに死地に赴いているのか」
 鼻で笑われてしまうかと思ったが、以外と冷静に返された。今の言葉は、やはり彼はエドモン・ダンテスの残滓の上に復讐の神という概念を盛り付けているのではないか、という仮説を裏付ける。
「そうなの……なんかここのみんなは大切だけど、家族みたいな感じがしちゃってさ……なんかトキメキがない」
「トキメキ?」
 この人の口からトキメキ、なんて言葉が出てくるのは不似合でしかない。きっと冷たそうな青白い肌と同じく冷たい血が流れていて、俺の不格好な恋など一笑に付されてしまうだろう。

 いや、俺が知らないだけで恋多き男だったのかもしれない。
「そうトキメキ。もう絶対コイツじゃないとダメ、みたいな衝動がないというか……」
「ああ……それは確かに恋とは呼ばないな」

 うーん、と思いあぐねて俺はうろうろと、時に灰を灰皿に落として部屋を徘徊する。
「じゃあさ、メルセデスに恋してた?エデには?」
 不機嫌どころで済まされないくらい嫌そうな顔をした彼は、子供の言うことだからと受け流そうとしているのが見てわかる。

 けれど子供の浅知恵は思わぬ方向に振り切ることもある。俺はあの島から抜け出し、彼を呼び出すまででなにか落としてきてしまったようだ。

 青白い肌をもっと青くして、言葉を絞り出そうとしている彼を眺めている。いくら強く睨んでも、俺の言葉が翻らないのを知ると言葉を選んでいるのがわかる。嫌なら無視するとか、他にやりかたがあるだろうに、なんだかんだとまっすぐで、綺麗な心を持ってる男だと思う。そのまっすぐさを逆手にとって、共に魔術王に勝利した、という勝利の証の具現である俺は、彼にどこまで許されるのか試したくなった。
「してたさ」
 それだけつぶやくように言うと、不機嫌さが極まれたのか、備え付けの冷蔵庫から強いラム酒を取り出してきた。グラスは二つ。

「どんなとこが好きだった?」
 やさしい飴色の液体が、繊細なつくりのグラスに注がれてゆくのを眺めながら、さらに質問を続ける。彼はやっかいな子供を相手にして、すっかり困ってしまった大人の顔をして簡単なつまみを作っている。きまりの悪さを呑みこむように呷り、酒臭い息を吐きながらも手は止めないでいる。半ばやけくそと言ったようにつらつらと語る。

「メルセデスは、」
 昔恋した女を語る彼は、むせかえるくらいの色気を放っている。
 この前エリザベートと一緒に見た映画に、傷つく男はうつくしい、だなんてセリフがあったけれど、まさにその通りだ。昔愛して、共に将来を誓い合った女、自分を待っていてくれなかった女、病に臥せ、悲しみのままに死んでいった父のことを気にかけてくれていた女、そして、憎しみに呑まれそうになったとき救い上げてくれた女のことを語る彼はひどくうつくしかった。ときに切なげに眉をしかめる様など、不埒ながら軽く絶頂すら覚えた。

 チーズとトマトとバジルソースのカプレーゼと、オリーブ。料理の本も読んだのだろう、俺が食べ慣れている味だった。ラム酒は相当キツイもので、俺は彼ほど気前よく飲めないでいた。酔わないと語れないことなのだろう。

「そうかぁ、ありがとうね。なんとなくだけど、俺も恋ってやつが少しだけ身近に感じられたよ」
 舌打ちですませてくれるだけありがたいと思う。あの仄暗いシャトー・ディフでこの話をしていたならもっと違う展開が待っていたに違いない。例えば物言わぬ骸になるとか。
「でも、元カノの名前を、名前がわからないって言ってる女の人につけるのは正直……」
 これが一番悪手だったらしい。彼の不機嫌オーラで俺の肌がチリチリ痛むような感覚に襲われる。
「わかったよ……恥ずかしいんだね……」
「まさかアレだとは思わなかったからな」
くつくつと喉奥で笑みを磨り潰す笑い方をし、彼はまた煙草に火をつけた。俺も彼と同じマッチから火を貰いぼんやり考えた。その感情を恋と呼ぶのなら、俺はもうとっくに恋を知っていたし、していた。今彼に話したらきっととても驚いてしまうだろうから、もう少し暖めておくけれど、俺は彼に恋をしている。この切ないくらいの独占欲、庇護欲、俺はこれを恋と呼ぶ。