誰かのためにできること #FateGrandOrder #男夢主 #ゲオルギウス
 古い書物の匂いが強くなるごとに、自分がいつもいる世界と隔絶されるような気がして、一人になりたいときはここに籠ることが増えた。
 あの、サーヴァントとかいう人間の理解の範疇を超えた生き物たちの中に居ると気が滅入ってしまう。あれは、たしかに見た目も触れた感覚も人間だが、決定的に違いすぎる。

 それはサーヴァントだから、俺と違いすぎるのか、育ってきた環境が違うからすれ違いは否めないのかがわからない。どんなに近づきたいと思っても、その決定的な違いが俺を邪魔する。


 ◇
 血の海、と表現するのが一番近いだろう。
 何と名前が付いている生き物かは知らないが、血は赤い。それをものともせず赤銅の鎧で固めた、ある人々に聖人と崇められるその人は、息絶えたそれに向かって歩みを進める。

「や、やめようよ、もう死んでる」
 怯えきった声が喉を滑り出し、震える手でマントの裾を掴もうと手を伸ばす。陰り始めた陽に隠れて表情が読み取れない。それに、このまま彼に背いたからと首を刎ねられるかもという疑念が浮かんで、手を引っ込めた。
 いつもなら、俺が恐れていると感じているなら心配はいらないと安心させるために頭を撫でてくれるのに、今は俺に背を向けて再び抜刀した。

「いいえ、マスター。あれは子を孕んでいます」
 竜殺し。
 その言葉が頭を何度もよぎった。自分の信じる正しさのためならどんなに残虐な手段を選んでも許されると考える存在だからこそ、何のためらいもなくその刃をワイバーンと呼ばれる生き物の胎に突き立てることができるのだろう。
 甘いことを言っている。理不尽なのは俺の方で、いずれ修正され、なかったことにされる世界であるものの人々が安心して生活するようにするには、今ここで殺しておくべきである、ということもわかっている。
 それでも、あんなに温厚で、師として尊敬に値する人が、自分が非道と考える道を歩んでいる。

 俺が目を背ける暇も、みっともなく悲鳴をあげるのを抑える余裕すらなく、肉と骨と臓器が断たれる不愉快な音をたてて彼は未だ生まれぬ竜の子を屠った。

 深い緋色の夕日に、白いマントが翻る。
 何に、どんな許しを請うているのか、何に、祈っているのか知る由もない。彼が信じる神はこの筆舌に尽くしがたい惨状がまかり通るということに関して、何か言及しているのかもしれない。

 ◇
 史学に触れたことがあるならばその名前を聞くのは一度では済まない、皇帝ネロの陣営に加わったとはいえカルデアのようなふかふかの布団と空調が用意されているわけではない。

 血と泥と汗を冷たい川で流し、ごわごわと固い服に着替える。最初の頃は不快だったけれど、もうとっくに慣れてしまった。
 もしかしたら、俺もゲオル先生や、ほかのサーヴァントたちと同じように、「総合的に考えれば必要になる殺害」にいつか慣れてしまう日が来てしまうのだろうか?
 たとえば、環境に慣れてしまうように。

 想像しただけで怖気が走った。未だ生まれぬ子ですら手をかけて、それを必要と断じる価値観をいつか俺が持ちえたとして、そうなってしまった俺のことを人間と呼べるだろうか?それはどちらかというと、大事な使命のために小さいものを切り捨てることを容認する、英雄と言うやつの価値観になるのかもしれない、と悶々と夢想する。

 パチパチと火の粉が爆ぜる音と、葉擦れの音が今は恐ろしく感じる。

「おや、マスター」
 急に、俺の思考の根源に居る人から声をかけられて大げさに驚いてしまった。
「隣に座ってもよろしいかな?」
「ええ、どうぞ」
 それ以外に選択肢はないだろう。俺が腰かけていた倒木に彼が腰を下ろせる場所をつくる。鎧のぶんだけ体積が増えるので、必然的に近寄ることになってしまう。
「恐ろしいかったのですね、あれが」

 あたりまえのことを言われて、正答がわからずたじろいでしまう。
 きっと、普段接している彼の性格からすると、正直に恐ろしかった、と言ってしまって良いだろうが、ネロ陣営の兵士、サーヴァントたちも無傷だったわけではない。そのように死力を尽くして戦った彼ら、彼らの戦いぶりを、怖かったの一言で言ってしまうのがどうにも失礼のような気がしてならない。

「マスター」
 呼ばれて顔を上げると、カルデアで見るような、俺が人生の師として仰ぐ人のやわらかな笑顔がそこにあった。
 笑顔一つで疑念が、緊張が、ほどけて消えて行ってしまうのだから、我ながら単純だと思う。鎧越しで、体温なんてひとかけらも感じられないけれど腕に手を伸ばしたら冷たい小手越しの掌が重ねられた。
「めずらしい、オルレアンで甘えたはもう治ったのかと思いました」
「いけませんか?」
 拗ねたように笑いかける余裕が出てきた。それを見てゲオル先生も安心したらしく、仕方ないと甘んじてくれるらしい。
「とっっても怖かったです!そうした方が、これからここで生きる人のためになることはわかります、それでも怖いものは怖かった!」
「そうそう、子供は素直が一番です。マスター……わかっていただけて嬉しいです」
「また子ども扱いする……怖いし、ひどいことするなって思うけど、わかるよ」

 額で軽く鎧を小突くと、驚いたような顔をされてしまった。日頃彼がどれだけ俺を子供だと思っているかがわかる。
「私から見たら、子供どころか、この世に生きる人類すべてが愛し児のようなものですから」
 こうして、遠くを見るような顔をするゲオル先生はあまり好きではない。隣にいるのは俺なのに、彼が見ているのは気が遠くなるほどたくさんの人なのだから。そのうちの一人の事なんて気にかけたことありません、と言われているような気がしてしまう。それでも、俺は尊敬と親愛と、そのほか俺も知り得ない気持ちを込めた視線を、ゲオル先生に受け取られる気配がないとしても、投げかけてしまう。


「じゃあ、ゲオル先生は人を好きになったことなんてないんだね」
 俺の意図がはかりかねる、と言った表情をさせてしまった。彼としては、好きなのだ。
 ただ、俺の好きと違うだけで。
「ごめんなさい、なんでもないです」
「そうですか?」
 きっともう、俺が眠たくなって自分ができないことを言いだしているのだと、ゲオル先生は考えている。その証拠に、俺が最後まで守っていた火を消そうとしている。
「まだ寝ない」
「マスター、よい子は寝る時間です」
「悪い大人だから寝ない」

 彼は優しいのであって甘くはない。俺のささやかな駄々もどこ吹く風で、念入りに火を消している。
「寝ないって言ったのに……」
「おや、子守唄が必要ですか?」
 ほら、こうしてわざわざ子守唄、と、さきほど俺が子ども扱いをするなといったらこの返しだ。
「……いいえ」
「よろしい。おやすみなさい、マスター」
「……おやすみなさい」

 わしわしと、子犬を撫でるように髪を撫でて、肩を軽く叩いて「足元に気を付けて」と言ってくれる。ここまで片付けられてしまったら寝るしかない。素直に寝所に向かう途中、思わず大きなため息が零れた。
 あれはやはり違いすぎる。
 その認識を深めるとともにあれが触れてくる回数が増えた。違いすぎるとわかっていくごとに思考が引きずられてゆく。
 変わりゆく自分と、あれを人型に、血の通った人間と同じ温度で作り上げたカルデアの召喚システムの考案者と、あれの在り方。どれから恐れていいかわからない。

 いや、もっと恐ろしいものがある。
 あれに深入りし、あまつさえ情を注ごうとしている自分の正気が一番恐ろしくてならない。

 俺の頭上でいつの時代も変わらず輝く星、あの瞬きがここに光として届く年月に比べれば些細な悩みなのかもしれない。そんなことを考えながら、眠れないであろう身体を寝台に押し込んだ。

2016/8/14