阿修羅姫 #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #アルジュナ
 
 少女が女に、母が女に、娼婦が女に、もとより、そしてこれからも口紅は女のものであった。
 しかしそれは、まともに生きている女が織りなすことであり、織機を手繰る女が数人を残して魔術王に焼却された今、そのようなことは実に些細なことといえるだろう。
 現に、この眼が痛くなりそうなほどの赤を、俺は彼に別の意味で使用した、といえるだろう。

 ことの起こりは数か月前に遡る。逆に言うと、俺はもう数か月もかの大英雄、アルジュナを侮辱に近い扱いをしておきながら首と胴が繋がっているし、眉間も心臓も矢で穿たれていない。

 これ以上、わずかに残った人間が積み重ねた英知の結晶の風化を進めないよう、完璧な温度管理がされた書物が堆積している書庫の底の底、そこに彼の原典が眠っていた。
 誰の解釈をも交えたくなかったからと、原文、といっても現代ヒンディー語ではなく、古語やら訛りなどで読み進めていくのは恐ろしいほどの労力だったが、不思議と苦痛は感じなかった。それより、ほんの一面でも彼を知れたような気がして、嬉しさを感じていた。

 最初、敵として相対した彼だが、奇跡が幾重にも重なって彼がこのカルデアに召喚されたときは先行している印象が、今の彼と、敵であった彼とは別存在だと頭では分かっているものの、一度その矢が俺を、マシュを、そして人類の未来をも穿とうとした弓兵が恐ろしくてあまり深くかかわろうとはしなかった。
 が、カルデアの電力供給が危うくなった際に行った魔力供給、と大義名分が掲げられているが魔力が込められた体液をサーヴァントが摂取するという、愛に夢見て恋に恋する乙女たちを唾棄するような行為のあと、自分でも恐ろしいほど短慮であるとは理解しているものの、留めがたい執着を彼に向けてしまっている。

 英霊の座とかいうところで、聖杯戦争に関する知識を多少はつけているらしいので説明はいらなかった。
 それに、魔術師でもない俺が、英霊を何基も従えるという不条理に合点がいっていなかったらしく、魔力供給のため必要である、という言葉に特段驚きはしなかった。

 そこまではいい。
 今まで肌を重ねた英霊たち、俺を憐れんで、少しでも良い目にあうようにと尽くしてくれた者、俺を地獄の底に堕すためなら心臓を差し出す、と言わんばかりの憎悪をぶつけてくる者、ただひたすらわが身に起こる不条理から意識を逸らそうとする者、悲しいかな多種多様な反応をこの眼で見てきた。
 だが、さりさやと触り慣れない感触の白絹の外套に手を掛けようとしても、その安い黒ガラスをはめたような瞳には何の感慨も映し出さない。常に気高く、ヒトとは一線を画そうとする彼なら、俺を憐れんできそうなものだと予想していたので拍子抜けした。
「アルジュナ」
 目の前で掌を振って見せると、大げさなくらい驚いてからやっと俺に意識が向けられる。やっぱりいつもと様子が違う。だからと言って世の中のいわゆるカノジョを大事にする男とは違い、心の準備が整うまで待ってやることを状況が許してはくれない。
「ごめんね、恨んでくれていいから」
 英霊という、人間とは違う生き物が彼が俺を恨むようなことがあっても、英霊たろうとする彼が俺を害するようなことはしない、と分かっているからこんな言葉がいけしゃあしゃあと言える。
 いつもよりずっと人間らしい彼の瞳が、雄弁に語る。こわい、どうしてこんな、でもおれは、って。

 というのは妄想だが、不安そうに表情がゆがんでいるのは事実だ。これまで有能かつ人格者として、俺やマシュを助けてくれた彼に無体はなるべく働きたくない。
 どうしたものかと、完全に固まってしまったアルジュナから外套を手際よく剥ぎながら考える。
 うすぼんやりと見える身体が、一つの現実として俺の前に横たわる。ふたつの腕がすらりと、それでいて右肩が厚く鍛え上げられた肩、浅黒くつややかな肌をほめたたえる語彙があまりにもなさすぎて、喉まで出かけた賛辞を呑みこみ、唯、きれい、とだけ素直に述べた。
 アルジュナは上掛けをひきよせ、包まってしまった。
 背を向けられてしまってどんな表情で稚拙な賛辞を受けたのか伺えない。生前から言われ続けていたであろう、彼を称える言葉を受けたのか、気になるところだが、追及はしないでおく。

「あった」
 掌に収まる、赤地に花柄をあしらった小さな筒。
 少し前に、今はもうこの世にいないスタッフが買い置きをしていたらしい、口紅。このまえ整理していたら出てきたものだ。
 それと、瓶入りのリップクリーム。

 薬指で少しリップクリームを取り、アルジュナの肩を軽く叩く。
「ねぇ、こっちむいて。魔法をかけてあげる」


 主の魔力が無いがゆえにこんな目に遭っているというのに、と、目が語っている。もちろん、俺が使う、ここで定義されてい魔法は、サーヴァントの対魔力の前では塵以下、分子以下でしかない。
 顎に手をかけ、強いない程度に軽く上向きにする。
 やはりまだ身体が固い。そりゃあそうだろう。けれど英霊として、人類史を救済するという使命を掲げられたら英霊は、アルジュナは断れない。あまりに憐れ。
 そっと唇にリップクリームを塗る。こんなに冷たい目で見てくるのに唇は十分熱を持っている。
 俺がまだ何にも特別なところがない、将来がうすぼんやりと不安なだけの学生だったころ、恋人には優しく触れたい、愛おしくて堪らない人と肌を重ねたいと思っていたけれど、こんな状況下で、何基もの英霊たちに、人類史に、種馬扱いを受けるとは思わなかった。
 恋を知らぬうちに他人の肌の温みを知ってしまった今、どうやって恋をせよというのか。

「マスター」
 急に動かなくなって心配になったか、何の感慨もない瞳はそのままに声をかけてくる。
「ごめん、ちょっとぼんやりしてて」
 よっぽど憐れな表情をしていたのだろう、やっと彼の表情が揺らいだ。
 彼の唇をふにふにと弄んでいるが、特にとがめられない。

「なんでこんな、こんなことになっちゃったのかな」
 意図せず唇が震え、目頭が熱くなる。アルジュナはいい迷惑だろうし、さっさと済ませたいだろうに。どうにか歯を食いしばり、声を抑える。
「あなたは」
 いつもの冷やかな声が嘘かと思うくらい、優しい声をしている。こんな話し方ができるだなんて知らなかった。
「あなたは、この大役を背負うには弱く、それでいて優しすぎた」
「え?」
 自然に貶されたような気もするが黙って聞く。いつのまにか背中に腕が回され、彼の上に倒れ込んでしまう。必要以上に触れたら嫌がられるかと思っていたが、彼が抱き寄せてきた。だんだんと脳味噌の処理能力を上回りつつあるのがわかる。
「どうして優しくしてくれるの?」
 答えは無い。
 代わりに背中を摩る手が優しい。こうしていると、いつか俺の元から去ってしまう人、いや、聖杯が練り上げた魔術で霊核を固めた人形にほだされてしまいそうだ。
 優しさの先に理想の恋があったとしても、ただひとり残される俺が悲しいだけなのに。
「こんなものは優しさのうちには入らないでしょう……しいて言うなら、そうですね……」

 それきり彼は考え込んでしまった。
 抱きとめられたままでは恥ずかしいからと身をよじって抜け出そうとするが、筋力Aランクは伊達じゃない。彼の素肌に触れている、と認識するだけで顔が火照って仕方ないのに彼は涼しい顔で、言い方を選んでいるように見える。
「憐憫……そういったものが近いでしょう」
「うーん、かわいそうってこと?」
「まぁ、そういうことです」
「そうかぁ、そうだよね」
「ですから遠慮はいりません。十分に私の身体を食いつぶしなさい、マスター」

 これからセックスしようという相手にそんな言葉をかけられたのは人類史上俺がきっと初めてだろう。
 それに俺はそこまでセックスに情熱を注げないので英霊を満足させるなど、食いつぶすほどに抱くというのは無茶というものだ。本当に俺だけがキモチイイだけの、いうなれば性処理だ。
「やっぱり、アルジュナはさ、すごいよね」
 それだけが口を衝いて出てきた。後が続かずあたふたしてしまう。なにかうまいことを言わなければと足りない頭を稼働させる。
「なんか、いっつも弱音を吐いたりとか、悲しんだりとかしないで、平然と構えてる。さすが、授かりの英雄というか」

 アルジュナは俺の言葉を受けて、一つ溜息をついた。
「貴方にはそう見えるのですね」

 ◆◆◆
 その言葉には呆れや嘲り、底の方に少しの嘆きが見て取れた。まるでそうじゃないみたいな物言いだけれど、違うのだろうか。少しだけ思考の外に追いやられた口紅の存在を思い出し、手の中ですっかり温まった筒の蓋を引き抜く。
 嫌味なほどつややかな赤。それを彼の唇に近づけると思いきり顔を逸らされてしまった。
「何するんです」
「何って、さっき魔法をかけてあげるって言ったじゃん」
「……?」
 真意が掴めないらしく、されるがままになってくれた。口紅を薬指にとって、彼の唇に優しく色を塗り込む。これを使っていたモデルは色白だったが、彼に誂えたものかと錯覚するほど肌の色に合っている。
「やっぱり。すっごく似合うよ」
「……これのどこが魔法なのです」
「かけたよ、魔法。これをつけている間は、アルジュナは女の子になるの」
 嫌悪に顔を歪めることも、呆れて溜息をつくこともなく、ただ彼の望む虚無を瞳に宿していた。
 虚無と孤独を望む彼らしい、一時の主人の気まぐれなど意に介さない、といった態度で寝台に横たわる。
 身体を重ねるとはいえ、彼の特別になったなどど間違っても錯覚してはいけない。そんな恐ろしい発想自体恥じるべきだ。
 彼は俺がマスターとして力が足りていないから、妻が居た身でありながらもここで女役をしなくてはならないという前提を頭の隅に追いやらないようにする。そうでなければ人類のために身体を許してくれた英霊たちに申し訳が立たない。

 そんな態度に腹を立て、俺だって被害者だ、と怒りにまかせて乱暴に抱くこともできるが射精したあとの賢者タイムに自己嫌悪で潰れてしまうことは目に見えているので、どうにか堪える。

「女、ね」
「うん、そう女の子」
 笑った。
 バカバカしくて、じゃなく、かわいそうだから、でもなく、ただおかしいから笑った。彼が厭味ったらしく笑うときは本当に厭味ったらしいからよくわかる。
「いいでしょう、あなたは、私を生んだ母と、妻と、同じ性にするというのですね」
「そう、かわいい女の子」
「はは、貴方も相当に、狂っている」
「そうかも」
 狂人と英雄。異質すぎるからこそ互いに興味を持ち、少なくともお互いを憎みあうことなく、愛のないセックスに臨めるのかもしれない。


「うわ~~そのイヤイヤする手コキ最高だよ」
「……」
「やっぱ弓兵は手にマメができるもんなんだね」
「……」
 その、わざとらしい無表情もそそる。引き結ばれたり、恐ろしいものを見て驚いた、といったように薄く開かれる唇はキスの一つもしていないのですこしも崩れていない。彼と共に寝台に横たわり、俺は彼の首に軽く抱き着いている。無理な姿勢だからこそたどたどしい手の動きが嫌にそそる。
「貴方は、男触れられても、その」
「いやむしろ俺は男の方が」
 意味がわからない、という顔をされてしまった。今から価値観の相違から埋めていたら、その間に人類が滅びてしまいそうだ。
「そう言えば、口と尻どっちがいい?」
「は?」
「そのままだよ。どっちがいい?どっちでも痛くないようにやれる自信あるけど」
 彼の長い長い逡巡ののち、口を選んだらしくためらいがちに唇が触れた。確かに直前まで手でできるし、粘膜接触の時間は少なく済むだろう。
 その上は俺は、認めたくはないが早漏のケがある。その方が、俺に大して興味がない英霊たちにとっては都合がいいのだろう。俺だってさっさと出して寝たい。それかどこか、俺と相思相愛になってくれるだけの慈悲のある存在の元で眠りたい。
 心ばかりが逆剥けてゆく。身体ばかりが充たされてゆく。

 これを充足と、言えるのなら。


「ごめん、もう」
 軽いため息が先端をくすぐる。甘えを含んだ腹立ちまぎれに、頭をはたいたのち首が胴についていれるような立場だったらどんなにいいか。彼が含んだのを視界の端に捉えたのち、次に我に返ったのは彼が喉に引っ掛けたらしく咳き込む音だった。背中をさすられても嫌かな、と考えてペットボトルの水の蓋を開けて渡す。
 彼がここにきたころ、ペットボトルを開けようとした彼が、蓋ごとボトルをねじ切ったのは今となってはいい思い出だ。照れ臭ささとばつの悪さがない交ぜになった表情でほほえみあったのがはるか昔のことのようだ。

「ごめんね、恨んでくれていいから」
 いっそ恨んで、呪って、罵ってくれた方が楽だろう。そうすれば悪いことをしている、と自分で認識できる。
 こんな外道な真似を人類のためにしているだなんて言われていると、倫理観というものが何であるか、徐々に剥離してしまう。まるでアルジュナのためにそう言っているように聞こえるが、きっと見透かしているだろう。
 自分のために、恨めと言っていると。その浅ましさも。
 それを全て憐憫、その一言で済ませたところはさすがの大英雄といったところか。結局は人間とは呼べない、ヒトの形をした何か。
「私は、貴方を恨まない」

 ふ、と視界が暗くなったかと思うと、唇に生温い肉の感触。

 顔が離れて初めてキスされたと認識した。やけに長いと思ったら、唇の色が俺の唇に全て移されている。唇に膜が張ったようなねとつきでわかる。
「こんなに憐れな人の子を、私は恨めない」
 生前妻が居た身でこのようなことをされて、被害者、と呼べる立場だというのに彼はどこまでも、世界を、人類を、この世の有象無象を無意識のうちに愛する、英雄だ。
 その意志を称賛しに、全てが終わって一人取り残されても、彼の墓くらいは参っておこう。と一人心に決めた。


2016/7/1