思い出は未来の中に #カップリング #ダイヤの #雅鳴
「思い出は未来の中に」 塩野肘木
「なぁ、いいのか」
教室で、寮で。出会う人が野球部員、それも三年であれば必ずそう、投げかけられた。
「何がだ」
「何がって……その、負けちゃったみたいじゃねぇか、鵜久森によ」
「あぁ、聞いた」
「反応薄」
反応も何も、引退とはそういうことでは、という提案はあまりに棘がある。
だが、もうすでに稲城実業野球部、という名詞で飾られる機会が減り、北海道を本拠地とする球団の所属として扱われることが増えるにつれて、自分が属しているというよりは、古巣のような感覚で、グラウンドを忙しなく駆け回り、白球を追いかける後輩たちを見てしまっている。
というのは建前半分、本音半分で、あれほどの大舞台を共にし、対外的にはバッテリーという名前だけが付けられている鳴と関わる機会が必然的に減ったことで、今更何を言えばいいのかわからない、というのがもう半分の本音だ。
あれだけ近くに居たのに、数か月で鳴は相棒から、樹の相棒となった。そんなことは当たり前のことで、小学校の頃からずっとバッテリーというものは投手が挿げ替えられ、捕手が挿げ替えられる、唯の名詞以上の役割を持たないはずだった。
そのはずがなぜか、認めたくないどころか目を向けたくない感情の塊にすり替わっているような気がして、それがまた、鳴のところから足が遠ざけているのだろう。
そんな俺の浅ましさを知ってか知らずが、自分のやりたいように他人を巻き込む、それが成宮鳴だということを忘れていた。
「まー」
聞き覚えのある声を耳がとらえ、思わず身を竦めてしまった。
「ささん……ってそんな反応?」
「うるせぇ」
「テレなくていいよ」
からかうときの笑い方で背中を軽く叩いてくる鳴を、数か月前と同じような感覚で頭を小突く。
小突かれた辺りの髪の毛を直す鳴が少し影のある表情をしたものだから、強く小突きすぎたかと心配になる。
「まー、さ、さん」
妙に間延びした口調で呼びかけてくる。心配になって声をかけようと顔を覗き込もうとしたその鼻先をつままれた。
「今日、夜にさ、軽くキャッチボールしよ」
「ダメだ」
まさか断られるとは思わなかった、と表情が語りかけてくる。
「樹とすればいいだろ」
「そうじゃなくて」
「今のお前の捕手は樹だろ、練習なら樹としろ」
「話聞いて」
「俺としても意味が無い」
「雅さん」
諭すように名前を呼ばれて我に返った。
特別機嫌を損ねた様子もなく、そんじゃまたね、と宣う。以前の鳴ならば、やかましく突っかかってきただろうに。それを成長と呼んで良いものなのかはわからない。ただ自分の知らないところで変わっていく相棒を知って、知らない感情に捉われてしまう。
女々しい考えが頭を支配し始めたあたりで、クラスメイトが教室変更を伝えてくれた。
◇
まだ誰も来ていないブルペンは、練習後に整備をした後輩のおかげで綺麗に土が均されている。それを遠慮なく踏み荒らしているのが暗闇でうすぼんやり見える髪が動くことでわかる。電気をつけると、余すことなく蛍光灯の光を弾いているその薄い金、甲子園球場のグラウンドで、十八.四四メートル挟んでいるとまた違って見える。今それを知っているのは多分俺だけなのだろう。
夜独特の湿っぽい空気を拭い去るように鳴は、力のあるボールを投げてくる。ミットを叩くボールの音が、染みついた習性を呼び起こしてくれる。野球をしている間は、くだらない妄想を振り払ってくれる。目の前の投手の球、表情、腕の振り、すべてが俺のすべきことはここに有ると示してくれる。
◇
肩慣らし程度の数十球を投げ、休ませる。練習後に無理をさせても仕方がない。脚を思い切り投げだしてベンチに腰かけた鳴の表情が、暗がりにいることもあってか、昼間のこともあって何か思い悩んでいるように見えてしまった。
夜は少しだけ冷える。責任ある立場になったせいかは知らないが、自分から上着を着て管理をするようになった。二つ三つ、言葉を交わしたが特別落ち込んでいるということもなく、俺が知っている、唯強い成宮鳴だ。
「やっぱり、北海道は寒いのかな」
「そりゃあ、そうだろうよ。けど最初の数年は関東の寮住まいだ」
「そうなんだ」
それからはいつもの、というより俺が知っている鳴のイメージのまま、北海道ならちょっと泊めてもらおうと思っていたのにだとか勝手なことを次々と言葉にしてくる。かと思えば急に真面目な声音で。
「今度は、俺が優勝旗をここに持ってくるから」
「楽しみにしてる」
「雅さんと同じようにはチームを引っ張れないだろうけど、どうにかする」
「まぁ、お前のやり方があるだろうからな」
軽く頷く鳴は、先ほどのような揺らぎを解決したのか、それとも隠したのかはわからないが、心配させまいとしているのは何と無くわかった。
「なるようにしかならねぇよ」
「それ、カワイイ後輩にかける言葉にしては素っ気なくない?」
「じゃあなんだ、頑張れとか言って欲しいのか」
「ちょっとだけ」
俺もキャプテンになりたての頃は悩んだような気がする。鳴も鳴なりに、考え、悩むことが有るのかもしれない。
「が……がんばれ」
「えっ……ありがと」
何を頑張るのか、だとか、何のためにこれからの長いオフを野球に捧げろだとかは言及できない。正しくは語彙が追い付かない上に自分でも何故ここまで野球に人生を尽くしているのかが分からない。
それでも、言いたいことは大まかに伝わったと信じたい。
「雅さん、あと三十球くらい投げていきたい」
「多いな、あと十球だ」
「えー」
口ではブチブチ文句を言いながらも素直に上着を脱いで、ブルペンまで駆けて行き、投球に備える。早く早くと言われると何故が逆らいたくなる。
「なんかさぁ、本当に野球バカだよね」
「そうだな、俺もお前も相当に」
快音を立てて、速球がミットに収まる。この時ばかりは、鳴とまた同じチームで野球する未来を描きたい。 畳む
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みやこ 成人/神奈川への望郷の念が強い
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ネスカイワンドロワンライ #カップリング #ブルーロック #ネスカイ
ネスカイワンドロワンライ #カップリング #ブルーロック #ネスカイ
唇を大切な相手にくっつけることを愛情表現だと最初に定義づけた人は、何を考えていたのかなんとなくわかる。
朝目が覚めて最初に目に入るのは、僕の手のひらに収まる大きさのカイザーぬい。朝日を受けてまたたく金髪までは再現しきれないけど、あの淡い金はよく似た色があるもんなんだなと感心した。
不敵な笑みを浮かべるカイザーぬい。ああかわいい、愛しい、なんかよくわからないけど心がつやつやして角が取れる。今日は寒いから、こっそり通販したあたたかいガウンを着せてやる。
「おはよう♡ カイザー。今日も頑張ろうね」
そう言ってカイザーぬいにキスをして到底他人には見せられない笑みを浮かべていると、よく知った足音が聞こえてきてあわててぬいをしまった。
「お、おはようございます。カイザー」
「おはよう…… 本物にキスはしないのか?」
「えっ……じゃあ遠慮なく、あでもまだシャワー浴びてなくて」
「いいから」
「はぁい」
「あの綿の唇にはキスできて、俺のにはできねえのな」
「それとこれとは話が別……ってカイザーあのぬいぐるみの存在を知って」
「まぁな。普通に聞こえるんだよ。お前があの綿と会話してんのが」
「あれを会話とみなしてくれるのかわいい。カイザー大好き」
「……わかんねぇなぁ……」
呆れた様子のカイザーは、興味をなくしたようだった。足音が離れていくのがわかる。
カイザーぬいにこっそりキスをする。今度は本体にできる勇気が湧くように。唇にしてしまったら、僕らの中の何かが劇的に変わってしまうような気がして怖くて、あの双眸が失望の色に染まってしまうのが怖くて。
「じゃあカイザー♡シャワー浴びてくるから待っててね♡」
本物の代わり、という意識はない。本当はこうできたらなぁという願いはある。カイザーとこんなふうになってみたいな、という祈りも、ある。
綿のカイザーは何も言わない。ただ不適な笑みを浮かべて僕がシャワールームに向かうのを見守ってくれる。僕はカイザーとの繋がりはサッカーだけかと思っていたけど、そうでもないみたい。人として、彼のことが好きなんだと思う。その確信が自分でも持てていなかったけどあのキスをしたい、って気持ちは多分本物だった。
熱いシャワーでも気分は晴れなかった。
僕が浮かない気持ちでいても、ぬいはそうでもないみたいだった。いつもニコニコ(?)してるし。
「そうだなぁ……お互い引退したら、もう少し真面目に考えてみようかな……」
それじゃ遅いよ、と言っているのか、そういう気持ちになった時がベストタイミングだよ、と言っているのかはわからないけど、ぬいぐるみのカイザーはぶすっとした顔をしない。かわいいカイザー(ぬいぐるみ)。
情けない僕だけど、見守っててね。畳む
唇を大切な相手にくっつけることを愛情表現だと最初に定義づけた人は、何を考えていたのかなんとなくわかる。
朝目が覚めて最初に目に入るのは、僕の手のひらに収まる大きさのカイザーぬい。朝日を受けてまたたく金髪までは再現しきれないけど、あの淡い金はよく似た色があるもんなんだなと感心した。
不敵な笑みを浮かべるカイザーぬい。ああかわいい、愛しい、なんかよくわからないけど心がつやつやして角が取れる。今日は寒いから、こっそり通販したあたたかいガウンを着せてやる。
「おはよう♡ カイザー。今日も頑張ろうね」
そう言ってカイザーぬいにキスをして到底他人には見せられない笑みを浮かべていると、よく知った足音が聞こえてきてあわててぬいをしまった。
「お、おはようございます。カイザー」
「おはよう…… 本物にキスはしないのか?」
「えっ……じゃあ遠慮なく、あでもまだシャワー浴びてなくて」
「いいから」
「はぁい」
「あの綿の唇にはキスできて、俺のにはできねえのな」
「それとこれとは話が別……ってカイザーあのぬいぐるみの存在を知って」
「まぁな。普通に聞こえるんだよ。お前があの綿と会話してんのが」
「あれを会話とみなしてくれるのかわいい。カイザー大好き」
「……わかんねぇなぁ……」
呆れた様子のカイザーは、興味をなくしたようだった。足音が離れていくのがわかる。
カイザーぬいにこっそりキスをする。今度は本体にできる勇気が湧くように。唇にしてしまったら、僕らの中の何かが劇的に変わってしまうような気がして怖くて、あの双眸が失望の色に染まってしまうのが怖くて。
「じゃあカイザー♡シャワー浴びてくるから待っててね♡」
本物の代わり、という意識はない。本当はこうできたらなぁという願いはある。カイザーとこんなふうになってみたいな、という祈りも、ある。
綿のカイザーは何も言わない。ただ不適な笑みを浮かべて僕がシャワールームに向かうのを見守ってくれる。僕はカイザーとの繋がりはサッカーだけかと思っていたけど、そうでもないみたい。人として、彼のことが好きなんだと思う。その確信が自分でも持てていなかったけどあのキスをしたい、って気持ちは多分本物だった。
熱いシャワーでも気分は晴れなかった。
僕が浮かない気持ちでいても、ぬいはそうでもないみたいだった。いつもニコニコ(?)してるし。
「そうだなぁ……お互い引退したら、もう少し真面目に考えてみようかな……」
それじゃ遅いよ、と言っているのか、そういう気持ちになった時がベストタイミングだよ、と言っているのかはわからないけど、ぬいぐるみのカイザーはぶすっとした顔をしない。かわいいカイザー(ぬいぐるみ)。
情けない僕だけど、見守っててね。畳む
お題:闇、ハロウィン #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
お題:闇、ハロウィン #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
光の当たる場所にいたことは、闇を渡り歩くようになってからわかる。
誰にも、特にお父さんには言えなかったけど実は暗い場所は見るのも居るのも怖かったけど、今はそんなこと言ってられなくなった。焼けこげてつぎ当てた皮膚の色がどんどん沈着しているのと、皮膚だけでなく筋肉にまで食い込んでいる縫い跡があんまりにもバケモノで陽が落ちてから、夜の深い闇に紛れる以外の選択肢がなくなった。且つ、深くフードを被ってマスクをする怪しい風貌でも干渉されない環境といえば人間の個体数の母数が多い都会になる。
そんな俺がそこでしか生きられない時間・場所であるにもかかわらずハロウィンという祭で一儲けしようとした層のせいで静かな散歩すらできなくなってしまう。
「あ! オニーサァン笑 どしたんすかそんな俯いちゃってさ〜!!今日ハロウィンすよ!盛り上がっていかなきゃ損ですよぉ〜!!」
なんていう輩に絡まれてしまう。普段人通りなんて皆無である道を選んでも、だ。ここで消し炭にしてやることも時間をかけてじっくり殺してやることもできる。けどなんか気分が乗らないのはヤツのハロウィンコスがエンデヴァーだったからだ。
「お前、エンデヴァーのファンなの」
「いやショージキファンではないかな! 俺の体格に合ってるヒロコスの中でドンキで投げ売りになってるのがコレだったってわけ」
「ふーん…… エンデヴァーっていいところないかな」
「無いわけじゃないとは思うけど……俺には見えてこないかな〜……ってか、オニーサンエンデヴァーのファン?! 同担拒否? オニーサンもエンデヴァーコス買ったら?!」
「ファン……ファンってか、まぁ複雑な気持ち」
「そうなんだ〜 までも、俺が見た時まだ全然在庫あったよ!」
「そうなんだ。ありがと」
「いいってことよ!じゃね♡」
騒々しい男はぬるくなった缶ビールを押し付けて去っていった。初めて飲むビールは成人式のあとお父さんとって決めてたけどもう叶わないだろうからまぁいいかと思いプルタブをあげておろした。
苦くて、つまんない味だった。胃のあたたかさや思考を奪う酩酊感もなにも楽しくない。
昔お母さんにお願いしてお父さんのヒーロースーツを模した服を作ってもらったのを思い出した。本当にうれしくて、どこに行くにも着て行ったのを思い出して虚しさと怒りと、それと何か言語化しにくい気持ちが湧いてきた。オールマイトのは腐るほど売られてたけどまぁ、お父さんは一般ウケしなかったらしくて売ってなかった。だから特別だったんだけどあんなにわかが着てるくらい陳腐なものになってしまったとわかって心から苛立った。
とはいえ、父さんはヒロコスが売られるほど人気が出てきたみたいで、背筋がむずむずする。この積み上げた信頼、浮ついた人気、お父さんの考える正しさをめちゃくちゃにできるのかと思うと胸が躍った。踊るっていうか、胸がぽかぽかするっていうか。好きな子のとまどう顔が見たいってのもまた愛だよな。
出かけた時とは打って変わって機嫌良く帰宅(ってもダンボール敷いた公園だけど)した。
「お! ケンちゃん。今日はなんかご機嫌だな」
「うん。いいことあってさ」
「よかったなぁ。でも今日は気をつけてな。羽目を外した若いやつらに殺される路上生活のやつらは片手で足りないくらいいるからな」
「わかった。ありがと」
こんな満たされた気持ちになったのはいつぶりだろう。そして、また次にこんな気持ちになれるのはいつだろう。いつものようにスマホで登録者が全然いないお父さんのYouTubeチャンネルを視聴する。今日も悪いヤツをやっつけたんだって。お父さんの考える、悪いヤツを。
お父さんは、お父さん的には悪いヤツじゃないらしい。そこが面白くて俺は画面の向こうのお父さんから目を離せない。お父さんの考える正しさって何。それを聞く前に俺は捨てられてしまったから、今度ちゃんと話す機会があるなら聞いてみたいな。畳む
光の当たる場所にいたことは、闇を渡り歩くようになってからわかる。
誰にも、特にお父さんには言えなかったけど実は暗い場所は見るのも居るのも怖かったけど、今はそんなこと言ってられなくなった。焼けこげてつぎ当てた皮膚の色がどんどん沈着しているのと、皮膚だけでなく筋肉にまで食い込んでいる縫い跡があんまりにもバケモノで陽が落ちてから、夜の深い闇に紛れる以外の選択肢がなくなった。且つ、深くフードを被ってマスクをする怪しい風貌でも干渉されない環境といえば人間の個体数の母数が多い都会になる。
そんな俺がそこでしか生きられない時間・場所であるにもかかわらずハロウィンという祭で一儲けしようとした層のせいで静かな散歩すらできなくなってしまう。
「あ! オニーサァン笑 どしたんすかそんな俯いちゃってさ〜!!今日ハロウィンすよ!盛り上がっていかなきゃ損ですよぉ〜!!」
なんていう輩に絡まれてしまう。普段人通りなんて皆無である道を選んでも、だ。ここで消し炭にしてやることも時間をかけてじっくり殺してやることもできる。けどなんか気分が乗らないのはヤツのハロウィンコスがエンデヴァーだったからだ。
「お前、エンデヴァーのファンなの」
「いやショージキファンではないかな! 俺の体格に合ってるヒロコスの中でドンキで投げ売りになってるのがコレだったってわけ」
「ふーん…… エンデヴァーっていいところないかな」
「無いわけじゃないとは思うけど……俺には見えてこないかな〜……ってか、オニーサンエンデヴァーのファン?! 同担拒否? オニーサンもエンデヴァーコス買ったら?!」
「ファン……ファンってか、まぁ複雑な気持ち」
「そうなんだ〜 までも、俺が見た時まだ全然在庫あったよ!」
「そうなんだ。ありがと」
「いいってことよ!じゃね♡」
騒々しい男はぬるくなった缶ビールを押し付けて去っていった。初めて飲むビールは成人式のあとお父さんとって決めてたけどもう叶わないだろうからまぁいいかと思いプルタブをあげておろした。
苦くて、つまんない味だった。胃のあたたかさや思考を奪う酩酊感もなにも楽しくない。
昔お母さんにお願いしてお父さんのヒーロースーツを模した服を作ってもらったのを思い出した。本当にうれしくて、どこに行くにも着て行ったのを思い出して虚しさと怒りと、それと何か言語化しにくい気持ちが湧いてきた。オールマイトのは腐るほど売られてたけどまぁ、お父さんは一般ウケしなかったらしくて売ってなかった。だから特別だったんだけどあんなにわかが着てるくらい陳腐なものになってしまったとわかって心から苛立った。
とはいえ、父さんはヒロコスが売られるほど人気が出てきたみたいで、背筋がむずむずする。この積み上げた信頼、浮ついた人気、お父さんの考える正しさをめちゃくちゃにできるのかと思うと胸が躍った。踊るっていうか、胸がぽかぽかするっていうか。好きな子のとまどう顔が見たいってのもまた愛だよな。
出かけた時とは打って変わって機嫌良く帰宅(ってもダンボール敷いた公園だけど)した。
「お! ケンちゃん。今日はなんかご機嫌だな」
「うん。いいことあってさ」
「よかったなぁ。でも今日は気をつけてな。羽目を外した若いやつらに殺される路上生活のやつらは片手で足りないくらいいるからな」
「わかった。ありがと」
こんな満たされた気持ちになったのはいつぶりだろう。そして、また次にこんな気持ちになれるのはいつだろう。いつものようにスマホで登録者が全然いないお父さんのYouTubeチャンネルを視聴する。今日も悪いヤツをやっつけたんだって。お父さんの考える、悪いヤツを。
お父さんは、お父さん的には悪いヤツじゃないらしい。そこが面白くて俺は画面の向こうのお父さんから目を離せない。お父さんの考える正しさって何。それを聞く前に俺は捨てられてしまったから、今度ちゃんと話す機会があるなら聞いてみたいな。畳む
お題:星月夜 #ヒロアカ #カップリング #荼炎 #燈炎
お題:星月夜 #ヒロアカ #カップリング #荼炎 #燈炎
瀬古渡で泣いてた俺も、こんな夜空を見ていたっけな。
いや、夜空なんか見る余裕もなくってお父さんが来てくれるのを待ってた。いまこうしてしみじみと星を眺めていられるのは、俺が何者がみんなに知ってもらえたからだと思う。
すごく晴れ晴れとした気分だ。
秘密を一人で抱えるのは本当に辛かった。生きていくことが辛すぎてお父さんの提示した人生を生きることが頭によぎったのは一度や二度じゃない。
けどそのたび、望んだ性能を持った新しいオモチャで遊ぶお父さんを見て、そして俺の仏壇に手を合わせたときにやっと決意が固まった。
お父さん、震えてた。
ショックだったのかな。自分が厳格に守ってきた正しさに反している息子がいて。
あの時、俺が生きていると分かった時焦凍のことも何もかも忘れて「燈矢、生きていたのか!心配してたんだぞ」の一言や、駆け寄って抱きしめるとかそういうのがあったらここまで拗れてないかもしれないけど、お父さんは目を見開いて震えてるだけだった。俺が炎をけしかけても、焦凍が必死に呼びかけても。
今ごろお父さんどうしてるかな。お父さんの病院で治療を受けてるみたいだけど、アンチが病院まで押しかけて大変そう。病室から俺が見てるのと同じ月を見てるんだろうか。
ここまで長かったぶん、暴露してしまってからの時間が充実しすぎていてたまらず笑顔になる。顔の筋肉がひきつれて痛いけど、やっとここまで来れたと思ったら笑いが止まらなかった
。
俺のこと考えてるかな。なんて言おうとか、そういうの。次会った時、なんで言うかな。俺のこと、なんて呼ぶのかな。
瀬古渡で泣いてた俺も、こんな夜空を見ていたっけな。
いや、夜空なんか見る余裕もなくってお父さんが来てくれるのを待ってた。いまこうしてしみじみと星を眺めていられるのは、俺が何者がみんなに知ってもらえたからだと思う。
すごく晴れ晴れとした気分だ。
秘密を一人で抱えるのは本当に辛かった。生きていくことが辛すぎてお父さんの提示した人生を生きることが頭によぎったのは一度や二度じゃない。
けどそのたび、望んだ性能を持った新しいオモチャで遊ぶお父さんを見て、そして俺の仏壇に手を合わせたときにやっと決意が固まった。
お父さん、震えてた。
ショックだったのかな。自分が厳格に守ってきた正しさに反している息子がいて。
あの時、俺が生きていると分かった時焦凍のことも何もかも忘れて「燈矢、生きていたのか!心配してたんだぞ」の一言や、駆け寄って抱きしめるとかそういうのがあったらここまで拗れてないかもしれないけど、お父さんは目を見開いて震えてるだけだった。俺が炎をけしかけても、焦凍が必死に呼びかけても。
今ごろお父さんどうしてるかな。お父さんの病院で治療を受けてるみたいだけど、アンチが病院まで押しかけて大変そう。病室から俺が見てるのと同じ月を見てるんだろうか。
ここまで長かったぶん、暴露してしまってからの時間が充実しすぎていてたまらず笑顔になる。顔の筋肉がひきつれて痛いけど、やっとここまで来れたと思ったら笑いが止まらなかった
。
俺のこと考えてるかな。なんて言おうとか、そういうの。次会った時、なんで言うかな。俺のこと、なんて呼ぶのかな。
ぬいぬい #ブルーロック #カップリング #ネスカイ
ぬいぬい #ブルーロック #カップリング #ネスカイ
「こ、これは……」
「新しいグッズだとよ。いらねーってのに」
「僕にください」
「あ? まぁ別にいいけど」
「ありがとうございます!」
こうして手のひらに収まるサイズのカイザーを僕が所有するという大興奮な生活が幕を開けた。
男のぬいぐるみ趣味なんて一番バカにされてしまう環境なんだけど、僕がカイザーのぬいぐるみにどう転んだってカイザーが絶対着ないような少女趣味な服を作って着せ替えしたり、家具を作ったり、連れ出して写真を撮っているのを見ても誰も何も言わなかった。
チームメイトたちに聞いたら「この商品を見た時ネスならやると思ったし、カイザーがくれてやらないなら俺らで買ってやろうと思ってた」という。
意外とこいつら僕のことわかってるしいいやつだなと思った。
「カイザー、僕、少し旅行に」
「一人でか?」
「まぁ、一人ですね」
「あの綿とだろ」
「なんでわかったんですか」
「お前が遠征する先々の観光地で俺のぬいぐるみと写真を撮ってるのが話題になってる」
「えっ……」
「旅行いくなら俺も連れてけ。お前と旅行行くと楽しむだけでいいから好きなんだ」
「!??!!?!!♡♡♡!!?♡!??♡♡!♡♡♡♡♡♡♡♡♡はい!!!!♡♡♡♡♡♡♡♡♡」
こうして、ネスとカイザーとカイザーぬいは旅行を楽しみましたとさ。
おしまい
「こ、これは……」
「新しいグッズだとよ。いらねーってのに」
「僕にください」
「あ? まぁ別にいいけど」
「ありがとうございます!」
こうして手のひらに収まるサイズのカイザーを僕が所有するという大興奮な生活が幕を開けた。
男のぬいぐるみ趣味なんて一番バカにされてしまう環境なんだけど、僕がカイザーのぬいぐるみにどう転んだってカイザーが絶対着ないような少女趣味な服を作って着せ替えしたり、家具を作ったり、連れ出して写真を撮っているのを見ても誰も何も言わなかった。
チームメイトたちに聞いたら「この商品を見た時ネスならやると思ったし、カイザーがくれてやらないなら俺らで買ってやろうと思ってた」という。
意外とこいつら僕のことわかってるしいいやつだなと思った。
「カイザー、僕、少し旅行に」
「一人でか?」
「まぁ、一人ですね」
「あの綿とだろ」
「なんでわかったんですか」
「お前が遠征する先々の観光地で俺のぬいぐるみと写真を撮ってるのが話題になってる」
「えっ……」
「旅行いくなら俺も連れてけ。お前と旅行行くと楽しむだけでいいから好きなんだ」
「!??!!?!!♡♡♡!!?♡!??♡♡!♡♡♡♡♡♡♡♡♡はい!!!!♡♡♡♡♡♡♡♡♡」
こうして、ネスとカイザーとカイザーぬいは旅行を楽しみましたとさ。
おしまい
習作② #ブルーロック #カップリング #ネスカイ
習作② #ブルーロック #カップリング #ネスカイ
好きな歯磨き粉の味、コーヒーには何を入れるか、好きなタオルの素材、シーツは毎日取り替えたい、嗜好品として好きな食べ物と、アスリートの身体を作るための食事の中で好きな食べ物……等々。
知らなくても僕自身のパフォーマンスには影響しないものだけど、こういった知識を仕入れることをやめようと思ったことはない。
なんでカイザーのことをこんなに大切に思っているのかもわからない。わからないというか、言葉で説明できない、というのが正しい。
言葉にするとなると「何となく」とか「好きだから」とかいう一見陳腐に聞こえる言葉でしかこの感情を飾れないのなら、最初から言葉にしないほうがいい。
カイザーは僕がいなくなったら、自分好みの生活に辿り着くための速度が落ちるだけで、僕がいないと何もできないなんてことではない。カイザー自身でもできるけど、僕がやりたいって言うからやらせてくれているだけ
。
僕はそれをカイザーの優しさだと思ってるけど、他の人はそう見えてない、カイザーが僕をこき使っているように見えているらしい。「ネス、あなたはカイザーの召使じゃなくてあなたはあなたの人生を生きたほうがいい」なんて。
そういうやつと話していると頭にくるけど、僕のことを心配してくれているんだと自分に言い聞かせている。それでもイラつくけど、一回ひどく怒鳴ったらカイザーに洗脳されてるからそういうことをしてしまうんだなんていう超理論を掲げられて、相手の中でもう答えが決まってることにこちらが何を言っても意味がないと悟り、話だけ聞いて満足して帰ってもらった。
確か、スポンサーの親族だったはず。そうでもなきゃ、話切り上げて練習に戻ってる。
僕は僕の選択で僕の人生を生きているからこそ、これなんだ。これが一番納得いってる。一番かっこよくて一番強い人の影でいられることがどんなにうれしいかわからないなら黙っていて欲しい。僕は今本当に幸せなんだから。
好きな歯磨き粉の味、コーヒーには何を入れるか、好きなタオルの素材、シーツは毎日取り替えたい、嗜好品として好きな食べ物と、アスリートの身体を作るための食事の中で好きな食べ物……等々。
知らなくても僕自身のパフォーマンスには影響しないものだけど、こういった知識を仕入れることをやめようと思ったことはない。
なんでカイザーのことをこんなに大切に思っているのかもわからない。わからないというか、言葉で説明できない、というのが正しい。
言葉にするとなると「何となく」とか「好きだから」とかいう一見陳腐に聞こえる言葉でしかこの感情を飾れないのなら、最初から言葉にしないほうがいい。
カイザーは僕がいなくなったら、自分好みの生活に辿り着くための速度が落ちるだけで、僕がいないと何もできないなんてことではない。カイザー自身でもできるけど、僕がやりたいって言うからやらせてくれているだけ
。
僕はそれをカイザーの優しさだと思ってるけど、他の人はそう見えてない、カイザーが僕をこき使っているように見えているらしい。「ネス、あなたはカイザーの召使じゃなくてあなたはあなたの人生を生きたほうがいい」なんて。
そういうやつと話していると頭にくるけど、僕のことを心配してくれているんだと自分に言い聞かせている。それでもイラつくけど、一回ひどく怒鳴ったらカイザーに洗脳されてるからそういうことをしてしまうんだなんていう超理論を掲げられて、相手の中でもう答えが決まってることにこちらが何を言っても意味がないと悟り、話だけ聞いて満足して帰ってもらった。
確か、スポンサーの親族だったはず。そうでもなきゃ、話切り上げて練習に戻ってる。
僕は僕の選択で僕の人生を生きているからこそ、これなんだ。これが一番納得いってる。一番かっこよくて一番強い人の影でいられることがどんなにうれしいかわからないなら黙っていて欲しい。僕は今本当に幸せなんだから。
習作 #ブルーロック #カップリング #ネスカイ
習作 #ブルーロック #カップリング #ネスカイ
これは夢だとわかっていた。
こんなこと、彼がするはずがないというのは僕が一番よくわかっているからだ。
夢の中の僕は怪我をてしまって入院している。もうサッカーができなくなるかもしれない。
それでもカイザーは僕のお見舞いにマメに来てくれて、「お前が戻るのを待っている」とか「お前がいないとうまくいかないことがある」なんて言ってくれる。
俺がこうあってほしいと思っていることが夢になってるとしたらとっても情けないし恥ずかしいから早く目覚めたいんだけど、どうしても目覚めることができない。僕に優しい言葉を吐き続けるカイザーの形をした幻に相槌を打つ。
役に立たなくなった僕に構うカイザーはカイザーじゃない。こんな僕の願望で歪んでしまったカイザーと話しているとおかしくなりそうだ。
ドッ、とベッドに誰かが座る衝撃があり、目が覚めた。
「何寝てんだ」
「深夜なので……」
寝汗でしっとりと湿ったシャツを脱ぎ捨てて、あわい金髪から肌の青薔薇へと目を滑らせた。僕の夢の中のとは全くもって違う、僕の知っているカイザーが不機嫌そうに僕のベッドサイドに座っている。
「今日は俺が深夜に帰国するって知ってただろ」
「……! 知ってました!」
「なら何で寝てる」
「えへ……! そ、そうですよねカイザー!あなたはそうでなくちゃ!そうであってください!ね!ね!」
「うるさい。適当な運動着用意しろ。少し身体動かすから、付き合え」
「もちろんです!」
ベッドから飛び起きて、カイザーのクローゼットから運動着とサッカー用の厚手の靴下を取り出して渡した。さも当然かのように受け取り、何も言わずに着替え始める。そう、そうこれが僕の知るカイザーだ。誰のことも見ずに自分の道を進んでいく光、後ろに続く民草のために道を拓く皇帝。僕はすっかりうれしくなって、室内練習場の空調と電気を操作して、ストレッチ用のマットを持って行った。
夢の中のカイザーは起こして悪かったとか言うだろうけど現実のは言わない。それでいい。それが、いい。
これは夢だとわかっていた。
こんなこと、彼がするはずがないというのは僕が一番よくわかっているからだ。
夢の中の僕は怪我をてしまって入院している。もうサッカーができなくなるかもしれない。
それでもカイザーは僕のお見舞いにマメに来てくれて、「お前が戻るのを待っている」とか「お前がいないとうまくいかないことがある」なんて言ってくれる。
俺がこうあってほしいと思っていることが夢になってるとしたらとっても情けないし恥ずかしいから早く目覚めたいんだけど、どうしても目覚めることができない。僕に優しい言葉を吐き続けるカイザーの形をした幻に相槌を打つ。
役に立たなくなった僕に構うカイザーはカイザーじゃない。こんな僕の願望で歪んでしまったカイザーと話しているとおかしくなりそうだ。
ドッ、とベッドに誰かが座る衝撃があり、目が覚めた。
「何寝てんだ」
「深夜なので……」
寝汗でしっとりと湿ったシャツを脱ぎ捨てて、あわい金髪から肌の青薔薇へと目を滑らせた。僕の夢の中のとは全くもって違う、僕の知っているカイザーが不機嫌そうに僕のベッドサイドに座っている。
「今日は俺が深夜に帰国するって知ってただろ」
「……! 知ってました!」
「なら何で寝てる」
「えへ……! そ、そうですよねカイザー!あなたはそうでなくちゃ!そうであってください!ね!ね!」
「うるさい。適当な運動着用意しろ。少し身体動かすから、付き合え」
「もちろんです!」
ベッドから飛び起きて、カイザーのクローゼットから運動着とサッカー用の厚手の靴下を取り出して渡した。さも当然かのように受け取り、何も言わずに着替え始める。そう、そうこれが僕の知るカイザーだ。誰のことも見ずに自分の道を進んでいく光、後ろに続く民草のために道を拓く皇帝。僕はすっかりうれしくなって、室内練習場の空調と電気を操作して、ストレッチ用のマットを持って行った。
夢の中のカイザーは起こして悪かったとか言うだろうけど現実のは言わない。それでいい。それが、いい。
お題:もしも #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
お題:もしも #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
もしも、もしも俺がお父さんの個性だけを受け継いでお父さんを超える炎を出し続けてもなんの支障もないからだに生まれていたら、どんな人生を送っただろう。
高校なんか行かなくてもお父さんの右腕として活躍していたかもしれない。
でもお父さんは高校は行った方がいいと、俺に興味を持っているから進路に口を出してきたかもしれない。俺は仕方ないなぁなんて言って、雄英でアオハルしたりできたのかもしれない。
仲間と切磋琢磨して、お父さんの過保護を嘆いてみせたりして、自分の才能に酔いしれるタイミングがあるかもしれない。
ああ、俺は俺に生まれて良かったと、心から思えたかもしれない。
……そんな夢を見た日は本当に気分が悪い。心からそうであって欲しかった未来が決して手に入らないものであると何度でも思い知らないといけなくなる。そんな自分が可哀想で、ダサくて。
もしも、なんて夢想は俺が叶えない限り現実にはならないんだよ。努力しないと、夢は現実にならないんだよ。……努力したって、叶わないことだってあるんだよ。生まれつきのことは、努力したって満足いかない結果になることの方が多い。そんなの俺が一番わかっているし、そのために俺が今できることを頑張っているのに俺の深層心理はそう思ってなくて、何の努力もしないでこう在れたら、と俺の脳に映し出す。残酷すぎて涙が出そうだ。
ひとしきり毒づいたら、顔を洗って歩き出す。俺は、俺のやり方でお父さんに俺を認めさせる。夢見る乙女なんてやらねぇ。夢は見るけど、俺が俺の手で叶える。
なんだか少年漫画の主人公みたいだ。友情努力勝利。友情は無ぇけど、努力と勝利はあるだろ。
そんな鮮烈な復讐心を、いまだに思い出す。
焼け爛れた身体を懸命に世話をするかつて俺がこうありたいと心から願った人。こうありたかったからこそ、もう何もできない俺の世話を焼くみたいなつまんねぇことやって欲しくなかった。本当に本当に、この人生は……言葉にならない虚しさに襲われる。
もし、願いが叶うなら……戦いの中で死にたかった。たぶんあのまま家族を皆殺しにしてしまっていたら後悔しただろうけど、なんの価値もなくみじめったらしく排泄物を垂れ流すより全然ましだ。巨悪は去り、ハッピーエンドみたいな空気になってるのを見るのも嫌だ。
もし、願いが、今からでも、叶うなら……
すべてやり直して、俺が俺のやり方でヒーローに……
それは無理か。俺はフツウに生きるしか道が用意されてなくて、俺はそう生きたいわけじゃなかったんだから。お父さんがあの時来てくれていたなら、まだ何か変わったかな。
いや、そのもしもは叶わない。お父さんは、俺のところになんか来ない。行けなくて、じゃなくて行かなくて、なんだから。俺のお願いなんてとっくに聞いてもらえなかったんだよ。お父さんにとって、価値がなかったから。
わかっているはずなのに、あまりにひどいやつを好きになってしまって苦しくて笑いが止まらない。お父さんは能天気に「燈矢、うれしいことがあったのか?」なんてニコニコしてるし。もう個性もないから何もできないけど、バカバカしくって逆に面白い。ひどいやつ。大嫌い。大嫌い。大嫌い。
もしも、もしも俺がお父さんの個性だけを受け継いでお父さんを超える炎を出し続けてもなんの支障もないからだに生まれていたら、どんな人生を送っただろう。
高校なんか行かなくてもお父さんの右腕として活躍していたかもしれない。
でもお父さんは高校は行った方がいいと、俺に興味を持っているから進路に口を出してきたかもしれない。俺は仕方ないなぁなんて言って、雄英でアオハルしたりできたのかもしれない。
仲間と切磋琢磨して、お父さんの過保護を嘆いてみせたりして、自分の才能に酔いしれるタイミングがあるかもしれない。
ああ、俺は俺に生まれて良かったと、心から思えたかもしれない。
……そんな夢を見た日は本当に気分が悪い。心からそうであって欲しかった未来が決して手に入らないものであると何度でも思い知らないといけなくなる。そんな自分が可哀想で、ダサくて。
もしも、なんて夢想は俺が叶えない限り現実にはならないんだよ。努力しないと、夢は現実にならないんだよ。……努力したって、叶わないことだってあるんだよ。生まれつきのことは、努力したって満足いかない結果になることの方が多い。そんなの俺が一番わかっているし、そのために俺が今できることを頑張っているのに俺の深層心理はそう思ってなくて、何の努力もしないでこう在れたら、と俺の脳に映し出す。残酷すぎて涙が出そうだ。
ひとしきり毒づいたら、顔を洗って歩き出す。俺は、俺のやり方でお父さんに俺を認めさせる。夢見る乙女なんてやらねぇ。夢は見るけど、俺が俺の手で叶える。
なんだか少年漫画の主人公みたいだ。友情努力勝利。友情は無ぇけど、努力と勝利はあるだろ。
そんな鮮烈な復讐心を、いまだに思い出す。
焼け爛れた身体を懸命に世話をするかつて俺がこうありたいと心から願った人。こうありたかったからこそ、もう何もできない俺の世話を焼くみたいなつまんねぇことやって欲しくなかった。本当に本当に、この人生は……言葉にならない虚しさに襲われる。
もし、願いが叶うなら……戦いの中で死にたかった。たぶんあのまま家族を皆殺しにしてしまっていたら後悔しただろうけど、なんの価値もなくみじめったらしく排泄物を垂れ流すより全然ましだ。巨悪は去り、ハッピーエンドみたいな空気になってるのを見るのも嫌だ。
もし、願いが、今からでも、叶うなら……
すべてやり直して、俺が俺のやり方でヒーローに……
それは無理か。俺はフツウに生きるしか道が用意されてなくて、俺はそう生きたいわけじゃなかったんだから。お父さんがあの時来てくれていたなら、まだ何か変わったかな。
いや、そのもしもは叶わない。お父さんは、俺のところになんか来ない。行けなくて、じゃなくて行かなくて、なんだから。俺のお願いなんてとっくに聞いてもらえなかったんだよ。お父さんにとって、価値がなかったから。
わかっているはずなのに、あまりにひどいやつを好きになってしまって苦しくて笑いが止まらない。お父さんは能天気に「燈矢、うれしいことがあったのか?」なんてニコニコしてるし。もう個性もないから何もできないけど、バカバカしくって逆に面白い。ひどいやつ。大嫌い。大嫌い。大嫌い。
地獄 #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
地獄 #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
死んだ後にも地獄があるなら、これ以上の苦しみが待ち受けてるってことなのか。
俺が想像できる苦しみはすべて受けたと思う。
望んでいた機能を持ち合わせていないがために見捨てられる不安。
持たざるものとして生きなければならないと選択を押し付けられるみじめさ。
そして、文字通り身を焼く苦しみ……お父さんは知ってるのかな。火が燃え移ったことにパニックになって大きく息を吸い込んでしまい……そして、内臓が燃えて……モツにも神経って通ってるんだぜ?
それに助かってからもじくじくと痛む深いやけど……お母さんの個性のおかげでマシなのかもしれないけど、それでも。
環境的に恵まれた幼少期とは違い、泥水を啜り食べ物も満足になく、そして腐った人間に媚びないと今日の寝床すらない、お父さんからは見えない……見ようともしない沈殿物としての生活。ここはみじめとか痛いとか苦しいとかより、怨みが俺を形作ってくれていたから、あんまり大変じゃなかった。いや、大変じゃなかったというより、痛みを感じる器官もあの日瀬古渡で焼けてしまったんだ。
それに、同じく怒りや悲しみ、そして恨みを抱えたやつらと出会えた。
陳腐な結束でまとまってる奴らだったけど、社会のあぶれ者といると少しだけ気が楽になった。大人たちが連綿と作り上げた社会からこぼれ落ちたフツウになれなかったやつらたちといると、もしかして俺が雄英に入っていたらこうやってクラスメイトたちとくだらない話をしたりしたかなと不毛な妄想に浸ったりできた。
友情とか全然感じてなかったはずなのに、つまらない死に方したやつらのことを思い出しては少しだけしんみりとすることもあった。俺にちょっとの人間らしさ、年相応の人間らしさを与えてくれたのは、もう名前も顔も思い出せないあいつらなのかもしれない。
それでも、俺の人生は間違いなく地獄だった。死んだ後もこれ以上の苦しみがあるなんてあまりにも酷じゃないか。まあでも、コロシはコロシだもんな。
どんな地獄だろうな。弱って死を待つだけになったお父さんは罪を償うポーズだけは上手くて甲斐甲斐しく世話焼いてくれてるけど、それをまたお母さんに押し付けて誰かのためのヒーローになる、とか。そんで、俺はお父さんにブチ切れる個性もなくただ弱って死んでいく。マジで最悪。
でも、お父さんはヒーローだけど天国にはいけない。子供と妻をこんなにも苛んだんだから。轟家の中で地獄に行くのは俺とお父さんくらいだろうし、地獄でもいいや。お父さんも地獄でいいよね?まぁ回答権は無いんだけど……
俺とお父さん、誰もいない地獄でもう一回親子をやろう。死んでも、ずっと一緒。かわいくて頑張り屋さんの俺のお誘いを無視したんだからそれくらい、いいだろ?
死んだ後にも地獄があるなら、これ以上の苦しみが待ち受けてるってことなのか。
俺が想像できる苦しみはすべて受けたと思う。
望んでいた機能を持ち合わせていないがために見捨てられる不安。
持たざるものとして生きなければならないと選択を押し付けられるみじめさ。
そして、文字通り身を焼く苦しみ……お父さんは知ってるのかな。火が燃え移ったことにパニックになって大きく息を吸い込んでしまい……そして、内臓が燃えて……モツにも神経って通ってるんだぜ?
それに助かってからもじくじくと痛む深いやけど……お母さんの個性のおかげでマシなのかもしれないけど、それでも。
環境的に恵まれた幼少期とは違い、泥水を啜り食べ物も満足になく、そして腐った人間に媚びないと今日の寝床すらない、お父さんからは見えない……見ようともしない沈殿物としての生活。ここはみじめとか痛いとか苦しいとかより、怨みが俺を形作ってくれていたから、あんまり大変じゃなかった。いや、大変じゃなかったというより、痛みを感じる器官もあの日瀬古渡で焼けてしまったんだ。
それに、同じく怒りや悲しみ、そして恨みを抱えたやつらと出会えた。
陳腐な結束でまとまってる奴らだったけど、社会のあぶれ者といると少しだけ気が楽になった。大人たちが連綿と作り上げた社会からこぼれ落ちたフツウになれなかったやつらたちといると、もしかして俺が雄英に入っていたらこうやってクラスメイトたちとくだらない話をしたりしたかなと不毛な妄想に浸ったりできた。
友情とか全然感じてなかったはずなのに、つまらない死に方したやつらのことを思い出しては少しだけしんみりとすることもあった。俺にちょっとの人間らしさ、年相応の人間らしさを与えてくれたのは、もう名前も顔も思い出せないあいつらなのかもしれない。
それでも、俺の人生は間違いなく地獄だった。死んだ後もこれ以上の苦しみがあるなんてあまりにも酷じゃないか。まあでも、コロシはコロシだもんな。
どんな地獄だろうな。弱って死を待つだけになったお父さんは罪を償うポーズだけは上手くて甲斐甲斐しく世話焼いてくれてるけど、それをまたお母さんに押し付けて誰かのためのヒーローになる、とか。そんで、俺はお父さんにブチ切れる個性もなくただ弱って死んでいく。マジで最悪。
でも、お父さんはヒーローだけど天国にはいけない。子供と妻をこんなにも苛んだんだから。轟家の中で地獄に行くのは俺とお父さんくらいだろうし、地獄でもいいや。お父さんも地獄でいいよね?まぁ回答権は無いんだけど……
俺とお父さん、誰もいない地獄でもう一回親子をやろう。死んでも、ずっと一緒。かわいくて頑張り屋さんの俺のお誘いを無視したんだからそれくらい、いいだろ?
ワンドロ:絆 #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
ワンドロ:絆 #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
俺の仏壇を拝んで、”荼毘”になってから数日くらいはさ……親子の絆が俺とお父さんを結びつけてくれるって思ってたんだよ。
でも実際そんなことはなくて、俺が「初めまして」だなんて言ったらお父さんは気づきもしなかった。絆なんてウソだね。お互いの努力があって関係を維持しようと関わり続ける意思のことを絆って呼んでることを、荼毘になりたての俺に伝えてやりたいよ。かわいそうな俺。もしかしたら殺し続けることでお父さんが俺のこと見つけてくれないかなって期待してたんだぜ。罪が俺たちを結ぶ絆になるかもしれないって。でもそんなことなかった。俺だって生殖にそんな夢見てるような歳じゃないけどさ、もしかしたら血のつながりにはなんかしらの絆が生まれるのかもって。でも全然そんなことなかった! 俺のこと憎らしい人殺しを見る目で見た! 俺ずーっと、お父さんのこと待ってたのに。涙なんか出るなって言ってたら本当に出なくなっちゃうまで焼けてしまったのに。お父さんがあの時来てくれたらこんなことにはなっていなかったのに。お父さんのせいなのに。
あんな目で、俺を見た。
俺の仏壇を拝んで、”荼毘”になってから数日くらいはさ……親子の絆が俺とお父さんを結びつけてくれるって思ってたんだよ。
でも実際そんなことはなくて、俺が「初めまして」だなんて言ったらお父さんは気づきもしなかった。絆なんてウソだね。お互いの努力があって関係を維持しようと関わり続ける意思のことを絆って呼んでることを、荼毘になりたての俺に伝えてやりたいよ。かわいそうな俺。もしかしたら殺し続けることでお父さんが俺のこと見つけてくれないかなって期待してたんだぜ。罪が俺たちを結ぶ絆になるかもしれないって。でもそんなことなかった。俺だって生殖にそんな夢見てるような歳じゃないけどさ、もしかしたら血のつながりにはなんかしらの絆が生まれるのかもって。でも全然そんなことなかった! 俺のこと憎らしい人殺しを見る目で見た! 俺ずーっと、お父さんのこと待ってたのに。涙なんか出るなって言ってたら本当に出なくなっちゃうまで焼けてしまったのに。お父さんがあの時来てくれたらこんなことにはなっていなかったのに。お父さんのせいなのに。
あんな目で、俺を見た。
ワンドロ:ふたり #カップリング #荼炎 #燈炎 #ヒロアカ
ワンドロ:ふたり #カップリング #荼炎 #燈炎 #ヒロアカ
あのとき、お父さん助けてとは言えなかった。助けを求めるというのは自分が相手に無償の加護を求めることであり自分が不良品であることを認めることに等しかったから。
いや、言ったほうのかもしれない。
助けて
痛い
怖い
と。
それはどれも届かなかった。そこにいない人にどれだけ伝えたいと思っても伝わるようなもんじゃない。テレパシーとかないからね。それにパニックになって叫ぼうとして深く息を吸ってしまったら、炎は簡単に肺に届き、喉を灼いた。
そして、俺は荼毘になって「はじめまして」と言った。焼けた喉から絞り出された声は燈矢のものだとわからなかったみたい。
あれから俺はうめき声しかあげれないまだ死んでない焼死体になったわけだけど、その声の方が燈矢のものだってわかるみたい。
俺がどれだけなじっても、ずっと相槌を打ってくれる。それも興味ないやつにやる適当な返事じゃなくて、ちゃんと会話になってるやつ。俺がこんなふうになる前に気づいて欲しかったんだけど、それができなかったから俺たちは……いま戻せない時を、消せない過去を取り出して眺めては今を生きている。変なの。バカみたい。でも今の俺はちょっと満足してる。許してはないけど、満足している。
あのとき、お父さん助けてとは言えなかった。助けを求めるというのは自分が相手に無償の加護を求めることであり自分が不良品であることを認めることに等しかったから。
いや、言ったほうのかもしれない。
助けて
痛い
怖い
と。
それはどれも届かなかった。そこにいない人にどれだけ伝えたいと思っても伝わるようなもんじゃない。テレパシーとかないからね。それにパニックになって叫ぼうとして深く息を吸ってしまったら、炎は簡単に肺に届き、喉を灼いた。
そして、俺は荼毘になって「はじめまして」と言った。焼けた喉から絞り出された声は燈矢のものだとわからなかったみたい。
あれから俺はうめき声しかあげれないまだ死んでない焼死体になったわけだけど、その声の方が燈矢のものだってわかるみたい。
俺がどれだけなじっても、ずっと相槌を打ってくれる。それも興味ないやつにやる適当な返事じゃなくて、ちゃんと会話になってるやつ。俺がこんなふうになる前に気づいて欲しかったんだけど、それができなかったから俺たちは……いま戻せない時を、消せない過去を取り出して眺めては今を生きている。変なの。バカみたい。でも今の俺はちょっと満足してる。許してはないけど、満足している。
ママとお父さんのだいすきな私 #夢小説 #カップリング #鬼滅の刃 #おばみつ
ママとお父さんのだいすきな私 #夢小説 #カップリング #鬼滅の刃 #おばみつ
お父さんとママのこと大すきだけど、今日だけはおうちに帰りたくなかった。
ママとおんなじ桃色の髪が大すき。けど、今日学校で男の子にからかわれた。そうめんのピンク色食べすぎたエロ女って。
そんなことお父さんに言ったら男の子のこと何しちゃうかわからないし、ママと同じ髪の色をからかわれたなんて言ったらママは悲しむに決まってる。
公園のベンチに座ったまま五時のかねを聞いた。学校が終わったらまっすぐおうちに帰ってきて、ランドセルをおいてから遊ぶのよってママ言ってたのに。
多分お父さんもママも探している。見つかりたくなくて公園を出たけど、お店の近くだからきっとすぐ見つかっちゃう。
「花」
「お父さん」
「どうしたんだ、みんな心配してたんだぞ」
そう言ってお父さんはランドセルごと私を抱き上げた。今日の髪型はお父さんがくるくるにしてリボンをつけてくれた。それなのに、帰る時には給食当番のお帽子かぶってきたからお父さんは何かわかったのか、何も聞かずにお店に戻ってママに連絡しているみたいだった。
「髪のことで何か言われたんだろう」
「わかったの?」
「ああ、ママも言われていた」
「あいつらがばかなんだってわかるんだけど、けど……ママと同じ髪なのにそんなこと言われて悔しかった」
「お前はえらいな。お父さんと違って時分の気持ちを言葉にできる」
「そう? お父さん毎日ママにだいすきっていってるじゃん」
「それは、そうだが……」
「子供たちにも言ってる」
「言わないと伝わらないことがあるからな……っていうことはお前が一番わかってそうだけどな。もうそろそろママ帰ってくるから、ちゃんと話してやってくれるか?」
「うん……」
「ンモ〜っっっ!!花ちゃん! 甘露寺花ちゃん!! し、心配したのよ〜っ!!どうしたの? 怪我はない??」
「ないよ……」
「何か嫌なことがあったの? 今日の晩御飯がピーマンの肉詰めなのが嫌? ママかパパが嫌なこと言っちゃった??」
「違うの……」
給食当番のお帽子をとると、桃色の髪がふわりとこぼれ落ちた。ママと同じ髪の色と、お父さんと同じ瞳の色。どっちもだいすきだ。ママになんて言おうかモジモジしてたら、お父さんが何か言いたげにソワソワしている。
「あのね……この髪の色はそうめんのピンク食べすぎたエロ女って……」
「くだらん」
「パパは静かにしてて!」
「すまん」
お父さんはママに弱すぎる。惚れた弱みってすごいんだなぁっていつも思う。
「もちろんそんな言いがかり言うのは変だわ。でも、悲しいわよね……」
「そうなの。くだらないってわかってるんだけど、悲しかったの……」
ただ聞いて、私の気持ちをわかって欲しかった。ママは私のことをわかってくれる。
ママだいすき。
お父さんも好き。
▼
「花、今日の髪型はどうする」
「んーと、髪がちゃんと見えるような感じがいい。くるくるにして」
「わかった」
お父さんにお願いしてかわいくしてもらった。ママとお父さんの子供だもん。いつだって一番かわいいし、ママとお父さんの宝物だもん。エロだからなんだっていうのよ。くだらないバカの言葉で傷つくことがあったって、いいの。ママとお父さんがぎゅってしれくれるんだから。
お父さんとママのこと大すきだけど、今日だけはおうちに帰りたくなかった。
ママとおんなじ桃色の髪が大すき。けど、今日学校で男の子にからかわれた。そうめんのピンク色食べすぎたエロ女って。
そんなことお父さんに言ったら男の子のこと何しちゃうかわからないし、ママと同じ髪の色をからかわれたなんて言ったらママは悲しむに決まってる。
公園のベンチに座ったまま五時のかねを聞いた。学校が終わったらまっすぐおうちに帰ってきて、ランドセルをおいてから遊ぶのよってママ言ってたのに。
多分お父さんもママも探している。見つかりたくなくて公園を出たけど、お店の近くだからきっとすぐ見つかっちゃう。
「花」
「お父さん」
「どうしたんだ、みんな心配してたんだぞ」
そう言ってお父さんはランドセルごと私を抱き上げた。今日の髪型はお父さんがくるくるにしてリボンをつけてくれた。それなのに、帰る時には給食当番のお帽子かぶってきたからお父さんは何かわかったのか、何も聞かずにお店に戻ってママに連絡しているみたいだった。
「髪のことで何か言われたんだろう」
「わかったの?」
「ああ、ママも言われていた」
「あいつらがばかなんだってわかるんだけど、けど……ママと同じ髪なのにそんなこと言われて悔しかった」
「お前はえらいな。お父さんと違って時分の気持ちを言葉にできる」
「そう? お父さん毎日ママにだいすきっていってるじゃん」
「それは、そうだが……」
「子供たちにも言ってる」
「言わないと伝わらないことがあるからな……っていうことはお前が一番わかってそうだけどな。もうそろそろママ帰ってくるから、ちゃんと話してやってくれるか?」
「うん……」
「ンモ〜っっっ!!花ちゃん! 甘露寺花ちゃん!! し、心配したのよ〜っ!!どうしたの? 怪我はない??」
「ないよ……」
「何か嫌なことがあったの? 今日の晩御飯がピーマンの肉詰めなのが嫌? ママかパパが嫌なこと言っちゃった??」
「違うの……」
給食当番のお帽子をとると、桃色の髪がふわりとこぼれ落ちた。ママと同じ髪の色と、お父さんと同じ瞳の色。どっちもだいすきだ。ママになんて言おうかモジモジしてたら、お父さんが何か言いたげにソワソワしている。
「あのね……この髪の色はそうめんのピンク食べすぎたエロ女って……」
「くだらん」
「パパは静かにしてて!」
「すまん」
お父さんはママに弱すぎる。惚れた弱みってすごいんだなぁっていつも思う。
「もちろんそんな言いがかり言うのは変だわ。でも、悲しいわよね……」
「そうなの。くだらないってわかってるんだけど、悲しかったの……」
ただ聞いて、私の気持ちをわかって欲しかった。ママは私のことをわかってくれる。
ママだいすき。
お父さんも好き。
▼
「花、今日の髪型はどうする」
「んーと、髪がちゃんと見えるような感じがいい。くるくるにして」
「わかった」
お父さんにお願いしてかわいくしてもらった。ママとお父さんの子供だもん。いつだって一番かわいいし、ママとお父さんの宝物だもん。エロだからなんだっていうのよ。くだらないバカの言葉で傷つくことがあったって、いいの。ママとお父さんがぎゅってしれくれるんだから。
俺たちのグッズが出た #カップリング #ヒロアカ #ミリ環
俺たちのグッズが出た #カップリング #ヒロアカ #ミリ環
「波動さんのぬいぐるみを着飾って楽しむ趣味ができた」
「へー」
「あのね、いろんな作家さんが帽子とか洋服とか作ってて……」
「かわいい。波動さんはこういう少女趣味な服着ることなさそうだから尚更」
「そう。波動さんは絶対にこんなフリルフリルした服は着ない」
「着ないねえ……波動さんは服のこと隠すべきところを隠すくらいの勢いしかないと思う。その流れで言うと俺は環とファットと切島くんとてつてつくんのアクリルジオラマ持ってる」
「あ、あれ俺も好き。ファットが集合写真の時前に横たわるタイプの上司だってことをしっかり描いてるし」
「そこかぁ……」
「そう。いつもはかなり大雑把でアホっぽい大人のフリしてるけど、一番税金とか法律のことわかってるし、労働時間に気を使ってるし、労災とかの手続き手伝ってくれる。そういうタイプの大人でもある」
「いい職場だ」
「うん。切島くんとてつてつくんはあのキラキラした目でカニカマを食べる俺を見て、カニの形質が出てこないか待っててかわいい。カニカマのことカニだと思ってて……」
「かわいい。環が仕事先でうまくやってるみたいでよかった」
「うん。みんなが元気な限りは頑張りたいな」
「そう、そうありたいよね」
「ね」
「波動さんのぬいぐるみを着飾って楽しむ趣味ができた」
「へー」
「あのね、いろんな作家さんが帽子とか洋服とか作ってて……」
「かわいい。波動さんはこういう少女趣味な服着ることなさそうだから尚更」
「そう。波動さんは絶対にこんなフリルフリルした服は着ない」
「着ないねえ……波動さんは服のこと隠すべきところを隠すくらいの勢いしかないと思う。その流れで言うと俺は環とファットと切島くんとてつてつくんのアクリルジオラマ持ってる」
「あ、あれ俺も好き。ファットが集合写真の時前に横たわるタイプの上司だってことをしっかり描いてるし」
「そこかぁ……」
「そう。いつもはかなり大雑把でアホっぽい大人のフリしてるけど、一番税金とか法律のことわかってるし、労働時間に気を使ってるし、労災とかの手続き手伝ってくれる。そういうタイプの大人でもある」
「いい職場だ」
「うん。切島くんとてつてつくんはあのキラキラした目でカニカマを食べる俺を見て、カニの形質が出てこないか待っててかわいい。カニカマのことカニだと思ってて……」
「かわいい。環が仕事先でうまくやってるみたいでよかった」
「うん。みんなが元気な限りは頑張りたいな」
「そう、そうありたいよね」
「ね」
運命の赤い糸が目に見えないばかりに #カップリング #ヒロアカ #ミリ環
運命の赤い糸が目に見えないばかりに #カップリング #ヒロアカ #ミリ環
「波動さん、綺麗だったね」
「うん。ドレスの色がすごく似合ってたね」
波動さんの結婚式か終わった後、俺が大阪に帰る前にちょっと時間作ろうと言って会っているけどやっぱり毎日顔を合わせていたときよりはお互いの今を探り合っているような気がする。いつもはちょっと話しただけで昨日さよならと言って別れたくらいのノリで話せるのに。
「いいなあ、結婚」
「ミリオ、結婚したい人がいるの?」
「うん。いる」
「そうなんだ……したいなら、すればいいのに」
「そうもいかない事情があって……でも、俺が死ぬ時はその人に喪主を頼みたいと思ってて」
「そういう理由で結婚考える人っているんだ」
「結婚はロマンスだけではやっていけないからね」
「何か知っているような口ぶりだね」
「まあ俺も社会に揉まれていろいろ見てきたってこと」
「そっか」
「っていうか、やっと環が話してくれた気がする。聞かれたら答えるだったじゃん。さっきまで」
「いや俺たちなんだかんだで一年会ってないから、今のミリオのノリがわからなくて」
「変わらないよ、そんなの」
「変わるよ。波動さんだってあんな……俺たち以外のやつと結婚したし……」
「さみしいならさみしいってちゃんと言いなよ」
「ほんとだ……さみしい! もう俺たちとドッジボールとか缶けりとかしてくれないかもしれない……」
「それはないでしょ。あの子、勝てる勝負好きじゃん」
「俺は別に手を抜いているわけでは……」
そこまで言って、俺は言葉を失った。俺だけが誰とも結婚したいほどの関係性を作れていない焦りが顔を出したのだ。別にそんなもの無くてもいいんだけど、無いと二人と一緒になれないような気がして。いやもう、違う道を歩いているんだから一緒じゃなくてもいいんだけど、少しでも共通点が多くないと俺だけその輪からいなくなっちゃうような気がして。くだらないのはわかってる。みんなと一緒じゃないからとパートナーを求めたってそんなのパートナーの人に失礼だっていうのもわかる。わかるけど今日の俺は波動さんの結婚に少なからずショックを受けてしまっているのだと思う。
「ミリオまで結婚しちゃったら、俺どうしたらいいんだろう」
「どうもしなくていいよ」
「それは、わかるけど……」
せっかく久しぶりに会ったのだからこんな湿っぽい話はしたくないのに、一度マイナス思考が始まったら下り坂を駆け下りるように止まらない。ミリオはそんな俺を知ってるから、マイナス思考には運動が一番とか言って、スマホから底抜けに明るいおなじみの前奏を流し出した。
「ラ、ラジオ体操第二……あー運動する気なんかないのにこの前奏を聞くとあー……身体が勝手に……」
「でしょ? 俺最近ウジウジした時はラジオ体操してんの」
「へー」
日が暮れた公園でいい大人二人、しかも多少名の売れた二人がラジオ体操をしているのは滑稽に映ってはいたものの、みんなあの前奏には我慢できずに文句垂れながらも深呼吸まで済ませてしまった。
「どうしたのルミリオンじゃん。急にラジオ体操とかして」
「今日は友達の結婚式があって」
「文脈機能してないけど?」
「ダハハ」
知らない人とも積極的に雑談できるミリオの影でそれを眺めていた。
「環、また気分落ち込んだら俺のこと思い出して。俺はずっと味方だから。そして、ラジオ体操をして」
「う、うん……」
「スマホ出して。サブスク入ってる?入ってなかったら俺が買ってあげる」
「入ってない。っていうか圧がすごい」
「ファットも切島くんもてつてつくんもいい人たちだから大丈夫だろうけど、それでも環は落ち込むでしょ。そしたら俺がいるってわかってたら、安心するといいなって……もう何もかも嫌になったら俺のとこ来ればいいし……」
「ありがと……」
こんなにいいやつが近くにいるのに、俺は何を落ち込む必要があったんだろう。それでも俺はこういう気質だから落ち込むんだろうけど、その度浮かんで来れる。縦の糸と横の糸、水と魚、錘と浮きの俺たち。まあなんと、いい関係じゃないか。
「波動さん、綺麗だったね」
「うん。ドレスの色がすごく似合ってたね」
波動さんの結婚式か終わった後、俺が大阪に帰る前にちょっと時間作ろうと言って会っているけどやっぱり毎日顔を合わせていたときよりはお互いの今を探り合っているような気がする。いつもはちょっと話しただけで昨日さよならと言って別れたくらいのノリで話せるのに。
「いいなあ、結婚」
「ミリオ、結婚したい人がいるの?」
「うん。いる」
「そうなんだ……したいなら、すればいいのに」
「そうもいかない事情があって……でも、俺が死ぬ時はその人に喪主を頼みたいと思ってて」
「そういう理由で結婚考える人っているんだ」
「結婚はロマンスだけではやっていけないからね」
「何か知っているような口ぶりだね」
「まあ俺も社会に揉まれていろいろ見てきたってこと」
「そっか」
「っていうか、やっと環が話してくれた気がする。聞かれたら答えるだったじゃん。さっきまで」
「いや俺たちなんだかんだで一年会ってないから、今のミリオのノリがわからなくて」
「変わらないよ、そんなの」
「変わるよ。波動さんだってあんな……俺たち以外のやつと結婚したし……」
「さみしいならさみしいってちゃんと言いなよ」
「ほんとだ……さみしい! もう俺たちとドッジボールとか缶けりとかしてくれないかもしれない……」
「それはないでしょ。あの子、勝てる勝負好きじゃん」
「俺は別に手を抜いているわけでは……」
そこまで言って、俺は言葉を失った。俺だけが誰とも結婚したいほどの関係性を作れていない焦りが顔を出したのだ。別にそんなもの無くてもいいんだけど、無いと二人と一緒になれないような気がして。いやもう、違う道を歩いているんだから一緒じゃなくてもいいんだけど、少しでも共通点が多くないと俺だけその輪からいなくなっちゃうような気がして。くだらないのはわかってる。みんなと一緒じゃないからとパートナーを求めたってそんなのパートナーの人に失礼だっていうのもわかる。わかるけど今日の俺は波動さんの結婚に少なからずショックを受けてしまっているのだと思う。
「ミリオまで結婚しちゃったら、俺どうしたらいいんだろう」
「どうもしなくていいよ」
「それは、わかるけど……」
せっかく久しぶりに会ったのだからこんな湿っぽい話はしたくないのに、一度マイナス思考が始まったら下り坂を駆け下りるように止まらない。ミリオはそんな俺を知ってるから、マイナス思考には運動が一番とか言って、スマホから底抜けに明るいおなじみの前奏を流し出した。
「ラ、ラジオ体操第二……あー運動する気なんかないのにこの前奏を聞くとあー……身体が勝手に……」
「でしょ? 俺最近ウジウジした時はラジオ体操してんの」
「へー」
日が暮れた公園でいい大人二人、しかも多少名の売れた二人がラジオ体操をしているのは滑稽に映ってはいたものの、みんなあの前奏には我慢できずに文句垂れながらも深呼吸まで済ませてしまった。
「どうしたのルミリオンじゃん。急にラジオ体操とかして」
「今日は友達の結婚式があって」
「文脈機能してないけど?」
「ダハハ」
知らない人とも積極的に雑談できるミリオの影でそれを眺めていた。
「環、また気分落ち込んだら俺のこと思い出して。俺はずっと味方だから。そして、ラジオ体操をして」
「う、うん……」
「スマホ出して。サブスク入ってる?入ってなかったら俺が買ってあげる」
「入ってない。っていうか圧がすごい」
「ファットも切島くんもてつてつくんもいい人たちだから大丈夫だろうけど、それでも環は落ち込むでしょ。そしたら俺がいるってわかってたら、安心するといいなって……もう何もかも嫌になったら俺のとこ来ればいいし……」
「ありがと……」
こんなにいいやつが近くにいるのに、俺は何を落ち込む必要があったんだろう。それでも俺はこういう気質だから落ち込むんだろうけど、その度浮かんで来れる。縦の糸と横の糸、水と魚、錘と浮きの俺たち。まあなんと、いい関係じゃないか。
永遠 #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
永遠 #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
結局お父さんは個性婚の結果として俺らを作って、何かを得ることができたんだろうか。
おだやかに風が吹くとてもいい季節なんだと思う。水の底から見る景色みたいにぼんやり歪んだ視界、ごうごうと血の流れだけが聞こえる耳、風の流れすらわからない肌。どれもがこの季節を教えてくれないけど、お父さんが教えてくれるんだ。
「燈矢、今日は風が吹いているんだ。優しい風だ。燈矢の周りにだって吹いてるぞ」
「見てごらん、あれは……何らかの鳥だ」
とか。
俺は多分もうお父さんの願い、一番になりたかったという願いを叶えてあげられない。けれどこうして大切に余生を過ごしている。ほかに願いがあるなら、俺でも叶えてあげられられる願いがあればいいんだけど、こんな身体じゃもう無理だ。俺がこの前、こんな弱くなった俺を見られたくない、捨てて欲しいと言ったら、
「なにを言うんだ燈矢。俺は燈矢に……家族に、俺がなにを大切にしなければいけなかったか、俺の本当の願いは何かということを教えてもらったんだ」
「そうなんだ……お父さんの願いって、何?」
「それは、燈矢。家族がみんな幸せを感じながら生きることだ」
「そっか……いまからでも、まだそうなれるなら、そうなりたいね……」
「過去は消えない。変えることはできない。けれど、おそらく……過去を現在や未来で雪ぐことはできると思うんだ。燈矢はどう思う」
「俺は、それでもいいよ。これから……っても、そう長くはないけど俺や俺のきょうだい達のわだかまりを雪いでよ」
「ありがとう、燈矢」
「自分の考えややりたいこと、これがイイと思った事を家族に押し付けないだけでちょっと進歩」
そうやってちょっと笑っただけで頬が裂けるように痛い。けどお父さんも苦笑いの部類では、るけど、笑ってくれたから、いい。今の俺は、それでいい。
畳む
結局お父さんは個性婚の結果として俺らを作って、何かを得ることができたんだろうか。
おだやかに風が吹くとてもいい季節なんだと思う。水の底から見る景色みたいにぼんやり歪んだ視界、ごうごうと血の流れだけが聞こえる耳、風の流れすらわからない肌。どれもがこの季節を教えてくれないけど、お父さんが教えてくれるんだ。
「燈矢、今日は風が吹いているんだ。優しい風だ。燈矢の周りにだって吹いてるぞ」
「見てごらん、あれは……何らかの鳥だ」
とか。
俺は多分もうお父さんの願い、一番になりたかったという願いを叶えてあげられない。けれどこうして大切に余生を過ごしている。ほかに願いがあるなら、俺でも叶えてあげられられる願いがあればいいんだけど、こんな身体じゃもう無理だ。俺がこの前、こんな弱くなった俺を見られたくない、捨てて欲しいと言ったら、
「なにを言うんだ燈矢。俺は燈矢に……家族に、俺がなにを大切にしなければいけなかったか、俺の本当の願いは何かということを教えてもらったんだ」
「そうなんだ……お父さんの願いって、何?」
「それは、燈矢。家族がみんな幸せを感じながら生きることだ」
「そっか……いまからでも、まだそうなれるなら、そうなりたいね……」
「過去は消えない。変えることはできない。けれど、おそらく……過去を現在や未来で雪ぐことはできると思うんだ。燈矢はどう思う」
「俺は、それでもいいよ。これから……っても、そう長くはないけど俺や俺のきょうだい達のわだかまりを雪いでよ」
「ありがとう、燈矢」
「自分の考えややりたいこと、これがイイと思った事を家族に押し付けないだけでちょっと進歩」
そうやってちょっと笑っただけで頬が裂けるように痛い。けどお父さんも苦笑いの部類では、るけど、笑ってくれたから、いい。今の俺は、それでいい。
畳む
only you #カップリング #ブルーロック #スナロレ
only you #カップリング #ブルーロック #スナロレ
「殴ったんだって? お前のパスをこぼしたチームメイトを」
「説教は受けてやったよ」
へらへらと笑う俺のツラを、オヤジだったなら起き上がれなくなるまでぶん殴ったけどスナッフィーはただその瞳をぎょろぎょろと動かして黙っている。
「やっとサッカーしてやってもいいかな? と思ったのにさ、俺よりヘタクソなやつばっかりで頭きたんだよ。俺よりずっと長く練習してきても俺以下の実力しか出せない奴らが結託して、えらそうにお前のやり方は良くないなんて言うんだぜ。スポーツは結果が全てだろ。馴れ合いとか、感傷とか。一番いらないものにこだわってるやつらばっかりなんだよ」
俺は言い訳するように長々と俺を怒らせた奴の方が悪いと並べ立てた。かっこ悪い。これじゃガキみたいだ。俺の言葉を黙って聞いていたスナッフィーは、トチって死んだ親友のことでも思い出してるのか目をすっと細めて、俺を見た。そしてそれを誤魔化すかのように小脇に抱えたボールを足先でいじり始めた。
「ロレンツォ、お前の言うとおりでもあるし、俺の経験則で言うと少し違うと思う。努力の積み重ねを美しいと思うのはどこでも一緒だ。サッカーはチームスポーツだからみんなが美しいと言うものを美しいと言っておくだけでもその集団には親しみを持ってもらえるんだよ。これは大人だから知ってるズルだ。大人はズルの手数が子供より多く知ってる。その代わり自分の経験してきたこと以外のことに恐れを抱く。だからロレンツみたいな、生育環境が違うやつがいるだけで異なる価値観への恐れが減る……ことを見越していたんだが、そうじゃないかもな。ロレンツォの言うとおり、結果が全てだ。それなのに文句を言うチームメイトはおかしいな」
「だろ?!」
「おかしいが、ロレンツォ、お前もじきに忖度ってやつを学んだほうがいい……ロレンツォが楽に生きるために」
「そんなもん、いらない。俺は金にならない、形にないものは信じない。他人からの信頼も必要ない。そんなもの、すぐ無くすか……自分から壊しちまうんだ」
「悩むことも大事だがな、夜は悩まないほうがいい。グラウンドに行こう。少しだけ練習してから寝よう」
「いいよ」
「ありがとう、ロレンツォ」
こうして俺は、ちょっと問題を起こすとロレンツォが構ってくれることを学んでしまった。これは大人になってからも続くんだけど、徐々に構ってもらえなくなった。そのうえ、構ってもらいたくて問題行動を起こしてるということがスナッフィーにバレてるみたいで恥ずかしくなった。そんなことをしてまでスナッフィーの気を引きたいみたいで。
でも一番気を引けるのは俺が結果を出せた時だ。それに気づいてからは俺はもうそりゃあ真面目にサッカーした。ちょっとでもスナッフィーの視界に入れるように、スナッフィーの夢を叶える道具としてうまく使えるんだぜとアピールした。虚しくなんかなかった。
死んだ親友とスナッフィーが写ってる写真を写真立てに入れてるのを見て、俺はいつもなんだか気が重かった。生きて、スナッフィーのことを見てるのは俺なのに、スナッフィーは地獄の釜の中をずーっと眺めて、時々現実を見ては親友の影をグラウンドの中に探している。
別に虚しくなんかない。俺はスナッフィーとは金と契約で繋がってるだけだし。信頼とか、無いし。そのはずなのに、俺何故かそんなスナッフィーに苛立ちを感じている。スナッフィーは気づいてか気づいてないのか、何も言わずに俺らのプレーを上から目線で眺めている。むかつく、嫌い、いなくなれ。そんな単純な苛立ちでしか自分の感情を表現できない。だから多分俺がチームメイトを殴ったのってスナッフィーのせいじゃないのか? いやでも、言われたな。自分の問題を他人のせいにするなって。
「殴ったんだって? お前のパスをこぼしたチームメイトを」
「説教は受けてやったよ」
へらへらと笑う俺のツラを、オヤジだったなら起き上がれなくなるまでぶん殴ったけどスナッフィーはただその瞳をぎょろぎょろと動かして黙っている。
「やっとサッカーしてやってもいいかな? と思ったのにさ、俺よりヘタクソなやつばっかりで頭きたんだよ。俺よりずっと長く練習してきても俺以下の実力しか出せない奴らが結託して、えらそうにお前のやり方は良くないなんて言うんだぜ。スポーツは結果が全てだろ。馴れ合いとか、感傷とか。一番いらないものにこだわってるやつらばっかりなんだよ」
俺は言い訳するように長々と俺を怒らせた奴の方が悪いと並べ立てた。かっこ悪い。これじゃガキみたいだ。俺の言葉を黙って聞いていたスナッフィーは、トチって死んだ親友のことでも思い出してるのか目をすっと細めて、俺を見た。そしてそれを誤魔化すかのように小脇に抱えたボールを足先でいじり始めた。
「ロレンツォ、お前の言うとおりでもあるし、俺の経験則で言うと少し違うと思う。努力の積み重ねを美しいと思うのはどこでも一緒だ。サッカーはチームスポーツだからみんなが美しいと言うものを美しいと言っておくだけでもその集団には親しみを持ってもらえるんだよ。これは大人だから知ってるズルだ。大人はズルの手数が子供より多く知ってる。その代わり自分の経験してきたこと以外のことに恐れを抱く。だからロレンツみたいな、生育環境が違うやつがいるだけで異なる価値観への恐れが減る……ことを見越していたんだが、そうじゃないかもな。ロレンツォの言うとおり、結果が全てだ。それなのに文句を言うチームメイトはおかしいな」
「だろ?!」
「おかしいが、ロレンツォ、お前もじきに忖度ってやつを学んだほうがいい……ロレンツォが楽に生きるために」
「そんなもん、いらない。俺は金にならない、形にないものは信じない。他人からの信頼も必要ない。そんなもの、すぐ無くすか……自分から壊しちまうんだ」
「悩むことも大事だがな、夜は悩まないほうがいい。グラウンドに行こう。少しだけ練習してから寝よう」
「いいよ」
「ありがとう、ロレンツォ」
こうして俺は、ちょっと問題を起こすとスナッフィーが構ってくれることを学んでしまった。これは大人になってからも続くんだけど、徐々に構ってもらえなくなった。そのうえ、構ってもらいたくて問題行動を起こしてるということがスナッフィーにバレてるみたいで恥ずかしくなった。そんなことをしてまでスナッフィーの気を引きたいみたいで。
でも一番気を引けるのは俺が結果を出せた時だ。それに気づいてからは俺はもうそりゃあ真面目にサッカーした。ちょっとでもスナッフィーの視界に入れるように、スナッフィーの夢を叶える道具としてうまく使えるんだぜとアピールした。虚しくなんかなかった。
死んだ親友とスナッフィーが写ってる写真を写真立てに入れてるのを見て、俺はいつもなんだか気が重かった。生きて、スナッフィーのことを見てるのは俺なのに、スナッフィーは地獄の釜の中をずーっと眺めて、時々現実を見ては親友の影をグラウンドの中に探している。
別に虚しくなんかない。俺はスナッフィーとは金と契約で繋がってるだけだし。信頼とか、無いし。そのはずなのに、俺何故かそんなスナッフィーに苛立ちを感じている。スナッフィーは気づいてか気づいてないのか、何も言わずに俺らのプレーを上から目線で眺めている。むかつく、嫌い、いなくなれ。そんな単純な苛立ちでしか自分の感情を表現できない。だから多分俺がチームメイトを殴ったのってスナッフィーのせいじゃないのか? いやでも、言われたな。自分の問題を他人のせいにするなって。
そういうバカみたいな悩みはサッカーしてる時だけはついてこなかった。俺はただ、俺の中の嫌な俺が顔を出さないようにサッカーをしている。なんでもよかったんだ。サッカーじゃなくても。でもサッカーじゃなくちゃ、俺はここに居ない。まだあの今生の延長線上にある地獄で息ができなくなっているに違いない。ある意味、俺を救おうとして手放した大人より悪質なのかもしれない。あーあー、やめ。サッカーしよう。
「殴ったんだって? お前のパスをこぼしたチームメイトを」
「説教は受けてやったよ」
へらへらと笑う俺のツラを、オヤジだったなら起き上がれなくなるまでぶん殴ったけどスナッフィーはただその瞳をぎょろぎょろと動かして黙っている。
「やっとサッカーしてやってもいいかな? と思ったのにさ、俺よりヘタクソなやつばっかりで頭きたんだよ。俺よりずっと長く練習してきても俺以下の実力しか出せない奴らが結託して、えらそうにお前のやり方は良くないなんて言うんだぜ。スポーツは結果が全てだろ。馴れ合いとか、感傷とか。一番いらないものにこだわってるやつらばっかりなんだよ」
俺は言い訳するように長々と俺を怒らせた奴の方が悪いと並べ立てた。かっこ悪い。これじゃガキみたいだ。俺の言葉を黙って聞いていたスナッフィーは、トチって死んだ親友のことでも思い出してるのか目をすっと細めて、俺を見た。そしてそれを誤魔化すかのように小脇に抱えたボールを足先でいじり始めた。
「ロレンツォ、お前の言うとおりでもあるし、俺の経験則で言うと少し違うと思う。努力の積み重ねを美しいと思うのはどこでも一緒だ。サッカーはチームスポーツだからみんなが美しいと言うものを美しいと言っておくだけでもその集団には親しみを持ってもらえるんだよ。これは大人だから知ってるズルだ。大人はズルの手数が子供より多く知ってる。その代わり自分の経験してきたこと以外のことに恐れを抱く。だからロレンツみたいな、生育環境が違うやつがいるだけで異なる価値観への恐れが減る……ことを見越していたんだが、そうじゃないかもな。ロレンツォの言うとおり、結果が全てだ。それなのに文句を言うチームメイトはおかしいな」
「だろ?!」
「おかしいが、ロレンツォ、お前もじきに忖度ってやつを学んだほうがいい……ロレンツォが楽に生きるために」
「そんなもん、いらない。俺は金にならない、形にないものは信じない。他人からの信頼も必要ない。そんなもの、すぐ無くすか……自分から壊しちまうんだ」
「悩むことも大事だがな、夜は悩まないほうがいい。グラウンドに行こう。少しだけ練習してから寝よう」
「いいよ」
「ありがとう、ロレンツォ」
こうして俺は、ちょっと問題を起こすとロレンツォが構ってくれることを学んでしまった。これは大人になってからも続くんだけど、徐々に構ってもらえなくなった。そのうえ、構ってもらいたくて問題行動を起こしてるということがスナッフィーにバレてるみたいで恥ずかしくなった。そんなことをしてまでスナッフィーの気を引きたいみたいで。
でも一番気を引けるのは俺が結果を出せた時だ。それに気づいてからは俺はもうそりゃあ真面目にサッカーした。ちょっとでもスナッフィーの視界に入れるように、スナッフィーの夢を叶える道具としてうまく使えるんだぜとアピールした。虚しくなんかなかった。
死んだ親友とスナッフィーが写ってる写真を写真立てに入れてるのを見て、俺はいつもなんだか気が重かった。生きて、スナッフィーのことを見てるのは俺なのに、スナッフィーは地獄の釜の中をずーっと眺めて、時々現実を見ては親友の影をグラウンドの中に探している。
別に虚しくなんかない。俺はスナッフィーとは金と契約で繋がってるだけだし。信頼とか、無いし。そのはずなのに、俺何故かそんなスナッフィーに苛立ちを感じている。スナッフィーは気づいてか気づいてないのか、何も言わずに俺らのプレーを上から目線で眺めている。むかつく、嫌い、いなくなれ。そんな単純な苛立ちでしか自分の感情を表現できない。だから多分俺がチームメイトを殴ったのってスナッフィーのせいじゃないのか? いやでも、言われたな。自分の問題を他人のせいにするなって。
「殴ったんだって? お前のパスをこぼしたチームメイトを」
「説教は受けてやったよ」
へらへらと笑う俺のツラを、オヤジだったなら起き上がれなくなるまでぶん殴ったけどスナッフィーはただその瞳をぎょろぎょろと動かして黙っている。
「やっとサッカーしてやってもいいかな? と思ったのにさ、俺よりヘタクソなやつばっかりで頭きたんだよ。俺よりずっと長く練習してきても俺以下の実力しか出せない奴らが結託して、えらそうにお前のやり方は良くないなんて言うんだぜ。スポーツは結果が全てだろ。馴れ合いとか、感傷とか。一番いらないものにこだわってるやつらばっかりなんだよ」
俺は言い訳するように長々と俺を怒らせた奴の方が悪いと並べ立てた。かっこ悪い。これじゃガキみたいだ。俺の言葉を黙って聞いていたスナッフィーは、トチって死んだ親友のことでも思い出してるのか目をすっと細めて、俺を見た。そしてそれを誤魔化すかのように小脇に抱えたボールを足先でいじり始めた。
「ロレンツォ、お前の言うとおりでもあるし、俺の経験則で言うと少し違うと思う。努力の積み重ねを美しいと思うのはどこでも一緒だ。サッカーはチームスポーツだからみんなが美しいと言うものを美しいと言っておくだけでもその集団には親しみを持ってもらえるんだよ。これは大人だから知ってるズルだ。大人はズルの手数が子供より多く知ってる。その代わり自分の経験してきたこと以外のことに恐れを抱く。だからロレンツみたいな、生育環境が違うやつがいるだけで異なる価値観への恐れが減る……ことを見越していたんだが、そうじゃないかもな。ロレンツォの言うとおり、結果が全てだ。それなのに文句を言うチームメイトはおかしいな」
「だろ?!」
「おかしいが、ロレンツォ、お前もじきに忖度ってやつを学んだほうがいい……ロレンツォが楽に生きるために」
「そんなもん、いらない。俺は金にならない、形にないものは信じない。他人からの信頼も必要ない。そんなもの、すぐ無くすか……自分から壊しちまうんだ」
「悩むことも大事だがな、夜は悩まないほうがいい。グラウンドに行こう。少しだけ練習してから寝よう」
「いいよ」
「ありがとう、ロレンツォ」
こうして俺は、ちょっと問題を起こすとスナッフィーが構ってくれることを学んでしまった。これは大人になってからも続くんだけど、徐々に構ってもらえなくなった。そのうえ、構ってもらいたくて問題行動を起こしてるということがスナッフィーにバレてるみたいで恥ずかしくなった。そんなことをしてまでスナッフィーの気を引きたいみたいで。
でも一番気を引けるのは俺が結果を出せた時だ。それに気づいてからは俺はもうそりゃあ真面目にサッカーした。ちょっとでもスナッフィーの視界に入れるように、スナッフィーの夢を叶える道具としてうまく使えるんだぜとアピールした。虚しくなんかなかった。
死んだ親友とスナッフィーが写ってる写真を写真立てに入れてるのを見て、俺はいつもなんだか気が重かった。生きて、スナッフィーのことを見てるのは俺なのに、スナッフィーは地獄の釜の中をずーっと眺めて、時々現実を見ては親友の影をグラウンドの中に探している。
別に虚しくなんかない。俺はスナッフィーとは金と契約で繋がってるだけだし。信頼とか、無いし。そのはずなのに、俺何故かそんなスナッフィーに苛立ちを感じている。スナッフィーは気づいてか気づいてないのか、何も言わずに俺らのプレーを上から目線で眺めている。むかつく、嫌い、いなくなれ。そんな単純な苛立ちでしか自分の感情を表現できない。だから多分俺がチームメイトを殴ったのってスナッフィーのせいじゃないのか? いやでも、言われたな。自分の問題を他人のせいにするなって。
そういうバカみたいな悩みはサッカーしてる時だけはついてこなかった。俺はただ、俺の中の嫌な俺が顔を出さないようにサッカーをしている。なんでもよかったんだ。サッカーじゃなくても。でもサッカーじゃなくちゃ、俺はここに居ない。まだあの今生の延長線上にある地獄で息ができなくなっているに違いない。ある意味、俺を救おうとして手放した大人より悪質なのかもしれない。あーあー、やめ。サッカーしよう。
個性の証明 #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
個性の証明 #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
西暦20XX年——ビルの光が空を覆い、人々が空を自由に駆けるようになっても、人権や個性がなくなっていない近未来。
「燈矢の体を捨てる……?」
「ええ、騙し騙しやってきましたけど、もう燈矢さんの体は限界なんです。ボロボロのまま焦凍さんと戦って、さらにボロボロになって、今までつぎはぎしてきましたけど、限界です」
「肉体を捨ててしまったら、燈矢はどうなるんです」
「そうですね。脳を機械の体に乗せましょう」
お医者様がいうことは突飛なことに聞こえたが、国内で五つの症例があるという。脳を取り出して機械の脊髄や諸神経と繋ぎ、肉体が死んだとしても生きることができるという。燈矢は一度体調を崩してから二ヶ月意識がないのでは本人に確認できないので親である俺たちが決めれるという。
冷は、生かしてやりたいという。
例え死刑を待つ身であっても、目が動いて私とコミュニケーションをとることができていた燈矢をみすみす死なせてしまいたくはないという。
俺は、決めかねていた。
手術では個性を引き継ぐことはできないという。自らの個性に強くこだわり、指先すら動かせない体でもお父さんに俺の技を見てもらいたいんだとタッチパッドを使ってコミュニケーションをとった燈矢が、果たして個性を持たない自分を受け入れることができるだろうか。
時間は予断を許さず、俺は疑問を持ちながらも燈矢の命を諦める決断はできなかった。
手術は成功した。
燈矢は肉体の死による死を免れ、医療によるメンテナンスを生涯必要とする体になった。
夏雄が見舞いに行った時に目を覚ましたという燈矢は、指先を見つめては涙をこぼしたという。指先、それは最初に炎を灯した器官だと気づき、病室に急いだ。
「お父さん、俺」
「燈矢」
「本当に……何にもなくなっちゃった……」
「燈矢、お前はお前でいてくれるだけでいいんだ」
「俺は、お父さんに認められる俺以外を俺と認めてやれないよ」
「燈矢」
「お父さんならわかってくれると思った……個性がない自分を認めてやれない気持ちがさ……死刑になるために生かされたの? 俺」
「……燈矢、それは」
「もういいよ、バイバイ。お父さん。俺はお父さんが全てだったんだよ」
「と「もう帰って」
それが永訣の別れとなるとは考えても見なかった。燈矢は死刑判決を受け、世間の声に押されて異例の早さで刑が執行された。頸部を縄で圧迫された跡が残った遺体が轟家に戻ってきた。
燈矢は最後の食事をとらずに死刑に望んだらしい。自ら栄養を取らなくても生きながらえる体を忌まわしく思っていたらしく、体を壁にぶつけるなどの自傷が目立ったという。
脳だけを燃やし、燈矢の骨壷に納めた。陶器の壺に収まった燈矢はまるで初めて抱いた時のように小さく、頼りなかった。
『個性の証明』 完
西暦20XX年——ビルの光が空を覆い、人々が空を自由に駆けるようになっても、人権や個性がなくなっていない近未来。
「燈矢の体を捨てる……?」
「ええ、騙し騙しやってきましたけど、もう燈矢さんの体は限界なんです。ボロボロのまま焦凍さんと戦って、さらにボロボロになって、今までつぎはぎしてきましたけど、限界です」
「肉体を捨ててしまったら、燈矢はどうなるんです」
「そうですね。脳を機械の体に乗せましょう」
お医者様がいうことは突飛なことに聞こえたが、国内で五つの症例があるという。脳を取り出して機械の脊髄や諸神経と繋ぎ、肉体が死んだとしても生きることができるという。燈矢は一度体調を崩してから二ヶ月意識がないのでは本人に確認できないので親である俺たちが決めれるという。
冷は、生かしてやりたいという。
例え死刑を待つ身であっても、目が動いて私とコミュニケーションをとることができていた燈矢をみすみす死なせてしまいたくはないという。
俺は、決めかねていた。
手術では個性を引き継ぐことはできないという。自らの個性に強くこだわり、指先すら動かせない体でもお父さんに俺の技を見てもらいたいんだとタッチパッドを使ってコミュニケーションをとった燈矢が、果たして個性を持たない自分を受け入れることができるだろうか。
時間は予断を許さず、俺は疑問を持ちながらも燈矢の命を諦める決断はできなかった。
手術は成功した。
燈矢は肉体の死による死を免れ、医療によるメンテナンスを生涯必要とする体になった。
夏雄が見舞いに行った時に目を覚ましたという燈矢は、指先を見つめては涙をこぼしたという。指先、それは最初に炎を灯した器官だと気づき、病室に急いだ。
「お父さん、俺」
「燈矢」
「本当に……何にもなくなっちゃった……」
「燈矢、お前はお前でいてくれるだけでいいんだ」
「俺は、お父さんに認められる俺以外を俺と認めてやれないよ」
「燈矢」
「お父さんならわかってくれると思った……個性がない自分を認めてやれない気持ちがさ……死刑になるために生かされたの? 俺」
「……燈矢、それは」
「もういいよ、バイバイ。お父さん。俺はお父さんが全てだったんだよ」
「と「もう帰って」
それが永訣の別れとなるとは考えても見なかった。燈矢は死刑判決を受け、世間の声に押されて異例の早さで刑が執行された。頸部を縄で圧迫された跡が残った遺体が轟家に戻ってきた。
燈矢は最後の食事をとらずに死刑に望んだらしい。自ら栄養を取らなくても生きながらえる体を忌まわしく思っていたらしく、体を壁にぶつけるなどの自傷が目立ったという。
脳だけを燃やし、燈矢の骨壷に納めた。陶器の壺に収まった燈矢はまるで初めて抱いた時のように小さく、頼りなかった。
『個性の証明』 完
お題:冬 #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
お題:冬 #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
夏は膿が止まらないけど、冬は肌というか、肌の下の筋組織が軋んで痛む。
痛むからといってそれから逃れる術はなく、ただうーうーと、うめくことしかできない。
お父さんは夏にできた膿を拭うより冬の肌の軋みの方が見ていてつらいらしい。前者は自分で膿をぬぐってやることができて、目に見えてそして行動として何かやったつもりになれるからいいのかもしれない。
お父さんはじつに甲斐甲斐しく俺の世話を焼く。この1%でも俺の子供時代にしてくれていたらこんなことにはなってないはずなんだけど、後悔先に立たず。
お父さんの罪であり、個性社会の膿であり、お父さんの後悔そのものである俺。ほんとはそんなふうに生まれてきたはずじゃなくて、焦凍とは性能が違うだけでSSRだったはずなんだよ。そうじゃなきゃ、あんなに焦凍やお父さんのことを追い詰めることはできなかっただろ。
数々のifをかいくぐって、俺は今お父さんの負債としてこの家の畳のシミの範囲を広げることしかできない。
どこで間違った?
何がいけなかった。
一緒に考えて、手を取り合って答えを出そう。この奇跡みたいな時間を使ってさ。俺のこと見てくれるんでしょ? それってほんとに、ただ見るだけの見る? 見て、聞いて、答えてくれる見るじゃなくて? 熱で風の音がして、よく聞こえないんだ……
夏は膿が止まらないけど、冬は肌というか、肌の下の筋組織が軋んで痛む。
痛むからといってそれから逃れる術はなく、ただうーうーと、うめくことしかできない。
お父さんは夏にできた膿を拭うより冬の肌の軋みの方が見ていてつらいらしい。前者は自分で膿をぬぐってやることができて、目に見えてそして行動として何かやったつもりになれるからいいのかもしれない。
お父さんはじつに甲斐甲斐しく俺の世話を焼く。この1%でも俺の子供時代にしてくれていたらこんなことにはなってないはずなんだけど、後悔先に立たず。
お父さんの罪であり、個性社会の膿であり、お父さんの後悔そのものである俺。ほんとはそんなふうに生まれてきたはずじゃなくて、焦凍とは性能が違うだけでSSRだったはずなんだよ。そうじゃなきゃ、あんなに焦凍やお父さんのことを追い詰めることはできなかっただろ。
数々のifをかいくぐって、俺は今お父さんの負債としてこの家の畳のシミの範囲を広げることしかできない。
どこで間違った?
何がいけなかった。
一緒に考えて、手を取り合って答えを出そう。この奇跡みたいな時間を使ってさ。俺のこと見てくれるんでしょ? それってほんとに、ただ見るだけの見る? 見て、聞いて、答えてくれる見るじゃなくて? 熱で風の音がして、よく聞こえないんだ……
お題:耳 #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
お題:耳 #カップリング #ヒロアカ #荼炎 #燈炎
水の中で聞く人の声みたいに、どこかぼんやりとした音が耳に届く。聞こえるからと言って返事をするだけの声帯は焼け落ちてしまっているので、目の動きで文字入力ができる機械でお父さんと意思疎通をする。
とはいえ細かいニュアンスまでは伝えきれない。そんな苛立ちをぶつけようにも身体はどこも動かない。
身体中の水分が入れても入れても蒸発するのに、お父さんは俺の胃腸につながる管に水を切らさないようにどんなに遅い夜中だって欠かさず点検している。そんなこともうしなくていいよ、無駄だよって言ってもいいんだ、って言って俺の世話を焼いてお父さん自身がが気持ちよくなってるのをみたくないのにそれを伝えられず俺は横たわることしかできない。
なんていうかこう、俺が無駄だからやめろって言っても俺のために何かしてくれるのがうれしくないワケじゃない。なんだけど、お父さんが俺を見る目が将来楽しみな息子、じゃなくて自分が世話をしなくては弱って死んでしまう可哀想な息子、になってるのが嫌なんだよな。
ああ、あの戦いで死ねればよかった。こんな無様を晒すぐらいなら。
水の中で聞く人の声みたいに、どこかぼんやりとした音が耳に届く。聞こえるからと言って返事をするだけの声帯は焼け落ちてしまっているので、目の動きで文字入力ができる機械でお父さんと意思疎通をする。
とはいえ細かいニュアンスまでは伝えきれない。そんな苛立ちをぶつけようにも身体はどこも動かない。
身体中の水分が入れても入れても蒸発するのに、お父さんは俺の胃腸につながる管に水を切らさないようにどんなに遅い夜中だって欠かさず点検している。そんなこともうしなくていいよ、無駄だよって言ってもいいんだ、って言って俺の世話を焼いてお父さん自身がが気持ちよくなってるのをみたくないのにそれを伝えられず俺は横たわることしかできない。
なんていうかこう、俺が無駄だからやめろって言っても俺のために何かしてくれるのがうれしくないワケじゃない。なんだけど、お父さんが俺を見る目が将来楽しみな息子、じゃなくて自分が世話をしなくては弱って死んでしまう可哀想な息子、になってるのが嫌なんだよな。
ああ、あの戦いで死ねればよかった。こんな無様を晒すぐらいなら。
お題:はさみ #ヒロアカ が#カップリング #荼炎 #燈炎
お題:はさみ #ヒロアカ が#カップリング #荼炎 #燈炎
すーっと銀色の刃が俺を包む何重にもなった包帯を裂いてゆく。
もう長く持たない俺のために、訪問看護の人が来てくれている。お父さんは何か言ってるみたいだけどジージーと耳鳴りがするだけで何も聞こえない。でも触れ方でわかる。こわごわと俺がいつ気が変わってここを火の海にしてしまわないかと触れる方が訪問看護師さん。で、素人のくせに扱いがぶきっちょで、俺の皮膚がずるりと剥けてしまったときにびくっ、と震えるのがお父さん。お母さんは、ひんやりとしてるから一番よくわかる。
こんなになってまで、弱く守られるだけの俺に存在価値なんてあるのかな。
少なくとも俺自身は今の俺のことものすごくみじめだと思う。お父さんは知ってか知らずか、俺が暑いと感じてほんの少し身じろぎをしただけで氷枕をあててくれている。こんなになるまでお父さんは俺のことを見なかったんだと思うと涙が出そうになるけど、こんなコゲコゲになってて涙なんか出るわけなじゃん。
すーっと銀色の刃が俺を包む何重にもなった包帯を裂いてゆく。
もう長く持たない俺のために、訪問看護の人が来てくれている。お父さんは何か言ってるみたいだけどジージーと耳鳴りがするだけで何も聞こえない。でも触れ方でわかる。こわごわと俺がいつ気が変わってここを火の海にしてしまわないかと触れる方が訪問看護師さん。で、素人のくせに扱いがぶきっちょで、俺の皮膚がずるりと剥けてしまったときにびくっ、と震えるのがお父さん。お母さんは、ひんやりとしてるから一番よくわかる。
こんなになってまで、弱く守られるだけの俺に存在価値なんてあるのかな。
少なくとも俺自身は今の俺のことものすごくみじめだと思う。お父さんは知ってか知らずか、俺が暑いと感じてほんの少し身じろぎをしただけで氷枕をあててくれている。こんなになるまでお父さんは俺のことを見なかったんだと思うと涙が出そうになるけど、こんなコゲコゲになってて涙なんか出るわけなじゃん。
ifのない世界 #ヒロアカ #カップリング #荼炎 #燈炎
ifのない世界 #ヒロアカ #カップリング #荼炎 #燈炎
僕の名前は、轟燈矢。
お父さんと、お母さんと、僕の三人暮らし。仲の良いお父さんとお母さん、そしてその二人の唯一の宝である俺。何も欠けない幸せ。プロヒーローであるお父さんは過保護なくらい僕を気にしていて、ちょっと鬱陶しいくらい……
だいたいわかってくるだよ。
自分が見る夢の傾向が。
あれだけのことをされていながら、俺はいつだってお父さんに必要とされたいと心のどこかで願っている。俺の個性に満足して次のガチャを回さないで、俺の性能が気に食わなかったからってボックスに閉じ込めないでと俺の中のかわいそうな子供が泣いている。俺はもう泣いてやれないから、他の方法で感情を表すしかない。例えば怒り。
俺はこうして人を理不尽に焼いていれば、いつかお父さんが俺のこと見つけれくれるんじゃないかって思っていた。
でも、いつからか期待は俺を苦しめるだけだとわかったので俺は俺のために人を殺すことにした。俺が強くなったと、俺の火力がより一層強力になったと証明するための試験紙としての、殺し。
だから、捕まって人を殺したことへの謝罪をして欲しそうな時はどうしたらいいかわからなかった。悲しそうな顔をして、謝罪の言葉を並べたら幾分スッキリしたんだろうか。
でもでも、俺が殺した人たちにお父さんがひどい中傷を受けていると聞いたときには、俺がしてきたことは結果的にお父さんを苛んでいるかと思うと目的を達成していると言えるのかもしれない。
どんなやり方だったとしても、結果への道をあきらめない。そう、だって俺、努力《エンデヴァー》の息子だし。ね。
僕の名前は、轟燈矢。
お父さんと、お母さんと、僕の三人暮らし。仲の良いお父さんとお母さん、そしてその二人の唯一の宝である俺。何も欠けない幸せ。プロヒーローであるお父さんは過保護なくらい僕を気にしていて、ちょっと鬱陶しいくらい……
だいたいわかってくるだよ。
自分が見る夢の傾向が。
あれだけのことをされていながら、俺はいつだってお父さんに必要とされたいと心のどこかで願っている。俺の個性に満足して次のガチャを回さないで、俺の性能が気に食わなかったからってボックスに閉じ込めないでと俺の中のかわいそうな子供が泣いている。俺はもう泣いてやれないから、他の方法で感情を表すしかない。例えば怒り。
俺はこうして人を理不尽に焼いていれば、いつかお父さんが俺のこと見つけれくれるんじゃないかって思っていた。
でも、いつからか期待は俺を苦しめるだけだとわかったので俺は俺のために人を殺すことにした。俺が強くなったと、俺の火力がより一層強力になったと証明するための試験紙としての、殺し。
だから、捕まって人を殺したことへの謝罪をして欲しそうな時はどうしたらいいかわからなかった。悲しそうな顔をして、謝罪の言葉を並べたら幾分スッキリしたんだろうか。
でもでも、俺が殺した人たちにお父さんがひどい中傷を受けていると聞いたときには、俺がしてきたことは結果的にお父さんを苛んでいるかと思うと目的を達成していると言えるのかもしれない。
どんなやり方だったとしても、結果への道をあきらめない。そう、だって俺、努力《エンデヴァー》の息子だし。ね。
言葉になると形がわかる #ブルーロック #カップリング #ひおから
永遠にならないふたり #ブルーロック #カップリング #ひおから
永遠にならないふたり #ブルーロック #カップリング #ひおから
旅人、なんて名前がついているくらいだから他人に対しての強い執着がなく、言うなればドライな人だった。僕にアドバイスじみたことを言ったかと思えば、ふらりとどこかへ消えた。消えては、現れ、僕に構ったり無言でボールを蹴って寄越しては言葉を交わすことなく語り合った。
僕たちみたいにサッカーをする奴は、サッカーをすることで通じ合えることがある。言葉にしないとわからないこともあるけど、言葉にしなくてもわかることがある。例えば、僕のサッカーへの興味の薄さはすぐに感じ取られてしまった。
バンビ大阪ユースは、未来のサッカープレイヤーを夢見てサッカーが大好きな人ばかりだ。そんな中で、他人と違う気持ちを抱いていたのだから行動に現れたのかもしれない。烏くんからそのことを言及されて湧いた感情は、一番近い言葉を使うなら……安心というものがふさわしい。やっと自分の中で言葉にできずわだかまっていた感情が言葉になった瞬間だった。形のないもやが自分の中にあるより、誰かが使い古した言葉にしたほうが腹落ちする。まだ完全に理解したとは言えないけど、烏くんが僕の世界に色をつけたのは確かだった。
烏くんにとっては何気ない一瞬なのだろうけど、僕は深く楔を打ったみたいに永遠になってしまった。自分への期待というものが掴めないまま、烏くんと相対することになりそうだ。言葉を交わさなくてもいい、プレーで見せるから。結果を期待するのは苦手だけど、新しい自分に出会えそうで少しだけ、わくわくしてる。
旅人、なんて名前がついているくらいだから他人に対しての強い執着がなく、言うなればドライな人だった。僕にアドバイスじみたことを言ったかと思えば、ふらりとどこかへ消えた。消えては、現れ、僕に構ったり無言でボールを蹴って寄越しては言葉を交わすことなく語り合った。
僕たちみたいにサッカーをする奴は、サッカーをすることで通じ合えることがある。言葉にしないとわからないこともあるけど、言葉にしなくてもわかることがある。例えば、僕のサッカーへの興味の薄さはすぐに感じ取られてしまった。
バンビ大阪ユースは、未来のサッカープレイヤーを夢見てサッカーが大好きな人ばかりだ。そんな中で、他人と違う気持ちを抱いていたのだから行動に現れたのかもしれない。烏くんからそのことを言及されて湧いた感情は、一番近い言葉を使うなら……安心というものがふさわしい。やっと自分の中で言葉にできずわだかまっていた感情が言葉になった瞬間だった。形のないもやが自分の中にあるより、誰かが使い古した言葉にしたほうが腹落ちする。まだ完全に理解したとは言えないけど、烏くんが僕の世界に色をつけたのは確かだった。
烏くんにとっては何気ない一瞬なのだろうけど、僕は深く楔を打ったみたいに永遠になってしまった。自分への期待というものが掴めないまま、烏くんと相対することになりそうだ。言葉を交わさなくてもいい、プレーで見せるから。結果を期待するのは苦手だけど、新しい自分に出会えそうで少しだけ、わくわくしてる。
檸檬(レモン)、そして絆 #ヒロアカ #カップリング #荼炎 #荼炎 #燈炎
檸檬(レモン)、そして絆 #ヒロアカ #カップリング #荼炎 #荼炎 #燈炎
高村光太郎「智恵子抄」
梶井基次郎「檸檬」
をうっすらオマージュしてます
誰もが口々に自らの息子の死を願うというなら、親である俺に何がしてやれるだろう。何かしてやる、という仮定からして間違っていてしてやるのではなく、しなければならないのだと思う。子の罪は親が雪ぐ。世間からしてみれば当たり前のことだが、胃を苛んでやまない。燈矢のことが面倒になったわけではない。もちろんそんなことはあり得ない。あの焼け野原になった小山とその裾野を幾度歩き、名前を呼んでも答えなかった子がどんな形であれ戻ったのだから、うれしいにきまっている。
新しい家に夏雄と冬美、そして焦凍、冷を住まわせて、この二人で暮らすには広すぎる日本家屋に燈矢と二人で住んでいる。
燈矢は意志の強さで今まで体を支えていたようなものだというのが医師の見解で、こうして上半身を上げて本を読むことができるということが奇跡だという。何度も奇跡を乗り越えて、燈矢は三度目の冬を迎える。
荼毘と名乗り罪なき人を焼き殺した燈矢は、その頃の粗暴な言動をどこへやったのか、記憶の中の燈矢が穏やかに成長すればこのようになるであろうと想定した通りの優しげな、棘のない青年となっている。焦凍が来るとそうもいかないらしいが、想像がつかない。
燈矢は本を貪るように読んでいる。特段好みはないらしく、書店で平積みになっているものを買って与えたら特段何も言わずに黙々と読んでいる。本が好きな冬美と話が合うらしく、冬美の本を貸すこともあるという。けれど個性の調整が前ほどうまく行かず、冬美ちゃんの本を燃やしてしまうのは嫌だから、お父さんが買って欲しいと言われた。そのくらいならいくらでも買ってやる。あさましいことだが、それで少し救われた気になっていた。
冬美が連れてきた婚約者には、燈矢さんのこともありますし、疎遠になるかと思いますと初対面で言われてしまう始末だった。婚約者からしてみれば、近親者に人殺しがいるという時点でマイナスなのだろうけれど、自分が犯した罪の重さを再度確認させられているようで、胃がじわじわと苛んだ。生涯償い続けるといえば威勢がいいが、そうもいかない。真綿で締められるような苦しみとはこのようなことを言うのだと思う。胃薬は手放せないものとなったり、食事が喉を通らなくなり、以前のような力も出せない。片手がないぶん不自由も増えた。いつしか、人生の選択肢に引退と死がよぎるようになってきた。今となっては逃げだとか、錯乱していると考えることができるが、当時はそのような考えには至らなかった。そのうちどちらが魅力的に映ったかといえば、死の方だった。
夜中、喉の渇きを覚えて台所に立つと、何かを引きずるような音を聞いた。燈矢だった。
「どうした、こんな夜遅くに。歩けるようになったのか」
答えはなかった。正確には声帯まで焼けてしまっているため声が出ないという。器用にスマホで文字を入力して、薄ぼんやり光る画面を見せてきた。老眼が進んできた目をどうにか合わせて、画面を読む。
『夏くんが都合つく土日に、歩く練習をしてる』
「夏が? そうか、よかった」
『お父さん、レモンが食べたい』
本を欲する以外に、燈矢と再会してからはじめてのおねだりだった。深夜二時。やっている店といえばコンビニしかないが、飲み屋街のコンビニには酒に入れるためのレモンが売っていると聞いたことがある。燈矢がいままで俺にねだったのは修行だけだった。家族旅行も、流行りのおもちゃも欲しがらず友達の一人もつくらずに修行に明け暮れた。そんな燈矢の願い、叶えてないわけにはいかなかった。
コートを片手なしで着るのにも慣れており、マフラーを巻いて寒風吹き荒ぶ街に出た。しんしんと冷える冬空は星に満ちており、そういえば冬美が生まれたときもこんな寒い日だったと思い返した。
レモンは、と聞くともう無いですね、と言われたりうちには置いてないですと言われたり。燈矢がやっと心を許し、してくれたおねだりを早く叶えてやりたいと思うのは親の性だろうか、それとも罪滅ぼしだろうか。五件目でやっとひとつ、つやりとまぶしく蛍光灯の光を弾くレモンを買うことができた。片手で収まる果実を潰さないようにポケットに入れ、店を出た。現金で買い物をする人は年々減っているらしく、店内で人を探してやっと見つけた店員が面倒そうに会計をしてくれた。
『遅い』
「ああ、悪い燈矢……なかなか見つからなくてな。すぐに洗ってくるから、待ってろ。切ってやろうか?」
『いい』
俺が洗ってきたレモンを受け取るや否や、その白い歯がさくりとその鮮やかな黄色を穿った。燈矢は顔を顰めてひとつ咳をすると、もう一口齧った。
『お父さんも』
そう言って歯型がならぶ皮に、思い切って歯を立てた。燈矢が顔を顰めたとおり、酸味が味蕾をとおして脳に届く。
「酸っぱいな」
『お母さんがくれたレモン味の飴、美味しかったからレモンも食べたくなってさ。ありがとう』
それだけ残し、燈矢は歯を立てては顔を顰めを繰り返しながら寝室に戻っていった。
緊張がとけたのか、俺はほっと息をついた。
それからしばらくして、燈矢は帰らぬ人となった。世間は罰を受けずに死んでしまったと非難轟々だったが、燈矢はもう十分苦しんだ。ただしくは俺が苦しませたのだが、燈矢が受けるべきだった苦しみは俺が代わりに苦しむことで、世間には許しを乞い続けることにした。
親子の絆など、おこがましいことだが俺と燈矢に残った絆とはこの罪であり、罰であるのだと思う。他の親子がもつようなが持つようなうつくしい形をしていなくても、これこそが死がふたりを分つとも絶えることのない絆なのだと解釈する。
さよなら燈矢、もう少しだけ待っていてくれと墓石を撫でながら独りごつ。そんな石になってからじゃなくて、生きている間にこうして頭を撫でてやればよかったと後悔するが、燈矢はきっと地獄に下る俺を待っていてくれるような気がする。その時でも遅くはないだろう。春の兆しを見せる寒空を見上げ、レモンの果実とレモン味の飴を残して墓を後にした。
2022/7
高村光太郎「智恵子抄」
梶井基次郎「檸檬」
をうっすらオマージュしてます
誰もが口々に自らの息子の死を願うというなら、親である俺に何がしてやれるだろう。何かしてやる、という仮定からして間違っていてしてやるのではなく、しなければならないのだと思う。子の罪は親が雪ぐ。世間からしてみれば当たり前のことだが、胃を苛んでやまない。燈矢のことが面倒になったわけではない。もちろんそんなことはあり得ない。あの焼け野原になった小山とその裾野を幾度歩き、名前を呼んでも答えなかった子がどんな形であれ戻ったのだから、うれしいにきまっている。
新しい家に夏雄と冬美、そして焦凍、冷を住まわせて、この二人で暮らすには広すぎる日本家屋に燈矢と二人で住んでいる。
燈矢は意志の強さで今まで体を支えていたようなものだというのが医師の見解で、こうして上半身を上げて本を読むことができるということが奇跡だという。何度も奇跡を乗り越えて、燈矢は三度目の冬を迎える。
荼毘と名乗り罪なき人を焼き殺した燈矢は、その頃の粗暴な言動をどこへやったのか、記憶の中の燈矢が穏やかに成長すればこのようになるであろうと想定した通りの優しげな、棘のない青年となっている。焦凍が来るとそうもいかないらしいが、想像がつかない。
燈矢は本を貪るように読んでいる。特段好みはないらしく、書店で平積みになっているものを買って与えたら特段何も言わずに黙々と読んでいる。本が好きな冬美と話が合うらしく、冬美の本を貸すこともあるという。けれど個性の調整が前ほどうまく行かず、冬美ちゃんの本を燃やしてしまうのは嫌だから、お父さんが買って欲しいと言われた。そのくらいならいくらでも買ってやる。あさましいことだが、それで少し救われた気になっていた。
冬美が連れてきた婚約者には、燈矢さんのこともありますし、疎遠になるかと思いますと初対面で言われてしまう始末だった。婚約者からしてみれば、近親者に人殺しがいるという時点でマイナスなのだろうけれど、自分が犯した罪の重さを再度確認させられているようで、胃がじわじわと苛んだ。生涯償い続けるといえば威勢がいいが、そうもいかない。真綿で締められるような苦しみとはこのようなことを言うのだと思う。胃薬は手放せないものとなったり、食事が喉を通らなくなり、以前のような力も出せない。片手がないぶん不自由も増えた。いつしか、人生の選択肢に引退と死がよぎるようになってきた。今となっては逃げだとか、錯乱していると考えることができるが、当時はそのような考えには至らなかった。そのうちどちらが魅力的に映ったかといえば、死の方だった。
夜中、喉の渇きを覚えて台所に立つと、何かを引きずるような音を聞いた。燈矢だった。
「どうした、こんな夜遅くに。歩けるようになったのか」
答えはなかった。正確には声帯まで焼けてしまっているため声が出ないという。器用にスマホで文字を入力して、薄ぼんやり光る画面を見せてきた。老眼が進んできた目をどうにか合わせて、画面を読む。
『夏くんが都合つく土日に、歩く練習をしてる』
「夏が? そうか、よかった」
『お父さん、レモンが食べたい』
本を欲する以外に、燈矢と再会してからはじめてのおねだりだった。深夜二時。やっている店といえばコンビニしかないが、飲み屋街のコンビニには酒に入れるためのレモンが売っていると聞いたことがある。燈矢がいままで俺にねだったのは修行だけだった。家族旅行も、流行りのおもちゃも欲しがらず友達の一人もつくらずに修行に明け暮れた。そんな燈矢の願い、叶えてないわけにはいかなかった。
コートを片手なしで着るのにも慣れており、マフラーを巻いて寒風吹き荒ぶ街に出た。しんしんと冷える冬空は星に満ちており、そういえば冬美が生まれたときもこんな寒い日だったと思い返した。
レモンは、と聞くともう無いですね、と言われたりうちには置いてないですと言われたり。燈矢がやっと心を許し、してくれたおねだりを早く叶えてやりたいと思うのは親の性だろうか、それとも罪滅ぼしだろうか。五件目でやっとひとつ、つやりとまぶしく蛍光灯の光を弾くレモンを買うことができた。片手で収まる果実を潰さないようにポケットに入れ、店を出た。現金で買い物をする人は年々減っているらしく、店内で人を探してやっと見つけた店員が面倒そうに会計をしてくれた。
『遅い』
「ああ、悪い燈矢……なかなか見つからなくてな。すぐに洗ってくるから、待ってろ。切ってやろうか?」
『いい』
俺が洗ってきたレモンを受け取るや否や、その白い歯がさくりとその鮮やかな黄色を穿った。燈矢は顔を顰めてひとつ咳をすると、もう一口齧った。
『お父さんも』
そう言って歯型がならぶ皮に、思い切って歯を立てた。燈矢が顔を顰めたとおり、酸味が味蕾をとおして脳に届く。
「酸っぱいな」
『お母さんがくれたレモン味の飴、美味しかったからレモンも食べたくなってさ。ありがとう』
それだけ残し、燈矢は歯を立てては顔を顰めを繰り返しながら寝室に戻っていった。
緊張がとけたのか、俺はほっと息をついた。
それからしばらくして、燈矢は帰らぬ人となった。世間は罰を受けずに死んでしまったと非難轟々だったが、燈矢はもう十分苦しんだ。ただしくは俺が苦しませたのだが、燈矢が受けるべきだった苦しみは俺が代わりに苦しむことで、世間には許しを乞い続けることにした。
親子の絆など、おこがましいことだが俺と燈矢に残った絆とはこの罪であり、罰であるのだと思う。他の親子がもつようなが持つようなうつくしい形をしていなくても、これこそが死がふたりを分つとも絶えることのない絆なのだと解釈する。
さよなら燈矢、もう少しだけ待っていてくれと墓石を撫でながら独りごつ。そんな石になってからじゃなくて、生きている間にこうして頭を撫でてやればよかったと後悔するが、燈矢はきっと地獄に下る俺を待っていてくれるような気がする。その時でも遅くはないだろう。春の兆しを見せる寒空を見上げ、レモンの果実とレモン味の飴を残して墓を後にした。
2022/7
はじめての共同作業(広義)#ヒロアカ #カップリング #荼炎
はじめての共同作業(広義)#ヒロアカ #カップリング #荼炎
死後裁かれる、ってポスターを見つけてからずっと考えてたんだよ。もう俺は人を殺しすぎた。もう裁きからは免れない。
ならできるだけ罪を犯したほうがお得だよなぁ、お父さん?
なんだよ、そんなに怯えることないだろ。俺とセックスするのそんなに嫌なのか?お父さんは俺がどういう感情を向けてきたって、逃げない見続けるってカッコつけてたじゃんかよ。また、嘘つくのかよ。
尻たぶを割り開き、つんと尿のにおいがかおる。尻穴のまわりに生えた毛を引っ張ると大袈裟なくらい身を固くし、それが面白くて俺は大きな声をあげて笑った。
ふ、となでるように手を振るとお父さんの尻毛に火がついて、尻と脚の筋肉がこわばった。火はほんのすこしだけ燃えた後消えた。
「なんかもっと、悲鳴とかあげるのかと思った……あ、口にタオル詰めたんだった」
舌を切ってしまわないように詰めたタオルを取り除いてやっても、何も言わなかった。親っぽいこととか言うかな?と思ったけど何もなかった。ただ黙って、唇を弾き結んでいる。嵐に耐えたら、また日が昇ると信じてるやつみたいで、やまない雨はないと信じているやつみたいで腹が立った。俺の太陽は二度と登らなかったのに。俺に降る雨を防ぐために、傘を持ってたのにくれなかったくせに。
失ったもの、手に入らなかったものをずぅっと欲しがって、諦めることができたらよかったのかもしれないけど、そこはさ、俺だってお父さんの息子だから。
ものはためしでちんこ挿れてみたけど、全然。面白くもなんともない。気持ち良くもない。ただただお父さんが苦しげに呼吸するのを聞いていただけだ。
俺は、お父さんのことを罰したい訳じゃない……ような気がする。でも罪をつぐなってほしい気持ちもある。複雑。俺は、お父さんをどうしたいんだろう。
俺のこと好きになってほしいのかも。大事なものだったって抱きしめてほしいのかも。なんとなくわかっているのに、こうして突き放して、罰してしまう。
すぐに答えを出さなくていいや。俺の命が続く限り、問い続けていたい。俺はお父さんを……どうしたいのか、どうして欲しかったのか。いま、どうしてほしいのか。
お父さんの拘束を解いてやると、ふらふらとトイレまで歩いて行って吐いているみたいだった。かわいそうなお父さん。罪作りなお父さん。俺ともっと作ろうね、罪!
2023/3/17
死後裁かれる、ってポスターを見つけてからずっと考えてたんだよ。もう俺は人を殺しすぎた。もう裁きからは免れない。
ならできるだけ罪を犯したほうがお得だよなぁ、お父さん?
なんだよ、そんなに怯えることないだろ。俺とセックスするのそんなに嫌なのか?お父さんは俺がどういう感情を向けてきたって、逃げない見続けるってカッコつけてたじゃんかよ。また、嘘つくのかよ。
尻たぶを割り開き、つんと尿のにおいがかおる。尻穴のまわりに生えた毛を引っ張ると大袈裟なくらい身を固くし、それが面白くて俺は大きな声をあげて笑った。
ふ、となでるように手を振るとお父さんの尻毛に火がついて、尻と脚の筋肉がこわばった。火はほんのすこしだけ燃えた後消えた。
「なんかもっと、悲鳴とかあげるのかと思った……あ、口にタオル詰めたんだった」
舌を切ってしまわないように詰めたタオルを取り除いてやっても、何も言わなかった。親っぽいこととか言うかな?と思ったけど何もなかった。ただ黙って、唇を弾き結んでいる。嵐に耐えたら、また日が昇ると信じてるやつみたいで、やまない雨はないと信じているやつみたいで腹が立った。俺の太陽は二度と登らなかったのに。俺に降る雨を防ぐために、傘を持ってたのにくれなかったくせに。
失ったもの、手に入らなかったものをずぅっと欲しがって、諦めることができたらよかったのかもしれないけど、そこはさ、俺だってお父さんの息子だから。
ものはためしでちんこ挿れてみたけど、全然。面白くもなんともない。気持ち良くもない。ただただお父さんが苦しげに呼吸するのを聞いていただけだ。
俺は、お父さんのことを罰したい訳じゃない……ような気がする。でも罪をつぐなってほしい気持ちもある。複雑。俺は、お父さんをどうしたいんだろう。
俺のこと好きになってほしいのかも。大事なものだったって抱きしめてほしいのかも。なんとなくわかっているのに、こうして突き放して、罰してしまう。
すぐに答えを出さなくていいや。俺の命が続く限り、問い続けていたい。俺はお父さんを……どうしたいのか、どうして欲しかったのか。いま、どうしてほしいのか。
お父さんの拘束を解いてやると、ふらふらとトイレまで歩いて行って吐いているみたいだった。かわいそうなお父さん。罪作りなお父さん。俺ともっと作ろうね、罪!
2023/3/17
天より高く海より深い愛 #ヒロアカ #カップリング #荼炎 #燈炎
天より高く海より深い愛 #ヒロアカ #カップリング #荼炎 #燈炎
夏は燈矢の瑕から膿が止まらない。
時には肉が縫い目から剥がれて落ちていることすらある。固形物を食べているところを見たことがない。さまざまな要因から、燈矢はもう長くないということを思い知らされる。燈矢もそれがわかっているらしく、刑罰の一種として個性を抑制させる薬をわざと飲まずにおいて、俺を焼き殺そうとする。
一度憎んだ父親が甲斐甲斐しく介護をするのは嫌なのだろう。けれど冷や冬美、夏雄や焦凍にも危害を加えてしまったらそれこそ取り返しがつかない。だからこうして俺の命だけで勘弁してもらおうという腹だ。
そんな浅はかな計略はとっくに見抜かれているらしく、燈矢は俺がどれだけ献身的に世話をしようと、話しかけようとも反応は剣呑なものだった。
「お父さん、俺が早く死ねばいいって思ってるだろ」
「そんなこと思わない。燈矢、俺を信じろ」
「信じろ? 信じて、捨てただろ」
「捨てたわけじゃ」
「結果的に捨ててんの。焦凍が生まれるまでに生んだ命すべてに謝れ」
「燈矢、俺は」
「うるせえッ!!」
罵声ともに、蒼炎が上がる。燈矢の居室はどれだけ塗り直しても焦げが絶えることはない。最初こそ塗り直していたが、有機溶剤に引火してからはそのままにしている。いっそこの炎に巻かれてしまったら燈矢は気分がスッキリするだろうかなんて考えて炎に触れようとしたら、ふっ、と炎は消えた。
「死ぬぞ」
「……」
「お父さん、お前は生きて償い続けないといけない。死ぬなんて、俺が許さない。俺が死んでも、死ぬな。後追いなんかして楽になろうとするなよ」
「わかっている、わかっているが……」
「どうしても辛くて、生きていたくないなら……その時は俺が殺してやるよ」
燈矢は、修行をせがんで俺の手を引いていた時と同じ笑顔でそう言った。
2022/7/29
夏は燈矢の瑕から膿が止まらない。
時には肉が縫い目から剥がれて落ちていることすらある。固形物を食べているところを見たことがない。さまざまな要因から、燈矢はもう長くないということを思い知らされる。燈矢もそれがわかっているらしく、刑罰の一種として個性を抑制させる薬をわざと飲まずにおいて、俺を焼き殺そうとする。
一度憎んだ父親が甲斐甲斐しく介護をするのは嫌なのだろう。けれど冷や冬美、夏雄や焦凍にも危害を加えてしまったらそれこそ取り返しがつかない。だからこうして俺の命だけで勘弁してもらおうという腹だ。
そんな浅はかな計略はとっくに見抜かれているらしく、燈矢は俺がどれだけ献身的に世話をしようと、話しかけようとも反応は剣呑なものだった。
「お父さん、俺が早く死ねばいいって思ってるだろ」
「そんなこと思わない。燈矢、俺を信じろ」
「信じろ? 信じて、捨てただろ」
「捨てたわけじゃ」
「結果的に捨ててんの。焦凍が生まれるまでに生んだ命すべてに謝れ」
「燈矢、俺は」
「うるせえッ!!」
罵声ともに、蒼炎が上がる。燈矢の居室はどれだけ塗り直しても焦げが絶えることはない。最初こそ塗り直していたが、有機溶剤に引火してからはそのままにしている。いっそこの炎に巻かれてしまったら燈矢は気分がスッキリするだろうかなんて考えて炎に触れようとしたら、ふっ、と炎は消えた。
「死ぬぞ」
「……」
「お父さん、お前は生きて償い続けないといけない。死ぬなんて、俺が許さない。俺が死んでも、死ぬな。後追いなんかして楽になろうとするなよ」
「わかっている、わかっているが……」
「どうしても辛くて、生きていたくないなら……その時は俺が殺してやるよ」
燈矢は、修行をせがんで俺の手を引いていた時と同じ笑顔でそう言った。
2022/7/29
DABI NEVER DIE! #ヒロアカ #カップリング #荼炎 #燈炎
DABI NEVER DIE! #ヒロアカ #カップリング #荼炎 #燈炎
人はいつ死ぬのか。
お父さんにたんまりかけたガソリンの臭さに辟易しながらも、俺はそんなことを考えた。病院には、たくさんの死にかけた人間たちのうめきで満たされていて、そのどれもが生きてはいなかった。俺もその一員となってうめきの波間に揺られていたんだけど、俺はこんなふうに死にたくないと思って一念発起して今は思い出の瀬古渡にいる。
俺はそうだなあ……俺の次の子ガチャが回された時、お母さんが次の子供を妊娠したと知った時死んでしまったんだと思う。俺を見限って俺があこがれた世界から遠ざけられなんの面白みもない人生を歩めといわれた時に……そして……焦凍が生まれて俺の息の根は止まってしまった。
お父さんはいつ死ぬのか。
俺が今少しでも火を出してしまえばお父さんは火だるまになって死んでしまうんだけど、そうじゃない。お父さんは俺が殺した。荼毘が全世界に向けてお父さんの非道を晒してしまったことで、ヒーローとしてのお父さんは死んでしまった。
俺が殺してしまったのだと気づいた時、感じていたのは脳を突くよろこびと虚しさだった。守るはずの民衆から唾はかれて罵声を浴びせられ、ザマアミロ、俺を蔑ろにするからそんな目に遭うんだと思ったけどよろこびは風船がしぼんでいくみたいに小さくなっていった。俺はお父さんをどうしたかったんだろう。一人で修行した成果を見て欲しかったのかな。お父さんが焦凍じゃなくて俺を選んで教育し直すっていう夢はたくさん見たけど、それが俺の深層心理だなんて信じたくない。
ガソリンが鼻に入ってしまったらしくむせているけど口はガムテープで塞がっていて苦しそうにもぞもぞしているお父さん。情けなくて、かわいそう。俺はお父さんのでかいケツを蹴り飛ばして天を仰いだ。月のないいい夜だ。さぞお父さんを燃やした炎がうつくしく映えるだろう。
しばらく、酒を飲みながらガソリンまみれのお父さんを眺めていた。
抵抗するそぶりは見せなかった。黙って横になって、まるで点火を待っているかのようだった。憎しみで、怒りでいっぱいだった俺なら迷いなくつけただろうけど、今の俺はなんだか頭がぼんやり霧がかかったようにまとまらない。
死んでしまったらこの世で受ける罰は全て放り投げて逝けると思っているのだろうか。そうだったら、悔しい。お父さんの罪の具現である俺が生きてるのに、罪を犯した張本人が死んで楽になってどうするんだよ。俺は思い直して公園の水道までお父さんを引きずっていき、石鹸で雑に洗い流した。
「許してくれるのか……?」
「んなわけねーだろボケが。生きて罪をすすげ」
「復讐を果たした方が燈矢の気が晴れるかと思ったが」
「俺は、今の気分はそうじゃなかった。今後殺したくなった時は殺されて」
「……わかった」
「生きてる方が苦しいことだってあるから。俺はそれを見て気を晴らすよ」
「そうか……」
「今日は帰ろう」
そう言って、お父さんお抱えの運転手さんに来てもらって家に帰った。ガソリン臭いお父さんを車に迎え入れても何も言及しないあたりプロだなあって思う。びしょ濡れで何処か虚な目をして外を見ているお父さんが可愛くって、ほんとゾクゾクしちゃった。サイコーすぎる!もっとやろう!
2022/11/6
人はいつ死ぬのか。
お父さんにたんまりかけたガソリンの臭さに辟易しながらも、俺はそんなことを考えた。病院には、たくさんの死にかけた人間たちのうめきで満たされていて、そのどれもが生きてはいなかった。俺もその一員となってうめきの波間に揺られていたんだけど、俺はこんなふうに死にたくないと思って一念発起して今は思い出の瀬古渡にいる。
俺はそうだなあ……俺の次の子ガチャが回された時、お母さんが次の子供を妊娠したと知った時死んでしまったんだと思う。俺を見限って俺があこがれた世界から遠ざけられなんの面白みもない人生を歩めといわれた時に……そして……焦凍が生まれて俺の息の根は止まってしまった。
お父さんはいつ死ぬのか。
俺が今少しでも火を出してしまえばお父さんは火だるまになって死んでしまうんだけど、そうじゃない。お父さんは俺が殺した。荼毘が全世界に向けてお父さんの非道を晒してしまったことで、ヒーローとしてのお父さんは死んでしまった。
俺が殺してしまったのだと気づいた時、感じていたのは脳を突くよろこびと虚しさだった。守るはずの民衆から唾はかれて罵声を浴びせられ、ザマアミロ、俺を蔑ろにするからそんな目に遭うんだと思ったけどよろこびは風船がしぼんでいくみたいに小さくなっていった。俺はお父さんをどうしたかったんだろう。一人で修行した成果を見て欲しかったのかな。お父さんが焦凍じゃなくて俺を選んで教育し直すっていう夢はたくさん見たけど、それが俺の深層心理だなんて信じたくない。
ガソリンが鼻に入ってしまったらしくむせているけど口はガムテープで塞がっていて苦しそうにもぞもぞしているお父さん。情けなくて、かわいそう。俺はお父さんのでかいケツを蹴り飛ばして天を仰いだ。月のないいい夜だ。さぞお父さんを燃やした炎がうつくしく映えるだろう。
しばらく、酒を飲みながらガソリンまみれのお父さんを眺めていた。
抵抗するそぶりは見せなかった。黙って横になって、まるで点火を待っているかのようだった。憎しみで、怒りでいっぱいだった俺なら迷いなくつけただろうけど、今の俺はなんだか頭がぼんやり霧がかかったようにまとまらない。
死んでしまったらこの世で受ける罰は全て放り投げて逝けると思っているのだろうか。そうだったら、悔しい。お父さんの罪の具現である俺が生きてるのに、罪を犯した張本人が死んで楽になってどうするんだよ。俺は思い直して公園の水道までお父さんを引きずっていき、石鹸で雑に洗い流した。
「許してくれるのか……?」
「んなわけねーだろボケが。生きて罪をすすげ」
「復讐を果たした方が燈矢の気が晴れるかと思ったが」
「俺は、今の気分はそうじゃなかった。今後殺したくなった時は殺されて」
「……わかった」
「生きてる方が苦しいことだってあるから。俺はそれを見て気を晴らすよ」
「そうか……」
「今日は帰ろう」
そう言って、お父さんお抱えの運転手さんに来てもらって家に帰った。ガソリン臭いお父さんを車に迎え入れても何も言及しないあたりプロだなあって思う。びしょ濡れで何処か虚な目をして外を見ているお父さんが可愛くって、ほんとゾクゾクしちゃった。サイコーすぎる!もっとやろう!
2022/11/6
瞬きの間に #ダイヤの #カップリング #まなたん
瞬きの間に #ダイヤの #カップリング #まなたん
「かっちゃん、待って!」
もたもたと靴ひもを結ぶ光一郎が、いまでも記憶の片隅に残っている。
「要、行こうぜ」
「あいつ、いっつもとろいな」
「下手くそだし」
聞こえるように言ったのだろう、光一郎は肩を震わせて靴ひもをいじったまま顔を上げようとしない。周りより抜きん出て上手く、父はコーチ、母は父母会長。そんなキャプテンは親の威光を存分に利用して、光一郎に嫌味を言っているらしい、ということは人づてに聞いていた。その時は俺が噂だけで手を出せない、光一郎が解決するかもしれない、と考えていたが、俺の目の前でやられたら話は別だ。
「行かない、それと、光一郎は下手くそなんかじゃない」
いつも静かに投球をし、結果を出していたからかキャプテンは素直に引き下がった。それからスパイクに砂を入れられたり、バッティンググローブを汚されたりと小さな嫌がらせはあったものの、小さいころの俺にはそれ以上に得るものがあった。
かっちゃん、かっちゃんと慕ってくる光一郎に仄かな優越を感じていた。それを侵す者は誰であっても許すつもりは無かった。今となっては浅ましく、光一郎の気持ちを裏切っていた証拠に他ならない。忘れていたかった記憶の一つだ。
『青道高校薬師高校を破って決勝進出』
光一郎が、俺が負けた薬師を破って、決勝へ進んで。新聞に小さい文字列として並べてみると、こんなに簡単に表現できてしまう。そこには、そこに至るには、数えきれないほどの涙が流れているのに。自分の感傷でしかないと理解していても、涙腺が緩んでしまう。
携帯電話のディスプレイに映るメールの下書き、おめでとうの文字はどこか虚しく見えた。
本当にめでたいと思っているのか。本当は悔しくて羨ましくて、それに劣等感が滲んでいた。いままで追われていたならば、これからも追われる立場で、いつだって俺が光一郎を導いてやるんだという傲慢が少なからずあったことを、嫌と言うほど思い知らされた。
たぶん、本当の親友ならばここで真っ先に連絡を取っておめでとう、次も頑張れよと励ましてやるべきだということはなんとなくわかる。が、自分の小さなプライドがそれを邪魔する。いいなぁ、俺も、その舞台に立ちたかったなぁ、と羨む気持ちが一番に出てきてしまう。
あれだけ、人生を野球にささげてきても、差が出てしまう。あたりまえのことなのに、苦しくて仕方がない。まるで自分の選択が、努力が、一気にばかげたもののように見えてきてしまう。同じ夢を見て、同じ場所で夢がただの夢になってしまった仲間には言えるはずもない。最後の最後まで自分の背中を守ってくれた仲間に、そんなこと言うつもりもないが。
春のセンバツの時は、最高ではないが、まぁ悪くは無い成績を残したことで、光一郎と決勝で戦って、自分が選んだチームで、チームメイトたちと夢の舞台へ行くことへの確信すら抱いていた。
もう、遅いだろうしきっと光一郎も寝てしまった、夏の練習は厳しいだろうから、疲れているところを起こしてしまったらいけないと自分に言い聞かせて、下書きを破棄して携帯電話を閉じた。パコ、という間抜けな音ですらいまは神経を逆なでる。
夏大で負けてから、自宅から学校へ通う部員が増えた。大学進学の手段として、野球を選ばなかったチームメイトたちだ。朝起きて、食堂に行ったとき彼らが居ないとき、俺らの夏は終わったのだと再び実感する。食堂の外で、バットがボールを弾き返す快音が、グローブにボールが収まる音が、掛け声が、食事時に聞こえる。起きる時間だって遅い。終わりを実感するには十分すぎるだろう。
はたして、これから先の人生で俺は何度あの夏のことを思い出し、後悔するのだろう。負けたあと、テレビのインタビューなどで後悔はありません、と言う同学年の選手たちの気持ちが、同じ夢を見ていたからこそ、俺にはなんとなくわかる。彼らもまた、記憶にささくれを持ち、ふとしたときに思い出すが、試合後の高揚でまだ実感が湧いていないだけであのときああしておけば、と何度も繰り返すだろう。
後悔をしないのは、頂点に立ったチームのメンバーだけではないだろうか。それももう自分で確かめる手段は無い。俺らの夏はただの夢になってしまったのだから。
だからこそ、まだ可能性が残っている幼馴染に激励の言葉を贈るべきなのかもしれない。終わってしまった夢を託すようで気が引けるが、俺ができなかったこと、ネット越しか画面越しにしか見ることができなかったものを今度はお前が俺に話して聞かせてほしい。
あまり深く考えすぎても文面から重たい気持ちが伝わってしまうだろうから、試合頑張れよ、応援してる。とだけメールを送った。忙しかったら見ないだろうし。相手が好きなタイミングで確認できるメールが、いままではどこにいても繋がってしまうような気がして嫌だったが、この時ばかりは都合がいい。
返事は昼休みに来た。
『今日の夜、少しだけ電話できる?』
『好きな時間にかけてきて大丈夫、二十一時以降ならいつでも』
と返した。メールで、ありがとうだとか当たり障りのない返事が来ると思っていたので拍子抜けした。
もしかしたら、エースとして精神力が強くなったように見えていただけで、不安なのかもしれない。決勝という舞台を前にすくみ上ってしまっているのかもしれない。そんな光一郎に何ができるのか。もう舞台から降ろされた俺に、何ができるのか。
「青道で自分を変えたいんだ」
自信なさげに言うものの、はじめて光一郎が見せた強い意志にたじろぐ以外にできなかった。いままでと同じく、スカウトされた市大三高で野球をするものだと、考えていた。
やはり、光一郎も、ひとりの投手なのだ。自分の投球によってプレーが始まるポジション、ピッチャーの代表格であるエースを俺に預けている状況が、心のどこかで嫌だったのかもしれない。そんな光一郎の存在が、俺の心のどこかでチクリチクリと焦りを生んでいた。それが俺の強さになっていった、そう信じたい。
「かっちゃん」
「ひさしぶり」
マウンドで発する雄々しい声は鳴りを潜めて、控えめに囁かれたなつかしいあだ名に、なぜか安堵した。光一郎は、俺よりいい結果を残すことが確定しても、特別態度を変えたりするやつじゃない。光一郎の心根の優しさなんて俺が良く知っているはずなのに。そんな勘ぐりを声音に乗せないように、極めて冷静に返事をする。
「本当は、数日なんだけどね」
「俺らの人生のなかで、多分一番濃い時間だからなんだか長く感じるんだろな」
「うん、そんな気がする」
言葉を交わしたのは久しぶりだった。昔のままに気安く会話ができて安心した。
「かっちゃん、あのさ」
「なんだ」
「俺、エースとして、頑張ってるんだ」
「見てれば、わかる」
「よかった」
青道という、市大に劣らない野球の名門校で、競争率の高いピッチャー、そのトップであるエースの座を掴んだ光一郎は後輩たちをひっぱり、チームメイトに支えられ、名実ともにエースといっておかしくないのに、わざわざ部外者である俺に評価を委ねるのだろうか。
「何で俺に聞くんだよ」
「だって、かっちゃんはずっと俺にとって、あこがれだから」
「は?」
思わず強い口調で聞き返してしまった。電話口の向こうで息を飲む音がした。光一郎を委縮させたらいけないっていうのは長い付き合いだからわかっていたのに、聞き返さずにはいられなかった。
「だって」
そう光一郎が発した時、電話口の向こうが妙に騒がしくなった。カノジョか?!カノジョか???と口ぐちに言っているのが聞こえる。
「ごめん、切るね」
「おう」
電話は俺から切った。今や結果として俺を越えてしまった光一郎が、俺にあこがれていただなんて聞きたくなかった。大切な幼馴染のあこがれを綺麗なかたちで見せてあげたかった。なんて考えは傲慢なんだろうか。
◆
カノジョだカノジョだ、と騒ぐ奴らに発信履歴を見せて、やっと解放された。
これからもし、カノジョができたとしても、かっちゃんほど心を許せるかどうかわからない。弱い自分をさらけ出せるのは、信頼しているチームメイトにも言えないようなことを言えるのは、やっぱりかっちゃんなのかもしれない、と自分でも分かっている。そんなかっちゃんを乞える存在が、これから現れるとは、今のところ思えない。
自分の中だけで思っていればいいことを、思わず口走ってしまった。かっちゃんに、お前はよくやってるよ、と認められたかった。小学校、中学校、リトル、シニアとずっと俺の前を走って、俺が気弱なふるまいをしていじわるをされた時も、毅然としていじめっこへ立ち向かうかっちゃんはカッコよかった。ああなりたいと思わせるには十分すぎる、ヒーローだった。
でも、ヒーローに守られたままじゃ、俺はずっとかっちゃんの二番手。かっちゃんと肩を並べられるようには到底なれないだろう。俺はかっちゃんの背中を見ているんじゃなく、隣に立って、いつかは、追い抜いていきたい。
あんな強い口調のかっちゃんは久しぶりだ。小学校のとき、いじわるされたときに、嫌なことはちゃんと伝えろ!と怒られた時以来かもしれない。いや、シニアのとき、ミスを押し付けられそうになったとき、主張しろよ!と怒られたこともあった。嫌だったのかもしれない。急に、あこがれだなんて、負けてすぐ、気持ちの整理がついていないときに言われて。かっちゃんから嫌われてしまうことが怖くて、すぐメールで謝ろうと思ったが、たぶんかっちゃんのことだから、どうして謝るのか、なんて聞きそうだ。静かに、でも、強い目で「光一郎は、どうして俺に悪いことをした思ったんだ」って。
俺が、かっちゃんから嫌われたくなくて、なんて返したら呆れられてしまいそうだ。でも、今の俺にはかっちゃんが俺の近しいひとでなくなるのが怖いから、としか返せない。
悩んでいる間に、メールが来た。
『明日、頑張れ。早く寝ろよ』
もしかしたら、怒ってないのかもしれない。
今までぐちゃぐちゃ考えていたこと全部が吹き飛ばして、冷静さを取り戻す。俺は今、かっちゃんからも応援されている。
『ありがとう、頑張る おやすみ』
それだけの短いメールを送った。
本当は、これ以上やりようがないほど努力したから大丈夫なはずなのに不安で仕方ないって、言いたかった。中学の頃ならたぶん、夜遅くにかっちゃんの家に行って、懐中電灯でかっちゃんの部屋を照らして、降りてきてくれるのを待って言ってしまっていた。でも、もう俺はあのころとは違うから、かっちゃんの背中を追っているだけの、気弱な俺とは。
時間は十四時を回ったころだろうか、神宮球場に降り注ぐ全てを焼き尽くしてしまわんばかりの暑さが、マウンドの上の空気を焼く。
吸った酸素が熱い。御幸が構えるミットが黒々と鎮座するだけの空間に、バッターボックスに打者が入ることで崩される。ここまできたら、もうやることは一つ。自分ができることをする。それだけだ。
マウンドの上の光一郎が小さく見える。
決して頼りなくはないが、山岡からホームランを打たれたときの光一郎は、幼いころの弱気が顔を出した、そんな気がした。
平井への四球、御幸が三塁でさしてアウトをひとつ、梵への死球、神谷をサードファールフライで打ち取り、白河に四球で、ツーアウト満塁。自分がその状況下にいると想像するだけで血が凍りそうな緊張のなかに居る光一郎は、いま何を思って決勝のマウンドに居るのだろうか。
膝をついて、うずくまっている光一郎がテレビ中継に映し出された。
同じような目にあってしまったか、と息を飲んだが、続投するようだ。この気迫、上から目線であることは承知で、光一郎は強く、たくましく成長した。心配するチームメイトたちを制し、ニ、三度ボールを捏ね回して、御幸が構えるのを待っている。
だが、相手は原田。御幸の判断で、敬遠をするようだ。次の成宮で勝負ということか。
そして、選手交代。沢村へ。丹波の、甲子園にかける思いをすこしでも受け取ってくれただろうか。沢村のグローブにボールを押し込んで何やら言っている。信頼できる後輩に恵まれ、また沢村も光一郎を尊敬しているのだろう。沢村は素直に頷いて、光一郎の背中を見送った。
◆
マウンドの上で泣き崩れる川上を、どこか違う世界の出来事のように眺めていた。
喜び合う稲実のメンバーとは違う、俺に与えられた現実がじわじわ這い寄ってくる。それからどうやって寮にもどってきたか思い出せない。ただ茫然と、涙を流した。
高校に入ってから、初めてユニフォームを洗濯した。
泥は洗濯板で擦ってからじゃないと落ちないわよ、と何ともなさそうに言っている藤原は、冬の寒いときもこうして洗っていてくれたのだと思うと、また涙が目じりに滲んできてしまう。結果は、どんなに好ゲームだったとしても決勝敗退だ。藤原たちの献身に見合う結果を出せたのだろうか。
それに、いまはまだ深く考えることはできないが、この結果は確実に進路に影響するだろう。感傷に浸る暇もなく現実が押し寄せてくる。もう少しだけ、夢で終わってしまった夢に浸っていたい、それさえも許されないのか。自分たちもそうしてきたはずなのに、世代が交代してゆく。
練習が辛くて、自分を変えたいと思ったことは何度もある。けれど、はじめて、野球をしていることが苦しくなった。セレクションは一校だけ受けたが、練習に参加していない。あいつらにはまだ、甲子園に行ける可能性があって、俺にはない。単純な事実が重く胃に圧し掛かっているような気すらする。
このまえかっちゃんが言っていたとおり、時間の密度が違う。これから先の人生で、あれほどに没頭できる瞬間は来るのか、と考えて急に恐ろしくなった。夢が断たれるまでは楽しみでしょうがなかった明日が、将来が、叫びだしたいほど恐ろしいものになってしまうとは、あのときの自分は考えもしなかった。
遠慮がちに震えた携帯電話が、メールの受信を伝える。実家の親だったら電話をしてくるだろうし、誰がこのタイミングでメールをしてくるのだろう。
『光一郎、明日暇か? 市大の三年で江ノ島に行こうかって話をしているんだけど』
『うん 行く』
敗戦の傷をなめ合うわけでもなく、ただ、用件のみのメール。それが今は心地よい。
『わかった。じゃあ、10時ぐらいに町田まで来て』
OKの絵文字を送った。ひとつ予定ができるだけで、自分がこれから過ごす時間に区切りが生まれて、見通しが立つような気がする。明日、時間が有ったら参考書でも見てこよう。
朝方の混んでいる中央線上りには、部活に行くのだろう、重そうな用具を持った高校生がちらほら乗っていた。これからは自分たちの時代だ、と意気込んでいる姿がいまはまだ純粋に応援だけしていられない。ぼんやりと電車に乗っていると、いろいろな所にまで考えが及んでしまう。稲実の決勝は、今日。山岡は、原田は、と自分から長打を打った打者のことや、四球を選んだ打者などのこと。俺になくて、あいつにはあったものをもつ、成宮のこと。新宿を乗り過ごしそうになってあわてて小田急線に乗り換える。これで町田まで行ってしまえば、ここまで暗い気持ちになることもないんじゃないか、そんな淡い期待を胸に、電車の揺れに身体を任せた。
「わっ!丹波だ!おはよー!」
「丹波ー!でかいからわかりやすいな、た!ん!ばー!」
顔はよく知っているが名前を知らない、かっちゃんのチームメイトを紹介してもらった。深い付き合いではなかったのに、自然に会話を続けることができる。根がいいひと達ばかりなんだろう。俺もかっちゃんも、チームメイトに恵まれたのだと思うと、俺まで嬉しくなる。
「ほんとは、断られると思ってた」
「え?」
窓の外にちらほら海が見えるようになってきてから、かっちゃんは何でもなさそうにつぶやいた。
「俺らが中学最後の試合の後、光一郎泣いて泣いて」
「そ、それは中学の時の話じゃん」
「そうだな、すごかったよ、決勝でのピッチング」
「あ、ありがと」
かっちゃんはなぜか嬉しそうに唇の端を上げて窓の外に視線を逸らした。
「そういうところも」
「え?」
「前までの光一郎だったら、そんなことないよ、とかかっちゃんのほうが、とか言ってた」
「今まで一番良かった、って自分でも思ってるからかも」
「そっか」
よかった、と小さく囁くかっちゃんは、どこか脆く、後悔しているときの顔をしているような気がした。何も言えずに、かっちゃんがぼんやり見つめている海を一緒に眺めるふりをする以外、どうすればいいか選択肢すら思い浮かばなかった。
海にはしゃいでいる市大のみんなをぼんやり眺めながら、いろいろな話をした。すこしだけ生えてきた髪の毛が日に焼けてちくちく痛むのが気になって居たら、大前がさりげなく帽子をかぶせてくれた。
「お互い、悔いが残っちまったな」
このまま、野球を辞めたくない。それだけはかっちゃんも俺も、同じ気持ちだろう。
「そういえばさ、この前言ってたかっちゃんは俺の憧れ、って何」
茶化すときの顔をして、顔を覗き込んできたかっちゃんを軽く小突く。なにかうまいこと言って躱そうとしたが、語彙が追い付かない。それに、かっちゃんは俺がごまかそうとしたらわかってしまうだろう。
「あれはぁ、あのね」
「うん」
「言葉にしにくいなぁ……」
「ゆっくりでいいから、知りたい」
なんだか照れくさくて、かっちゃんの顔が見れない。
「ずっとね、背中ばっかり追いかけてたんだけど、ほんとは隣で、競いたかったんだ。近くに目指すハードルとか、こうなりたい!って目標が無かったら、俺はいまも弱虫のままだったと思うんだ」
黙って聞いてくれているかっちゃんの視線がチリチリ刺さるようで、顔が熱い。海にとびこんでしまいたい。し、とりとめがなくて分かりにくいと自分でも思う。俺らの夏は終わったとはいえ、まだ気温は三十度以上なのだから、暑くて当たり前だろう。
「だからさぁ……憧れなの」
「へ~ぇ」
口調はからかっている風だけれど、表情は優しくどこか照れている風でもある。長年そっとしまっておいた気持ちを馬鹿にされたら、と心の隅で疑っていたが、相手はかっちゃんだ。そんなことするはずがない。
「でもさ、結果として、光一郎の方がすごかったじゃん」
「そういう問題じゃないの」
釈然としない、といった表情で見てくるかっちゃんに、もうこの話は終わり、と言ってもなかなか解放してくれない。
「結果とかそういうんじゃないの、心の支えみたいなものなの」
これでほんとうに終わり!と言ってひざ下だけ海に入った。こんなに太陽が照りつけているのに、水は驚くほど冷たい。
「冷たくないか?」
「……冷たい」
「やっぱり」
沈黙ののち、かっちゃんは、そんな大層なものだったなんて、思いもしなかった。と呟いた。
「俺はさ、やっぱり心のどこかで光一郎が頼りないもの、って意識が抜けてなかったんだろうけど、全然そんなことなくて、でもなんでかな、それがなんとなく寂しい」
今までずっとかっちゃんの強い面しか見てこなかったぶん弱さを見せてくれるようになって、なんだかかっちゃんをもっと知れたような気がして、かっちゃんはきっと悩んでいるのに、なんとなく嬉しい。
「なに嬉しそうな顔してるんだよ」
「だって、なんか、初めて見た気がする。かっちゃんのそういうとこ」
「そうか?」
「そうだよ、ずっと、気を遣ってたのかもしれないけれど、弱いところ見たことなかったから、ずっと支えてくれていたから、今度は俺がなんとかできるかもしれないって」
「そっか、本当に、前とは違うんだな」
「う、うん、多分」
「そこはそうだよ!って断言するとこだろ」
そういうところは簡単に変わらないものなんだなぁ、って笑ってくれて安心した。かっちゃんが笑ってくれていると安心するのは多分小学生のころからずっとだから、今後も続いて行くような気がする。
「ねぇかっちゃん」
「なんだよ」
「これからもし、かっちゃんにカノジョができても、時々はこうして会ってね」
「何言ってるんだよ、あたりまえだろ?親友で幼馴染なんだ、どんなつまんない用事でもいい、繋がりはあるよ」
「そうだよね、安心した」
親友、という言葉にはどうにも胸が騒ぐ。こんなに信頼していて、大好きなのに、親友。親しい友達。じぶんの心の中のわだかまりは、そっとしまっておくべきのわだかまりだろう。俺は今まで、かっちゃんと競い合いたかったはずなのに、今はなんだろう。かっちゃんの何になりたいんだろうか。
「どうした、光一郎」
「ううん、なんでもない」
ほんとうになんでもないのか、と言うときの目が、この時ばかりは心苦しい。今までは、いじわるされてないか、とか、本当に辛くないのか、嫌じゃないのか、っていうときの目だった。けれど今は違うように感じる。かっちゃんは、俺の思ってること全部知っていて、浅ましい、俺は親友だと思っていたのに、軽蔑した。と言わんばかりの目をしているように見える。
「そっか、大前がかき氷食いたいって。お前もなんか食う?」
「うん、一緒に行く」
「だな」
「パピコ二人で分け合うとか、仲いいな」
「フツーそれカノジョとかとやるだろ」
何気ない一言が、じくりと刺さった。いつかかっちゃんが、カノジョと二人、分け合っていたら。
「そうか?俺いままでずっと光一郎と分けてたからカノジョとか想像つかない」
「へぇ~なんかいいなぁ、そういう信頼関係」
「だろ」
信頼が、今は嬉しい。
「どうした、なんか顔が怖いぞ」
「そうだぞー丹波ーお前ガタイ良いから表情暗くなるとめっちゃ怖いぞー」
「ご、ごめん」
「謝らなくてもいいだろー……チャーシューやるよ」
「俺はピーマンをやろう」
「大前、お前はピーマン嫌いなだけだろう、光一郎もピーマン嫌いだよ」
「もう大丈夫になったよ」
「偉いな丹波……こんなカッコいい幼馴染がずっといたんだろ丹波、こんなん惚れるよなぁ」
深いかかわりがあったわけではない人に見抜かれていて、ゾッとした。そんなにわかりやすかっただろうか。あいまいに流したけれど、流れてくれてよかった。確かにかっちゃんのことは大好きだけれど、どういう意味の好きなのか、自分でもよくわからないうちにさらけ出すことにならなくて安心した。
夕暮れの海は、皆の心のしみる何かがあるのだろう。
誰も何も言わずに佇んで、太陽が消え入るのをぼんやり眺めている。だれともなく、帰ろうか、と言って冷房が効いた電車にのそのそ乗った。片瀬江ノ島からの上り電車は思った以上に人が居なくて、感傷的になるにはもってこいの雰囲気だった。
「野球、したいなぁ」
「あぁ、またどこかで、戦ったり、一緒にプレーしたり、しようなぁ」
叶うか叶わないかは別にして、今だけは見えない未来に不確定の約束を投げ出していたい。ほんとはもっと、高校生として野球をしたかった。その思いだけは皆共通して持っているはずだ。
かっちゃんと、市大三のみんなは町田で降りていった。町田から新宿、新宿から国分寺まで一人で帰る。さっきまでが騒がしかったので寂しくて仕方がない。もう寄りかからないと決めたはずなのに、心のどこかでかっちゃん、と言っている気がする。
控えめに震えた携帯電話には、メール受信、かっちゃん。とある。そんなに都合の良いふうにできているのだろうか。
『さびしくてビービ―泣いてるんじゃないか』
『さびしかったけど、泣いてはない』
『そっか、うん、また今度、二人で会おうな』
『うん』
なんだか付き合っているみたいだ。
かっちゃんに大切に思われているってことが嬉しくて、信頼している人と会うことが楽しみで仕方がない。かっちゃんはやっぱりすごい、と一人合点する。
すっかり忘れるところだった受験の参考書を見て、家路につく。先輩たちが置いたままで卒業した参考書と同じものが欲しかったのでちょうどよかった。色とりどりの参考書の山が、なんとなく将来を考えなくちゃならないような気にさせてくる。
野球部の練習ばかりでところどころ赤点をとってしまった、わからないところがある。かっちゃん、とメールをすると間をおいて帰ってきた。
『ね、勉強会しようよ』
『いいじゃん、今週の土日、親出かけるし、勉強合宿だ』
『やった』
今までのかっちゃんちに泊まりに行くときの楽しみ、とはまた違う楽しみを感じている自分に驚いた。今までとは違う大好きのままでかっちゃんを見ているときのほうが、よかったのかもしれない。
根を詰めて受験勉強に向かってみると、同じ会場で、同じ問題を解いて結果を競わなければならないと思うと、青道の皆や、市大三の皆とまた、野球やろう、が随分遠く思えてしまう。大学に入らなくても、野球はできるじゃないか、と自分を甘やかす考えが出てきてしまう。
「光一郎は、何が苦手?」
「数学、公式は覚えてるはずなのに過去問になるとわからなくなる」
「うーん、昔、円の面積でもそんなこと言ってた気がする……公式を読んで覚えたつもりになってて実は基礎ができてないとか」
「かも……学校の問題集やりなおしてみる」
「だな」
「かっちゃんは苦手な科目ないの?」
「古文」
「いとをかし」
「うん、まぁ、えーと、そんな感じ……」
思ったことをすぐ口にして不思議がられてしまった。すっかり温くなった紅茶を一口飲んでまた問題に向かう。
◆
光一郎が何か言いたいときの話し方をしている。でかい図体を小さく丸めて、もくもくと数学の問題集にとりくむ姿は、中学のときと変わっていない。そのたびに俺の母親に背筋が曲がってる!と注意されていた気がする。
「かっちゃんは、不安じゃない?」
「何が」
「今まで、俺たちが野球をしてきた時間を勉強に費やしてきた人たちと、試験問題が一緒なんだよ?」
「野球と同じだよ、ウダウダ悩む前にやる」
「……やっぱり、かっちゃんはすごいや」
「すごくなんかない、光一郎よりすこしだけ屁理屈捏ねるのが上手いだけだよ」
「そういうんじゃない……」
塗装が剥げた何かのオマケのストラップをいじって、思考を纏めようとしている。
「俺は、お前が思ってるほどすごい人間じゃないよ」
自分から自分の価値を提示するのは勇気が要ることだけれど、仕方ない。光一郎が俺より高い目標を見るためには必要なことだろう。
「自分で、自分のことを見るのって勇気がいるし、後悔してるって口にするのも怖かったけれど、かっちゃんはそういうことができるじゃん、そこがすごい」
「……あぁ、そう?ありがとう」
熱弁されてしまい、しどろもどろに返すしかなかった。
集中していて気付かなかったが、そろそろ夕食の準備を考える時間になっていた。カレーの材料の買い置きと、サラダの材料の作り置きがあった気がする。栄養面を考えても、完璧ではないが、悪くもないだろう。
「光一郎は、じゃがいも剥いて」
指先には気をつけろと三度繰り返すと、素直に三度返事をしてくれた。具材を適当な大きさに切って、炒めて、ルーを入れればそれなりのものができる。それでもおいしいおいしいと食べる光一郎は、自分の掌のなかに居たような気がしていた光一郎と何一つ変わっていないような気がする。実際は、俺がそう思いたいだけで光一郎は、これからも俺の思い出の中の光一郎から変わってゆく。
過去にとらわれていて変われなかったのは、俺の方かもしれない。
食器を洗って、教科を変えてまた勉強。
俺も光一郎も単語を覚えるところから始める。光一郎が言っていたように、遅れをとっていることに間違いはない。が、焦って難しいものに取り組んでも時間がかかるばかりなので学校準拠のテキストからこなす。
「光一郎、先に風呂入って来いよ」
「風呂入ったらすぐ眠くなるから、かっちゃん先にして」
「わかった」
中学のころまでは、ガスがもったいないから二人で入っちゃいなさい、と入れられていた。精通の相談をされたときが一番困った思い出が甦ってきた。白いおしっこがでた、とぐずぐず泣く光一郎を一度ネタにしようとしたが、耳まで真赤になって、消え入りそうな声でごめん、と言わせてしまってから、そうもいかなくなった。
「上がったぞ、後は暗記にすればいいじゃん、入ってこいよ」
「うん」
今日一度も音を上げずに勉強していた。相当焦っているのだろう。上がったら、アイスあるぞと言うとすぐに席を立って風呂場に行った。消しカスを捨てて、勉強道具を片付けて暗記テキストをひっぱりだす。付箋や赤線だらけの単語帳をひとり眺めていると、焦りを感じる。やるしかない、とはわかっていても今まで野球しかしてこなかった自分が、などどマイナスのことばかり考えてしまう。光一郎には取りつく島もなく偉そうなことを言っておいてこれだ。光一郎が言う、すごい、がいつから辛くなってしまっていただろう。
「何味がいい?」
「イチゴ」
「うん、ほら」
「ありがと、かっちゃんはチョコミントでしょ」
「光一郎がキライなチョコミントだ」
「キライじゃないけど……辛い」
「わかったわかった、ほら、スプーンとって」
「うん」
一人ひとつのカップアイスが与えられるようになったのも中学を卒業してからだ。それまでは二人で一つ。それが当たり前だと思っていたが、世の中ではカノジョらと分け合うらしい。まだ恋愛のことは分からないけれど、光一郎ほど信頼して心許せる人に出会えるのか、と漠然と考える。ちまちまスプーンの先でアイスを掬う光一郎を横目に、光一郎に英単語帳を押し付ける。
「光一郎、歯ブラシ持ってきたか?」
「うん」
「えらい」
えへへ、随分可愛らしく笑う光一郎の頭を、いつもは高いところにあって届きようもない頭をショリ、ショリと独特の触感と音をたてて撫でる。
「随分生えてきたんだな」
「伸びたって言ってよ……」
「うんうん、伸びた。決勝戦のときはツルッツルだったな」
「うん」
こんなところでも時間の経過を実感してしまって嫌になる。布団を敷きに行こう、と促して和室に二つ布団を敷く。シーツを敷くときいつもシーツを高く放り投げて下に入って、遊んでいた。一度電灯にひっかかってからはしなくなった。
「電気消すぞ」
「うん」
「ちっちゃい電球つけておくか?」
「大丈夫」
「へぇ~……」
「もう、高校三年生だよ」
「だな」
大人しく布団にもぐりこんだ光一郎を見て、暗いところ狭いところ、怖いところが多かった光一郎もいなくなった、と自分に言い聞かせた。
「でもね、かっちゃん」
「何だ?」
「どんなに、いろんなことができるようになっても、見る世界が広くなってもね、俺はかっちゃんのこと、一番大切」
どんな顔で言っているのか、見たいようで、見たくない。冗談ぽく言っているのか、それとも真面目な顔しているのか、知ってしまったらいけないような気がした。布団の上からやさしく肩をなでで、おやすみ、とだけ言った。
溶き卵をご飯にかけて、醤油を適量。
調理という調理ができないのと、面倒なのを解決してくれる。昨日のことが気になって寝付きが悪かった。当の光一郎は醤油をいれすぎたらしく、顔を顰めながら食べている。確かに、この、親でも兄弟でもないのに、大切で、大好きなものを言葉にするとしたら、大切、という言葉が一番合っているような気がする。
「じゃあ、ありがとねかっちゃん」
「うん、また来いよ」
「うん、おばさんにもよろしく」
「わかった」
光一郎は、チームメイトのもとに帰っていった。少しだけ広くなったような気がする自室に一人、何気なく辞書で大切、と引いてみる。もっとも重要で、重んじられるさま。小難しいことを書いてあるが、俺が今まで光一郎に抱いている感情をさすのだろう。きっと。
この気持ちは変わっていない。何が変わっても、これが変わらなければいい。辞書を二人分の布団の上に放り投げて、大切、と口に出してみる。照れくささと、なにかを手放してしまったような焦りがジワリと染み入る。
今度は光一郎とキャッチボールでもしよう。その頃には俺たちの夢は思い出になっているだろうから、僻んだり、感傷的になったりすることもないだろう。
===
多分再録だけど発行年不明
「かっちゃん、待って!」
もたもたと靴ひもを結ぶ光一郎が、いまでも記憶の片隅に残っている。
「要、行こうぜ」
「あいつ、いっつもとろいな」
「下手くそだし」
聞こえるように言ったのだろう、光一郎は肩を震わせて靴ひもをいじったまま顔を上げようとしない。周りより抜きん出て上手く、父はコーチ、母は父母会長。そんなキャプテンは親の威光を存分に利用して、光一郎に嫌味を言っているらしい、ということは人づてに聞いていた。その時は俺が噂だけで手を出せない、光一郎が解決するかもしれない、と考えていたが、俺の目の前でやられたら話は別だ。
「行かない、それと、光一郎は下手くそなんかじゃない」
いつも静かに投球をし、結果を出していたからかキャプテンは素直に引き下がった。それからスパイクに砂を入れられたり、バッティンググローブを汚されたりと小さな嫌がらせはあったものの、小さいころの俺にはそれ以上に得るものがあった。
かっちゃん、かっちゃんと慕ってくる光一郎に仄かな優越を感じていた。それを侵す者は誰であっても許すつもりは無かった。今となっては浅ましく、光一郎の気持ちを裏切っていた証拠に他ならない。忘れていたかった記憶の一つだ。
『青道高校薬師高校を破って決勝進出』
光一郎が、俺が負けた薬師を破って、決勝へ進んで。新聞に小さい文字列として並べてみると、こんなに簡単に表現できてしまう。そこには、そこに至るには、数えきれないほどの涙が流れているのに。自分の感傷でしかないと理解していても、涙腺が緩んでしまう。
携帯電話のディスプレイに映るメールの下書き、おめでとうの文字はどこか虚しく見えた。
本当にめでたいと思っているのか。本当は悔しくて羨ましくて、それに劣等感が滲んでいた。いままで追われていたならば、これからも追われる立場で、いつだって俺が光一郎を導いてやるんだという傲慢が少なからずあったことを、嫌と言うほど思い知らされた。
たぶん、本当の親友ならばここで真っ先に連絡を取っておめでとう、次も頑張れよと励ましてやるべきだということはなんとなくわかる。が、自分の小さなプライドがそれを邪魔する。いいなぁ、俺も、その舞台に立ちたかったなぁ、と羨む気持ちが一番に出てきてしまう。
あれだけ、人生を野球にささげてきても、差が出てしまう。あたりまえのことなのに、苦しくて仕方がない。まるで自分の選択が、努力が、一気にばかげたもののように見えてきてしまう。同じ夢を見て、同じ場所で夢がただの夢になってしまった仲間には言えるはずもない。最後の最後まで自分の背中を守ってくれた仲間に、そんなこと言うつもりもないが。
春のセンバツの時は、最高ではないが、まぁ悪くは無い成績を残したことで、光一郎と決勝で戦って、自分が選んだチームで、チームメイトたちと夢の舞台へ行くことへの確信すら抱いていた。
もう、遅いだろうしきっと光一郎も寝てしまった、夏の練習は厳しいだろうから、疲れているところを起こしてしまったらいけないと自分に言い聞かせて、下書きを破棄して携帯電話を閉じた。パコ、という間抜けな音ですらいまは神経を逆なでる。
夏大で負けてから、自宅から学校へ通う部員が増えた。大学進学の手段として、野球を選ばなかったチームメイトたちだ。朝起きて、食堂に行ったとき彼らが居ないとき、俺らの夏は終わったのだと再び実感する。食堂の外で、バットがボールを弾き返す快音が、グローブにボールが収まる音が、掛け声が、食事時に聞こえる。起きる時間だって遅い。終わりを実感するには十分すぎるだろう。
はたして、これから先の人生で俺は何度あの夏のことを思い出し、後悔するのだろう。負けたあと、テレビのインタビューなどで後悔はありません、と言う同学年の選手たちの気持ちが、同じ夢を見ていたからこそ、俺にはなんとなくわかる。彼らもまた、記憶にささくれを持ち、ふとしたときに思い出すが、試合後の高揚でまだ実感が湧いていないだけであのときああしておけば、と何度も繰り返すだろう。
後悔をしないのは、頂点に立ったチームのメンバーだけではないだろうか。それももう自分で確かめる手段は無い。俺らの夏はただの夢になってしまったのだから。
だからこそ、まだ可能性が残っている幼馴染に激励の言葉を贈るべきなのかもしれない。終わってしまった夢を託すようで気が引けるが、俺ができなかったこと、ネット越しか画面越しにしか見ることができなかったものを今度はお前が俺に話して聞かせてほしい。
あまり深く考えすぎても文面から重たい気持ちが伝わってしまうだろうから、試合頑張れよ、応援してる。とだけメールを送った。忙しかったら見ないだろうし。相手が好きなタイミングで確認できるメールが、いままではどこにいても繋がってしまうような気がして嫌だったが、この時ばかりは都合がいい。
返事は昼休みに来た。
『今日の夜、少しだけ電話できる?』
『好きな時間にかけてきて大丈夫、二十一時以降ならいつでも』
と返した。メールで、ありがとうだとか当たり障りのない返事が来ると思っていたので拍子抜けした。
もしかしたら、エースとして精神力が強くなったように見えていただけで、不安なのかもしれない。決勝という舞台を前にすくみ上ってしまっているのかもしれない。そんな光一郎に何ができるのか。もう舞台から降ろされた俺に、何ができるのか。
「青道で自分を変えたいんだ」
自信なさげに言うものの、はじめて光一郎が見せた強い意志にたじろぐ以外にできなかった。いままでと同じく、スカウトされた市大三高で野球をするものだと、考えていた。
やはり、光一郎も、ひとりの投手なのだ。自分の投球によってプレーが始まるポジション、ピッチャーの代表格であるエースを俺に預けている状況が、心のどこかで嫌だったのかもしれない。そんな光一郎の存在が、俺の心のどこかでチクリチクリと焦りを生んでいた。それが俺の強さになっていった、そう信じたい。
「かっちゃん」
「ひさしぶり」
マウンドで発する雄々しい声は鳴りを潜めて、控えめに囁かれたなつかしいあだ名に、なぜか安堵した。光一郎は、俺よりいい結果を残すことが確定しても、特別態度を変えたりするやつじゃない。光一郎の心根の優しさなんて俺が良く知っているはずなのに。そんな勘ぐりを声音に乗せないように、極めて冷静に返事をする。
「本当は、数日なんだけどね」
「俺らの人生のなかで、多分一番濃い時間だからなんだか長く感じるんだろな」
「うん、そんな気がする」
言葉を交わしたのは久しぶりだった。昔のままに気安く会話ができて安心した。
「かっちゃん、あのさ」
「なんだ」
「俺、エースとして、頑張ってるんだ」
「見てれば、わかる」
「よかった」
青道という、市大に劣らない野球の名門校で、競争率の高いピッチャー、そのトップであるエースの座を掴んだ光一郎は後輩たちをひっぱり、チームメイトに支えられ、名実ともにエースといっておかしくないのに、わざわざ部外者である俺に評価を委ねるのだろうか。
「何で俺に聞くんだよ」
「だって、かっちゃんはずっと俺にとって、あこがれだから」
「は?」
思わず強い口調で聞き返してしまった。電話口の向こうで息を飲む音がした。光一郎を委縮させたらいけないっていうのは長い付き合いだからわかっていたのに、聞き返さずにはいられなかった。
「だって」
そう光一郎が発した時、電話口の向こうが妙に騒がしくなった。カノジョか?!カノジョか???と口ぐちに言っているのが聞こえる。
「ごめん、切るね」
「おう」
電話は俺から切った。今や結果として俺を越えてしまった光一郎が、俺にあこがれていただなんて聞きたくなかった。大切な幼馴染のあこがれを綺麗なかたちで見せてあげたかった。なんて考えは傲慢なんだろうか。
◆
カノジョだカノジョだ、と騒ぐ奴らに発信履歴を見せて、やっと解放された。
これからもし、カノジョができたとしても、かっちゃんほど心を許せるかどうかわからない。弱い自分をさらけ出せるのは、信頼しているチームメイトにも言えないようなことを言えるのは、やっぱりかっちゃんなのかもしれない、と自分でも分かっている。そんなかっちゃんを乞える存在が、これから現れるとは、今のところ思えない。
自分の中だけで思っていればいいことを、思わず口走ってしまった。かっちゃんに、お前はよくやってるよ、と認められたかった。小学校、中学校、リトル、シニアとずっと俺の前を走って、俺が気弱なふるまいをしていじわるをされた時も、毅然としていじめっこへ立ち向かうかっちゃんはカッコよかった。ああなりたいと思わせるには十分すぎる、ヒーローだった。
でも、ヒーローに守られたままじゃ、俺はずっとかっちゃんの二番手。かっちゃんと肩を並べられるようには到底なれないだろう。俺はかっちゃんの背中を見ているんじゃなく、隣に立って、いつかは、追い抜いていきたい。
あんな強い口調のかっちゃんは久しぶりだ。小学校のとき、いじわるされたときに、嫌なことはちゃんと伝えろ!と怒られた時以来かもしれない。いや、シニアのとき、ミスを押し付けられそうになったとき、主張しろよ!と怒られたこともあった。嫌だったのかもしれない。急に、あこがれだなんて、負けてすぐ、気持ちの整理がついていないときに言われて。かっちゃんから嫌われてしまうことが怖くて、すぐメールで謝ろうと思ったが、たぶんかっちゃんのことだから、どうして謝るのか、なんて聞きそうだ。静かに、でも、強い目で「光一郎は、どうして俺に悪いことをした思ったんだ」って。
俺が、かっちゃんから嫌われたくなくて、なんて返したら呆れられてしまいそうだ。でも、今の俺にはかっちゃんが俺の近しいひとでなくなるのが怖いから、としか返せない。
悩んでいる間に、メールが来た。
『明日、頑張れ。早く寝ろよ』
もしかしたら、怒ってないのかもしれない。
今までぐちゃぐちゃ考えていたこと全部が吹き飛ばして、冷静さを取り戻す。俺は今、かっちゃんからも応援されている。
『ありがとう、頑張る おやすみ』
それだけの短いメールを送った。
本当は、これ以上やりようがないほど努力したから大丈夫なはずなのに不安で仕方ないって、言いたかった。中学の頃ならたぶん、夜遅くにかっちゃんの家に行って、懐中電灯でかっちゃんの部屋を照らして、降りてきてくれるのを待って言ってしまっていた。でも、もう俺はあのころとは違うから、かっちゃんの背中を追っているだけの、気弱な俺とは。
時間は十四時を回ったころだろうか、神宮球場に降り注ぐ全てを焼き尽くしてしまわんばかりの暑さが、マウンドの上の空気を焼く。
吸った酸素が熱い。御幸が構えるミットが黒々と鎮座するだけの空間に、バッターボックスに打者が入ることで崩される。ここまできたら、もうやることは一つ。自分ができることをする。それだけだ。
マウンドの上の光一郎が小さく見える。
決して頼りなくはないが、山岡からホームランを打たれたときの光一郎は、幼いころの弱気が顔を出した、そんな気がした。
平井への四球、御幸が三塁でさしてアウトをひとつ、梵への死球、神谷をサードファールフライで打ち取り、白河に四球で、ツーアウト満塁。自分がその状況下にいると想像するだけで血が凍りそうな緊張のなかに居る光一郎は、いま何を思って決勝のマウンドに居るのだろうか。
膝をついて、うずくまっている光一郎がテレビ中継に映し出された。
同じような目にあってしまったか、と息を飲んだが、続投するようだ。この気迫、上から目線であることは承知で、光一郎は強く、たくましく成長した。心配するチームメイトたちを制し、ニ、三度ボールを捏ね回して、御幸が構えるのを待っている。
だが、相手は原田。御幸の判断で、敬遠をするようだ。次の成宮で勝負ということか。
そして、選手交代。沢村へ。丹波の、甲子園にかける思いをすこしでも受け取ってくれただろうか。沢村のグローブにボールを押し込んで何やら言っている。信頼できる後輩に恵まれ、また沢村も光一郎を尊敬しているのだろう。沢村は素直に頷いて、光一郎の背中を見送った。
◆
マウンドの上で泣き崩れる川上を、どこか違う世界の出来事のように眺めていた。
喜び合う稲実のメンバーとは違う、俺に与えられた現実がじわじわ這い寄ってくる。それからどうやって寮にもどってきたか思い出せない。ただ茫然と、涙を流した。
高校に入ってから、初めてユニフォームを洗濯した。
泥は洗濯板で擦ってからじゃないと落ちないわよ、と何ともなさそうに言っている藤原は、冬の寒いときもこうして洗っていてくれたのだと思うと、また涙が目じりに滲んできてしまう。結果は、どんなに好ゲームだったとしても決勝敗退だ。藤原たちの献身に見合う結果を出せたのだろうか。
それに、いまはまだ深く考えることはできないが、この結果は確実に進路に影響するだろう。感傷に浸る暇もなく現実が押し寄せてくる。もう少しだけ、夢で終わってしまった夢に浸っていたい、それさえも許されないのか。自分たちもそうしてきたはずなのに、世代が交代してゆく。
練習が辛くて、自分を変えたいと思ったことは何度もある。けれど、はじめて、野球をしていることが苦しくなった。セレクションは一校だけ受けたが、練習に参加していない。あいつらにはまだ、甲子園に行ける可能性があって、俺にはない。単純な事実が重く胃に圧し掛かっているような気すらする。
このまえかっちゃんが言っていたとおり、時間の密度が違う。これから先の人生で、あれほどに没頭できる瞬間は来るのか、と考えて急に恐ろしくなった。夢が断たれるまでは楽しみでしょうがなかった明日が、将来が、叫びだしたいほど恐ろしいものになってしまうとは、あのときの自分は考えもしなかった。
遠慮がちに震えた携帯電話が、メールの受信を伝える。実家の親だったら電話をしてくるだろうし、誰がこのタイミングでメールをしてくるのだろう。
『光一郎、明日暇か? 市大の三年で江ノ島に行こうかって話をしているんだけど』
『うん 行く』
敗戦の傷をなめ合うわけでもなく、ただ、用件のみのメール。それが今は心地よい。
『わかった。じゃあ、10時ぐらいに町田まで来て』
OKの絵文字を送った。ひとつ予定ができるだけで、自分がこれから過ごす時間に区切りが生まれて、見通しが立つような気がする。明日、時間が有ったら参考書でも見てこよう。
朝方の混んでいる中央線上りには、部活に行くのだろう、重そうな用具を持った高校生がちらほら乗っていた。これからは自分たちの時代だ、と意気込んでいる姿がいまはまだ純粋に応援だけしていられない。ぼんやりと電車に乗っていると、いろいろな所にまで考えが及んでしまう。稲実の決勝は、今日。山岡は、原田は、と自分から長打を打った打者のことや、四球を選んだ打者などのこと。俺になくて、あいつにはあったものをもつ、成宮のこと。新宿を乗り過ごしそうになってあわてて小田急線に乗り換える。これで町田まで行ってしまえば、ここまで暗い気持ちになることもないんじゃないか、そんな淡い期待を胸に、電車の揺れに身体を任せた。
「わっ!丹波だ!おはよー!」
「丹波ー!でかいからわかりやすいな、た!ん!ばー!」
顔はよく知っているが名前を知らない、かっちゃんのチームメイトを紹介してもらった。深い付き合いではなかったのに、自然に会話を続けることができる。根がいいひと達ばかりなんだろう。俺もかっちゃんも、チームメイトに恵まれたのだと思うと、俺まで嬉しくなる。
「ほんとは、断られると思ってた」
「え?」
窓の外にちらほら海が見えるようになってきてから、かっちゃんは何でもなさそうにつぶやいた。
「俺らが中学最後の試合の後、光一郎泣いて泣いて」
「そ、それは中学の時の話じゃん」
「そうだな、すごかったよ、決勝でのピッチング」
「あ、ありがと」
かっちゃんはなぜか嬉しそうに唇の端を上げて窓の外に視線を逸らした。
「そういうところも」
「え?」
「前までの光一郎だったら、そんなことないよ、とかかっちゃんのほうが、とか言ってた」
「今まで一番良かった、って自分でも思ってるからかも」
「そっか」
よかった、と小さく囁くかっちゃんは、どこか脆く、後悔しているときの顔をしているような気がした。何も言えずに、かっちゃんがぼんやり見つめている海を一緒に眺めるふりをする以外、どうすればいいか選択肢すら思い浮かばなかった。
海にはしゃいでいる市大のみんなをぼんやり眺めながら、いろいろな話をした。すこしだけ生えてきた髪の毛が日に焼けてちくちく痛むのが気になって居たら、大前がさりげなく帽子をかぶせてくれた。
「お互い、悔いが残っちまったな」
このまま、野球を辞めたくない。それだけはかっちゃんも俺も、同じ気持ちだろう。
「そういえばさ、この前言ってたかっちゃんは俺の憧れ、って何」
茶化すときの顔をして、顔を覗き込んできたかっちゃんを軽く小突く。なにかうまいこと言って躱そうとしたが、語彙が追い付かない。それに、かっちゃんは俺がごまかそうとしたらわかってしまうだろう。
「あれはぁ、あのね」
「うん」
「言葉にしにくいなぁ……」
「ゆっくりでいいから、知りたい」
なんだか照れくさくて、かっちゃんの顔が見れない。
「ずっとね、背中ばっかり追いかけてたんだけど、ほんとは隣で、競いたかったんだ。近くに目指すハードルとか、こうなりたい!って目標が無かったら、俺はいまも弱虫のままだったと思うんだ」
黙って聞いてくれているかっちゃんの視線がチリチリ刺さるようで、顔が熱い。海にとびこんでしまいたい。し、とりとめがなくて分かりにくいと自分でも思う。俺らの夏は終わったとはいえ、まだ気温は三十度以上なのだから、暑くて当たり前だろう。
「だからさぁ……憧れなの」
「へ~ぇ」
口調はからかっている風だけれど、表情は優しくどこか照れている風でもある。長年そっとしまっておいた気持ちを馬鹿にされたら、と心の隅で疑っていたが、相手はかっちゃんだ。そんなことするはずがない。
「でもさ、結果として、光一郎の方がすごかったじゃん」
「そういう問題じゃないの」
釈然としない、といった表情で見てくるかっちゃんに、もうこの話は終わり、と言ってもなかなか解放してくれない。
「結果とかそういうんじゃないの、心の支えみたいなものなの」
これでほんとうに終わり!と言ってひざ下だけ海に入った。こんなに太陽が照りつけているのに、水は驚くほど冷たい。
「冷たくないか?」
「……冷たい」
「やっぱり」
沈黙ののち、かっちゃんは、そんな大層なものだったなんて、思いもしなかった。と呟いた。
「俺はさ、やっぱり心のどこかで光一郎が頼りないもの、って意識が抜けてなかったんだろうけど、全然そんなことなくて、でもなんでかな、それがなんとなく寂しい」
今までずっとかっちゃんの強い面しか見てこなかったぶん弱さを見せてくれるようになって、なんだかかっちゃんをもっと知れたような気がして、かっちゃんはきっと悩んでいるのに、なんとなく嬉しい。
「なに嬉しそうな顔してるんだよ」
「だって、なんか、初めて見た気がする。かっちゃんのそういうとこ」
「そうか?」
「そうだよ、ずっと、気を遣ってたのかもしれないけれど、弱いところ見たことなかったから、ずっと支えてくれていたから、今度は俺がなんとかできるかもしれないって」
「そっか、本当に、前とは違うんだな」
「う、うん、多分」
「そこはそうだよ!って断言するとこだろ」
そういうところは簡単に変わらないものなんだなぁ、って笑ってくれて安心した。かっちゃんが笑ってくれていると安心するのは多分小学生のころからずっとだから、今後も続いて行くような気がする。
「ねぇかっちゃん」
「なんだよ」
「これからもし、かっちゃんにカノジョができても、時々はこうして会ってね」
「何言ってるんだよ、あたりまえだろ?親友で幼馴染なんだ、どんなつまんない用事でもいい、繋がりはあるよ」
「そうだよね、安心した」
親友、という言葉にはどうにも胸が騒ぐ。こんなに信頼していて、大好きなのに、親友。親しい友達。じぶんの心の中のわだかまりは、そっとしまっておくべきのわだかまりだろう。俺は今まで、かっちゃんと競い合いたかったはずなのに、今はなんだろう。かっちゃんの何になりたいんだろうか。
「どうした、光一郎」
「ううん、なんでもない」
ほんとうになんでもないのか、と言うときの目が、この時ばかりは心苦しい。今までは、いじわるされてないか、とか、本当に辛くないのか、嫌じゃないのか、っていうときの目だった。けれど今は違うように感じる。かっちゃんは、俺の思ってること全部知っていて、浅ましい、俺は親友だと思っていたのに、軽蔑した。と言わんばかりの目をしているように見える。
「そっか、大前がかき氷食いたいって。お前もなんか食う?」
「うん、一緒に行く」
「だな」
「パピコ二人で分け合うとか、仲いいな」
「フツーそれカノジョとかとやるだろ」
何気ない一言が、じくりと刺さった。いつかかっちゃんが、カノジョと二人、分け合っていたら。
「そうか?俺いままでずっと光一郎と分けてたからカノジョとか想像つかない」
「へぇ~なんかいいなぁ、そういう信頼関係」
「だろ」
信頼が、今は嬉しい。
「どうした、なんか顔が怖いぞ」
「そうだぞー丹波ーお前ガタイ良いから表情暗くなるとめっちゃ怖いぞー」
「ご、ごめん」
「謝らなくてもいいだろー……チャーシューやるよ」
「俺はピーマンをやろう」
「大前、お前はピーマン嫌いなだけだろう、光一郎もピーマン嫌いだよ」
「もう大丈夫になったよ」
「偉いな丹波……こんなカッコいい幼馴染がずっといたんだろ丹波、こんなん惚れるよなぁ」
深いかかわりがあったわけではない人に見抜かれていて、ゾッとした。そんなにわかりやすかっただろうか。あいまいに流したけれど、流れてくれてよかった。確かにかっちゃんのことは大好きだけれど、どういう意味の好きなのか、自分でもよくわからないうちにさらけ出すことにならなくて安心した。
夕暮れの海は、皆の心のしみる何かがあるのだろう。
誰も何も言わずに佇んで、太陽が消え入るのをぼんやり眺めている。だれともなく、帰ろうか、と言って冷房が効いた電車にのそのそ乗った。片瀬江ノ島からの上り電車は思った以上に人が居なくて、感傷的になるにはもってこいの雰囲気だった。
「野球、したいなぁ」
「あぁ、またどこかで、戦ったり、一緒にプレーしたり、しようなぁ」
叶うか叶わないかは別にして、今だけは見えない未来に不確定の約束を投げ出していたい。ほんとはもっと、高校生として野球をしたかった。その思いだけは皆共通して持っているはずだ。
かっちゃんと、市大三のみんなは町田で降りていった。町田から新宿、新宿から国分寺まで一人で帰る。さっきまでが騒がしかったので寂しくて仕方がない。もう寄りかからないと決めたはずなのに、心のどこかでかっちゃん、と言っている気がする。
控えめに震えた携帯電話には、メール受信、かっちゃん。とある。そんなに都合の良いふうにできているのだろうか。
『さびしくてビービ―泣いてるんじゃないか』
『さびしかったけど、泣いてはない』
『そっか、うん、また今度、二人で会おうな』
『うん』
なんだか付き合っているみたいだ。
かっちゃんに大切に思われているってことが嬉しくて、信頼している人と会うことが楽しみで仕方がない。かっちゃんはやっぱりすごい、と一人合点する。
すっかり忘れるところだった受験の参考書を見て、家路につく。先輩たちが置いたままで卒業した参考書と同じものが欲しかったのでちょうどよかった。色とりどりの参考書の山が、なんとなく将来を考えなくちゃならないような気にさせてくる。
野球部の練習ばかりでところどころ赤点をとってしまった、わからないところがある。かっちゃん、とメールをすると間をおいて帰ってきた。
『ね、勉強会しようよ』
『いいじゃん、今週の土日、親出かけるし、勉強合宿だ』
『やった』
今までのかっちゃんちに泊まりに行くときの楽しみ、とはまた違う楽しみを感じている自分に驚いた。今までとは違う大好きのままでかっちゃんを見ているときのほうが、よかったのかもしれない。
根を詰めて受験勉強に向かってみると、同じ会場で、同じ問題を解いて結果を競わなければならないと思うと、青道の皆や、市大三の皆とまた、野球やろう、が随分遠く思えてしまう。大学に入らなくても、野球はできるじゃないか、と自分を甘やかす考えが出てきてしまう。
「光一郎は、何が苦手?」
「数学、公式は覚えてるはずなのに過去問になるとわからなくなる」
「うーん、昔、円の面積でもそんなこと言ってた気がする……公式を読んで覚えたつもりになってて実は基礎ができてないとか」
「かも……学校の問題集やりなおしてみる」
「だな」
「かっちゃんは苦手な科目ないの?」
「古文」
「いとをかし」
「うん、まぁ、えーと、そんな感じ……」
思ったことをすぐ口にして不思議がられてしまった。すっかり温くなった紅茶を一口飲んでまた問題に向かう。
◆
光一郎が何か言いたいときの話し方をしている。でかい図体を小さく丸めて、もくもくと数学の問題集にとりくむ姿は、中学のときと変わっていない。そのたびに俺の母親に背筋が曲がってる!と注意されていた気がする。
「かっちゃんは、不安じゃない?」
「何が」
「今まで、俺たちが野球をしてきた時間を勉強に費やしてきた人たちと、試験問題が一緒なんだよ?」
「野球と同じだよ、ウダウダ悩む前にやる」
「……やっぱり、かっちゃんはすごいや」
「すごくなんかない、光一郎よりすこしだけ屁理屈捏ねるのが上手いだけだよ」
「そういうんじゃない……」
塗装が剥げた何かのオマケのストラップをいじって、思考を纏めようとしている。
「俺は、お前が思ってるほどすごい人間じゃないよ」
自分から自分の価値を提示するのは勇気が要ることだけれど、仕方ない。光一郎が俺より高い目標を見るためには必要なことだろう。
「自分で、自分のことを見るのって勇気がいるし、後悔してるって口にするのも怖かったけれど、かっちゃんはそういうことができるじゃん、そこがすごい」
「……あぁ、そう?ありがとう」
熱弁されてしまい、しどろもどろに返すしかなかった。
集中していて気付かなかったが、そろそろ夕食の準備を考える時間になっていた。カレーの材料の買い置きと、サラダの材料の作り置きがあった気がする。栄養面を考えても、完璧ではないが、悪くもないだろう。
「光一郎は、じゃがいも剥いて」
指先には気をつけろと三度繰り返すと、素直に三度返事をしてくれた。具材を適当な大きさに切って、炒めて、ルーを入れればそれなりのものができる。それでもおいしいおいしいと食べる光一郎は、自分の掌のなかに居たような気がしていた光一郎と何一つ変わっていないような気がする。実際は、俺がそう思いたいだけで光一郎は、これからも俺の思い出の中の光一郎から変わってゆく。
過去にとらわれていて変われなかったのは、俺の方かもしれない。
食器を洗って、教科を変えてまた勉強。
俺も光一郎も単語を覚えるところから始める。光一郎が言っていたように、遅れをとっていることに間違いはない。が、焦って難しいものに取り組んでも時間がかかるばかりなので学校準拠のテキストからこなす。
「光一郎、先に風呂入って来いよ」
「風呂入ったらすぐ眠くなるから、かっちゃん先にして」
「わかった」
中学のころまでは、ガスがもったいないから二人で入っちゃいなさい、と入れられていた。精通の相談をされたときが一番困った思い出が甦ってきた。白いおしっこがでた、とぐずぐず泣く光一郎を一度ネタにしようとしたが、耳まで真赤になって、消え入りそうな声でごめん、と言わせてしまってから、そうもいかなくなった。
「上がったぞ、後は暗記にすればいいじゃん、入ってこいよ」
「うん」
今日一度も音を上げずに勉強していた。相当焦っているのだろう。上がったら、アイスあるぞと言うとすぐに席を立って風呂場に行った。消しカスを捨てて、勉強道具を片付けて暗記テキストをひっぱりだす。付箋や赤線だらけの単語帳をひとり眺めていると、焦りを感じる。やるしかない、とはわかっていても今まで野球しかしてこなかった自分が、などどマイナスのことばかり考えてしまう。光一郎には取りつく島もなく偉そうなことを言っておいてこれだ。光一郎が言う、すごい、がいつから辛くなってしまっていただろう。
「何味がいい?」
「イチゴ」
「うん、ほら」
「ありがと、かっちゃんはチョコミントでしょ」
「光一郎がキライなチョコミントだ」
「キライじゃないけど……辛い」
「わかったわかった、ほら、スプーンとって」
「うん」
一人ひとつのカップアイスが与えられるようになったのも中学を卒業してからだ。それまでは二人で一つ。それが当たり前だと思っていたが、世の中ではカノジョらと分け合うらしい。まだ恋愛のことは分からないけれど、光一郎ほど信頼して心許せる人に出会えるのか、と漠然と考える。ちまちまスプーンの先でアイスを掬う光一郎を横目に、光一郎に英単語帳を押し付ける。
「光一郎、歯ブラシ持ってきたか?」
「うん」
「えらい」
えへへ、随分可愛らしく笑う光一郎の頭を、いつもは高いところにあって届きようもない頭をショリ、ショリと独特の触感と音をたてて撫でる。
「随分生えてきたんだな」
「伸びたって言ってよ……」
「うんうん、伸びた。決勝戦のときはツルッツルだったな」
「うん」
こんなところでも時間の経過を実感してしまって嫌になる。布団を敷きに行こう、と促して和室に二つ布団を敷く。シーツを敷くときいつもシーツを高く放り投げて下に入って、遊んでいた。一度電灯にひっかかってからはしなくなった。
「電気消すぞ」
「うん」
「ちっちゃい電球つけておくか?」
「大丈夫」
「へぇ~……」
「もう、高校三年生だよ」
「だな」
大人しく布団にもぐりこんだ光一郎を見て、暗いところ狭いところ、怖いところが多かった光一郎もいなくなった、と自分に言い聞かせた。
「でもね、かっちゃん」
「何だ?」
「どんなに、いろんなことができるようになっても、見る世界が広くなってもね、俺はかっちゃんのこと、一番大切」
どんな顔で言っているのか、見たいようで、見たくない。冗談ぽく言っているのか、それとも真面目な顔しているのか、知ってしまったらいけないような気がした。布団の上からやさしく肩をなでで、おやすみ、とだけ言った。
溶き卵をご飯にかけて、醤油を適量。
調理という調理ができないのと、面倒なのを解決してくれる。昨日のことが気になって寝付きが悪かった。当の光一郎は醤油をいれすぎたらしく、顔を顰めながら食べている。確かに、この、親でも兄弟でもないのに、大切で、大好きなものを言葉にするとしたら、大切、という言葉が一番合っているような気がする。
「じゃあ、ありがとねかっちゃん」
「うん、また来いよ」
「うん、おばさんにもよろしく」
「わかった」
光一郎は、チームメイトのもとに帰っていった。少しだけ広くなったような気がする自室に一人、何気なく辞書で大切、と引いてみる。もっとも重要で、重んじられるさま。小難しいことを書いてあるが、俺が今まで光一郎に抱いている感情をさすのだろう。きっと。
この気持ちは変わっていない。何が変わっても、これが変わらなければいい。辞書を二人分の布団の上に放り投げて、大切、と口に出してみる。照れくささと、なにかを手放してしまったような焦りがジワリと染み入る。
今度は光一郎とキャッチボールでもしよう。その頃には俺たちの夢は思い出になっているだろうから、僻んだり、感傷的になったりすることもないだろう。
===
多分再録だけど発行年不明
手を取り合ってこえてゆく #ダイヤの #カップリング #御クリ
手を取り合ってこえてゆく #ダイヤの #カップリング #御クリ
あの御幸が懇願という言葉が合うような声音を、いつも余裕を崩さない表情を無意識のうちにゆがめて、先輩、俺と、付き合ってください。と言うものだから、御幸のことは単なる後輩意外の観点から見たことが無かったから少しためらった。が、ためらった分だけ御幸の顔色が悪くなって、皆が寝静まったあとの校舎、社会科準備室で、同性の後輩を性欲を以って受け入れることができるか?と責め立てるように煌々と照る月にぼんやりと浮かぶ、くちびるを青く震わせて、顔色は土色へ変えていく御幸へ、憐みとはいかないが、大事な時期にこんなに思いつめてかわいそうに、とどこか守ってやらないと、という気持ちになったのは確かだ。
やんちゃな柴犬のように野を駆け回る一年生はきっと、俺が居なくともあの持前の元気さと、人を惹きつけて離さない引力のようなもので世間をわたっていけるだろうが、たぶん、この目の前で震える特定の人間にしか腹を割らない、人間を信じて愛してと甘えるまでに他人の数倍の時間を要する後輩は、俺が守ってやらないと、消えてなくなってしまいそうな気があの夜確かに強く感じた。
あの時の御幸に魅入られたまま、今この状況である。このままいくと童貞より先に後ろの処女を失うことになる。だからといって拒絶してしまえば御幸は、いつも他の部員に見せる人を喰ったような笑みを浮かべて、すみませんでした先輩と言っていつものように過ごし、精神だけがぼろぼろと崩れていくのを、他人事のように薄笑いを浮かべているのだろう。自分の精神を自分で守れないのだろう。かわいそうに御幸、御幸、俺が居てやらないと。そんなことを口にすれば御幸は、同情なぞ許せず何も言えなくなってしまうのだろうから、黙って身体を差し出してやる。お前に、俺が心から役に立ちたいと思ったお前になら抱かれることも許容できる。
御幸は黒ビニール袋からいそいそとローションとコンドームを取り出して開封している。インターネットで同性でのセックスの仕方を調べてはみたが、物理的に、叶うとは思えない。汚い話だが便秘のときなどのことを考えると無茶意外の言葉が出てこない。悩みや不安はあとからあとから出てくるが、初めての恋にふるえる少女のように頬を染めてくちびるを塞いでくる御幸が愛おしくて、可愛らしくて、拒否したくない、もしかしたら大丈夫かもしれない、と根拠のない自信にすり替わっていく。せんぱい、クリス先輩、といつも部員たちを叱咤激励する雄の声が今はあまく湿り気を帯びて俺の名前か、すき、と言う言葉だけを発する。決して小柄ではない男二人が、下校時刻を疾うに過ぎた校舎の障碍者用トイレで密着すると、いくら通常より広いとはいえ暑くて仕方ないのだが、御幸は離れる気も、背中や胸、腹をまさぐる手を収める気も一切ないらしい。
いままで我慢してきた箍が外れた、と言わんばかりにくちびるを押し当てるだけのキスを延々するのかと思いきや一度離れ、おそるおそる御幸の舌がくちびるに触れ、感触を確かめるように往復し、ゆるゆると歯列へと侵入してくる。軟口蓋を這い回るあつい舌に応えるように舌先を触れさせると、煽るな、と言わんばかりに腕を掴んでくる。そのまま腰を浮かされ、股間に股間を押し付けられる。同性だからこそわかる、極限まで欲情している硬さを身を以って知り御幸が俺に、衝動のままに触れているということを思い知らされる。
「クリス先輩」
吐息の合間に名前を呼ばれて、気恥ずかしさに身をよじると拒絶と取ったのか、触れる手にためらいを感じる。そんなにつらそうに触れてくるなら、俺のネクタイを乱暴にほどいたところで止めておけばよかったのに。同性とセックスをしてしまうという、御幸にとっても振り返ったときにあやまちと判断してしまいそうなことを拒絶してやるのも年長者の役目なのかと、身体を無遠慮に触れる御幸の掌のマメが皮膚を掻くのを感じながら思案する。
特段触っていて心地よくは無い男の肌を撫でて、いとおしげにくちびる寄せて、楽しいのだろうか。御幸はそれでなにか気分が良くなるのだろうか。御幸が良いなら、それもいいだろう。今の俺にできることなんて、小指の爪先ほども無い。今までの人生、野球しかなかった俺が野球を失った今存在価値など限りなく薄い。父に言ったらなんと言うだろう。父は口にも行動にも出さなかったが、きっと失望しただろう。幼いころから一番応援してくれていた父を一番手酷く裏切ってしまった。父を裏切った辛さで自暴自棄になった結果後輩へ身体を委ねてしまうのだから、俺はどこで道を踏み間違えてしまったのだろうか。
俺の自傷に近い行動の補助として、後輩の性欲を利用するという発想がおかしいと判断できない俺が、御幸の判断を批判する権利などどこにもない。などど、同情だとか、御幸が迫るから、と偉そうに捏ね回してはいるが、只俺は御幸がいとおしくて、羨ましくて。そんな御幸の性欲だけでもいいから受け止めたい、それを自分にすら隠したくて雁字搦めになっているのだろう、とも考える。もう何が正しいかはわからないが確かに伝わる体温だけに縋りついていたいとつよく思う。
些か乱暴に、ベルトとスラックスを取り去っていよいよ、と言うときになって急に恐ろしくなった。生理的な、いままで雄として生きてきた名残が悲鳴をあげているのだろう。明らかに身体が強張った俺を見かねて御幸はいつもの余裕表情くずれを顔に貼り付けて、すみません先輩、やめておきますね、と。
「お前はいつでもいい子だったな」
「そうですか?先輩にはそう見えていました?」
「時々憎たらしかったがな……根はいい子だった」
「いい子は先輩のこと襲ったりしないです」
「そうやって、自分の気持ちをな、自分を責める理由にしてしまうところが可愛い、と思うんだ。そういうところが、まぁまぁ好きなんだと思うからその、あれだ、受け入れてやりたいというか」
「ひぇ」
「なんだその間抜けな声は」
「そりゃあ……憧れてて、好きで、どうにもならないくらい好きな先輩から、そんな熱烈なこと言われてみてくださいよ、誰だって動転しますって」
「ねつれ……忘れろ」
「嫌です、一生忘れません」
「やっぱりいい子じゃない、全然いい子じゃない」
その先はくちびるを貪られて言葉にならなかった。さきほどのように食らいつくすようなキスではなく、存在をたしかめるような、やさしく緊張をほどいていくような優しいキス。後輩に甘やかされる予感に頭がくらくらする。甘やかす側だったのに、ここでは甘やかされるらしい。舌と舌が、唾液がべちゃべちゃ品の無い音を立てるのをたしなめる余裕もなく、御幸が未だためらいがち触れてくる手を握り返す。手汗でべとべとになった掌をハンカチで拭いてやると、すみません、と耳元で囁かれて居たたまれない。
「そんなに緊張しているのか」
「あっったりまえでしょう、だってその、男同士のセックスって受け入れる側の方がキツいらしいので」
「俺に、そんなに労わる価値が?」
何故御幸から、気に入らないことを嫌がる子供のような目で見られなければならないのか。お前は俺じゃないだろうに。
「どうしてそんなこと言うんです」
「泣くことか!」
「だって、俺が大事で仕方ない人が!大事じゃないって言うのは嫌です!」
しゃくりあげる御幸の背をやさしくさするが一向に泣き止まない。親族以外の人間に大事にされるのは悪い気はしない。高校野球を喪った俺でも、誰かの親愛を勝ち取れるのだと思える。俺の胸に抱かれている間もじっとしている御幸ではない。シャツのボタンが外されていくのがわからないとでも思ったのか。素肌に御幸の頬が触れるのが只々照れ臭い。
「大切で、好きで、どうしようもないんです。わかりますか?先輩」
「わかった、ありがとう。でもな男の乳首を舐める理由は一切理解できない」
「頭で考えないでいいと思います」
口ではそう強がって言っているものの、いまだ経験したことが無い感覚に背筋がざわりと粟立つ。御幸の舌がなぞり、捏ね、押しつぶす度に手に力がこもってしまう。からかうでもなく只俺を高めようとする御幸は未だ着衣のままだ。
「……せんぱい、あの」
「何か」
「いえ」
ひとつ取れかけたボタンがある。後で縫い付けてやらないとならないと考えながら、御幸のシャツのボタンを外す。情緒などない。只俺ばっかりやられているのはと思っただけのこと。涙の跡が残る頬にキスをしてやると、目を見開いている。
「なんだ、間抜けな顔して」
「キス、嬉しくて」
「そうか?よかった」
初めて触れる、血のつながりのない人間のあたたかな身体とにおいに脳の芯がぐらぐらゆれるほどの幸福感。夢中でしがみ付く。年上なのに、男なのに恥ずかしいみっともないなどど考える余裕は無い。ただ目の前の温みを手放したくない一心で縋る。
「あったかいですね」
「だな」
このまま眠りたいと思ったが許されない。御幸が呪力に逆らわず、ずりおちるように床に膝をつき、股間にくちびるを寄せられ悲鳴をあげそうになる。
「何をやってるんだ御幸」
「だって、あの、クリス先輩がきもちよさそうな顔が見たくて」
「だからってそんなところは舐めなくても良い」
「ほんなほほあひまへん」
御幸の、何かを口に含んだとき出る声と、声を出すときに発生する震えに思わず膝を閉じそうになったが、御幸に開かされる。恥ずかしさに拳を握るが御幸はお構いなしに、わざと音を立てて舌を這わせる。自分だったらたとえ好きな相手にでも、抵抗してしまいそうなことを御幸は軽々やってのけるのか。嫌に感覚が鋭敏になってしまいどこに舌が当てられているのかよくわかってしまう。やめろと言ってもくちびるを離さずに嫌ですと返すものだから堪らない。
「御幸、変なところ舐めるなッ」
「やーです、ここきもちいいですか?ありのとわたり、って言うらしいです」
「そんなこと聞いてない」
「えー」
御幸ばかり余裕を崩さないのはとても気に食わない。が、反撃の気力がない。初めて他人から与えられる快感がここまで好いとは思いもしなかった。自分で処理するのとは違う、自分でコントロールできない感覚に只翻弄されるがままになってしまう。御幸が擦るタイミングで声が漏れてしまわないよう、シャツを噛みしめるがあえなく取り上げられてしまった。
舐めたあとキスするとき、わざわざマウスウォッシュをするのはどうなのだろう。大事にされていると考えて良いのだろうか。わざとらしいミント香料が鼻をつき、舌がぴり、と痺れる。狂気すら滲むやさしさにどう反応していいかわからなくなる。御幸は恍惚、いう言葉が近い表情のままくちびるを貪っている。文字通り食らいつくされそうになる。そのまま御幸の糧になって、青道の役に立ちたいといったらまた、自分を大事ににしてくださいと怒られてしまうだろうから黙っておく。
いざ、そこに、ローションで潤滑をつけているとはいえ指を入れるとなると背筋が寒くなる。しかしそこでしか繋がれない。愛情表現のひとつであるセックスその手段の一つだと割り切るにはまだ経験が浅い。精神的にも、肉体的にも逃げ場がない。だからこそ、自分に言い訳ができてよかったのかもしれない。御幸を受け入れるには仕方のないことだったと自分に言い聞かせることができる。
「怖いですか」
さきほどまでも興奮しきった獣のような瞳は影をひそめ、やさしく理性的に触れてくる。そんなに柔らかくもなければひ弱でもないのだが。
「そりゃあな、でも今更止めるなんて言うなよ」
「はい、俺のせいにしてください。痛いのも怖いのも全部」
「それは、なんだか違う気がする」
自分でもよくわからない疑問が浮かんで中断する。しかし、超えないとあとあと禍根を残しそうな気がした。
「そうですか……?俺が勝手に好きになって、セックスしたがってるのに」
「違う、違うんだ御幸」
「あっでも爪はちゃんと切りました」
「なんて言うべきかわからん」
「難しいですね」
先輩にもわからないことがあるんですね、と宣う。俺をなんだと思っているんだ。年上と言っても一年早く生まれただけなのに。その間も遠慮は無いが、身体中にキスをくれる。
「好きになったのは確かにお前だろうが、その、大事にされるのが嬉しくてもっと欲しいと思ったのは確かな、バカやめろその顔」
「だ、だって、嬉しくて死んじゃいそうです」
「お前もそんな、緩みきった顔するんだな」
「先輩は、俺がどれだけ先輩のこと好きで、あこがれていたかわかってない」
「そりゃ、わからん。俺は御幸じゃないから」
「そうですけれど」
困った顔が愛らしくて、額にキスをする。背中に回された御幸の腕に力がこもる。二、三度キスをすると、頬を緩めて腰に抱き着いてくる。
「生え際に吹き出物あるぞ、痛そうだな……」
「思われニキビです」
「まぁ……そういうことにしてやらなくもない」
「やった」
嬉しそうに吹き出物をいじる御幸に、触るとよくないぞと言うと素直にやめる。あの他人とは一線を画す雰囲気は錯覚だったのか、と思わせるほど素直に、ぎこちなくとも素直に甘えてくる。いつもの態度を知っているからこと面食らうと同時に、仄暗い優越感がにじむ。俺だけが御幸を知っているような幼い優越感。
「だから、その、俺はお前だけのせいにしたくないんだよ」
「それは、俺も先輩に大事にされてるって判断していいですか」
「…………まぁ、うん、いいだろう」
「なんですか今の間」
軽快に笑いながらも触れる手はどこか性のかおりを伴っている。耳にかかる吐息の間隔が短い。御幸の興奮を視覚以外から知ることになろうとは。ふたたびローションで指を湿らせ、大事にしたいと言った割には思い切り突っ込まれて息が詰まる。腹を内側から圧され、内臓を押し上げられる感覚。指一本とはいえ激しい異物感に加えて、最終的に挿入されるであろうモノの質量を想像して更に胃がかき回されるような感覚。額に浮いた脂汗はいい香りがするハンカチに拭われた。耐えるためにきつく閉じた瞼を開けると悲痛なほど心配そうな顔をした御幸がくちびるを噛みしめている。情けない顔だ、とからかう口調でも声が震えてしまう。他人の痛ましい表情を心配する以上に、ひどい異物感とこじあけられる痛みで、喉の奥には悲鳴が溜まっている。
急に異物感から解放されて御幸を見遣ると、指に着けていたらしいコンドームを持参のゴミ袋へ捨てていた。あまりに痛がるから飽きられたのかと思う間もなく、頬に生ぬるいくちびるが押し当てられた。
「徐々に開発することにしました」
思わず大きく息をついてしまった。飽きられていないことを確認し、今日のところはこの未知の痛みからは解放された。ここまで恐怖を煽る種類の痛みだとは思いもしなかった。御幸がいたわるように頬や首や額にキスをしてくる。そんなにキツそうだっただろうか?
「大丈夫ですか」
「いや、平気じゃない」
「……すみません、もう」
「これきりにする、と言おうとしているなら見当違いだからな」
「えっ?」
「嫌だったら、御幸を殴りつけてでも逃げてるさ」
「そ、そうですか?」
「そういうことをわざわざ言わないとわからないか」
「わかりません、だって俺先輩が言うようにいい子じゃないんで」
全く可愛くない。先輩耳真赤ですよ、耳元で囁くのも、胸の奥を絞られる感覚をゆるりと指先でやさしくほどかれているのも気に入らない。
「だから俺にもわかるように、ちゃんと、好きって言ってほしいです。俺だって怖いんですから」
生意気言ったかと思えば、悲しげに懇願してくる変わり身で、結局俺が折れてしまう。
「ところで、その股間のモノどうするつもりだ」
「えっ、と」
うまく御幸の気を逸らせたかと思えば、一緒に擦りたいです、などと宣う。こちらの返事は聞いていないらしく、お互いの収まりがつかないモノを柔く握って擦る。只々、御幸の肌すべて熱いことだけがわかる。舌を貪られていて首を動かせなものだから状況が理解できない。ツン、と生臭さが鼻をつく。唾液のにおいでなければほかの液だろう。急に恥ずかしさがよみがえってくる。俺は今、後輩に対して性的に興奮しているということを突きつけられた。
「うっわ、すげぇ」
うるさい、とそれだけ言うだけでも必死に絞り出さないと出てこない。そういうことは言わないでほしいとも言いきれないほど、自分で処理するときとは桁違いの波がやってくる。御幸の舌と、掌と、押し付けられているペニスの熱さで頭がおかしくなりそうだ。同級生から押し付けられたいかがわしいDVDの、あたまがおかしくなりそう、などどいう言葉はあながちウソではないのかもしれない。
背徳感と、性欲と、庇護欲と、その他知らなかった幸せな感覚で脳味噌が焼き切れそうになる。只御幸、御幸と喉がほころぶように出てきた言葉だけを発している今、脳味噌が正常に作動しているとは思えない。
「クリス、先輩」
やっと御幸のことを考える余裕が出来てきた。御幸も情けない顔を、暗闇でもわかるほど赤くしている。頬を両手で挟んでやるとなぜかペニスを膨らませているのだから始末におえない。何に興奮する要素があったのか。お互い様だが。
俺は俺で後輩のペニスと掌その他もろもろに興奮して絶頂を迎えそうになって居るのだから自己嫌悪すら感じる。それを振り払うほど御幸が、いとおしくて堪らない。一瞬息が詰まり、どちらのものかわからない精液のあつさと反比例するように脳味噌は現実に引き戻されていく。
御幸は一度射精しても冷めないタイプなのか熱烈なキスを欠かさず、俺の身体から先に拭き清めてくれる。匂いが残らないように制汗シートで拭きとってくれるのだから、どれだけ準備したのやら。
自分も十分拭き清め、ミーティング後ですよと言い張れるように整えてから御幸が遠慮がちに言った。
「で、クリス先輩」
「何か?」
「その冷たい目最高ですね……じゃなくて、あの、わざわざ言わないとわからないのかの続きで」
「蒸し返すつもりか?」
「その目素敵すぎてまたチンコ勃ちそうです、じゃなくて、本気です」
「これだけ許してもまだ言葉にしないとダメなのか」
「そんなに恥ずかしいですか?」
「恥ずかしいというより……怖いというか」
本音を思わず零してしまったのが間違いだったか。視界の端で御幸が眉をしかめたのを捉えた。
「怖い?」
「言いたくない」
「言ってください」
「嫌だ」
聞き分けの悪い子供のようにかたくなに拒否するが、御幸が不安げな目で見てくるものだから絆されてしまう。
「最初は御幸があまりに必死だったから付き合ってやろう、程度の気持ちだった」
御幸の喉の奥の空気がひぅと音を立てたかと思うとみるみる顔が青ざめてゆく。
「でもな、何故か、今は俺が溺れている。これから俺なんかに構っている余裕はないだろう、頭ではわかっているが」
はなれたくない、と言おうとしたところでくちびるを塞がれた。ここまで温かで、幸せな感情を教えてくれてありがとう、とは絶対に言わない。
「先輩がっ、もう嫌だって言うまでっ、ずっと大好きですっ」
なぜ御幸が涙声になるのか。
「わかったよ、ありがとう、俺も」
「も、もう一声」
鼻水すすり上げながらきつく抱きしめられたら逃げようがない。そうだ、そうに違いない。
「す、すき」
だ、という前にくちびるを奪われる。さっきから最後まで言わせてくれない。理性的な後輩だと思っていたのだがこれはいかに。何か棒状のものが股間に押し当てられる。
「御幸……」
「えへ、もう一回しませんか」
「えへじゃない……」
拒絶をしないことを前向きに肯定ととった御幸にふたたび着衣を剥ぎ取られる。月明かりが御幸の涙の跡が残る頬をやさしく照らしている。
===
2014年9月28日発行の本の再録
あの御幸が懇願という言葉が合うような声音を、いつも余裕を崩さない表情を無意識のうちにゆがめて、先輩、俺と、付き合ってください。と言うものだから、御幸のことは単なる後輩意外の観点から見たことが無かったから少しためらった。が、ためらった分だけ御幸の顔色が悪くなって、皆が寝静まったあとの校舎、社会科準備室で、同性の後輩を性欲を以って受け入れることができるか?と責め立てるように煌々と照る月にぼんやりと浮かぶ、くちびるを青く震わせて、顔色は土色へ変えていく御幸へ、憐みとはいかないが、大事な時期にこんなに思いつめてかわいそうに、とどこか守ってやらないと、という気持ちになったのは確かだ。
やんちゃな柴犬のように野を駆け回る一年生はきっと、俺が居なくともあの持前の元気さと、人を惹きつけて離さない引力のようなもので世間をわたっていけるだろうが、たぶん、この目の前で震える特定の人間にしか腹を割らない、人間を信じて愛してと甘えるまでに他人の数倍の時間を要する後輩は、俺が守ってやらないと、消えてなくなってしまいそうな気があの夜確かに強く感じた。
あの時の御幸に魅入られたまま、今この状況である。このままいくと童貞より先に後ろの処女を失うことになる。だからといって拒絶してしまえば御幸は、いつも他の部員に見せる人を喰ったような笑みを浮かべて、すみませんでした先輩と言っていつものように過ごし、精神だけがぼろぼろと崩れていくのを、他人事のように薄笑いを浮かべているのだろう。自分の精神を自分で守れないのだろう。かわいそうに御幸、御幸、俺が居てやらないと。そんなことを口にすれば御幸は、同情なぞ許せず何も言えなくなってしまうのだろうから、黙って身体を差し出してやる。お前に、俺が心から役に立ちたいと思ったお前になら抱かれることも許容できる。
御幸は黒ビニール袋からいそいそとローションとコンドームを取り出して開封している。インターネットで同性でのセックスの仕方を調べてはみたが、物理的に、叶うとは思えない。汚い話だが便秘のときなどのことを考えると無茶意外の言葉が出てこない。悩みや不安はあとからあとから出てくるが、初めての恋にふるえる少女のように頬を染めてくちびるを塞いでくる御幸が愛おしくて、可愛らしくて、拒否したくない、もしかしたら大丈夫かもしれない、と根拠のない自信にすり替わっていく。せんぱい、クリス先輩、といつも部員たちを叱咤激励する雄の声が今はあまく湿り気を帯びて俺の名前か、すき、と言う言葉だけを発する。決して小柄ではない男二人が、下校時刻を疾うに過ぎた校舎の障碍者用トイレで密着すると、いくら通常より広いとはいえ暑くて仕方ないのだが、御幸は離れる気も、背中や胸、腹をまさぐる手を収める気も一切ないらしい。
いままで我慢してきた箍が外れた、と言わんばかりにくちびるを押し当てるだけのキスを延々するのかと思いきや一度離れ、おそるおそる御幸の舌がくちびるに触れ、感触を確かめるように往復し、ゆるゆると歯列へと侵入してくる。軟口蓋を這い回るあつい舌に応えるように舌先を触れさせると、煽るな、と言わんばかりに腕を掴んでくる。そのまま腰を浮かされ、股間に股間を押し付けられる。同性だからこそわかる、極限まで欲情している硬さを身を以って知り御幸が俺に、衝動のままに触れているということを思い知らされる。
「クリス先輩」
吐息の合間に名前を呼ばれて、気恥ずかしさに身をよじると拒絶と取ったのか、触れる手にためらいを感じる。そんなにつらそうに触れてくるなら、俺のネクタイを乱暴にほどいたところで止めておけばよかったのに。同性とセックスをしてしまうという、御幸にとっても振り返ったときにあやまちと判断してしまいそうなことを拒絶してやるのも年長者の役目なのかと、身体を無遠慮に触れる御幸の掌のマメが皮膚を掻くのを感じながら思案する。
特段触っていて心地よくは無い男の肌を撫でて、いとおしげにくちびる寄せて、楽しいのだろうか。御幸はそれでなにか気分が良くなるのだろうか。御幸が良いなら、それもいいだろう。今の俺にできることなんて、小指の爪先ほども無い。今までの人生、野球しかなかった俺が野球を失った今存在価値など限りなく薄い。父に言ったらなんと言うだろう。父は口にも行動にも出さなかったが、きっと失望しただろう。幼いころから一番応援してくれていた父を一番手酷く裏切ってしまった。父を裏切った辛さで自暴自棄になった結果後輩へ身体を委ねてしまうのだから、俺はどこで道を踏み間違えてしまったのだろうか。
俺の自傷に近い行動の補助として、後輩の性欲を利用するという発想がおかしいと判断できない俺が、御幸の判断を批判する権利などどこにもない。などど、同情だとか、御幸が迫るから、と偉そうに捏ね回してはいるが、只俺は御幸がいとおしくて、羨ましくて。そんな御幸の性欲だけでもいいから受け止めたい、それを自分にすら隠したくて雁字搦めになっているのだろう、とも考える。もう何が正しいかはわからないが確かに伝わる体温だけに縋りついていたいとつよく思う。
些か乱暴に、ベルトとスラックスを取り去っていよいよ、と言うときになって急に恐ろしくなった。生理的な、いままで雄として生きてきた名残が悲鳴をあげているのだろう。明らかに身体が強張った俺を見かねて御幸はいつもの余裕表情くずれを顔に貼り付けて、すみません先輩、やめておきますね、と。
「お前はいつでもいい子だったな」
「そうですか?先輩にはそう見えていました?」
「時々憎たらしかったがな……根はいい子だった」
「いい子は先輩のこと襲ったりしないです」
「そうやって、自分の気持ちをな、自分を責める理由にしてしまうところが可愛い、と思うんだ。そういうところが、まぁまぁ好きなんだと思うからその、あれだ、受け入れてやりたいというか」
「ひぇ」
「なんだその間抜けな声は」
「そりゃあ……憧れてて、好きで、どうにもならないくらい好きな先輩から、そんな熱烈なこと言われてみてくださいよ、誰だって動転しますって」
「ねつれ……忘れろ」
「嫌です、一生忘れません」
「やっぱりいい子じゃない、全然いい子じゃない」
その先はくちびるを貪られて言葉にならなかった。さきほどのように食らいつくすようなキスではなく、存在をたしかめるような、やさしく緊張をほどいていくような優しいキス。後輩に甘やかされる予感に頭がくらくらする。甘やかす側だったのに、ここでは甘やかされるらしい。舌と舌が、唾液がべちゃべちゃ品の無い音を立てるのをたしなめる余裕もなく、御幸が未だためらいがち触れてくる手を握り返す。手汗でべとべとになった掌をハンカチで拭いてやると、すみません、と耳元で囁かれて居たたまれない。
「そんなに緊張しているのか」
「あっったりまえでしょう、だってその、男同士のセックスって受け入れる側の方がキツいらしいので」
「俺に、そんなに労わる価値が?」
何故御幸から、気に入らないことを嫌がる子供のような目で見られなければならないのか。お前は俺じゃないだろうに。
「どうしてそんなこと言うんです」
「泣くことか!」
「だって、俺が大事で仕方ない人が!大事じゃないって言うのは嫌です!」
しゃくりあげる御幸の背をやさしくさするが一向に泣き止まない。親族以外の人間に大事にされるのは悪い気はしない。高校野球を喪った俺でも、誰かの親愛を勝ち取れるのだと思える。俺の胸に抱かれている間もじっとしている御幸ではない。シャツのボタンが外されていくのがわからないとでも思ったのか。素肌に御幸の頬が触れるのが只々照れ臭い。
「大切で、好きで、どうしようもないんです。わかりますか?先輩」
「わかった、ありがとう。でもな男の乳首を舐める理由は一切理解できない」
「頭で考えないでいいと思います」
口ではそう強がって言っているものの、いまだ経験したことが無い感覚に背筋がざわりと粟立つ。御幸の舌がなぞり、捏ね、押しつぶす度に手に力がこもってしまう。からかうでもなく只俺を高めようとする御幸は未だ着衣のままだ。
「……せんぱい、あの」
「何か」
「いえ」
ひとつ取れかけたボタンがある。後で縫い付けてやらないとならないと考えながら、御幸のシャツのボタンを外す。情緒などない。只俺ばっかりやられているのはと思っただけのこと。涙の跡が残る頬にキスをしてやると、目を見開いている。
「なんだ、間抜けな顔して」
「キス、嬉しくて」
「そうか?よかった」
初めて触れる、血のつながりのない人間のあたたかな身体とにおいに脳の芯がぐらぐらゆれるほどの幸福感。夢中でしがみ付く。年上なのに、男なのに恥ずかしいみっともないなどど考える余裕は無い。ただ目の前の温みを手放したくない一心で縋る。
「あったかいですね」
「だな」
このまま眠りたいと思ったが許されない。御幸が呪力に逆らわず、ずりおちるように床に膝をつき、股間にくちびるを寄せられ悲鳴をあげそうになる。
「何をやってるんだ御幸」
「だって、あの、クリス先輩がきもちよさそうな顔が見たくて」
「だからってそんなところは舐めなくても良い」
「ほんなほほあひまへん」
御幸の、何かを口に含んだとき出る声と、声を出すときに発生する震えに思わず膝を閉じそうになったが、御幸に開かされる。恥ずかしさに拳を握るが御幸はお構いなしに、わざと音を立てて舌を這わせる。自分だったらたとえ好きな相手にでも、抵抗してしまいそうなことを御幸は軽々やってのけるのか。嫌に感覚が鋭敏になってしまいどこに舌が当てられているのかよくわかってしまう。やめろと言ってもくちびるを離さずに嫌ですと返すものだから堪らない。
「御幸、変なところ舐めるなッ」
「やーです、ここきもちいいですか?ありのとわたり、って言うらしいです」
「そんなこと聞いてない」
「えー」
御幸ばかり余裕を崩さないのはとても気に食わない。が、反撃の気力がない。初めて他人から与えられる快感がここまで好いとは思いもしなかった。自分で処理するのとは違う、自分でコントロールできない感覚に只翻弄されるがままになってしまう。御幸が擦るタイミングで声が漏れてしまわないよう、シャツを噛みしめるがあえなく取り上げられてしまった。
舐めたあとキスするとき、わざわざマウスウォッシュをするのはどうなのだろう。大事にされていると考えて良いのだろうか。わざとらしいミント香料が鼻をつき、舌がぴり、と痺れる。狂気すら滲むやさしさにどう反応していいかわからなくなる。御幸は恍惚、いう言葉が近い表情のままくちびるを貪っている。文字通り食らいつくされそうになる。そのまま御幸の糧になって、青道の役に立ちたいといったらまた、自分を大事ににしてくださいと怒られてしまうだろうから黙っておく。
いざ、そこに、ローションで潤滑をつけているとはいえ指を入れるとなると背筋が寒くなる。しかしそこでしか繋がれない。愛情表現のひとつであるセックスその手段の一つだと割り切るにはまだ経験が浅い。精神的にも、肉体的にも逃げ場がない。だからこそ、自分に言い訳ができてよかったのかもしれない。御幸を受け入れるには仕方のないことだったと自分に言い聞かせることができる。
「怖いですか」
さきほどまでも興奮しきった獣のような瞳は影をひそめ、やさしく理性的に触れてくる。そんなに柔らかくもなければひ弱でもないのだが。
「そりゃあな、でも今更止めるなんて言うなよ」
「はい、俺のせいにしてください。痛いのも怖いのも全部」
「それは、なんだか違う気がする」
自分でもよくわからない疑問が浮かんで中断する。しかし、超えないとあとあと禍根を残しそうな気がした。
「そうですか……?俺が勝手に好きになって、セックスしたがってるのに」
「違う、違うんだ御幸」
「あっでも爪はちゃんと切りました」
「なんて言うべきかわからん」
「難しいですね」
先輩にもわからないことがあるんですね、と宣う。俺をなんだと思っているんだ。年上と言っても一年早く生まれただけなのに。その間も遠慮は無いが、身体中にキスをくれる。
「好きになったのは確かにお前だろうが、その、大事にされるのが嬉しくてもっと欲しいと思ったのは確かな、バカやめろその顔」
「だ、だって、嬉しくて死んじゃいそうです」
「お前もそんな、緩みきった顔するんだな」
「先輩は、俺がどれだけ先輩のこと好きで、あこがれていたかわかってない」
「そりゃ、わからん。俺は御幸じゃないから」
「そうですけれど」
困った顔が愛らしくて、額にキスをする。背中に回された御幸の腕に力がこもる。二、三度キスをすると、頬を緩めて腰に抱き着いてくる。
「生え際に吹き出物あるぞ、痛そうだな……」
「思われニキビです」
「まぁ……そういうことにしてやらなくもない」
「やった」
嬉しそうに吹き出物をいじる御幸に、触るとよくないぞと言うと素直にやめる。あの他人とは一線を画す雰囲気は錯覚だったのか、と思わせるほど素直に、ぎこちなくとも素直に甘えてくる。いつもの態度を知っているからこと面食らうと同時に、仄暗い優越感がにじむ。俺だけが御幸を知っているような幼い優越感。
「だから、その、俺はお前だけのせいにしたくないんだよ」
「それは、俺も先輩に大事にされてるって判断していいですか」
「…………まぁ、うん、いいだろう」
「なんですか今の間」
軽快に笑いながらも触れる手はどこか性のかおりを伴っている。耳にかかる吐息の間隔が短い。御幸の興奮を視覚以外から知ることになろうとは。ふたたびローションで指を湿らせ、大事にしたいと言った割には思い切り突っ込まれて息が詰まる。腹を内側から圧され、内臓を押し上げられる感覚。指一本とはいえ激しい異物感に加えて、最終的に挿入されるであろうモノの質量を想像して更に胃がかき回されるような感覚。額に浮いた脂汗はいい香りがするハンカチに拭われた。耐えるためにきつく閉じた瞼を開けると悲痛なほど心配そうな顔をした御幸がくちびるを噛みしめている。情けない顔だ、とからかう口調でも声が震えてしまう。他人の痛ましい表情を心配する以上に、ひどい異物感とこじあけられる痛みで、喉の奥には悲鳴が溜まっている。
急に異物感から解放されて御幸を見遣ると、指に着けていたらしいコンドームを持参のゴミ袋へ捨てていた。あまりに痛がるから飽きられたのかと思う間もなく、頬に生ぬるいくちびるが押し当てられた。
「徐々に開発することにしました」
思わず大きく息をついてしまった。飽きられていないことを確認し、今日のところはこの未知の痛みからは解放された。ここまで恐怖を煽る種類の痛みだとは思いもしなかった。御幸がいたわるように頬や首や額にキスをしてくる。そんなにキツそうだっただろうか?
「大丈夫ですか」
「いや、平気じゃない」
「……すみません、もう」
「これきりにする、と言おうとしているなら見当違いだからな」
「えっ?」
「嫌だったら、御幸を殴りつけてでも逃げてるさ」
「そ、そうですか?」
「そういうことをわざわざ言わないとわからないか」
「わかりません、だって俺先輩が言うようにいい子じゃないんで」
全く可愛くない。先輩耳真赤ですよ、耳元で囁くのも、胸の奥を絞られる感覚をゆるりと指先でやさしくほどかれているのも気に入らない。
「だから俺にもわかるように、ちゃんと、好きって言ってほしいです。俺だって怖いんですから」
生意気言ったかと思えば、悲しげに懇願してくる変わり身で、結局俺が折れてしまう。
「ところで、その股間のモノどうするつもりだ」
「えっ、と」
うまく御幸の気を逸らせたかと思えば、一緒に擦りたいです、などと宣う。こちらの返事は聞いていないらしく、お互いの収まりがつかないモノを柔く握って擦る。只々、御幸の肌すべて熱いことだけがわかる。舌を貪られていて首を動かせなものだから状況が理解できない。ツン、と生臭さが鼻をつく。唾液のにおいでなければほかの液だろう。急に恥ずかしさがよみがえってくる。俺は今、後輩に対して性的に興奮しているということを突きつけられた。
「うっわ、すげぇ」
うるさい、とそれだけ言うだけでも必死に絞り出さないと出てこない。そういうことは言わないでほしいとも言いきれないほど、自分で処理するときとは桁違いの波がやってくる。御幸の舌と、掌と、押し付けられているペニスの熱さで頭がおかしくなりそうだ。同級生から押し付けられたいかがわしいDVDの、あたまがおかしくなりそう、などどいう言葉はあながちウソではないのかもしれない。
背徳感と、性欲と、庇護欲と、その他知らなかった幸せな感覚で脳味噌が焼き切れそうになる。只御幸、御幸と喉がほころぶように出てきた言葉だけを発している今、脳味噌が正常に作動しているとは思えない。
「クリス、先輩」
やっと御幸のことを考える余裕が出来てきた。御幸も情けない顔を、暗闇でもわかるほど赤くしている。頬を両手で挟んでやるとなぜかペニスを膨らませているのだから始末におえない。何に興奮する要素があったのか。お互い様だが。
俺は俺で後輩のペニスと掌その他もろもろに興奮して絶頂を迎えそうになって居るのだから自己嫌悪すら感じる。それを振り払うほど御幸が、いとおしくて堪らない。一瞬息が詰まり、どちらのものかわからない精液のあつさと反比例するように脳味噌は現実に引き戻されていく。
御幸は一度射精しても冷めないタイプなのか熱烈なキスを欠かさず、俺の身体から先に拭き清めてくれる。匂いが残らないように制汗シートで拭きとってくれるのだから、どれだけ準備したのやら。
自分も十分拭き清め、ミーティング後ですよと言い張れるように整えてから御幸が遠慮がちに言った。
「で、クリス先輩」
「何か?」
「その冷たい目最高ですね……じゃなくて、あの、わざわざ言わないとわからないのかの続きで」
「蒸し返すつもりか?」
「その目素敵すぎてまたチンコ勃ちそうです、じゃなくて、本気です」
「これだけ許してもまだ言葉にしないとダメなのか」
「そんなに恥ずかしいですか?」
「恥ずかしいというより……怖いというか」
本音を思わず零してしまったのが間違いだったか。視界の端で御幸が眉をしかめたのを捉えた。
「怖い?」
「言いたくない」
「言ってください」
「嫌だ」
聞き分けの悪い子供のようにかたくなに拒否するが、御幸が不安げな目で見てくるものだから絆されてしまう。
「最初は御幸があまりに必死だったから付き合ってやろう、程度の気持ちだった」
御幸の喉の奥の空気がひぅと音を立てたかと思うとみるみる顔が青ざめてゆく。
「でもな、何故か、今は俺が溺れている。これから俺なんかに構っている余裕はないだろう、頭ではわかっているが」
はなれたくない、と言おうとしたところでくちびるを塞がれた。ここまで温かで、幸せな感情を教えてくれてありがとう、とは絶対に言わない。
「先輩がっ、もう嫌だって言うまでっ、ずっと大好きですっ」
なぜ御幸が涙声になるのか。
「わかったよ、ありがとう、俺も」
「も、もう一声」
鼻水すすり上げながらきつく抱きしめられたら逃げようがない。そうだ、そうに違いない。
「す、すき」
だ、という前にくちびるを奪われる。さっきから最後まで言わせてくれない。理性的な後輩だと思っていたのだがこれはいかに。何か棒状のものが股間に押し当てられる。
「御幸……」
「えへ、もう一回しませんか」
「えへじゃない……」
拒絶をしないことを前向きに肯定ととった御幸にふたたび着衣を剥ぎ取られる。月明かりが御幸の涙の跡が残る頬をやさしく照らしている。
===
2014年9月28日発行の本の再録
見送る季節 #ダイヤの #カップリング #御クリ
見送る季節 #ダイヤの #カップリング #御クリ
冬が去っていく。
洗顔のとき、水の温度がすこしだけ温むようになり、早朝にグラウンドに出ても霜が降りていることもなくなってきた。俺は先輩たちの進路を小耳にはさむようになってから、季節が去ってゆくと同時に、先輩たちも去っていくことが頭の隅を占めるようになった。
人間関係での未熟を、技術の未熟を忘れさせてくれる強烈な憧れにあてられてから早いものでもう、五年になる。憧れを追いかけていたら、憧れていた人がもっていたものは、そのひとと実力を争ったわけでもないのに、俺の手の中へ転がり込んできた。そこに自分の努力がなかったとは言わない。それこそ血がにじむような努力をしてきた。が、全盛期の輝きを追い続けてきた俺には、寂しさに似た苦さが残った。
五年の間に、俺からクリス先輩への感情は、憧れ以外のものも盛り込んで肥大し、今に至る。恋、恋とはどんなものだろうか。もしかしたらあの日クリス先輩に負かされてから、俺はずっとクリス先輩に恋をしていたのかもしれない。それほど強い気持ちでクリス先輩を求めてきた。
技術的な面ももちろん、人間としても完璧なようでいてどこか脆い、そんな陰のある強さを同じ場所で見ることが叶わなくなるかと思っただけで、生まれた年度がつくづく恨めしい。さっきからぱらぱらとめくっているスコアブックの内容が全く頭に入ってこない。クリス先輩が肩を壊す前の練習試合。東さんの一個上の代のピッチャーへ、クリス先輩がしたリードの内容が記してある。
「随分懐かしいものを」
本人の登場で思い切り驚いてしまった。対等な存在でありたいと、俗っぽい言い方をすれば、かっこいいところを見せたいと願えば願うほど、理想の対応からかけ離れてしまう。
「居るなら居るって言ってくれればいいじゃないですか」
「熱心に見ていたから、邪魔するのも悪いかと思って」
「これ、先輩がやったリードなんだからいろいろ教えてくださいよ」
無意識ににじみでた、苦しげな笑みを見逃さなかった。
俺が思っているほど強い人ではないのにいつもクリス先輩を等身大以上に見積もってしまいたくなる。
大人びているようでいて、ほんのすこし身の回りのひとたちより達観せざるを得なかっただけだ。
「このときは、まだ怪我していないころだな」
「俺が先輩にあこがれて青道へ進学決めたころの試合なんで、俺にとっても思い出深いんです」
「そうか……」
そういったきり黙りきってしまった先輩の表情を伺えない。もうすぐ卒業なのさみしいので、思い出話がしたいんですと素直に言ってしまえばよかったのに、真意を悟られたくなかったがために、クリス先輩の帰らない思い出を掘り返す必要はなかったのかもしれない。
「俺の怪我がなかったら、正捕手争いを宮内と、俺とお前と小野とでしていたんんだろうな」
「それはもう、きっと」
先輩が自分の怪我に関して、もし、を言うのは珍しい。それを仲間に、特に同年代に吐き出したところで雰囲気を悪くするのが目に見えているからだろう。それに、哲さんや丹波さんは、俺が気づいていればと自分に原因を見つけようとするタイプだからなおさら言いにくいのだろう。
自分を意識的に選んでそういう話を振ったのかはわからないが、心の距離が、以前より縮んでいることを先輩が感じていたのだとしたら、と都合の良い解釈をする。
「先輩が卒業したら、追いかける人がいなくなってしまって」
さびしいです、と続けるつもりだったが、卒業、ここからいなくなって別の場所で生活する、と頭によぎっただけで鼻の奥がツンと痛んでしまう。そんなに涙もろい性質ではないのに。
「お前が追いかけてきたのは俺だったのか?」
「え?」
俺にとっては何をいまさら、と言いたいところだか憧れていたのは俺の勝手な行動ともいえる。
「お前は甲子園のことしか追いかけていないかとおもっていた」
「それは、そうですけど」
どう違うかと問われると答えに詰まるが、甲子園というものは野球で頂点を目指すものにとっての目指すべき偶像であって、クリス先輩は、人間関係も、だれにも言うつもりは無いがすこしだけ寂しかった家庭でのことも全てつぶしてしまうくらい強い光だった。野球にだけ打ち込んでいていいんだ、と思わせてくれた。
「うまく言えないですけど、もっと先輩はとくべつです」
言ってからなんて恥ずかしいことを言ったのか理解した。先輩も驚いて苦笑しているし。特別、という言葉で飾れないほど、それでも崇拝と呼ぶにはキレイな感情では塗れない。クリス先輩の前では、自分が一番わからない気持ちでいっぱいになる。
「そんなにか?」
「そんなにです」
「お前に俺が、なにか残せたってことかな」
「そんな、遠くへ行っちゃうみたいなこと言わないでくださいよ」
「そうだな」
口先だけ、遠くに行かないように言ってはみるが、実際、俺は明日も明後日も、野球というスポーツがある限り練習漬けの毎日で、先輩には進学先での野球があって。同じ世界で生きているようでいて、違う道を歩き出すことは痛いほどわかっている。
野球で繋がった縁が、野球によって緩んでいくような気がして、焦りを生んでいるんだろう。
「俺は」
「なんだ?」
俺がどんな目で先輩を見ているか知る由もない先輩が、後輩がなにか言いよどんでいるのを心配して顔を覗き込んでくる。それだけの行動なのに、衝動的に、いままで我慢に我慢を重ねて築き上げてきた関係を壊してでも、手に入れたい、と頭によぎった。
「……先輩、卒業しても試合とか練習見に来てくださいね」
「ああ、行くつもりだ」
誰かに想いを伝えるということは自分の弱みをさらけだすことだと、実感した。泣いて縋って好きです寂しいですと言えたらどんなに俺の精神が救われるだろうか。
◆
号泣すると思っていた奴らが意外と泣いていなかったので、一層泣きづらくなった。笑顔で見送りたい、心配要りません、甲子園で頑張ってきますと言って、安心して去ってほしかった。
と、思っていながらどうにもこらえきれそうにない。
「御幸」
声を聴いただけで涙腺がゆるむ。あこがれて、でも届かないうちに手からこぼれ落ちていった先輩が、また、手の届かないところへ行ってしまう。
「先輩、ご卒業おめでとうございます」
「あぁ、ありがとう、お前、怪我ちゃんと治せよ」
俺を見てきたんだろう、なら、わかるよな。と他の先輩に聞こえないように。
「はい」
「うん、いい返事だ」
沢村にするように、一人の後輩の面倒を見る先輩として去ろうとしている。
「先輩」
「なんだ?」
「俺、先輩がもう一度野球しているところ、見たいです」
「見ているだけでいいのか?」
いたずらっぽく笑って、俺の髪についた桜の花びらをつまんでいる。花笛がしたいのか、指先でつまんで引っ張って、息を吹きかけて。
「……随分汚い音がでましたね」
「そうだな」
至極残念そうに花びらを捨てて、向き直る。捨ててしまったのがもったいなく思えて、つい目が花びらを追ってしまった。
「御幸が怪我したって聞いて」
思わず身が竦んだ。一番言われたくないことを、一番言われたくない人に言われてしまった。
「御幸は俺から何を学んだんだ、って。腹立たしいくらい心配だったよ。柄じゃなく、説教までしてしまったくらいには」
「……すみません」
「いや、謝ることはない。現に俺が御幸の状況だったら迷わず試合に出るからな」
どこか本題をぼかしているような印象を受ける。いやに饒舌なのが怪しい。
「先輩、どうかしましたか」
「お前だけは誤魔化せそうにないな」
お前だけは、その言葉がどれだけ俺をよろこばせるか、先輩は絶対に知らない。
「お前は俺を高く評価してくれていたが、なにか、後輩に残せたのか、と思って」
らしくない弱気な声で、怪我をしてぼろぼろだったときの声で囁く。
青道高校野球部という組織のなかで、選手としての道を選んだことで浮いた存在になってしまったクリス先輩に、どこがすごいんだ、と心ない言葉をつぶやく奴がいなかったわけではない。
そのたびにそいつを軽蔑してきたが、先輩はそうもいかなかったのだろう。クリス先輩が心から信頼していた組織からの言葉は、確実に先輩のなかに溜まっていったのだろう。
「俺は、ずっと先輩のこと見てきましたから。怪我する前の、誰もよせつけないくらい守ってもよし、打ってもよし、のときも、選手としては難しいって言われてから、それでも選手としての自分を諦めなかったときとか……後輩って、口でどうこう言うより、その人の背中を見て育っているもんだと思います。っていうか、俺はそうです」
思わず熱弁してしまった。反応が怖くて目を逸らした。純さんがボロボロ泣きながら読んでる、と茶化されながらも読んでいた漫画なんかよりずっとクサい。
「御幸が、誰かについてそんなに語るなんて、はじめて聞いたかもしれない」
無邪気に喜んで、表情をほころばせる先輩。誰にでもそうするわけじゃないんですよ、とまで言わないと、自分の気持ちを表したことにならないらしい。
「先輩という目標に、憧れていたから俺は強くなれたんです」
「俺は、御幸を通して青道に貢献できたってことかな」
「俺だけじゃない、後輩キャッチャー、小野も、狩場も、先輩を見て育ちましたし、これから入ってくるキャッチャーも、俺らのなかにある先輩を見て育ちます。それに、ピッチャー陣も」
俺が言葉を選ぶ余裕がないのを、笑い飛ばすわけでもなく、俺の言葉を待っていてくれる。
「買いかぶり過ぎじゃないか?」
「絶対に違います」
「わかったから、そんなにむきになるな」
喉の奥で笑って、俺の肩を叩く。偶然にも、先輩が怪我したのと同じ肩。
「でも、ありがとう御幸。俺はお前の先輩でよかった」
「先輩、ってだけじゃない、こんどは、ライバルとして」
一瞬、驚いたように目を見開いて、まるで余裕たっぷりの、悪い大人のような顔をして笑って、それは、たのしみだなと返してくれた。さっきの言葉には、先輩後輩としてだけじゃなく、もっと近くて、特別な関係にと思っているのだけど、今、言うべきだろうか。先輩の記念日に、後輩から好きだと言われて戸惑わないはずがないし、いやな気持にさせたら、と悪い方へ悪い方へ考えてしまう。
「御幸、なんて顔しているんだ、できれば笑顔で送って」
「できません」
「え?」
まさか否定されるとは思っていなかったらしく、唖然、を表に出してきた。
「……ハンカチ要るか?」
「持ってます」
最悪のタイミングで涙を堪えきれなくなってしまった。こんなはずじゃなかった。笑顔で、先輩、お元気で、って言ってこっそり想っている予定だった。
「イケメン捕手、が台無しだな」
「なんですかそれ」
「クラスの子が言っていた」
恥ずかしいやら居たたまれないやらで、穴があったら入りたい、ここから逃げたいと強く思った。先輩がうれしそうに、御幸が泣いてくれるほどだとは思っていなかった、だとか言いながら桜の花びらを捕まえようとしていて、泣き顔を見ないでおいてくれているのが唯一の救いだ。
「顔はどうあれ、秋大会のときの御幸はかっこよかったぞ」
「え……?」
「チームの柱として、しっかりやっているじゃないか、って」
また涙があふれてきてしまった。認められたくて、憧れてきた存在に褒められた嬉しさと同時に、遠いところに行ってしまうのだと実感してしまった。
「でも、ごめんなさい」
「どこに謝る必要が……?」
「買いかぶっているのは先輩のほうです」
「珍しいな、御幸が謙遜なんて」
「俺、先輩がほかのチームメイトとかを想う好きとは、また違う意味で、」
◆
ぐすぐすと鼻をすする音がどこからともなく聞こえてくる教室から、写真を撮ろう、ボタンを、という声からなんとか潜り抜けてグラウンドへ向かう。もうみんな揃っていて、後輩に囲まれている。
純が気づいて、ボタンがすべて無くなったブレザーをつまんで笑う。
「やっぱり、毟られてやがんな。ボタン」
「そういうお前も、第二ボタンが」
「まぁなーーー!俺の雄姿を見逃さなかったってわけだ」
「そうだな」
ストレートに褒められると照れてしまうようで、理不尽に小突かれてよろめいた。
「クリスも野球、続けるんだよな」
「ああ」
人懐っこい笑みをうかべて、またクリスが野球しているとこ見てぇな、としみじみ言われてしまったら、いよいよ卒業なんだと今更実感する。
「食堂に置いてあるスコアブック、取ってくる」
「おー、このあとメシ食いに行くって」
「わかった、すぐ行く」
「ん」
証書が入っている丸筒でチャンバラをはじめた純の後頭部を亮介がたたく。いつもの光景を懐かしむ日がいつかやってくる、進行している時はいつも気づかない。
御幸に、よくできた後輩でありながら、強く俺を慕ってくれた選手と話しておきたい、と思っていたら一人食堂でスコアブックをめくっていた。
「随分懐かしいものを……」
泣きながら見るようなものでもないのに、なぜか目じりが潤んでいる。先輩から泣いていることを指摘されるのも気分悪くなるだろうから黙っている。
甲子園出場という球児たちの夢をかなえて、これから上へ上へと勝ち上がって行くことを目標にする御幸から、何か悩んでいるというか言いよどんでいるような印象を受ける。いまだ知らない舞台へと歩んでいく不安があるのだろうか。
と、思ったらあまりに予想外のことでどういうべきか、考えが追い付かない。
「す、好き……?それは、選手としてのあこがれ、とかそういうものとは違う……のか?」
「ごめんなさい、いま言うべきじゃないかもしれないとは思ったんですけれど、違います」
いままでの常識の外側のできごとだが、不思議と嫌悪感は湧かなかった。むしろ信頼している後輩からの一番の好意が心地よかった。ライバルとして高めあいながらも近しい関係で居られる提案が後輩の精一杯の勇気が新しい道を示してくれた。
「耳まで赤い」
「泣いていましたから」
口をとがらせて目を逸らしてしまった御幸に向き直り、先輩後輩でありライバルであり、いちばん近いところで生きていきたい旨をうまくまとめて伝える。
目を見開いたままもう一筋涙を頬につたわせた御幸が可愛くて仕方がなくて。傍でずっと見守りたいのと同時によきライバルでありたくて。これを恋と呼ばないのならば、なにを恋と呼ぶのだろう。
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2015年春コミの再録
冬が去っていく。
洗顔のとき、水の温度がすこしだけ温むようになり、早朝にグラウンドに出ても霜が降りていることもなくなってきた。俺は先輩たちの進路を小耳にはさむようになってから、季節が去ってゆくと同時に、先輩たちも去っていくことが頭の隅を占めるようになった。
人間関係での未熟を、技術の未熟を忘れさせてくれる強烈な憧れにあてられてから早いものでもう、五年になる。憧れを追いかけていたら、憧れていた人がもっていたものは、そのひとと実力を争ったわけでもないのに、俺の手の中へ転がり込んできた。そこに自分の努力がなかったとは言わない。それこそ血がにじむような努力をしてきた。が、全盛期の輝きを追い続けてきた俺には、寂しさに似た苦さが残った。
五年の間に、俺からクリス先輩への感情は、憧れ以外のものも盛り込んで肥大し、今に至る。恋、恋とはどんなものだろうか。もしかしたらあの日クリス先輩に負かされてから、俺はずっとクリス先輩に恋をしていたのかもしれない。それほど強い気持ちでクリス先輩を求めてきた。
技術的な面ももちろん、人間としても完璧なようでいてどこか脆い、そんな陰のある強さを同じ場所で見ることが叶わなくなるかと思っただけで、生まれた年度がつくづく恨めしい。さっきからぱらぱらとめくっているスコアブックの内容が全く頭に入ってこない。クリス先輩が肩を壊す前の練習試合。東さんの一個上の代のピッチャーへ、クリス先輩がしたリードの内容が記してある。
「随分懐かしいものを」
本人の登場で思い切り驚いてしまった。対等な存在でありたいと、俗っぽい言い方をすれば、かっこいいところを見せたいと願えば願うほど、理想の対応からかけ離れてしまう。
「居るなら居るって言ってくれればいいじゃないですか」
「熱心に見ていたから、邪魔するのも悪いかと思って」
「これ、先輩がやったリードなんだからいろいろ教えてくださいよ」
無意識ににじみでた、苦しげな笑みを見逃さなかった。
俺が思っているほど強い人ではないのにいつもクリス先輩を等身大以上に見積もってしまいたくなる。
大人びているようでいて、ほんのすこし身の回りのひとたちより達観せざるを得なかっただけだ。
「このときは、まだ怪我していないころだな」
「俺が先輩にあこがれて青道へ進学決めたころの試合なんで、俺にとっても思い出深いんです」
「そうか……」
そういったきり黙りきってしまった先輩の表情を伺えない。もうすぐ卒業なのさみしいので、思い出話がしたいんですと素直に言ってしまえばよかったのに、真意を悟られたくなかったがために、クリス先輩の帰らない思い出を掘り返す必要はなかったのかもしれない。
「俺の怪我がなかったら、正捕手争いを宮内と、俺とお前と小野とでしていたんんだろうな」
「それはもう、きっと」
先輩が自分の怪我に関して、もし、を言うのは珍しい。それを仲間に、特に同年代に吐き出したところで雰囲気を悪くするのが目に見えているからだろう。それに、哲さんや丹波さんは、俺が気づいていればと自分に原因を見つけようとするタイプだからなおさら言いにくいのだろう。
自分を意識的に選んでそういう話を振ったのかはわからないが、心の距離が、以前より縮んでいることを先輩が感じていたのだとしたら、と都合の良い解釈をする。
「先輩が卒業したら、追いかける人がいなくなってしまって」
さびしいです、と続けるつもりだったが、卒業、ここからいなくなって別の場所で生活する、と頭によぎっただけで鼻の奥がツンと痛んでしまう。そんなに涙もろい性質ではないのに。
「お前が追いかけてきたのは俺だったのか?」
「え?」
俺にとっては何をいまさら、と言いたいところだか憧れていたのは俺の勝手な行動ともいえる。
「お前は甲子園のことしか追いかけていないかとおもっていた」
「それは、そうですけど」
どう違うかと問われると答えに詰まるが、甲子園というものは野球で頂点を目指すものにとっての目指すべき偶像であって、クリス先輩は、人間関係も、だれにも言うつもりは無いがすこしだけ寂しかった家庭でのことも全てつぶしてしまうくらい強い光だった。野球にだけ打ち込んでいていいんだ、と思わせてくれた。
「うまく言えないですけど、もっと先輩はとくべつです」
言ってからなんて恥ずかしいことを言ったのか理解した。先輩も驚いて苦笑しているし。特別、という言葉で飾れないほど、それでも崇拝と呼ぶにはキレイな感情では塗れない。クリス先輩の前では、自分が一番わからない気持ちでいっぱいになる。
「そんなにか?」
「そんなにです」
「お前に俺が、なにか残せたってことかな」
「そんな、遠くへ行っちゃうみたいなこと言わないでくださいよ」
「そうだな」
口先だけ、遠くに行かないように言ってはみるが、実際、俺は明日も明後日も、野球というスポーツがある限り練習漬けの毎日で、先輩には進学先での野球があって。同じ世界で生きているようでいて、違う道を歩き出すことは痛いほどわかっている。
野球で繋がった縁が、野球によって緩んでいくような気がして、焦りを生んでいるんだろう。
「俺は」
「なんだ?」
俺がどんな目で先輩を見ているか知る由もない先輩が、後輩がなにか言いよどんでいるのを心配して顔を覗き込んでくる。それだけの行動なのに、衝動的に、いままで我慢に我慢を重ねて築き上げてきた関係を壊してでも、手に入れたい、と頭によぎった。
「……先輩、卒業しても試合とか練習見に来てくださいね」
「ああ、行くつもりだ」
誰かに想いを伝えるということは自分の弱みをさらけだすことだと、実感した。泣いて縋って好きです寂しいですと言えたらどんなに俺の精神が救われるだろうか。
◆
号泣すると思っていた奴らが意外と泣いていなかったので、一層泣きづらくなった。笑顔で見送りたい、心配要りません、甲子園で頑張ってきますと言って、安心して去ってほしかった。
と、思っていながらどうにもこらえきれそうにない。
「御幸」
声を聴いただけで涙腺がゆるむ。あこがれて、でも届かないうちに手からこぼれ落ちていった先輩が、また、手の届かないところへ行ってしまう。
「先輩、ご卒業おめでとうございます」
「あぁ、ありがとう、お前、怪我ちゃんと治せよ」
俺を見てきたんだろう、なら、わかるよな。と他の先輩に聞こえないように。
「はい」
「うん、いい返事だ」
沢村にするように、一人の後輩の面倒を見る先輩として去ろうとしている。
「先輩」
「なんだ?」
「俺、先輩がもう一度野球しているところ、見たいです」
「見ているだけでいいのか?」
いたずらっぽく笑って、俺の髪についた桜の花びらをつまんでいる。花笛がしたいのか、指先でつまんで引っ張って、息を吹きかけて。
「……随分汚い音がでましたね」
「そうだな」
至極残念そうに花びらを捨てて、向き直る。捨ててしまったのがもったいなく思えて、つい目が花びらを追ってしまった。
「御幸が怪我したって聞いて」
思わず身が竦んだ。一番言われたくないことを、一番言われたくない人に言われてしまった。
「御幸は俺から何を学んだんだ、って。腹立たしいくらい心配だったよ。柄じゃなく、説教までしてしまったくらいには」
「……すみません」
「いや、謝ることはない。現に俺が御幸の状況だったら迷わず試合に出るからな」
どこか本題をぼかしているような印象を受ける。いやに饒舌なのが怪しい。
「先輩、どうかしましたか」
「お前だけは誤魔化せそうにないな」
お前だけは、その言葉がどれだけ俺をよろこばせるか、先輩は絶対に知らない。
「お前は俺を高く評価してくれていたが、なにか、後輩に残せたのか、と思って」
らしくない弱気な声で、怪我をしてぼろぼろだったときの声で囁く。
青道高校野球部という組織のなかで、選手としての道を選んだことで浮いた存在になってしまったクリス先輩に、どこがすごいんだ、と心ない言葉をつぶやく奴がいなかったわけではない。
そのたびにそいつを軽蔑してきたが、先輩はそうもいかなかったのだろう。クリス先輩が心から信頼していた組織からの言葉は、確実に先輩のなかに溜まっていったのだろう。
「俺は、ずっと先輩のこと見てきましたから。怪我する前の、誰もよせつけないくらい守ってもよし、打ってもよし、のときも、選手としては難しいって言われてから、それでも選手としての自分を諦めなかったときとか……後輩って、口でどうこう言うより、その人の背中を見て育っているもんだと思います。っていうか、俺はそうです」
思わず熱弁してしまった。反応が怖くて目を逸らした。純さんがボロボロ泣きながら読んでる、と茶化されながらも読んでいた漫画なんかよりずっとクサい。
「御幸が、誰かについてそんなに語るなんて、はじめて聞いたかもしれない」
無邪気に喜んで、表情をほころばせる先輩。誰にでもそうするわけじゃないんですよ、とまで言わないと、自分の気持ちを表したことにならないらしい。
「先輩という目標に、憧れていたから俺は強くなれたんです」
「俺は、御幸を通して青道に貢献できたってことかな」
「俺だけじゃない、後輩キャッチャー、小野も、狩場も、先輩を見て育ちましたし、これから入ってくるキャッチャーも、俺らのなかにある先輩を見て育ちます。それに、ピッチャー陣も」
俺が言葉を選ぶ余裕がないのを、笑い飛ばすわけでもなく、俺の言葉を待っていてくれる。
「買いかぶり過ぎじゃないか?」
「絶対に違います」
「わかったから、そんなにむきになるな」
喉の奥で笑って、俺の肩を叩く。偶然にも、先輩が怪我したのと同じ肩。
「でも、ありがとう御幸。俺はお前の先輩でよかった」
「先輩、ってだけじゃない、こんどは、ライバルとして」
一瞬、驚いたように目を見開いて、まるで余裕たっぷりの、悪い大人のような顔をして笑って、それは、たのしみだなと返してくれた。さっきの言葉には、先輩後輩としてだけじゃなく、もっと近くて、特別な関係にと思っているのだけど、今、言うべきだろうか。先輩の記念日に、後輩から好きだと言われて戸惑わないはずがないし、いやな気持にさせたら、と悪い方へ悪い方へ考えてしまう。
「御幸、なんて顔しているんだ、できれば笑顔で送って」
「できません」
「え?」
まさか否定されるとは思っていなかったらしく、唖然、を表に出してきた。
「……ハンカチ要るか?」
「持ってます」
最悪のタイミングで涙を堪えきれなくなってしまった。こんなはずじゃなかった。笑顔で、先輩、お元気で、って言ってこっそり想っている予定だった。
「イケメン捕手、が台無しだな」
「なんですかそれ」
「クラスの子が言っていた」
恥ずかしいやら居たたまれないやらで、穴があったら入りたい、ここから逃げたいと強く思った。先輩がうれしそうに、御幸が泣いてくれるほどだとは思っていなかった、だとか言いながら桜の花びらを捕まえようとしていて、泣き顔を見ないでおいてくれているのが唯一の救いだ。
「顔はどうあれ、秋大会のときの御幸はかっこよかったぞ」
「え……?」
「チームの柱として、しっかりやっているじゃないか、って」
また涙があふれてきてしまった。認められたくて、憧れてきた存在に褒められた嬉しさと同時に、遠いところに行ってしまうのだと実感してしまった。
「でも、ごめんなさい」
「どこに謝る必要が……?」
「買いかぶっているのは先輩のほうです」
「珍しいな、御幸が謙遜なんて」
「俺、先輩がほかのチームメイトとかを想う好きとは、また違う意味で、」
◆
ぐすぐすと鼻をすする音がどこからともなく聞こえてくる教室から、写真を撮ろう、ボタンを、という声からなんとか潜り抜けてグラウンドへ向かう。もうみんな揃っていて、後輩に囲まれている。
純が気づいて、ボタンがすべて無くなったブレザーをつまんで笑う。
「やっぱり、毟られてやがんな。ボタン」
「そういうお前も、第二ボタンが」
「まぁなーーー!俺の雄姿を見逃さなかったってわけだ」
「そうだな」
ストレートに褒められると照れてしまうようで、理不尽に小突かれてよろめいた。
「クリスも野球、続けるんだよな」
「ああ」
人懐っこい笑みをうかべて、またクリスが野球しているとこ見てぇな、としみじみ言われてしまったら、いよいよ卒業なんだと今更実感する。
「食堂に置いてあるスコアブック、取ってくる」
「おー、このあとメシ食いに行くって」
「わかった、すぐ行く」
「ん」
証書が入っている丸筒でチャンバラをはじめた純の後頭部を亮介がたたく。いつもの光景を懐かしむ日がいつかやってくる、進行している時はいつも気づかない。
御幸に、よくできた後輩でありながら、強く俺を慕ってくれた選手と話しておきたい、と思っていたら一人食堂でスコアブックをめくっていた。
「随分懐かしいものを……」
泣きながら見るようなものでもないのに、なぜか目じりが潤んでいる。先輩から泣いていることを指摘されるのも気分悪くなるだろうから黙っている。
甲子園出場という球児たちの夢をかなえて、これから上へ上へと勝ち上がって行くことを目標にする御幸から、何か悩んでいるというか言いよどんでいるような印象を受ける。いまだ知らない舞台へと歩んでいく不安があるのだろうか。
と、思ったらあまりに予想外のことでどういうべきか、考えが追い付かない。
「す、好き……?それは、選手としてのあこがれ、とかそういうものとは違う……のか?」
「ごめんなさい、いま言うべきじゃないかもしれないとは思ったんですけれど、違います」
いままでの常識の外側のできごとだが、不思議と嫌悪感は湧かなかった。むしろ信頼している後輩からの一番の好意が心地よかった。ライバルとして高めあいながらも近しい関係で居られる提案が後輩の精一杯の勇気が新しい道を示してくれた。
「耳まで赤い」
「泣いていましたから」
口をとがらせて目を逸らしてしまった御幸に向き直り、先輩後輩でありライバルであり、いちばん近いところで生きていきたい旨をうまくまとめて伝える。
目を見開いたままもう一筋涙を頬につたわせた御幸が可愛くて仕方がなくて。傍でずっと見守りたいのと同時によきライバルでありたくて。これを恋と呼ばないのならば、なにを恋と呼ぶのだろう。
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2015年春コミの再録