父の背中 #ダイヤの #カップリング #御クリ
「先輩、お盆どうします?」
「そうだな……御袋のところに顔出すつもりだ。親父の墓参りに行こうと誘われているんだだ」
「そうですか、十五日ですか?」
「ああ」
「じゃあ、他の日はご飯いりますね」
クローゼットから懸命に喪服を探すクリス先輩の朽葉色の髪に、白いものが目立つようになってきた。それほどに、俺たちは長いときを過ごした。単なる先輩と後輩から、同性パートナー、と名の付く関係になってからは、十九年。俺がクリス先輩と出会ったのが中学、十三か十四だから、途方もなく長いように感じる。
始めから順風満帆というわけではなく、どんなに好きあっててもひとつの個人と個人の生活なのだからいろいろとやり合った。例えば一緒に寝ていても、クリス先輩は暑がりだから冷房の設定温度は二十五度が良い、俺は二十七度が良いと良い大人が二度のためにいってきますのキスをしなかったことがあったり。挙げはじめたらきりがない。その結果として一つの家族の形として、上手くやっていると思う。
高校生の頃は、こうして優しく頬を撫でるだなんて夢のまた夢だった。夢みたいだ、と今でも思うことはある。けれどこうして優しく微笑み返されて、どうしたんだ御幸、と頬にキスが一つ落とされた感触は、香りは現実だ。
五十代も後半になり、クリス先輩が存在しないかった時間より、存在する時間の方が増えているという事実が堪らなく、幸福という他に言葉が見つからない。
かけがえない人と過ごす時間は、今も、昔も輝いている。
久しぶりに、父に会ってみようかと思い立った。男性とパートナーになる、と報告し、すこし驚いてから、そうかとだけ言ったのを最後になんとなく顔を合わせづらくて会っていない。もとから口数の少ない父は、歳をとるごとに更に必要以上に話さなくなった。今更顔を合わせたところで、何を離せばいいかわからないが肉親に会いたいという気持ちに格段理由をつける理由もないだろう。
「もしもし」
「一也か」
「そうだよ」
親というものはこれだけ長い間会っていなくても、歳をとっていても、息子の声を聞いただけで分かるものらしい。
「ちょっと、お盆のときにでも会えたらなって思って」
「ああ、いいぞ」
意外とあっさりと会う約束ができてしまった。あれだけ抵抗感があった、ヘテロとして生きている父と会うことも、もしかしたら時間が解決してくれるのかもしれない。
◇
「先輩、今日は俺も外で食べてきます」
「ああ」
「親父と会うんです」
「そうか、そうしておいた方がいいと思うぞ」
「はい」
朝食の納豆にミョウガを山のように盛る先輩の前に、冷たいほうじ茶を置くとありがとう、と返事。
先輩がおととしの夏からミョウガにハマり、(先輩に言わせると、あの苦味がたまらん、らしい)ベランダの作物にミョウガを新しく植えたのは記憶に新しい。一度植えるとたくさんできるとどこかから聞いてきたらしく、甲斐甲斐しく水を遣っている。
昼前には家を出ると言っていた先輩は、喪服がなかなか見つからないらしく、家じゅうを右往左往している。最近、指摘しづらいが物忘れが目立つようになってきている。それだけの時を、俺は、先輩は過ごしてきた。
「悪い、貸してくれないか」
「いいですよ」
性別も体格も変わらないからこそできる貸し借り。白いシャツに、黒いネクタイ。それだけのある種日本的な喪に服す記号である喪服。それがここまで素敵に決まってしまうのだから、惚れた色眼鏡を通して見るのは本当に恐ろしいものだ。これだけ長い付き合いなのに、暫しの間見とれてしまう。
視線に気付かれてしまい、恥ずかしくなって部屋を後にした。見ていてもいいんだぞ、と冗談めかした声が俺の背に向かって投げられる。現役時代の投球を思い出す力強い皮肉だ。
少し薄めに作ったスポーツドリンクをお気に入りの水筒につめて、いってきます、のキスを頬に落としていった。
世の夫婦がどうなのかは知らないが、あまりベタベタと、時間を詰めて会う関係ではないから一人の時間が苦ではない。必ずあの人はここへ帰ってくると思いが、この長い時間、さまざまなやり合いの積み重ねがあって、確信できる。
のんびりと見送ったが、俺もそろそろ準備をしなくては。父は時間に厳しい人だから、口約束とは言えあんまりにも遅いとさらにだんまりを決め込むだろう。
お盆休み、しかも土曜ともなれば乗り換えた先々すべて空いている。先日、クリス先輩が高校生から席を譲られたと言ってたいそうショックを受けていた。高校生のときであった俺らが、高校生から見たら、労わるべき老人に見えたというのだから、時の流れは恐ろしい。それでいて、俺がかけている眼鏡が老眼鏡になった今も、先輩との出会いから、鮮明に思い出せるのだから人の記憶は恐ろしい。
ぼんやりと懐かしい思い出に浸っていると、実家の最寄駅についていた。少しも変わらない故郷、というわけにはいかず駅前の様子は随分様変わりしていた。高校のときにあった店はほとんどなくなり、それぞれ別の店になっている。二十代の頃クリス先輩と行った小さな飲み屋、先輩がモツ煮をおいしいおいしいと食べていた店も、なくなってしまっている。古ぼけたテナント募集中の看板にとまっている蝉のけたたましい鳴き声だけが鼓膜を叩く。
さやさやと葉擦れを奏でる竹林の脇を抜けると、見慣れた灰色の塔の群れが見えてくる。小さいころ、あの塔、煙突の排煙がオバケに見えると泣いて父を困らせた記憶がある。父は工場を余所の経験者に譲って、時に技術指導をしながら暮らしている、と言っていた。元気にやっているだろうか。記憶の糸をよくよくほどいてみると、孫の顔は見せられないと宣言してから会っていなかった。実に気まずい。が、ここまで来ておいて戻るわけにもいかない。
しんと静まり返るコンクリートの三和土から、小さくただいま、と言うと無愛想であまり感情を出しているところを見たことが無い父が何故か泣きそうな顔でおかえり、と返してくれた。
人を迎えるとき、これ以外の候補がないのかもしれない、と三つ重ねられた特上寿司のすし桶を横に除け、ずっと客を待っていたことを想像させる、水滴が余すことなくついたグラスの麦茶を一気に飲む。
父と、母と、本当に小さいころの自分の写真を、俺が小学四年ごろに図工の授業で作った木枠と紙粘土の写真立てに立てている。色の悪いカレーパンのような紙粘土製のキャッチャーミットが貼り付けられている。このころには、俺はクリス先輩といずれ出会う未来を歩み始めているかと思うと少しだけ頬が緩む。
独り暮らしが長いからか、実に手慣れた手つきで新しく緑茶をいれてくれた。一緒に暮らしていた頃はあまりそういうことをしていないから、苦手なのだと思っていた。
「一也」
「うん」
こんなに年をとっていながら、親とスムーズに会話ができないことに恥ずかしさすら覚える。ただ一人残った肉親とですら意志疎通が上手くできない憤りと寂しさ、のようなものに襲われる。
「お前は、できた息子だ」
「え?そ、そうかな」
「ああ」
それだけ言って満足したのか、湯飲みに手をかける父は何でもなさそうに俺を褒めた。数えるくらいしか褒められた記憶が無いだけに、なぜんこのタイミングで褒められたのか。混乱する俺を置いて父は珍しく話し続ける。父はというと何ともない様子で割り箸を割っている。
「お前が甲子園行きを決めてから、言おう言おうと思っていたんだけどな……」
大きな父、言葉にはせずとも尊敬する父からそんな言葉が聞けてしまうとは。混乱と、さらに動揺を心に沈める。湯飲みを持つ手の皺の深さが嫌に目についてしまう。
「お前が今、幸せを、誰かと生きることが幸せに思えて誰かと生きているなら、それが誰であろうと、構わない」
父には、ヘテロとして生き、ヘテロ以外の選択肢を考えてこなかったであろう父にこんなにあっさりと許容されるとは思ってもみなかった。どんな顔で俺を見ているのか見たくなくて澄んだ黄緑色を見つめるほかなかった。
「そんなに縮こまることは無い、一也、親はな、というか、俺はなお前が幸せならそれで、それ以上望むことは無いんだ」
「オヤジがそんなに喋ったの、初めて聞いたかも」
「そうか?」
「そうだよ」
ふふ、と穏やかに笑う父を、呆けた顔で見ることしかできなかった。ここまでわかり合うまでにこんなに長い時間をかけたが、わかり合うときは二、三の言葉で十分だったということだろうか。父の気持ちにまで気をまわし過ぎたのかもしれない。父は、言葉にせずともずっと気持ちは寄り添ってくれていた、と信じていいのだろう。
「母さんの仏壇に線香あげてけ」
「そのつもり」
埃一つない仏壇の前に座り、記憶にない母の笑顔と向き合う。母にも心の中で、現在の自分の幸せを報告し、手を合わせた。嗅ぎ慣れない線香の香が鼻をつく。嫌な気はしないが、この香りは死と結びつきすぎている、と思う。人の死のそばに常につきまとう香りだ。
「一也、お前の好い人は随分男前だな」
「なっ、えっ?」
リビングに戻って急にこういわれて驚かざるを得ない。
「なんで知って……」
「お前の定期入れ、玄関に落ちてたぞ。しかしお前もカッコ付けておいて定期に写真だなんてベタなことするんだな」
「オヤジこそ、財布に母さんの写真入れてるくせに」
父は目じりにいっそう皺を湛えて、折りたたみ財布の小銭入れの裏からの紙片を取り出して寄越した。
「お前が生まれてすぐ、母さんがお前と写りたいって言うもんだからな」
仏壇で笑う母とは、また違う母の笑み。小さく、まだ目も開いてない俺を抱く母と、それを撮る父。口に出すのは恥ずかしい。だが胸に灯るあたたかさがある。
「……親馬鹿」
「いいさ、馬鹿で」
そう言って庭に出てタバコを吸う父の背中、超えたと思った背がずいぶん大きく見えた。
「また近いうちに寄るよ」
「おう、また来い……今度は二人で来い、近くに美味い魚を煮つける居酒屋ができたんだ」
「うん……?」
「だから、その男前を連れてこいって」
「そのうちに……」
「来ないつもりだろ」
「あ?わかった?」
「ああ、父親だからな」
「おそれいりました」
仏壇の近くの風鈴が、ちち、と少しだけ音を立てた。
夕暮れの竹藪は、空が狭く見える。
蝉の鳴き声が鼓膜を執拗に叩く。何度でも同じような夏が巡ってきた。大人になってからは特にそう感じる。高校のときは同じ夏なんて二度と来ないっていうことを嫌というほど知っていた。負ければ、先輩の引退という一番分かりやすい形で季節を区切る。けれど今は、クリス先輩が自分のそばに居てくれる、前の夏もそうだったというように先輩が居る夏か、という基準で考えている。だから同じ夏と言えるのだろう。いつまでも「同じ夏」が来ると良い。そんなことを考えてニヤついてしまう。もう五十だっていうのに。
「ただいま」
「あれ、早かったですね」
「ああ……」
クリス先輩は少しだけ不機嫌な様子で、喪服のジャケットをハンガーにかけている。
「親戚が来た」
おそらくその親戚に嫌味の一つや二つを言われてしまったのだろう。声はかけずにおいて冷たいほうじ茶を差し出す。
「ありがとう」
声からも表情からも、疲れがにじみ出ている。こんなときはあったかいお風呂に入って、それでもまだモヤモヤが残るなら、俺にもその気持ちを背負わせてほしい。先輩は風呂上りスッとするのが好きで、こんな暑い日は特に粘膜がヒリヒリするくらいハッカ油を入れてしまうから一声かけておく。タオルはしっかり太陽を浴びてふんわりしたものを渡す。
「何から何まで、ありがとう御幸」
「好きな人が素敵な時間を過ごして欲しいから、俺は家事楽しいですよ」
頬にキスをひとつ落とすと、少し苦しそうに笑って風呂場へ向かって行った。
先輩の親戚は同性パートナーとの生活に関して好意的な考えをもっておらず、そこまで深く気にしていない先輩のお母さんとの時間を邪魔されてへこんでいるのだろう。あのアクの強い親父さんがクリス先輩をそんな親類たちから守ってくれていたと言っていたから二重三重苦しいのだろう。
こればっかりは俺があれこれ気をまわしてもしょうがない。せめて少しでも生活するうえで気分よく暮らしてくれるように、手間をかける。
「先輩、身体が冷たい」
「そうか?」
「そうかじゃないですよ……ハッカ油たくさん入れたでしょ……そんな可愛い顔してもダメです」
「この歳になっても、かわいいのか?」
照れもあるのだろう、この前一緒に買いに行った毒々しい色のクッションでたたいてくる。一緒に過ごす時間全てが愛おしい、クリス先輩の見せる表情全てが可愛いと言ってしまいたい。
「そりぁあ、もちろん」
「お前、変わったな」
急に目じりに皺をためて嬉しそうに笑われてしまった。いつもと変わらないやりとりだと思っていたのだが。
「何がです?」
「いやあ、それは」
話題を投げたかと思えば、照れ隠しなのかずいぶん可愛らしい仕草で甘えてくる。だんだん心配になってきてしまう。いつもは結構ストレートに好きだのなんだの言いあっているのに、何かを言いよどんでいるように見える。
「俺は変わってないですよ」
「そうか?前よりなんだかかっこよくなってるぞ」
「……先輩、やっぱり何がありましたか」
「なんだかな、父は偉大だったな、と」
その父と同じ瞳の色をして、クリス先輩は今日あったことをぽつぽつと話し始めた。予想していた通り、母との時間を邪魔されてしまったようだった。
「何がいけないのか俺にはわからないし、母にもわからない。それなのに気に入らないらしくて」
俺らだけでは解決のしようがない問題に悩んでいる。消えることはないが、やり過ごすことはできる。クリス先輩の、ハッカの香りが遠慮なく香るうなじにキスをすると素直に振り向いてキスを受け入れてくれる。
「じゃあ、今度クリス先輩のお母さんと、うちのオヤジをウチに招きましょう。そうすれば変に邪魔されることもないでしょうし、たっぷりの薬味用意して、美味しいお蕎麦茹でましょう」
「ミョウガ」
大好きなメニューを出すと聞いて、少しは機嫌が直っただろうか。
「はいはい、そんなにミョウガばっかり食べてたらミョウガになっちゃいますよ……」
「……実はな、御幸が居ないときにミョウガと味噌で食べている」
「……」
「怒った顔も、男前だな」
「怒ってはないですけど……そうやって誤魔化そうとする」
「そんなことないぞ、本音だ本音」
「知っているんですからね最近一日一チョコ、血糖値を下げる運動をサボってるの」
「だって、夏は新作のミントチョコが出るんだぞ」
つい照れ隠しで厳しい言葉を浴びせてしまうが、大して気にした様子もない。
「それ秋も冬も春も言ってました」
「どんな季節も、お前と一緒だからおいしくチョコが食べれるんだ」
そうやって甘い言葉で言いくるめられてしまう。本当にチョロイ男だと自分でも思う。惚れた弱みというやつは本当に恐ろしい。
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