ある恋の話 #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #エドモン・ダンテス
「煙草一本ちょうだい」
黙って差し出される小箱から一本引き抜いて、ライターを探す。シュ、と火打石の音擦れる音が聞こえたかと思えば小さなプラスチック円筒の先に火が灯されている。
慌てて煙草を咥えて、吸いながら火を穂先につける。
「ありがと」
特に返事はなく、彼は元通り長椅子にゆったり腰かけなおし、読みかけの本を開く。自分の部屋で読めばいいのに、という言葉は、奇しくも同室になった、少年の姿で現界したサーヴァントの顔を思い出した。もとより博識な彼の事だから書庫の書物をかたっぱしから読んで、どれかで副流煙のことを読んでのことだろう。
その上で、彼なりに子供に気遣っているのだろう。
「ライターの使い方、知ってたんだね」
「お前が使ってただろう」
彼の前で確かに使ったことがあった。そんなところまで見ていたのかと感心してしまう。
「ねぇ、恋バナしよ」
「はぁ?」
心底不愉快、といったような返事が返ってきた。
それもそうだろう。彼の恋は恐ろしいほど残酷に潰えているのだから。
華々しい人生の幕開けともいえる披露宴の最中、物々しい雰囲気のなか引っ立てられてゆく若かりし頃の彼の心中を端から眺めているだけで絶望に呑まれそうになる。
「俺もなんかさぁ、こう、身を焦がすような恋がしてみたいなぁって……」
「それを知らずに死地に赴いているのか」
鼻で笑われてしまうかと思ったが、以外と冷静に返された。今の言葉は、やはり彼はエドモン・ダンテスの残滓の上に復讐の神という概念を盛り付けているのではないか、という仮説を裏付ける。
「そうなの……なんかここのみんなは大切だけど、家族みたいな感じがしちゃってさ……なんかトキメキがない」
「トキメキ?」
この人の口からトキメキ、なんて言葉が出てくるのは不似合でしかない。きっと冷たそうな青白い肌と同じく冷たい血が流れていて、俺の不格好な恋など一笑に付されてしまうだろう。
いや、俺が知らないだけで恋多き男だったのかもしれない。
「そうトキメキ。もう絶対コイツじゃないとダメ、みたいな衝動がないというか……」
「ああ……それは確かに恋とは呼ばないな」
うーん、と思いあぐねて俺はうろうろと、時に灰を灰皿に落として部屋を徘徊する。
「じゃあさ、メルセデスに恋してた?エデには?」
不機嫌どころで済まされないくらい嫌そうな顔をした彼は、子供の言うことだからと受け流そうとしているのが見てわかる。
けれど子供の浅知恵は思わぬ方向に振り切ることもある。俺はあの島から抜け出し、彼を呼び出すまででなにか落としてきてしまったようだ。
青白い肌をもっと青くして、言葉を絞り出そうとしている彼を眺めている。いくら強く睨んでも、俺の言葉が翻らないのを知ると言葉を選んでいるのがわかる。嫌なら無視するとか、他にやりかたがあるだろうに、なんだかんだとまっすぐで、綺麗な心を持ってる男だと思う。そのまっすぐさを逆手にとって、共に魔術王に勝利した、という勝利の証の具現である俺は、彼にどこまで許されるのか試したくなった。
「してたさ」
それだけつぶやくように言うと、不機嫌さが極まれたのか、備え付けの冷蔵庫から強いラム酒を取り出してきた。グラスは二つ。
「どんなとこが好きだった?」
やさしい飴色の液体が、繊細なつくりのグラスに注がれてゆくのを眺めながら、さらに質問を続ける。彼はやっかいな子供を相手にして、すっかり困ってしまった大人の顔をして簡単なつまみを作っている。きまりの悪さを呑みこむように呷り、酒臭い息を吐きながらも手は止めないでいる。半ばやけくそと言ったようにつらつらと語る。
「メルセデスは、」
昔恋した女を語る彼は、むせかえるくらいの色気を放っている。
この前エリザベートと一緒に見た映画に、傷つく男はうつくしい、だなんてセリフがあったけれど、まさにその通りだ。昔愛して、共に将来を誓い合った女、自分を待っていてくれなかった女、病に臥せ、悲しみのままに死んでいった父のことを気にかけてくれていた女、そして、憎しみに呑まれそうになったとき救い上げてくれた女のことを語る彼はひどくうつくしかった。ときに切なげに眉をしかめる様など、不埒ながら軽く絶頂すら覚えた。
チーズとトマトとバジルソースのカプレーゼと、オリーブ。料理の本も読んだのだろう、俺が食べ慣れている味だった。ラム酒は相当キツイもので、俺は彼ほど気前よく飲めないでいた。酔わないと語れないことなのだろう。
「そうかぁ、ありがとうね。なんとなくだけど、俺も恋ってやつが少しだけ身近に感じられたよ」
舌打ちですませてくれるだけありがたいと思う。あの仄暗いシャトー・ディフでこの話をしていたならもっと違う展開が待っていたに違いない。例えば物言わぬ骸になるとか。
「でも、元カノの名前を、名前がわからないって言ってる女の人につけるのは正直……」
これが一番悪手だったらしい。彼の不機嫌オーラで俺の肌がチリチリ痛むような感覚に襲われる。
「わかったよ……恥ずかしいんだね……」
「まさかアレだとは思わなかったからな」
くつくつと喉奥で笑みを磨り潰す笑い方をし、彼はまた煙草に火をつけた。俺も彼と同じマッチから火を貰いぼんやり考えた。その感情を恋と呼ぶのなら、俺はもうとっくに恋を知っていたし、していた。今彼に話したらきっととても驚いてしまうだろうから、もう少し暖めておくけれど、俺は彼に恋をしている。この切ないくらいの独占欲、庇護欲、俺はこれを恋と呼ぶ。
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歪んだ真珠は歪みに気づかないまま #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #エドモン・ダンテス
歪んだ真珠は歪みに気づかないまま #FateGrandOrder #夢小説 #男夢主 #エドモン・ダンテス
アンドロイドは電気羊の夢を見るか、だなんて知りはしないけれど、俺は今日もひどく恐ろしい夢を見る。
婚礼のため着飾った美しい人、そして、俺の恋敵、と呼ぶにはあまりに烏滸がましすぎる女性。
それを愛おしげにみつめれば同じ熱を持った視線が返ってくる。これを幸せと呼ばずに何と呼ぶのかわからないくらいの全身を包む純然たる幸福。と、同時に身体の末端から凍て腐り落ちそうなほどの嫉妬の炎が身を焼く苦しみ。
ひどい、俺の感情と、この夢の主の感情が交錯している。
場面が変わり、ひどく喧しく響く靴音、不穏な囁き声。
そして、気づいたときには。狭苦しくて、自由がきかない。誰かが話す声がするけれど、声を発することはしない。
何やら男の声がしたのち、体が急に宙へ浮いたと脳が認識したかと思えば、全身を叩きつけられるような痛みが体中に走った。
これだけのことが一気に起きるものだから、混乱はしているものの身体は勝手に動き、足枷を外して酸素を欲して海面を目指す。
俺自身はそう泳ぎがうまくないはずなのに、夢の中の俺は迷わず泳ぎだす。この先に島が無かったら、見つかってしまったらと胸に溜まる焦燥感はあるものの、ひとつ共通しているのが、唯生きたいと願う気持ちだ。
俺はこの夢をみるサーヴァントを知っている。
どういう仕組みだか知らないけれど、サーヴァントとマスターはときたま夢を共有するのだ。
初めてサーヴァントの夢を共有したときは恐ろしくて恐ろしくて、久しぶりに声を上げて泣き喚いてしまった。それがブーティカの夢だったのも一因だが、酷い、という言葉だけでは片付かないこの世の、何度繰り返されたかわからない地獄がそこにはあった。
あまりに大声で泣いていたのだろう、驚いたマシュが駆けつけてくれて、あたたかいタオルで顔を拭ってくれたかと思ったら安心してそのまま眠ってしまった。
けれど何度か繰り返すうちに、少しだけお酒を飲んで眠ってしまえばいいことが分かった。何度もマシュを叩き起こすのも悪い。
消灯時間が過ぎているため足元に等間隔に付けられた無機質な灯りを頼りに、食糧庫からラム酒と、一つのライムと少々の塩を失敬し、サーヴァントとスタッフたちが談話室として使用している部屋の中でも自然と口数が少ない者が集まる部屋に向かう。
これだけ夜遅ければ子供の身体をもったサーヴァントたちは、アンデルセンを除いて寝静まって入るだろうが、念には念いれる。
今日ばかりは陽気にお喋りする気にはなれない。
蝋燭の灯りに、青白い顔がぼんやり浮かんでいるのだけ見えたからすこし驚いたけれど、気だるげに視線がこちらを捉え、隣に座るよう促す仕草で彼が巌窟王であることを認識した。
蝋燭でタバコを灯し、こちらに寄越してくれる。なんだか今日はとってもサービスがよくて後が怖い。
彼はいつもつけている黒い手袋を外し、氷の塊をアイスピックで表面を削り、それを繊細なつくりのグラスに浮かべ、水で湿らせた飲み口に塩をまぶす。
それから、胸元から小さなナイフを取り出すと、俺が手でいじっていたライムを二つに切って、一つを寄越してくる。
少しお行儀が悪いけれど、それを齧りながらちびちびグラスを傾ける。
「あのね」
返事はなく、唯目線が俺に注がれるだけだ。けれどそれが心地よい。聞く気が無いときは黙って煙草を吹かすだけだからわかりやすい。
「サーヴァントはマスターとときに夢の内容を共有することがあるんだけど」
これは彼にとっても予想外だったらしく、ひどくむせてしまった。いつもなら身体に触れようとすると嫌がるけれど、背中を摩ってもなにも言われない。
「で、どんな内容だった」
「言っていい?っていうか言わないと怖くて」
冷静さを取り戻した彼は灰皿に灰を落として、こちらに向き直る。聞く気はあるらしい。
「……っていう夢」
彼は苦虫を数十匹同時に噛み潰したような顔をしてタバコをふかしている。まさが自分の夢を覗き見られたとは思ってもみなかったらしい。
彼はベストの内ポケットをまさぐると、ひとつの小物を取り出し、テーブルの上に置いた。
「なにこれ」
「指輪だ」
もしかしなくても、そうだろう。これは男物で、並べて置いてある小箱は、
「開けていい」
制止が返ってこなかったのを肯定と受取り、所々削れた、もとは薄紅色をしていたであろう小箱を開ける。
案の定、女物の結婚指輪だ。
「男用の婚約指輪が無い……?」
「看守共に奪われた。きっと高く売れたろうよ」
踏み込んではいけなかったところを踏み込んでも、最近はひどく癇癪を起されることは無くなってきた気がする。以前なら、怒らせてしまったらさっさと自室へ帰ってしまっていたから。
「綺麗だね」
「当たり前だろう、そのとき一番腕のいい細工師に頼んだ」
「惚れてたんだ」
鼻で笑って、まぁな、と返してくれる辺り、彼は本当に丸くなったと思う。
「いやでも、そういう体験しないままいつ死ぬかもわからないところに行くのってなんか損した気分」
「お前には居なかったのか?」
「居たけど、元カノ忘れられないって、大失恋」
「ン……?」
彼の常識の中では論理の破綻が起きたのだろう。皺ひとつない綺麗な肌に深く皺が刻まれる。
いちいち説明するのが面倒で、小さくため息をついて、言葉を選んで、けれど語気には悲壮感を込めずに意図を正確に伝えるためだけの言葉を発する。
「俺は男が好きなの……あっでもできれば冷たくしないで」
「……好きにすればいい」
生前の時代によっては引き攣った表情をどうにか押隠す、興味本位でシてみたいだとか好き勝手言う。彼なら、こう言ってくれるとなんとなく予想していた。
「失恋っていつかは忘れるものかな」
酷な質問を選んで投げかけた。こんなもの後生大事に取っておいているくらいだから、忘れていないことくらい目に見えている。それでも、俺はひどく幼く、残酷な方法で、彼の意識からもう戻らない人、彼が愛し、恨みに恨みぬいたひとではなく俺を見て欲しいと思った。
それは愛でも、恋でもなくても構わない。いや、でも愛か恋であってほしいけれども……。いや難しい。まだ保留にしておこう。
バカなことやっているっていうことは自分が一番知っている。自己嫌悪のあまり恐ろしい夢のことはどこか遠くへ行ってしまい、代わりに自分の浅ましさや愚かしさに頭が真っ白になって手に溜まった汗が凍ってしまいそうなほど手が冷えてしまった。
そりゃあ、健全なオトコノコですよ。好きな人が手を取って温めたりしてくれないものかな、なんて考えました。
きっと、恋が叶う可能性があるって思っていたから彼も、俺もこんなにも苦しいんだろう。
「あっ、じゃあ、この女物の結婚指輪を触媒にしたら」
「やめろ」
多少の怒気を含んだ、けれどできの悪い後輩を押しとどめるようなやわらかさが感じられる声音で制止の言葉が投げかけられる。
「メルセデスは、英霊の座に召し抱えられるだけの器を持ち合わせてはいない」
彼は何でもなさそうにそう言ってのけ、ライムをひと齧りしたのちラムを呷った。メルセデス、彼を裏切る前のメルセデスに会える可能性を切り捨てた。少しでも喜んでくれたら、なんて単純な思考回路で弾きだされた答えはあまりにも幼稚だった。自分の立場を顧みず思いつきで発言したことが恥ずかしい。
「代わりにこれをやろう、マスター」
そう言って俺の掌に落とされたのは飾り気のない男ものの結婚指輪。冷たい銀がすぐに俺の体温で温まってしまう。
「これって」
「俺の触媒としては申し分ないだろう」
蠱惑的に笑む彼は、満足げというか、吹っ切れたような表情でまた一つラムを呷った。 唇の端を懸命に噛みしめていないと、破顔してしまいそうだ。ありがと、とだけ言って襟元をまさぐりネームタグを探りあて、一度外す。
身元が分からないくらいの死体になったとき使うタグに、俺の片想い相手の結婚指輪が通っているというのはなんだか不思議な気分だ。
「ごめん、留め具が付けられない」
「貸してみろ」
手袋を外した彼の指先が俺の首筋を掠める。赤みがさした首筋に気付かれなきゃいいけど。
指輪を服の上から抑えて、どうにか笑みをかみ殺して、噛みしめても噛みしめても綻びそうになる頬を少し抓る。
「できたぞ」
「ありがと」
彼は慌てて灰を灰皿に落とし、残ったラムを呷って大きくあくびをひとつ。
「俺はもう寝るぞ、―――もさっさと寝ろ」
「うん、俺は飲み終わるまでもう少しかかるから」
彼は長身をゆっくり起こし、俺の髪の毛を無遠慮に―ペットの犬を撫でるように―掻き混ぜ、おやすみ、とささやいて去って行った。
一人取り残された俺はすっかり氷が解けて薄くなったラムにライムを絞って、一気に呷る。あの人たらしは、小説で読んだ通り、エドモン・ダンテスのやり口そのものじゃないか。何が巌窟王だ、と苛立ち紛れに呷ったラムに溶け残った氷を噛み砕く。
こんな、結婚指輪だなんて、彼以外呼び出しようなない物を俺に与えるってことがどういうことだかわかってやっているわけがない、と早鐘のようになり続ける心臓に言い聞かせる。
こんな日はさっさと寝てしまうに限る。深く深く眠らないと、今度はエドモンとメルセデスのデートの夢なんて見たら今度こそ立ち直れなさそうだし。
2016/5/31
アンドロイドは電気羊の夢を見るか、だなんて知りはしないけれど、俺は今日もひどく恐ろしい夢を見る。
婚礼のため着飾った美しい人、そして、俺の恋敵、と呼ぶにはあまりに烏滸がましすぎる女性。
それを愛おしげにみつめれば同じ熱を持った視線が返ってくる。これを幸せと呼ばずに何と呼ぶのかわからないくらいの全身を包む純然たる幸福。と、同時に身体の末端から凍て腐り落ちそうなほどの嫉妬の炎が身を焼く苦しみ。
ひどい、俺の感情と、この夢の主の感情が交錯している。
場面が変わり、ひどく喧しく響く靴音、不穏な囁き声。
そして、気づいたときには。狭苦しくて、自由がきかない。誰かが話す声がするけれど、声を発することはしない。
何やら男の声がしたのち、体が急に宙へ浮いたと脳が認識したかと思えば、全身を叩きつけられるような痛みが体中に走った。
これだけのことが一気に起きるものだから、混乱はしているものの身体は勝手に動き、足枷を外して酸素を欲して海面を目指す。
俺自身はそう泳ぎがうまくないはずなのに、夢の中の俺は迷わず泳ぎだす。この先に島が無かったら、見つかってしまったらと胸に溜まる焦燥感はあるものの、ひとつ共通しているのが、唯生きたいと願う気持ちだ。
俺はこの夢をみるサーヴァントを知っている。
どういう仕組みだか知らないけれど、サーヴァントとマスターはときたま夢を共有するのだ。
初めてサーヴァントの夢を共有したときは恐ろしくて恐ろしくて、久しぶりに声を上げて泣き喚いてしまった。それがブーティカの夢だったのも一因だが、酷い、という言葉だけでは片付かないこの世の、何度繰り返されたかわからない地獄がそこにはあった。
あまりに大声で泣いていたのだろう、驚いたマシュが駆けつけてくれて、あたたかいタオルで顔を拭ってくれたかと思ったら安心してそのまま眠ってしまった。
けれど何度か繰り返すうちに、少しだけお酒を飲んで眠ってしまえばいいことが分かった。何度もマシュを叩き起こすのも悪い。
消灯時間が過ぎているため足元に等間隔に付けられた無機質な灯りを頼りに、食糧庫からラム酒と、一つのライムと少々の塩を失敬し、サーヴァントとスタッフたちが談話室として使用している部屋の中でも自然と口数が少ない者が集まる部屋に向かう。
これだけ夜遅ければ子供の身体をもったサーヴァントたちは、アンデルセンを除いて寝静まって入るだろうが、念には念いれる。
今日ばかりは陽気にお喋りする気にはなれない。
蝋燭の灯りに、青白い顔がぼんやり浮かんでいるのだけ見えたからすこし驚いたけれど、気だるげに視線がこちらを捉え、隣に座るよう促す仕草で彼が巌窟王であることを認識した。
蝋燭でタバコを灯し、こちらに寄越してくれる。なんだか今日はとってもサービスがよくて後が怖い。
彼はいつもつけている黒い手袋を外し、氷の塊をアイスピックで表面を削り、それを繊細なつくりのグラスに浮かべ、水で湿らせた飲み口に塩をまぶす。
それから、胸元から小さなナイフを取り出すと、俺が手でいじっていたライムを二つに切って、一つを寄越してくる。
少しお行儀が悪いけれど、それを齧りながらちびちびグラスを傾ける。
「あのね」
返事はなく、唯目線が俺に注がれるだけだ。けれどそれが心地よい。聞く気が無いときは黙って煙草を吹かすだけだからわかりやすい。
「サーヴァントはマスターとときに夢の内容を共有することがあるんだけど」
これは彼にとっても予想外だったらしく、ひどくむせてしまった。いつもなら身体に触れようとすると嫌がるけれど、背中を摩ってもなにも言われない。
「で、どんな内容だった」
「言っていい?っていうか言わないと怖くて」
冷静さを取り戻した彼は灰皿に灰を落として、こちらに向き直る。聞く気はあるらしい。
「……っていう夢」
彼は苦虫を数十匹同時に噛み潰したような顔をしてタバコをふかしている。まさが自分の夢を覗き見られたとは思ってもみなかったらしい。
彼はベストの内ポケットをまさぐると、ひとつの小物を取り出し、テーブルの上に置いた。
「なにこれ」
「指輪だ」
もしかしなくても、そうだろう。これは男物で、並べて置いてある小箱は、
「開けていい」
制止が返ってこなかったのを肯定と受取り、所々削れた、もとは薄紅色をしていたであろう小箱を開ける。
案の定、女物の結婚指輪だ。
「男用の婚約指輪が無い……?」
「看守共に奪われた。きっと高く売れたろうよ」
踏み込んではいけなかったところを踏み込んでも、最近はひどく癇癪を起されることは無くなってきた気がする。以前なら、怒らせてしまったらさっさと自室へ帰ってしまっていたから。
「綺麗だね」
「当たり前だろう、そのとき一番腕のいい細工師に頼んだ」
「惚れてたんだ」
鼻で笑って、まぁな、と返してくれる辺り、彼は本当に丸くなったと思う。
「いやでも、そういう体験しないままいつ死ぬかもわからないところに行くのってなんか損した気分」
「お前には居なかったのか?」
「居たけど、元カノ忘れられないって、大失恋」
「ン……?」
彼の常識の中では論理の破綻が起きたのだろう。皺ひとつない綺麗な肌に深く皺が刻まれる。
いちいち説明するのが面倒で、小さくため息をついて、言葉を選んで、けれど語気には悲壮感を込めずに意図を正確に伝えるためだけの言葉を発する。
「俺は男が好きなの……あっでもできれば冷たくしないで」
「……好きにすればいい」
生前の時代によっては引き攣った表情をどうにか押隠す、興味本位でシてみたいだとか好き勝手言う。彼なら、こう言ってくれるとなんとなく予想していた。
「失恋っていつかは忘れるものかな」
酷な質問を選んで投げかけた。こんなもの後生大事に取っておいているくらいだから、忘れていないことくらい目に見えている。それでも、俺はひどく幼く、残酷な方法で、彼の意識からもう戻らない人、彼が愛し、恨みに恨みぬいたひとではなく俺を見て欲しいと思った。
それは愛でも、恋でもなくても構わない。いや、でも愛か恋であってほしいけれども……。いや難しい。まだ保留にしておこう。
バカなことやっているっていうことは自分が一番知っている。自己嫌悪のあまり恐ろしい夢のことはどこか遠くへ行ってしまい、代わりに自分の浅ましさや愚かしさに頭が真っ白になって手に溜まった汗が凍ってしまいそうなほど手が冷えてしまった。
そりゃあ、健全なオトコノコですよ。好きな人が手を取って温めたりしてくれないものかな、なんて考えました。
きっと、恋が叶う可能性があるって思っていたから彼も、俺もこんなにも苦しいんだろう。
「あっ、じゃあ、この女物の結婚指輪を触媒にしたら」
「やめろ」
多少の怒気を含んだ、けれどできの悪い後輩を押しとどめるようなやわらかさが感じられる声音で制止の言葉が投げかけられる。
「メルセデスは、英霊の座に召し抱えられるだけの器を持ち合わせてはいない」
彼は何でもなさそうにそう言ってのけ、ライムをひと齧りしたのちラムを呷った。メルセデス、彼を裏切る前のメルセデスに会える可能性を切り捨てた。少しでも喜んでくれたら、なんて単純な思考回路で弾きだされた答えはあまりにも幼稚だった。自分の立場を顧みず思いつきで発言したことが恥ずかしい。
「代わりにこれをやろう、マスター」
そう言って俺の掌に落とされたのは飾り気のない男ものの結婚指輪。冷たい銀がすぐに俺の体温で温まってしまう。
「これって」
「俺の触媒としては申し分ないだろう」
蠱惑的に笑む彼は、満足げというか、吹っ切れたような表情でまた一つラムを呷った。 唇の端を懸命に噛みしめていないと、破顔してしまいそうだ。ありがと、とだけ言って襟元をまさぐりネームタグを探りあて、一度外す。
身元が分からないくらいの死体になったとき使うタグに、俺の片想い相手の結婚指輪が通っているというのはなんだか不思議な気分だ。
「ごめん、留め具が付けられない」
「貸してみろ」
手袋を外した彼の指先が俺の首筋を掠める。赤みがさした首筋に気付かれなきゃいいけど。
指輪を服の上から抑えて、どうにか笑みをかみ殺して、噛みしめても噛みしめても綻びそうになる頬を少し抓る。
「できたぞ」
「ありがと」
彼は慌てて灰を灰皿に落とし、残ったラムを呷って大きくあくびをひとつ。
「俺はもう寝るぞ、―――もさっさと寝ろ」
「うん、俺は飲み終わるまでもう少しかかるから」
彼は長身をゆっくり起こし、俺の髪の毛を無遠慮に―ペットの犬を撫でるように―掻き混ぜ、おやすみ、とささやいて去って行った。
一人取り残された俺はすっかり氷が解けて薄くなったラムにライムを絞って、一気に呷る。あの人たらしは、小説で読んだ通り、エドモン・ダンテスのやり口そのものじゃないか。何が巌窟王だ、と苛立ち紛れに呷ったラムに溶け残った氷を噛み砕く。
こんな、結婚指輪だなんて、彼以外呼び出しようなない物を俺に与えるってことがどういうことだかわかってやっているわけがない、と早鐘のようになり続ける心臓に言い聞かせる。
こんな日はさっさと寝てしまうに限る。深く深く眠らないと、今度はエドモンとメルセデスのデートの夢なんて見たら今度こそ立ち直れなさそうだし。
2016/5/31