あいと輝きと共に #ダイヤのA #カップリング #御クリ

※哲貴表現を含みます

 鮮やかな色の粒が、友達の手へ転がり出てくる光景をいまでも覚えている。チョコの粒と同じ色をした犬のキャラクターがあしらわれた紙の筒で軽やかな音が幼心を妙に掻きたてた。母の買い物について行き、あれがほしいとねだると、添加物を気にする母は、それはもうおいしいチョコケーキを焼いてくれた。嬉しそうに俺が食べるのを見る母に、これじゃない、みんなと食べたいとは言えなかった。

「クリス先輩、マーブルチョコは一日六粒までにしませんか……あーっ目から光が」
「そんなことする理由が無い」
「クリス先輩。もう四捨五入して三十でしょう。成人病は若いうちの食生活のバランスが大事なんですから」

 そう言って副菜のサラダと煮物の小鉢を寄越す御幸と暮らし始めてから、早いものでもう五年になる。人生は何が起こるかわからないもので、高校時代の後輩と、しかも同性の後輩の恋人という位置に収まることになろうとは、十八の頃俺は想像すらしなかっただろう。
 五度目の、里芋がおいしい季節が巡れば、周りの環境が著しく変化する。増子のところにはもう二人目の子供が生まれたと聞いた。父も、母も、老いた。父とは男の恋人と暮らすと伝えたときに泣かれてから会っていない。母は、言葉にはしないもののやはり孫の顔が見たいと思うことがあるのだろうか。
 だからといって、あちらから終わりにしようと言われない限り親のためにこの環境を手放そうとは思わない。たとえ御幸のスキャンダルのネタにされようとも、愛おしさや、独占欲だとかそういった言葉で片付かない感情を向けていたいのは御幸なのだから。

 昔の自分が知ったら、年上なのは俺なのだから嗜めるべきだし、身を引くべきと思っただろうが、父方の祖母が亡くなったとき、人生の短さを痛感した。
 ならば、好きに生き、愛おしいものを愛おしいと言って生きるべきだろうと、何やらもったいぶって葬られる、言葉の壁を乗り越えられず碌に意思疎通ができなかった祖母の死に顔を見てつくづく思った。
 人間はいつか必ず死ぬ。死を免れないならば、たくさんのものを捨ててでもその腕に抱かれることを選んだ男を傍に置いて死ぬべきだと強く思った。はずだった。

 祖母から受け継いだ瞳は、俺の代で絶やすのかと思うと急に恐ろしくなった。御幸だってそうだ。あの野球で身を立てれるだけの遺伝子を絶やしてしまうことになる。
「ご飯冷めないうちに食べましょう」
「……いただきます」
「まーたなんか考えているでしょう」
 嫌に察しがいい。昔からそうだったかと聞いたことがあったが、先輩に対してだけですよと恥ずかしがる様子もなく言われ反応に困ったことがあったから黙っておく。
「考えているが、今言うべきでない」
「そうですか。俺の傑作鰤大根食べて嫌なことなら忘れてください」
 なるほどほくほくと湯気を立ててつややかに盛り付けられている鰤と、今の季節筋張っておらず、仄かにあまく、口のなかでとろける大根を安く食べれる。どれもこれも美味しい。
「美味しい」
「よかった」
 何てこともない、昨日と変わらない食卓の風景で、日本中のどの家庭でも起こりうる会話だろう。料理を作った人に、感謝をこめて、美味しいと伝える。何の変哲もないだろうと言い聞かせるように思えば思うほど、自分の恋が間違っていたのか、という最悪の答えを弾きだしてしまう。恋に間違いはない。あるはずがない。
理性で感情を抑えることの無意味さは、御幸と暮らし始めるときに嫌というほど理解したはずだ。



「は、子供」
「そう、もう五歳になるのよ」
 駅で偶然、藤原、今は結城貴子になった藤原に会った。
 照れ臭いのか、母の後ろに隠れた男の子と、こんにちは!と哲也そっくりの眉と目元で元気よく挨拶する女の子を二人連れて、哲也の実家まで行くそうだ。
「はじめまして、結城、」
「清美です!!」
「ほら、おなまえは?ですって……ごめんなさい恥ずかしがっちゃって……」
「いいんだ、滝川・クリス・優です。こんにちは清美ちゃんと」
 小さな手で顔を隠しきれないまま、指の間から伺う仕草がかわいらしい。
「直樹です……」
「直樹くん」
 最近連絡を取るだけで会っていないシニア時代の友人?を思い出してしまった。
「ね、ゆうさんは、どうしてお名前が三つあるの?きよには二つしかないのに」
 もちもちやわらかそうな頬を不満げに膨らませて、お出かけ用のピンクのポシェットをいじりながら純粋な疑問を投げかけてくる。
「それはね、お父さんが外国人だから、三つあるんだよ」
「いいなぁ……なんだかおとくだね」
「お得かな?そう言われたのは初めてだなぁ」
 笑いかければ素直に笑いかけてくれる。かわいい姉弟に恵まれて、これが俗にいうしあわせな家庭なのだろう。
「クリス君はどう?結婚とか、した?」
「いや……縁がなくてな」
「あらぁ……優しくてかっこいいんだから、引く手あまたなんでしょう?」
 笑って誤魔化したものの、顔が引き攣っているのが自分でもよく分かる。都合よくホームに滑り込んでくる電車の、学生のときよりずっとありがたみが増した椅子に腰かけて深くため息をついた。哲也と藤原の結婚式にも誰かに同じようなことを言われた気がする。確か、宮内だった気がする。
 何も藤原、今は結城、に悪気があってこのタイミングで結婚を話題にしたわけじゃない。わかってはいるものの、冬という季節がそうさせるのか気分が落ち込んでしまう。父の涙を見てからどうも気分が晴れない。当たり前だろう。仕事で忙しいなか、シニアの練習を見に来てくれたり、練習に、リハビリに付き合ってくれた父の涙を見てしまったら、なにか悪いことをしてしまった気になる。正直な所、動揺した。
 父なら、常に俺の味方でいてくれると思っていた。
 それとこれとでは問題の性質が違うから、と自分でもなんとなく理由はわかっているが、言葉にしてしまうのが恐ろしい。家族を捨てなければ、恋人を手に入れられないのだろうか。

「お見合い」
「そうだ」
 何やらいい紙で包まれた写真を手渡される。父の髪にも白いものが目立つようになってきた。爪の間に詰まった機械油の塊から目を逸らして、窓の外に目を遣ればもう凍って落ちてきそうな雲が折り重なっている。

「で、みすみす釣書を受け取ってきたわけか」
「なんか、こう、親父って、ずっと健康で強い存在だと思っていたんですけど、意外とそうでもないんだなーっ、て」
 御幸の言い分は痛いほどわかる。強さの象徴であった父が見せた弱さが怖くて仕方がなく、自分が悪いことをしている気になってしまう。
「それは、お互い様だ。俺の親父とも一悶着あったあとやつれた気がする」
「あの強烈な親父さんがですか」
「強烈……」
「シニア時代から結構印象強かったです」
「確かに、奇抜な父親だったがな、俺が怪我したとき支えてくれた親父なんだ」
「プロ野球まで行ってる親父さんですから、物凄く忙しかったと思います」
「そんな父が、男の恋人と住むって言ったら、泣いて怒って大変だったんだ」
 俺というものがありながら、と感情的に叱責するつもりがいつの間にか自分の悩みを吐き出していた。自分の家族の問題は自分で解決すべきだと思うが、冬という季節が気を弱くさせるのだろう。
当の御幸は驚いた顔を隠そうともせずこちらを見つめてくる。シニアの試合で始めてあった日の時みたいに。

「そういうプライベートな悩み言ってくれるのすごくうれしいです」
「……そうか?」
「俺、ずっと先輩の支えになりたかった」
「支え?」
 もうずっと、支えてもらっていると喉まで出かかったがまだなにか言いたそうなので続きを待つ。
「先輩の、大事なものになりたかった」
「なんで過去形なんだ?大事じゃなかったらわざわざ他人と暮らさないぞ」
「そういうことサラッと言えちゃうのほんとずるいです」

「でも、俺らもずいぶんいい年になりましたね」
 どこか遠くを眺めているような表情に背筋が凍る。歳を理由に別れを切り出そうとしているのか。

「そうだな」
「これからおじいさんになったら、っていうか、おじいさんになるまでも、それからも先輩のしわが増えていくところ見てられるの、嬉しいです」
 衒いもなく言われて顔に熱が集まるのを感じる。自分が一番欲しかった言葉を一番大事な人にかけられて恥ずかしさより多幸感が勝る。
「そうか」
「人の心は、無理やり押し通したりしなくても時間が解決してくれたりしますし、俺らがウジウジ悩んだって仕方ないです」
 優しく頬を撫でられながら諭されると、あの時から随分時が経ったと実感する。そしてこれからもここで過ごしていくのだろう。
「釣書返してきます」
「いってらっしゃい、俺が夕飯を作っておこう」
「いやそれは……結構です……」
「米くらいは研げる!」
「研げません!現実を見てください!!」

 御幸がどうしても俺が作ると食い下がるので仕方なく台所は譲ってやる。もう外は寒いからと襟巻を手渡すと、適当に巻きつけるものだから汚い折り目がついてしまっている。
「こういうところ、気にした方がいいぞ」
「だって直したらこれを口実にキスできな」
 先に唇を塞いでやると、さっきまでの余裕はどこへやら耳を真っ赤にして靴に爪先を押し込んでいる。
「お米研げないけどかっこいい」
「そりゃどうも……一言余計だけどな。さっさと行って来い」
「はい」
 風呂ぐらいなら沸かしてやれる。早く帰って来い、そして一緒に過ごすよろこびを感じよう。