永遠にならないふたり #ブルーロック #カップリング #ひおから
旅人、なんて名前がついているくらいだから他人に対しての強い執着がなく、言うなればドライな人だった。僕にアドバイスじみたことを言ったかと思えば、ふらりとどこかへ消えた。消えては、現れ、僕に構ったり無言でボールを蹴って寄越しては言葉を交わすことなく語り合った。
僕たちみたいにサッカーをする奴は、サッカーをすることで通じ合えることがある。言葉にしないとわからないこともあるけど、言葉にしなくてもわかることがある。例えば、僕のサッカーへの興味の薄さはすぐに感じ取られてしまった。
バンビ大阪ユースは、未来のサッカープレイヤーを夢見てサッカーが大好きな人ばかりだ。そんな中で、他人と違う気持ちを抱いていたのだから行動に現れたのかもしれない。烏くんからそのことを言及されて湧いた感情は、一番近い言葉を使うなら……安心というものがふさわしい。やっと自分の中で言葉にできずわだかまっていた感情が言葉になった瞬間だった。形のないもやが自分の中にあるより、誰かが使い古した言葉にしたほうが腹落ちする。まだ完全に理解したとは言えないけど、烏くんが僕の世界に色をつけたのは確かだった。
烏くんにとっては何気ない一瞬なのだろうけど、僕は深く楔を打ったみたいに永遠になってしまった。自分への期待というものが掴めないまま、烏くんと相対することになりそうだ。言葉を交わさなくてもいい、プレーで見せるから。結果を期待するのは苦手だけど、新しい自分に出会えそうで少しだけ、わくわくしてる。
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夢とカプが混在しています/#夢小説 タグと#カップリング タグをつけていますので、よきに計らっていただけますと幸いです
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みやこ 成人/神奈川への望郷の念が強い
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全年全月21日の投稿[2件]
2023年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
泥の底 #ヒロアカ #夢小説 #だいなま
泥の底 #ヒロアカ #夢小説 #だいなま
⚠️暴力表現
⚠️生き物への加害
鳴き声が「クソが」なんて、この世界に生きる生き物として不遇すぎる。それが私が抱いた感想だった。この小さな生き物が罵倒の意味をもってこんな言葉を吐いているとは考えにくい。ただ、鳴き声がこの言語圏で意味をもってしまっているばかりに、この生き物は鬱屈した害意を一身に受けている。
一身に、という表現は危ういかもしれない。一つの種族が、「想像の及ぶかぎり悪いことをしてもいいもの」と大多数が判断して、普段敵からいいように押し込められたフラストレーションをぶつけられているのだ。
本邦では天地開闢の昔から、多数がしている行動に対して善悪の意識が働きにくいように思える。最悪の組み合わせだ。
動物の死骸は適切に処理しないといけないのに、だいなまは動物だとも判断されず生ゴミとしてゴミに出される。今日もどこかの家のゴミ袋にだいなまと思しき破片(身体のパーツ)がのぞいている。あわれだいなまは、痛みを感じ、感情を持ち、ある程度の知性を持つ。それを虐げ、およそ生き物にするべきではない加害の蠱毒にだいなまを浸して喜ぶ。弱りゆく鳴き声を聞いて心を潤し、助けを読んでいるであろう鳴き声が……生きているのに助けが来ないと察し、悲鳴すら出さずに命の灯火をゆらめかせ、そして消えるのを恍惚の目で眺めた。それが社会の弱者であり、ピラミッドの限りなく底に位置する、個性が強く発現しなかったものの生存戦略なのだということだろうか。
自分が底に沈殿する不要物でないと証明することこそ、弱く、助けを呼ぶ力がなく、他者を貶す言葉を鳴き声として持つ生き物を苦しめて殺すことが、弱く生まれた人間の心のオアシスなのだとしたら、誰が彼らを責められようか。
いや、責められるべきなのだ。
一方的に虐げられる生き物があってはならない。それは普遍の真理だろう。真理というより、倫理であろう。
誰もが正しく在りたいという善性を宿しているはずなのに、善性はあまりに脆く儚い。だいなまという都合のいい悪意の矛先を、神は何のために遣わせたのか。なぜだいなまは、悪意の矛で全身を貫かれた姿を民衆に喜ばれなくてはならないのか。それは私がだいなまを虐げる側の人間の属性から彼らを見ているからそう思うのであって、今なお暴力にその身を生きながらにして焼かれているだいなまにとっては、そんなことを考える余裕はなく、どうにかしてこの状況から逃れる術を探しているのだろう。
ああ、哀れなだいなま。
願わくば、彼らを守る法が早急に成立すること……いや、この誰もが命の危険に晒されるストレスを感じる生活が終わりを告げてくれれば一番いいのだが。
夜明け前が一番暗いというが、だいなまにとってはずぅっと夜のままだ。ああ、哀れなだいなま。優しく抱きとめられ、愛されるのはほんの一部の個体だという。あのひどい鳴き声に耐えられる心の広い人間に見つかるという運のめぐりあわせがよければ、あるいは、だいなまは……
2023/3/21
⚠️暴力表現
⚠️生き物への加害
鳴き声が「クソが」なんて、この世界に生きる生き物として不遇すぎる。それが私が抱いた感想だった。この小さな生き物が罵倒の意味をもってこんな言葉を吐いているとは考えにくい。ただ、鳴き声がこの言語圏で意味をもってしまっているばかりに、この生き物は鬱屈した害意を一身に受けている。
一身に、という表現は危ういかもしれない。一つの種族が、「想像の及ぶかぎり悪いことをしてもいいもの」と大多数が判断して、普段敵からいいように押し込められたフラストレーションをぶつけられているのだ。
本邦では天地開闢の昔から、多数がしている行動に対して善悪の意識が働きにくいように思える。最悪の組み合わせだ。
動物の死骸は適切に処理しないといけないのに、だいなまは動物だとも判断されず生ゴミとしてゴミに出される。今日もどこかの家のゴミ袋にだいなまと思しき破片(身体のパーツ)がのぞいている。あわれだいなまは、痛みを感じ、感情を持ち、ある程度の知性を持つ。それを虐げ、およそ生き物にするべきではない加害の蠱毒にだいなまを浸して喜ぶ。弱りゆく鳴き声を聞いて心を潤し、助けを読んでいるであろう鳴き声が……生きているのに助けが来ないと察し、悲鳴すら出さずに命の灯火をゆらめかせ、そして消えるのを恍惚の目で眺めた。それが社会の弱者であり、ピラミッドの限りなく底に位置する、個性が強く発現しなかったものの生存戦略なのだということだろうか。
自分が底に沈殿する不要物でないと証明することこそ、弱く、助けを呼ぶ力がなく、他者を貶す言葉を鳴き声として持つ生き物を苦しめて殺すことが、弱く生まれた人間の心のオアシスなのだとしたら、誰が彼らを責められようか。
いや、責められるべきなのだ。
一方的に虐げられる生き物があってはならない。それは普遍の真理だろう。真理というより、倫理であろう。
誰もが正しく在りたいという善性を宿しているはずなのに、善性はあまりに脆く儚い。だいなまという都合のいい悪意の矛先を、神は何のために遣わせたのか。なぜだいなまは、悪意の矛で全身を貫かれた姿を民衆に喜ばれなくてはならないのか。それは私がだいなまを虐げる側の人間の属性から彼らを見ているからそう思うのであって、今なお暴力にその身を生きながらにして焼かれているだいなまにとっては、そんなことを考える余裕はなく、どうにかしてこの状況から逃れる術を探しているのだろう。
ああ、哀れなだいなま。
願わくば、彼らを守る法が早急に成立すること……いや、この誰もが命の危険に晒されるストレスを感じる生活が終わりを告げてくれれば一番いいのだが。
夜明け前が一番暗いというが、だいなまにとってはずぅっと夜のままだ。ああ、哀れなだいなま。優しく抱きとめられ、愛されるのはほんの一部の個体だという。あのひどい鳴き声に耐えられる心の広い人間に見つかるという運のめぐりあわせがよければ、あるいは、だいなまは……
2023/3/21