さす九というワードについて思考整理
八代亜紀さんのヌード写真つきのCDの販売を強行した会社が九州にあると知って、「さす九」であるという旨の内容をポストした。
「さす九」とは、さすが九州の略であり、男尊女卑が激しい地域柄というインターネット上の共通認識があるコミュニティがあり、そこで使われる用語である(と理解している)
私と長く相互フォローでいてくれて、いろんな有益情報をくださったりするお優しい💖フォロワーさんがこの文言に関して九州に対する部落差別の文脈が含まれるとのことを述べておられた。
それを見て、私はびっくりした。
私にこの、さす九という文言を利用することに際しての差別の意識はまるでなかった、むしろ言い当て妙くらいの気持ちしかなかったからだ。
昨日の夜中にフッとこの自分の気持ちのわからなさにいったんの着地を得たのでここにポストしておく。
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こんな、死人に鞭打つような同義的に認めたくない、酷いことをする人間が私と同じ属性を持つはずがない、自分が持たない何か他の文脈があるからこのようなことをなせるのだと思っていたいからではないか。
自分と・理解し難い思想を持つものを切り分けたいがために持ち出す理屈といいながらこねくり回した自分の中の結論というものが差別意識であり、このことを指して さす九は部落差別 となるのかなと思った
しかしその理解し難いものと自己の属性との切り離しに利用しているのは地域名であり、当たる範囲が全然見当違いなのであった。
1.こねくり回した一見確からしい理屈がそもそも他人を下に見るための破綻した理屈である
2.その理屈の当たる範囲が見当違い
この2点が大きく良くないポイントなのではないか。
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差別って するつもりはなくても しちゃうのかも!とおもった!泣
こういうのは一発でいい着地を見つけるのは難しい感じがしたので、アンテナを立てておくのが大事なのかなと思った。
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