2023年39号感想 #MHA
No.398 八木俊典:ライジングオリジン
たぶんさ、ヒロアカ世界戦では「生きているだけで価値がある」っていう
欺瞞が通用しないんだろうねって思った
生きているだけで価値がある、っていうのを欺瞞っていうと人権派の方に着火されそうな気もしているけど、人権派の人に守られるであろう属性がてんこ盛りである私が当事者としてそう思うんだから口をふさいだらまたそれば別の話になるからねってことで
生きているだけで価値があるっていうのは、その人とかかわる人間からしたらそう思うかもしれないんだけど生きている価値っていうのは自分で見いだせないとその価値を認められないっていう感じなんだと思う
だからその八木の「役割がない」っていうのがずっしり響いちゃったっていうか・・
私が病気してて本当に何もできなかったころ、本当にコンプレックスの塊だったっていうか、わざと他人が持ってて自分が持ってないものを探しているような勢いだった
「個性」が生まれつきなくて、他人が当たり前に持っているものを自分が持っていない、永久に持つことはできないとわかったときの重苦しい痛みが再度提示された感じがする
そんな中、やさぐれるでも道を踏み外すでもなく平和の象徴だなんていえる八木はちょっと変な子なんだけど、みんなが同じような個体だったらゆるやかに滅ぶしかないのでそれはそれでいいんだと思うんだけど
けど、八木のこと大切に思っている人たちの気持ちはどうなるのって思ったけど、そこまで八木がケアしてやる必要はないんだけど
でもやっぱり決死の覚悟があって、テキストベースで肉体が破壊されていることがわかっているのに「人の役に立ちたい」みたいな感情がわくっていうのが・・そういう異常性が・・自分の役割っていうか価値を自分で認められず自己犠牲に走って、みんなのために世界を明るく照らすみたいなことができるんじゃないかなって思った
でも八木のやってることはやりたいと思ってできることじゃないし、それを自分が価値を認められなかったから走った自己犠牲、で片付けたくないみたいな感情もあり
ってかそういう、一つの強い光だけが闇を払う構図から複数の光で闇を照らすみたいなのがオールマイト世代とデク世代の違いなのかなっておもった
でも八木世代とデク世代を簡単に比較はできなくて、志村と八木が会話するシーンの背景がガチめのがれきの山で・・・このレベルの社会不安を内包した社会と、社会不安の渦中にあれど「オールマイトがなんとかしてくれる」みたいな気持ちがある社会ではそもそも前提が違いすぎる
なんかヒロアカ佳境だな・・とはいえ堀越先生の身体が心配だから月刊誌にいってほしい
っていうか、もう週刊連載っていうやり方はやめてほしい気がする
人の命を削り節にしたものでダシをとるのは生命倫理に反するっていうか
畳む
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