#MHA 2023年25号感想
No.389 安心と祈り
・ああこんなものか
たぶんだけど、みんなに、お父さんに見てもらうことってこんなに簡単なことだったなら…(荼毘にならずににいれたかもしれない)←個人の感想みたいな感じではないかなと思う
とうやはしょうとと同じ方法で見てもらうことはできないと思わされて(とうやはしょうととは性能違いSSR説を推しています)しまってとうやをすてて荼毘になったけど、荼毘にならずにとうやがしてほしいやりかたでお父さんやみんなに見てもらうことってできたのかな と思った
ってか、とうやのこと結構丁寧に描いてくれてるなって印象がある
主人公の友達のお兄さんの話をこんなにしっかり描いてくれることってあるんだね・・
↑これをえんじのモノローグじゃないか?というのを見た
こんな簡単なことなら早く向き合っていれば・・ってことなら最悪度が増してしまうわね
・もっと早くに
もっと早くに?
こんな追い詰められてからじゃなくて、元気なうちにやっちゃえばよかったってことかなあ・・
・祈りって
祈りってなんのための、誰に向けての祈りだったんだろうな~って思った
荼毘というひとつの災害を目にした"持たない/持ってない"側の人間が、助かりたいと思って、でも自分の力じゃできないからということで祈るのかなあ・・と思った
実際、しょうとのことをしっていた子供たちは祈っていなかった 見ていたよねっていう
・しょうと
しょうとはね、もっととうやに怒っていいと思う
不機嫌や怒りをまき散らす兄に遠慮して自分のことハブるなとか、えんじが理想の個性をもった子供だけを尊重した育て方の結果がとうやの怒りを延焼させてるんだとかそういう怒りをもっていいと思うんだけど、
たぶんしょうとのキャラ的に、怒りを恨みを仲間に見せて、結果的に膿を出してもらってるんじゃないかなと思う
雄栄にいけて、仲間に出会えて恨みを手放すじゃないにしても存在を認めながら受け入れることはせず自分の中で同居できたんじゃないかな みたいな
ハブってくる兄に、俺もいれてといえるのがしょうとの強さだと私は思うんだよねえ・・
とうやは多分言えない
個性という他人を測る尺度に重きを置きすぎていて、自分が一時的にでも弱い立場になることを認められないと思うな
しょうとのことを認められない、という価値観をとうやに植え付けたのは結果としてえんじなので、とうやは子供の立場としてみると悪くないと思うんだけど、人を殺しているので罪は罪ですねえ・・という感じです
自分に価値を見出してやる、っていうのは親の価値観を投影した価値基準をまず自分の中に作り、学童期や青年期に組織の中で切磋琢磨・取捨選択をしていくのかなと思うんですけど、とうやはそれができなかった(組織に所属する前に強烈な価値観を持っていた)のでここまでこじれてしまっていたのか・・
・とうやだって誰かのヒーロー
以前もくりでお話ししたときに、とうやは被虐待児のヒーローっていったけど
それは私の中~高校くらいの親に対する怒りをとうやが代わりにフィクションの中で言ってくれたみたいな気持ちになっていてね
大人になるまで母親もこのなんていうか、私の主観として生きるに値しない人生を自分が望んだわけでもないのに始めさせられたという被害者意識があって、でも母親も被害者なのはわかってて怒りをぶつけられないんだけど、ぶつけたくないみたいなわだかまりがあった
とうやの「お母さんも加担している」という発言があって、少なくとも私の中の不遇を恨む人格は納得してんだよな と感じている
・えんじ
子供の尻をぬぐってやる余裕もなく妻子に尻をぬぐってもらって被害者面しているように見えてるんだけど どうなん?強くて家族に弱みを見せない昭和平成の父親像を打ち壊す的な?知らんけど
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