2011.3.11
どうしていたか、書き記す
高校卒業後、大学進学前の春休みだった
アメリカのフロリダに住んでる叔母がいて、そこへ祖母と3/3くらいから遊びにいっていた
11日の朝、アメリカの地方テレビやローカルニュース、新聞すべてが日本の震災のことを報じていた
直接的な映像こそ流れていなかったはずだったが、いつもは冷静な後輩がガソリンタンク?が爆発して関東は焼け野原になる 今すぐ逃げたほうがいいみたいなメールが送られてきていて混乱だけが伝わってきた
祖母は、祖父がいるから心配だと帰りたがったが、私は正直なところ、怖くて帰りたくなかった。
幸い、関東だったもので家族は全員無事だった
それがわかった時点で、私は帰るのが怖かった
けれど、14日?くらいには航空便のチケットが取れるようになり帰ることになった
連日報道される原発事故、もう何もかも画面の向こう側で起きたことで自分には関係がないと逃げてしまいたかった
帰った後、成田はそんなに被害がなかった
東京の大学だったのだが、入学式がなくなり、始業が一か月遅れて開始されることになった
もちろん授業料は変わらない 私大はそういうところがある
私が知らない間に知らないところで知らない人が悲しい目にあってることがつらくて、私は情報を遮断した
毎月、バイト代から一万円を寄付して、何かした気にならなかったらやっていけないくらい怖かった
何にも実害がなかったのにだよ
それなのに辛くなって情けない…と思っていた
そんな、何もしてないのに勝手につらくなってる人間のお話でした
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