Icon of admin

#自問自答のコーナー

#自問自答のコーナー
Q.他の人のいいねリツイート数と自作のいいねリツイート数を見て彼我の差に落ち込んでしまいます

A.わたしたちの社会は常に競争の中にあります。
部活の試合の勝ち負け、テストの点数、美醜、賞の有無、金の多寡、各種受験等…
少なくともわたしは常にそのような競争の渦中にいて、自分でよいと思ったものを良いとする感覚より、他人と比べて優れるか劣るかをまず考えてしまう性根であります
わたしは、と主語を短く切ったものの、個人的に感覚で言えば他人と比べた自分というものを価値基準として持っている人は結構多いというか、ジャンルは違えど比べる、ということから完全に離れることができる人間がいるのか甚だ疑問ではあります

人と比べることを完全に悪としているわけではありません
賞を求めるために努力するとか、入りたい学校のために努力するとか、試合に勝ちたいから努力するとか、いいきっかけになる場合ももちろんあります

精神衛生上よくない比較、それは人間の美醜と創作物における比較だと考えています

価値基準が個々人と社会の構成っていうか風潮っていうかそういうものが判断する、例えば点数とかでの明確な基準がないもの これを比べると一気に病むように思います

Twitter、Instagramの台頭で、インターネット越しに見えるキラキラした人間の投稿を浴びていると、みんながみんないつもキラキラしてる分けじゃないのにみんなキラキラしたところだけ切り取って見せるから「わたしだけがキラキラしてない」みたいな感情に襲われると思うんだよね
絵が上手い人、文章が上手い人だってうまくなかった時期があったはずなのにそういう時期が見えないからわたしばかり下手なのかと病む

それと似たような構図で、二次創作オタクにおけるいいねリツイート数が気になるみたいなお話なんですけど
サイト時代もまあまあ見えてたけど、拍手の数とかは公開してるところは無かった記憶があるし、何より自分から見に行かなかいと見えなかったものだと思うんです
サイト時代からSNS時代になって、自分の作品を常に点数(数字)で評価されるようになってから、いいね数が少ないことに落ち込むことが増えたような気がする
同人女の感情で、いいねの向こう側には自作に感情を向けてくれた人がいるって言っていましたが、それは確かにそうでそういった人たちの感情をむげにしたくないという気持ちはあります 感謝

それとは別に、pixivの100user入りとかそういう、数字を基準にしているタグがある以上、よっぽどメンタル安定してるからよっぽどいいねリツイートフォロワー数が多くない限りは気にしたことない人いないんじゃないかな…と思う

では、そういったときどのように考えるべきかなんですけど
正直なところ、SNSの数字で病むってこの世で一番どうでもいいことだと思うんだけど、それを考え始めたらどうしようもなくそちらの考えにのめり込んでしまうんですよね

・感情を吐き出す
今わたしが使っているのは「てがろぐ」という掲示板ライクなひとりごとツールです
こちらに感情を書き出して、どんなことが悲しいのかとかを書いていると結構気が紛れます
書き出して、自分の感情を俯瞰することで冷静にもなれます あ〜結構くだらないことで悩んでたな、とか気づけることがあります
過去の吐き出しから、再度自分が苦しんだ時にこう解決したんだとわかる面もあるけど、苦しみを反芻するのはあんまり感覚的によくない気がしてるので気づいたら消すようにしている

・人と話す
これは話すというより、近況を聞くのほうがいいかもしれません
話したい欲求が強い時には、話すぎるような気がしているので…

・作品を書く
わたしの場合は、メンタルが辛い時にはほのぼの、メンタルが元気な時には痛ましいものがすごく満足して書けると感じているのでそのメンタルのブレがわたしの創作を加速させるというか…

・アロマを炊く
香りの力を馬鹿にしてはなりません
わたしは無印のフレグランスオイル ひのきがお気に入り
なんでもいいから、没頭してその感情にしか向いてない頭をよそに向けるっていうか

・寝る
メラトニンというおやすみサプリを飲んで強制的に寝ます
寝るに勝る気分転換はないので…

そうやって一回離れてからまた見たら、結構どうでもよくなっていることが多いです
畳む
2022年11月
12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930
2022年12月
123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
最上部へ 最下部へ