アウトプット習慣
小説であれ感想であれ、日本語で自分の感情をアウトプットすることは少なからずチャットツールが業務ツールとして一般的になった今かなり効いてきている気がする
No.422 緑谷出久:ライジ…
No.422 緑谷出久:ライジング #MHA
何もかもが良すぎた
あの、みんなに支えられて巨悪を討つデクくんのことを「頑張れって感じのデク」て表現がここでバッチリ効いてきてほんとーに良すぎた
あんまりにも必死で、スマートじゃなくて、泥臭くて、キャッチーじゃなくて、スタイリッシュじゃないからこそ、同じ立ち位置から「頑張れ」といえるというか
あんまりにも遠くて、完璧(であるように見える)舞台の役者だった超ヒーローだったオールマイトと違って、舞台の客席のみんなが手を取り合ってデクの背中を押している…みたいな構図もめちゃ良くて…それが新時代のヒーローなんだなっていうか…
先人の頑張りをそのままコピーするんじゃなくて、意図があってもなくても自分のやり方で結果出せるのほんとーにかっこよかったな…
でもいよいよヒロアカ終わるわ このみんなで一斉に攻撃!想いを繋げ!みたいなやつは終わる時のアレだもの…寂しいけどしょうがない 堀越先生、休んでくれ…畳む
何もかもが良すぎた
あの、みんなに支えられて巨悪を討つデクくんのことを「頑張れって感じのデク」て表現がここでバッチリ効いてきてほんとーに良すぎた
あんまりにも必死で、スマートじゃなくて、泥臭くて、キャッチーじゃなくて、スタイリッシュじゃないからこそ、同じ立ち位置から「頑張れ」といえるというか
あんまりにも遠くて、完璧(であるように見える)舞台の役者だった超ヒーローだったオールマイトと違って、舞台の客席のみんなが手を取り合ってデクの背中を押している…みたいな構図もめちゃ良くて…それが新時代のヒーローなんだなっていうか…
先人の頑張りをそのままコピーするんじゃなくて、意図があってもなくても自分のやり方で結果出せるのほんとーにかっこよかったな…
でもいよいよヒロアカ終わるわ このみんなで一斉に攻撃!想いを繋げ!みたいなやつは終わる時のアレだもの…寂しいけどしょうがない 堀越先生、休んでくれ…畳む
2024年22.23合併号 N…
2024年22.23合併号 No.421 WE ARE HERE #MHA
頑張れって感じのデクだ!!!!!!
この、ラスボスをみんなの力で…っていう展開見慣れすぎてて本当に最終回が近いんだなって思っちゃった
週刊連載でこんなにたくさんの線がある絵が描ける堀越先生は本当にすごいと思った
し、今回のサブタイトルめちゃくちゃかっこいい 俺たちが・私たちが来た!ってやっぱりこうずっとヒロアカ感想でも書いてきた複数の光で世界を照らす的な感じがしてめちゃ好きだった
・悲しーことなんざあるよりない方が良いだろ!
いやマジでそう!なんか、私自身も悲劇が自分を強くすると思わないとやってられない節があって、自分の成功体験の理由づけに病気とか悲しかったこととかを使っちゃう時あるんだけど本当は悲しいことなんか成長の理由であってほしくないよね…そんなことしなくても成長できるのが一番だよね…
とはいえ、ダビちゃんの悲しみとはまた別問題ではあるっていうかダビちゃんの悲しみの話は別原因で〜ウダウダ 以下略 そう ダビちゃんは…あの…あの…本当はダビちゃんにも悲しみや憎しみ起因じゃない成長の機会が与えられてほしかったなって思った
本当に厄介オタクで恐縮だけどそこは前提条件が違いすぎて一つの要素だけ抜き出して比較するにしても比較が成立しないだもん😣
なんでデクくんはこんな状況でまだそんな顔ができるんだよ😭😭になった
なんでそこまで頑張れるの系主人公の引き出しには衛宮士郎がいるんですけど、私はなんか…衛宮士郎より人間味というか自分の腑に落ちる頑張れる感じだなって思った
衛宮士郎は、抗う理由があまりに高潔すぎてゲームをやっている途中で「ごめんだけどわからない…>_<」になっちゃったんだけどデクくんはなんでだろうなぁ…なんでかなぁ…頑張れって感じのデクなんだよなぁ…
※衛宮士郎disに読めちゃったらすみません普通に文章力不足です😞 そういう意図はないです〜
真面目に佳境でほんとうに寂しい 堀越先生には休んでほしいけどヒロアカは続いてほしい畳む
頑張れって感じのデクだ!!!!!!
この、ラスボスをみんなの力で…っていう展開見慣れすぎてて本当に最終回が近いんだなって思っちゃった
週刊連載でこんなにたくさんの線がある絵が描ける堀越先生は本当にすごいと思った
し、今回のサブタイトルめちゃくちゃかっこいい 俺たちが・私たちが来た!ってやっぱりこうずっとヒロアカ感想でも書いてきた複数の光で世界を照らす的な感じがしてめちゃ好きだった
・悲しーことなんざあるよりない方が良いだろ!
いやマジでそう!なんか、私自身も悲劇が自分を強くすると思わないとやってられない節があって、自分の成功体験の理由づけに病気とか悲しかったこととかを使っちゃう時あるんだけど本当は悲しいことなんか成長の理由であってほしくないよね…そんなことしなくても成長できるのが一番だよね…
とはいえ、ダビちゃんの悲しみとはまた別問題ではあるっていうかダビちゃんの悲しみの話は別原因で〜ウダウダ 以下略 そう ダビちゃんは…あの…あの…本当はダビちゃんにも悲しみや憎しみ起因じゃない成長の機会が与えられてほしかったなって思った
本当に厄介オタクで恐縮だけどそこは前提条件が違いすぎて一つの要素だけ抜き出して比較するにしても比較が成立しないだもん😣
なんでデクくんはこんな状況でまだそんな顔ができるんだよ😭😭になった
なんでそこまで頑張れるの系主人公の引き出しには衛宮士郎がいるんですけど、私はなんか…衛宮士郎より人間味というか自分の腑に落ちる頑張れる感じだなって思った
衛宮士郎は、抗う理由があまりに高潔すぎてゲームをやっている途中で「ごめんだけどわからない…>_<」になっちゃったんだけどデクくんはなんでだろうなぁ…なんでかなぁ…頑張れって感じのデクなんだよなぁ…
※衛宮士郎disに読めちゃったらすみません普通に文章力不足です😞 そういう意図はないです〜
真面目に佳境でほんとうに寂しい 堀越先生には休んでほしいけどヒロアカは続いてほしい畳む
2024/4/14 17:46…
2024/4/14 17:46 にコメントくださった方へ
過去作見つけて読んでくださり、めちゃめちゃうれしいです〜!!!こういう時ほんとに描いててよかった・ネットにあげといてよかった〜!!と思います。。感謝です。
雅鳴の同人誌、カシオペア→雪解ですね。
雪解の方は本はあったのですが、カシオペアの方が原稿すら見当たらずでして・・😭
それらしきUSBはあったので、探してみます。しばらくお待ちください。
なかったら、こちらのブログでなかった〜😭😭みたいな記事を書きます
見つけましたら、下のURLでやってるサイトに上げます。
それまで、雅鳴アンソロにお出しした原稿をアップしましたので、読んでいただけましたら幸いです!
https://endofwinter.sakura.ne.jp/tegalog...
お声かけいただきありがとうございました!畳む
過去作見つけて読んでくださり、めちゃめちゃうれしいです〜!!!こういう時ほんとに描いててよかった・ネットにあげといてよかった〜!!と思います。。感謝です。
雅鳴の同人誌、カシオペア→雪解ですね。
雪解の方は本はあったのですが、カシオペアの方が原稿すら見当たらずでして・・😭
それらしきUSBはあったので、探してみます。しばらくお待ちください。
なかったら、こちらのブログでなかった〜😭😭みたいな記事を書きます
見つけましたら、下のURLでやってるサイトに上げます。
それまで、雅鳴アンソロにお出しした原稿をアップしましたので、読んでいただけましたら幸いです!
https://endofwinter.sakura.ne.jp/tegalog...
お声かけいただきありがとうございました!畳む
年をとるごとに人生が楽しくなる
年をとるごとに人生が楽しくなる
メンタル激落くんのときは将来の苦痛を取り除くためにいま死んどくぞ‼️‼️みたいなノリになるんだけど、そう言う時以外は割と年を取っていけばいくほど楽しいなって思ってる
なんていうか、子供→若い女としての動きを社会から求められなくなるってのはデカいと思う
子供って直球で親の所有物扱いなので本当に子供時代は楽しくなかった。大学出てから実家出るまでマジで楽しくなかった。
私が子供をやっていた時、親の中にオタクへの偏見が強くて家族の中でオタクになるなら家から出て行ってもらうみたいな脅しが普通にあったので、今自由に好きなものを好きでいられるのはほんとーに楽しい。
若い女としての動き、それをうまくいなせるのがイイ女のやり方みたいなことがまことしやかに言われていた時代の人間なので、若いとか女とかそういう属性でジャッジされてるうちもほんとーに仕事楽しくなかった。
女性特有の繊細な視点でみたいなの、今から考えると結構やだったなっていう。畳む
メンタル激落くんのときは将来の苦痛を取り除くためにいま死んどくぞ‼️‼️みたいなノリになるんだけど、そう言う時以外は割と年を取っていけばいくほど楽しいなって思ってる
なんていうか、子供→若い女としての動きを社会から求められなくなるってのはデカいと思う
子供って直球で親の所有物扱いなので本当に子供時代は楽しくなかった。大学出てから実家出るまでマジで楽しくなかった。
私が子供をやっていた時、親の中にオタクへの偏見が強くて家族の中でオタクになるなら家から出て行ってもらうみたいな脅しが普通にあったので、今自由に好きなものを好きでいられるのはほんとーに楽しい。
若い女としての動き、それをうまくいなせるのがイイ女のやり方みたいなことがまことしやかに言われていた時代の人間なので、若いとか女とかそういう属性でジャッジされてるうちもほんとーに仕事楽しくなかった。
女性特有の繊細な視点でみたいなの、今から考えると結構やだったなっていう。畳む
本日の炎を見て
本日の炎を見て
前提:私は当事者ではない
スタンス:Twitterは議論のツールとしては三流以下
話題:イオンシネマでの車椅子ユーザーさんが有料席を使う時に移乗してくれたスタッフさんがいたのに、今回はできなかったことをSNSに投稿。大炎上となった。
なんか、合理的配慮と現場での声掛けの内容と4月から施行される法律の話、そして思いやりの部分を分けて考えたらどうかなって思った
・現場での声掛けの話
当事者さんのツイート見る限りだと、この文言は事業者が出す言葉としてはどこをとっても擁護しようのない「アウト」文面だと思う。
障害を理由にして施設の利用を断ったらいけない、っていうのは…どんな例えがいいのかわからないな…例えようがなくわかるんだよね その障害を理由に施設の利用を断ってはいけないってのは 私の中ではそんなに違和感のない感覚なので。
ので、来るな、じゃなくて代替案とかの提案とか…もう少しコミュニケーション取れてたらまた違う結果があったのかもとか、これは一現場が判断するより、事業者というか業界全体で考えて通達を出すとかの方が良かったのかもな〜って思う。
・じゃあどうしたらよかったのか?
とはいえ、現場スタッフさん、素人が車椅子の方を車椅子ごと運んで、さらには移乗させるっていうのは無理があるとは思う
ので、これはイオンシネマ側が利用者がどんな状態でも制限なく利用できる場の提供、がゴールというか目指すべき形態なのだろうけど、現実問題それを全国の映画館でやっていたら採算がとれなくなるのもわかる
どこに落とし所をつけたらいいか事業者側も国と調整できていなかったのに、法律だけできてしまったことで現場が答えを出さざるを得なくなってしまった、が今回の件だと思う
とはいえ、国も事業者も完全な答えを最初から提示することは難しく、現実で発生した摩擦をくみ取って全社的なルールにしていくのか良いんじゃないかなって
でも、その過程でこうして当事者と現場での摩擦が大炎上してしまっていることから、トライアンドエラーという方法は取れなくなってしまったように思う。
だからこの問題はSNSに書き込むより、正当な手続きを踏んで事業者に陳述する、が良かったのではと思うのだけど後の祭りだし、陳述ぐらいで事業者が動くようにも思えない。
この問題、イオンシネマ側が謝って終わりって話にはならないような気がする。イオンシネマが謝ってるのは不快にさせたことに対してなので、これからどういう対策をとってとか、現場にはこういう施作をしますって話ではないように読めるからね。
・合理的配慮と思いやりの話
なんというか今回の炎上で、障害者が健常者と同じように生きることは、健常者の思いやりによって成り立っているから遠慮がちにかわいい障害であれという健常者の圧がすごいんだなって実感した。いや怖いな〜何が怖いかって、ずーっと自分は健常者の側でいられるみたいな自信かな?想像力のなさというか?自分がリソース割くわけでもないのに厳しいな〜とか自分が車椅子ユーザーの方の移乗を強要されたわけでもないのに、義憤なのかな 義憤にしては言葉汚いし勢い強いなとかそういう。でも実際のところ
自分が弱者にならないとそういう状況・背景は理解が難しいと思うから、この件で当事者でもないのにブチギレてる人に「相手の事情を理解」することを迫っても意味がないと思う。できないから。でもできないことが悪いことではないとも思う。いろんな個体がいて、社会だから。
だからそういう、相手の立場に立つことが苦手な人も障害者を差別しないようにっていうのが障害者の差別を禁じる法律たちなんだと思う。
だから本件で当事者でもないのにブチギレてる人は一旦落ち着いて、他人の問題を自分のことのように義憤できることは他のことに生かした方がいいと思うんだよね… 例えばなんだろうな…拉致問題とかにエネルギー使って欲しいな 個人的には。
本当は障害者が健常者と同じように生きるしくみを作るのは国や事業者の仕事で、現場で生活している人間たちは気持ちをささくれ立たせることなく生活することが一番いいんじゃないかなって思う。だから障害者の人たちと、他人に厳しい人たちとのバトル見てて心が痛むよ〜本来君たちは争わなくていいはずだった人たちなのに〜みたいな気持ちがある。
・思いやりでできることを法律で縛るには理由があると思う
本来、人権教育が学童期からされていると自分にも他人にも等しく権利があると理解できるけど、そもそもこの国は子供は親の所有物としての側面が強すぎるように感じていて、その子がそもそも大切にされてないから他人を思いやるということが難しい個体が出てくるように思う。
だから思いやり、という言葉で他人に優しくへりくだることを強要されていてそれがストレスになって、思いやりを強要されてるのを見ると思いやりを強要されてつらい自分を現場スタッフさんに重ねて爆発しちゃうのかなって。
本件でブチギレてる人たちが例え車椅子ユーザーの方から移乗を強要されても、嫌だったら断っていいんだよ。それでもあなたという個体は罰せられず、仕組みを作らなかった国や事業者が罰せられるのが正だと思うし。思いやりがなくても誰も責めたりしないから、その酷い言葉を当事者に向けるのはやめてあげてよって思う。
なんかオチもなくダラダラ書いてしまったが、本来争わなくていい人たちが酷い言葉をかけあっていて本当に不毛だなって思うってことかな〜。畳む
前提:私は当事者ではない
スタンス:Twitterは議論のツールとしては三流以下
話題:イオンシネマでの車椅子ユーザーさんが有料席を使う時に移乗してくれたスタッフさんがいたのに、今回はできなかったことをSNSに投稿。大炎上となった。
なんか、合理的配慮と現場での声掛けの内容と4月から施行される法律の話、そして思いやりの部分を分けて考えたらどうかなって思った
・現場での声掛けの話
当事者さんのツイート見る限りだと、この文言は事業者が出す言葉としてはどこをとっても擁護しようのない「アウト」文面だと思う。
障害を理由にして施設の利用を断ったらいけない、っていうのは…どんな例えがいいのかわからないな…例えようがなくわかるんだよね その障害を理由に施設の利用を断ってはいけないってのは 私の中ではそんなに違和感のない感覚なので。
ので、来るな、じゃなくて代替案とかの提案とか…もう少しコミュニケーション取れてたらまた違う結果があったのかもとか、これは一現場が判断するより、事業者というか業界全体で考えて通達を出すとかの方が良かったのかもな〜って思う。
・じゃあどうしたらよかったのか?
とはいえ、現場スタッフさん、素人が車椅子の方を車椅子ごと運んで、さらには移乗させるっていうのは無理があるとは思う
ので、これはイオンシネマ側が利用者がどんな状態でも制限なく利用できる場の提供、がゴールというか目指すべき形態なのだろうけど、現実問題それを全国の映画館でやっていたら採算がとれなくなるのもわかる
どこに落とし所をつけたらいいか事業者側も国と調整できていなかったのに、法律だけできてしまったことで現場が答えを出さざるを得なくなってしまった、が今回の件だと思う
とはいえ、国も事業者も完全な答えを最初から提示することは難しく、現実で発生した摩擦をくみ取って全社的なルールにしていくのか良いんじゃないかなって
でも、その過程でこうして当事者と現場での摩擦が大炎上してしまっていることから、トライアンドエラーという方法は取れなくなってしまったように思う。
だからこの問題はSNSに書き込むより、正当な手続きを踏んで事業者に陳述する、が良かったのではと思うのだけど後の祭りだし、陳述ぐらいで事業者が動くようにも思えない。
この問題、イオンシネマ側が謝って終わりって話にはならないような気がする。イオンシネマが謝ってるのは不快にさせたことに対してなので、これからどういう対策をとってとか、現場にはこういう施作をしますって話ではないように読めるからね。
・合理的配慮と思いやりの話
なんというか今回の炎上で、障害者が健常者と同じように生きることは、健常者の思いやりによって成り立っているから遠慮がちにかわいい障害であれという健常者の圧がすごいんだなって実感した。いや怖いな〜何が怖いかって、ずーっと自分は健常者の側でいられるみたいな自信かな?想像力のなさというか?自分がリソース割くわけでもないのに厳しいな〜とか自分が車椅子ユーザーの方の移乗を強要されたわけでもないのに、義憤なのかな 義憤にしては言葉汚いし勢い強いなとかそういう。でも実際のところ
自分が弱者にならないとそういう状況・背景は理解が難しいと思うから、この件で当事者でもないのにブチギレてる人に「相手の事情を理解」することを迫っても意味がないと思う。できないから。でもできないことが悪いことではないとも思う。いろんな個体がいて、社会だから。
だからそういう、相手の立場に立つことが苦手な人も障害者を差別しないようにっていうのが障害者の差別を禁じる法律たちなんだと思う。
だから本件で当事者でもないのにブチギレてる人は一旦落ち着いて、他人の問題を自分のことのように義憤できることは他のことに生かした方がいいと思うんだよね… 例えばなんだろうな…拉致問題とかにエネルギー使って欲しいな 個人的には。
本当は障害者が健常者と同じように生きるしくみを作るのは国や事業者の仕事で、現場で生活している人間たちは気持ちをささくれ立たせることなく生活することが一番いいんじゃないかなって思う。だから障害者の人たちと、他人に厳しい人たちとのバトル見てて心が痛むよ〜本来君たちは争わなくていいはずだった人たちなのに〜みたいな気持ちがある。
・思いやりでできることを法律で縛るには理由があると思う
本来、人権教育が学童期からされていると自分にも他人にも等しく権利があると理解できるけど、そもそもこの国は子供は親の所有物としての側面が強すぎるように感じていて、その子がそもそも大切にされてないから他人を思いやるということが難しい個体が出てくるように思う。
だから思いやり、という言葉で他人に優しくへりくだることを強要されていてそれがストレスになって、思いやりを強要されてるのを見ると思いやりを強要されてつらい自分を現場スタッフさんに重ねて爆発しちゃうのかなって。
本件でブチギレてる人たちが例え車椅子ユーザーの方から移乗を強要されても、嫌だったら断っていいんだよ。それでもあなたという個体は罰せられず、仕組みを作らなかった国や事業者が罰せられるのが正だと思うし。思いやりがなくても誰も責めたりしないから、その酷い言葉を当事者に向けるのはやめてあげてよって思う。
なんかオチもなくダラダラ書いてしまったが、本来争わなくていい人たちが酷い言葉をかけあっていて本当に不毛だなって思うってことかな〜。畳む