あいの・まもの


*女主人公×キャラクター女体化百合








目も、触覚も、倫理観すら疑って彼、だった彼女を見遣るが、彼だった彼女は至って楽天的で、一度やってみたかったんだと私の化粧道具をひっくり返して遊んでいる。
白銀の髪もそのまま、瞳に映した深い海の色もそのまま。ただこのとき彼は、身体的な外見から言うと彼女と呼ぶべきだった。

「あっ、ずれちゃった……ねえ加奈子」
「……引き出しに綿棒があるから、オイルに浸して拭って」
「うーん……あ、ほんとだー綺麗にとれた」
化粧したところで100は100のままで、完全は完全を超えることはありはしないと思い知らされる。それほどに、私から見たヴィクトル・ニキフォロフは完成されている。完成している、と私から見たところで彼が満足することはなく、世界のすべてを魅了してもまだ足りないと言わんばかりに貪欲に、彼の思う完成に至るまで邁進し続ける。
「あのさ、なんかこう、それ、いいの?」
「良いも悪いも、慌てても仕方ないよ」
「まあ、そうだけどさあ……」

話は昨日までさかのぼる。
彼(現、彼女)が言うには、夢で女の子になってみたい?と聞かれてちょっと試してみたい、と答えたらしい。一日で解けてしまうおまじないだよ、と言われて目覚めてみたら、という状況らしい。そんなおとぎ話にしても作りが甘すぎる話を誰が信じるんだ、とのど元まで出かかったけれど、ヴィクトルは至って正気でこの話を私に聞かせ、自分の女体を思う存分楽しんでいる。本人がとくに気にしていないのにわめきたてるほどの元気がない。

「ねー加奈子、この服着てみたいんだけど、ウエストがゆるいよー?」
「黙って着れないなら着ないで」
「……怒ってるの?」
こういう無神経な発言には慣れたつもりだったが、常に完成された選手であることを求められるヴィクトルがこんなことになったと知られたら、と言うことに思考のリソースをもっていかれてしまってそれどころではない。けれど人の子である以上、完成はありえない。それを忘れて完成を求められ続ける重圧から少しだけでも逃れられるならそれもいいかもしれない、等々考え込んでしまい、彼が投げかけた言葉が入ってこなかった。
「加奈子……」
「そんな叱られた犬みたいな声出さないでも、怒ってないよ、心配なだけ」
「そっか! じゃあこのスカート貸して!」
「……はいはい、ベルトで調節しようね」
私の心配をよそに、底抜けに明るい笑顔で鮮やかな青が特徴的な花柄のスカートを広げて、ご満悦だ。

なんだか不思議な気分だ。
男性という、強くあれと求められる性から一時期解放されたヴィクトルはとってもたおやかで、性別が変わったとしても彼が持っているものは少しも失われることはない。控えめな乳房にブラジャーをつけてやり、それに揃いの下着を誂えてやると、倒錯具合に頭が痛くなってくる。すっきりとした筋肉質な身体に装飾過多気味の紺の下着がとてもよく似合っている。彼は、ヴィクトルは結局のところ神に近い無性だったのではないだろうか……とまで考えてしまった。

「上は何着たい?」
「えーと、これがいいな」
彼が選んだのは、スカートに比べるといくぶん地味なブラウスだった。さすが自分の魅力を知っている人は自分に何が似合うか瞬時に判断できるのだろう。

「うん、かわいい」
「そう?なんか変な感じだなあ」
「え?! 今更すぎない?」
くすくすと零れる笑いもいくぶんトーンが高い。男性のヴィクトルの声もまた素敵だが、女性のヴィクトルの声もまた優しい声音で、魅力的だ。

「ストッキングも履こうか」
「うん……わ、なにこれ、変なの」
「そうだよねーそうそう着る機会ないよね」
爪先までたくし上げて履きやすくしたストッキングを、膝をついて爪先を入れるように指示する。脚を彩る痣はそのまま残っていた。

「痣、気持ち悪いかな」
「いや、このストッキング黒だから気にならないでしょ」
「そっか」
「そうだよ、ヴィクトル」
ヴィクトルの努力の過程で付いた傷を否定するわけがない。そんなことすると思っているのかとぶちぶち文句を言いながら、ヴィクトルの両の爪先をストッキングに入れて、足首まで引き上げて渡す。
「ズボン履くみたいに、そう、そう、上手」
「上手でも、次試す機会が無いと思うけどなあ」
「何が起こるかわからないでしょ」
「ほんとだよね」
急にこの状況がおかしくて笑いが止まらなくなる。笑い転げながらもどうにかスカートのチャックを上げ、ベルトを締めてずり落ちないよう、固定する。

「靴はどうしようか?」
「そうだなあ……じゃあ、これ」
一見すると何の変哲もないグレーのハイヒール、高ければいいというわけではないけどこれが私の靴箱の中でも一番いい品だ。お姫様にガラスの靴を宛がう王子様のように跪き、彼の足を靴に収める。

「わ、ヴィクトル、すごく綺麗だよ」
そんなこと言われ慣れているだろうけど、言葉にせずにはいられなかった。
彼も女性の自分をこうして姿見で眺めて驚いているのか、言葉に詰まっていた。Vネックの首元に小ぶりのネックレスをつければ、もう何の文句も付けようがない美女のできあがりだ。

「綺麗……女神様みたい……」
「そうかな、ありがと」
謙遜も遠慮も彼(彼女)には必要ない。だって本当に、言葉の通りだから。
薄めの化粧が彼(彼女)の美貌を引き立てていて、街を歩いたら視線を独り占めだろう。けれどヴィクトルに似すぎている彼女(彼)が外を歩くとなればいろいろと面倒になるだろう。つまり私しか彼女(彼)を知りようもないのだ。美、という言葉を当てはめるとしたら彼女(彼)を真っ先に想像してしまいそうなほどの人間を私しか知り得ない。彼女(彼)に気づかれないよう言葉にできない、仄暗い独占欲の一端を噛みしめる。

「口紅した方がいいかな」
「そうだね、コーラル……いや……うーん」
「いい、いいよ、用意しなくて」
「えっ、で……も」
言い終わる前に、唇にな生ぬるい感触が。すぐに離れて、にまりと笑うヴィクトルの顔を視界に入れることになる。
「あっ、なるほど……そういうこと?」
「加奈子がしてる口紅、俺にも似合いそうだったから」
「うん、似合ってる。素敵」

キスで魔女がかけた魔法は解けないらしい。ならば今日一日この与えられた性を思い切り楽しむしかないだろう。一枚写真に撮ったのち、次の服を漁るヴィクトルが脱ぎ散らかした服をたたみながら、あれもそれもヴィクトルに来てほしいと思いながら彼の審美眼の粋も見てみたいと思う。突拍子もないが、今日も素敵な一日になりそうだ。