There is no remedy for love but to love more


気付けばうつむきがちになっている加奈子の顎を上げる動作が、付き合い始めてから一番増えたと思う。特に二人でいるときを他人に見られているときにそれは起こる。二人で歩いているとき、メディアへの対応をしているとき。けれど今、食後のコーヒーを飲んでいるときは少し違った顔が見れる。

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最近コーヒーを豆をわざわざ挽いて煎れるのがブームらしく、熱心に豆を買ってはブレンドを試している。
何かに熱中している加奈子はいつもするように自信なさげな仕草や表情をすることなく、実に生き生きしている。

カップにもこだわりがあるらしく、わざわざ日本から帰ってくるときに買い、重たいから持とうか?という誘いも固辞し、割れたら嫌だからと大事に大事に手荷物に入れて持って帰ってきていた。そんなに大事に扱われるこの陶器に少しだけ羨ましいなどと考えてしまう。今まで、誰かの興味を引きたくて焦がれた経験は片手で数えるくらいで、こういうときにどうしたらいいかわからなくなる。
大抵、リンクから降りたとき注がれる視線は熱に浮かされたもので、それがその後もずっと持続するらしく、女性に不自由したことはなかった。が、加奈子は一筋縄ではいかない。

「お待たせ、今日はコスタリカとエチオピアのブレンド」
「いい香り」
「でしょう!?」

この笑顔はほかの誰にも見せて欲しくないとは思う。綺麗で大事なものを一人占めしたい、という感情は幼くもなければ原始的でもない。正統な欲だと思う。
ならそんなに躍起になって顔を上げさせるのも良くないかもしれないとも思ったことはある。
おこがましいけれど、加奈子はそうやって自信が持てる分野で熱心に打ち込んでいる姿をもっと誇っていいと思う。好きな人が楽しそうにしているところを見るのは何にも代えがたい悦びだ。

頬にかかる髪を耳の後ろにまとめる仕草ひとつとっても、ひどく目を引く。そんなこと露とも思わない加奈子は目ざとく見られたことを察知して、どうかした?と聞いてくる。
「したといえば、したかなぁ」
「え?」
「なんでもないよ」
まだ彼女の祖国より頻繁にされるキスに慣れないらしく、頬へのキスひとつで身を竦める。以前嫌なのか聞いたときは必死に、そうじゃなくて……と耳まで真赤にして俯いていたのを思い出してにやけてしまう。

「何、ニヤニヤして」
「思い出し笑い」
「えー」
それきり興味を失ったのか、自分の調合の完璧さに舌鼓を打っている。その間は見ような撫でようが摩ろうがあまり反応を返さないのでここぞとばかりに加奈子を堪能する。ふわりと香るコーヒー豆の香りと石鹸の香りに脳味噌がぐらぐら揺れる。

自分の者とは違う暗色の髪を一束手に取って、無造作に力を緩めればはらはらと重力に従って落ちる。それだけのこと。
それだけのことにここまで心動かされてしまうのは、彼女の国の言葉を借りれば惚れた弱みというものになるのかもしれない。確かに、心にひとつ柔らかいところを作ることになっている。けれど弱みと呼ぶにはあまりに複雑な感情を彼女に抱いている。

「ねぇ、ヴィクトル本当になんともないの?」
「うん、大丈夫」
本当は誰にも彼女の良いところを知ってほしくない、僕だけが知っていればいい。でも一人の独立した個人として、自信を持って振舞うことで他人から認めらて得ることができる幸せを感じる自由までは奪えない。
確かに僕は加奈子を心の底から大切に思っている。だからこそ、辛そうな笑顔でメディアに「未だにどうしてヴィクトルが私を、と思います」だなんて言って欲しくない。君が自分をわかっていないだけだ、と何度喉まで出てきたわからない。本人を目の前にして思うことかとも考えたが、僕が好きな人が、僕の愛情を信じてくれなかったようでひどく傷ついた。

そのエゴイズムを濾過してできたような葛藤を抱えたまま作った笑みは、加奈子をさらに心配させてしまったようだ。そのアジア人特有のブラウンとブラックの合間の瞳を忙しく巡らせて僕の表情を見遣る。
「……泣きたい顔に見える」
「そうかな?」
「うん」
何か聞きだすまで引かなさそうな顔をしている。
真一文字に結ばれた唇を撫でても一瞬目が泳いだ程度で、誤魔化されるつもりは無いらしい。

「んーとねぇ、一言でまとめると」
「まとめると……?」
自分で切り出しておきながら言葉に詰まる。どうにか無難な言葉にくるんで、さりげなく真意を伝えることができればと思う。

「加奈子の事がすっごく大事で、僕にできる範囲のところは幸せにしたいし、加奈子でしか掴めない幸せなら応援したいし、支えたい、かな」
「……全然一言じゃないけど、嬉しいよ、ありがとう」
照れ笑いも可愛い。好きだよ、も、もっと自分を信じて、と、僕の気持ちを疑わないで、をキスに込める。
加奈子からキスを返してくれるようになるまで長い説得を要した甲斐があった。照れながらもキスが返ってくる。
「わ、私も、ヴィクトルのこと……支えられるかはわからないけど、支えたいな」
「今でも十分支えてもらっているよ」
「そうかな……?」
「そうだよ」
腑に落ちないと顔に書いてある。その仕草だってきっと外でやれば人目を引くだろう。加奈子が気づいていないだけで。
また一つため息が漏れる。そう、加奈子が気づいていないだけなんだ。


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20000hit 有馬様から教えていただいた曲
O/n/e D/i/r/e/c/t/i/o/nの「W/h/a/t M/a/k/e/s Y/o/u B/e/a/u/t/i/f/u/l 」
から着想を得て書きました。
タイトルはソローの言葉を引用しています。