夫婦。なんだか不思議な響きだ。
前時代に作られた制度を皆当たり前のように受け入れては番となっていく。今は事実婚とか週末婚とかいろいろあるみたいだけど、よくそんな風に他人との関係に名前を付けては自分のものだと主張したがるもんだ。

いろいろと理屈を並べてはみているものの、私に与えられた現実は上品にきらめきを主張するダイヤモンドがはまった指輪だ。

「えっと、あのさぁ……」
確かにテンプレ的なプロポーズの言葉が聞こえた。聞こえたことには聞こえたが、あまりに予想外すぎて頭を抱えてしまった。当然ユーリはプロポーズしたと思ったら頭を抱えているのだからどんどん顔色が悪くなっている。

「な、なんだよ」
「いや、本気?」
「冗談でこんなことするかよバカ!」
「そうだよねごめん……混乱してて……」
膝をついているユーリの手を取って立ち上がらせる。膝なんてスケートで一、二を争う大事な部分なのにこうして膝をつくなんてと思ってしまうあたりかわいい女になり切れない。
「で、何?け、結婚?」
「そう、結婚。俺と、加奈子」
「あっはい……」

間近で見続けるとなぜか気恥ずかしくなる顔がすぐ近くで早く返事しろよと言わんばかりの睨みを利かせてくる。美人は三日で飽きるというのは絶対にウソだと自信をもって言える。

「じゃあその……、よろしくお願いします……」
直後万力かと疑うレベルの圧で締め上げられて気分が悪くなったのは今でも鉄板の笑い話だ。

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そうしてよそから見たとき夫婦という枠に収まったのだが、思った以上に変化がない。普段しない指輪に違和感を感じて眺めているとああ私はあれの妻になったのかとやっと実感を得る。言葉は悪いが、首輪を見て自分が飼い犬だと理解する犬のようだ。


物音がしたので何かと思ったらソファーで寝落ちたユーリの足が落ちた音だった。同じ気温の下にいるとは思えないほど薄着のままではさすがに風邪をひく。ふわふわとやわらかい、ユーリお気に入りのブランケットをかけてその整った顔にまじまじと見入る。
夫婦というものが何だかよくわからないまま結婚という契約を交わしたことで少し混乱している。ほかの人とセックスしない制約があるのはわかる。けれどそれ以外に何かあるのかいまいちつかめない。

彼の先輩であるヴィクトルさんを意識してか長く伸ばした髪に慎重に触れる。今日も練習三昧でくたくたになっているだろうから寝れるうちに寝かせておいてあげたい。十代のころよりずいぶんくすみが目立つ金色を手に取って眺めては掌からこぼし、癖のひとつもなく流れていくさまを楽しむ。彼が起きているときにやろうとすると気持ち悪いと嫌がるからこの時だけ。


「何やってんだよ加奈子」
「起きてたの?」
「寝てねぇよ」
「そ」
半ばひったくられるように手に取ったユーリの髪を奪われた。少しイライラしているように見える。いらだちが外に出やすいのは昔からだが、今はずいぶんマシになったと思っていた。
「ごめんって」
「前より汚い色になったから、あんまり見んなよ……」

自信なさげに呟いた言葉が妙に痛ましくて顔を覗き込もうとしたら避けられた。
確かに、昔と比べるとそばかすや、女性的ともいえる美貌に、薄くはあるもののひげが生えるアンバランスさなど、彼にとっては気に入らないのだろうが、それはそれで愛おしいと思う。

「深みが出た、でいいじゃん……嫌そうだね」
「んなことほかに言えねぇから……あの顔でいられる時間は短いってことは知ってたけどさ、見られる競技だから使えるものは全部使いたい、けど使えるものが減ったような気がして」
この言葉を聞けただけでも妻という枠内に居る意味があっと思った。気ままに散らばった金髪をかき分けて頬にキスをひとつ。

「私が解決してあげられる不安かどうかはわからないし気休めみたいなことしか言えないけどさ、私はどんなユーリも好きだし、ユーリの演技も好きだよ」
「……加奈子、お前そんな優しいこと言えたんだな……」
「かわいくないなー!」
軽く額をたたくと照れたように笑う。この笑い方は老いても変わらないだろう。こうして彼の傍でゆるやかに老いてゆくことがなにより幸せだと思える。

「でも、私ユーリと結婚してよかったと思うよ……ちょっとおでこ触らないでよ、熱じゃない!」
けらけらとさっきまでの陰鬱とした表情がウソのように笑い声をあげるユーリ。私が照れ隠しに小突いてやろうと振り上げた腕をつかんで流れるようにキスをして台所に去ってゆく。お互いの扱いに慣れているような間柄になれていると思う。こうして二人で過ごす時間を積み重ねていくのだと思うと、自然と口角が緩んでしまう。

「今日の晩飯なにがいい?」
「えっ作ってくれるの?!なにがいいかなー」




楓様より教えていただいた、星/野/源「恋」に着想を得ています。