この、スケートリンクという場所に縁が出来てから随分経つ。
それまでは縁遠かった、というかこの街にそんなところがあったこと自体知らなかった。最初こそ寒さを舐めていた恰好で行ったこともあったが、今となっては足元までしっかり守るコート着込んでいる。準備万端すぎて少し暑いくらいだ。
観客が人の声で満たされてゆく。この小さな町のどこにそんなにたくさんこのスポーツを愛する人がいたのかと驚くほどのひとびとが、粗末な椅子を埋めてゆく。少し入口寄りの、全体が俯瞰できる位置に陣取る。
今日はジュニア大会、まだテレビで出てくるとか、知る機会が限られてくると言うのに、これだけの人が集まっている。祖国である日本とのこのスポーツにおける温度差を感じる。
スマホが震え、ショートメッセージの受信を告げる。
内容も見ずに、居るよ、がんばって、といった簡素な内容を返す。こういうところはまだまだ子供で、私に対してだけいつもの威勢で食って掛かることはない。それが可愛いところなのかもしれない、と惚気で緩みきった脳味噌で考える。
日本式に考えると、男女として付き合うとなったら「付き合って下さい」等々、言葉で契約を結ぶようにして始めるのが普通だが、ロシアでは違うらしい。回りくどくなくアプローチをし、それに応えたらある程度気があると判断しても良い、という思考で動いている、らしい。
だから、あまりに退屈しすぎたために通ったスケートリンクで、練習を見るうちに話しかけてきた子供から一緒に出掛けようだのなんだの言われても、何とも思っていなかった……アジア人が珍しいのかなって思ってたよ、と我が家に入り浸るようになったユーリに何気なく言ったら本当に悲しそうな顔をされてしまった。
こればかりは反省半分、文化の違いという言葉に逃げさせてほしい、という気持ち半分、である。それでも、まだ私が頭を抱えやすい位置にいるので、悪かったよ、と抱きしめやすい。し、キスひとつで機嫌が直ってしまうのだから、まだまだ扱いやすい。
----------
そんなことを考えているうちに、当の本人が拍手の渦の中を滑走し、所定の位置につく。
白い肌が強烈なライトに照らされ、氷との境界が薄れるように見える。あそこにいるとどうしてもこの世のものとは思えない。それが誰であっても、だ。すこしだけフラフラと滑走し、動きが止まる。自信、すこしの緊張、表現してみたいことがあると溢れる気持ち、等々、傍観しているだけではわからないことを考えているのかもしれない。
このスポーツは本当に不思議だ。芸術性という、主観との切り離し方が気になる判断基準で評価される。その前提があったとしても、ユーリは表現者としては未だ首をひねりたくなるときもあるが、贔屓目もあるだろうが、目を離せなくなる輝きがあると思う。
皆が息を呑んで見つめる彼が、まさか私の腕のなかで目覚めるなんて。今の私だって信じられないが、今日だってそうだった。けれどあの、私の側で眠るユーリと、このリンクで喝采を浴び、笑みの一つも浮かべずにコーチのもとに戻ってゆくユーリが同一だなんていまいち信じられない。
目当ての子の演技だけ見て帰るのもいいが、最近は別日程の女子のプログラムに通うほど、すこしずつフィギュアスケートという競技を見ることが好きになってきている気がする。皆が曲をジャンプやステップ、スピンなどと、ある程度カードが決まっているなかで表現し、その巧拙も同時にはかられる。なかなかに奥深いスポーツだと思う。
閉会式も終わり、皆が夕食のことを考え出すころ、そろそろ帰ろうかと考えていると隣に乱暴に腰を下ろしたひとのために少し奥につめる。所作が雑なんだなー怖いなーなんて考えていたら、肩に重みと温みを感じて思わず飛び上がりそうになった。
「だっ、誰」
ぎりぎり、と効果音が付きそうなほどの険しい視線には心当たりがあった。金の髪からのぞく翠が誰はねーだろ、誰は、と言うように睨みつけてくる。可愛げのかけらもない、最高に不機嫌な顔で見上げてくる。
「あっなんだ、ユーリか、お疲れ」
「ん」
「かえろっか」
「うん」
変に素直なときは疲れが最高潮に来ているときだ。現に瞼がおちそうだ。手を振ってくれるユーリのチームメイトに手を振りかえし、リンクをあとにする。
まだ私より小さな、一日氷の近くにいたのだから当然と言えば当然のように冷え切った掌を握ってアパートまでの道をとぼとぼ帰る。昨日作り置きをしておきてよかった。
-------
「ほら、入浴剤あげるから、風呂入っておいで」
「今日は?」
「草津の湯」
素直に受け取って風呂場に行くユーリを尻目に、ご飯の支度をする。きっと風呂に入ったらさっきまでの萎れ具合が嘘みたいにたくさん食べるだろうから、バランスを一応考えて。
作る、と言っても作り置きをきれいに並べて、メインの肉だけを焼くだけ。それすら今日は面倒くさい。見ているのも疲れるのだ。ジャンプ一回一回に手に汗を握り、演技を終えた選手に心からの喝采を送っているだけなのだけど。
「いただきます」
「In the name of the Father, and of the Son, and of the Holy Spirit. Amen.」
めいめい食事前の言葉ののち、和洋折衷の食事にありつく。主食は米。味付けは洋風。それでもおいしいおいしいと食べるから問題ない。やはり成長期というだけあって、作った労力に比例しない速度でどんどん消えてゆく。
「加奈子、食べないのか?」
自分より勢いよく食べない私を見てそう言うけれど、ユーリのたべっぷりがいいだけで私のそれなりに食べている。
「大丈夫大丈夫、食べてるから」
返事の代わりに咀嚼音だけが聞こえる。味わってはいるらしく、時々思い出したように、これ美味い、と言ってくる。
-----
ふたりぶんの食器を洗うのはユーリの役目。少し雑ではあるけれどぎりぎり及第点といったところか。ささっと風呂に入ってきたらユーリは靴のメンテナンスをしていた。
「もう、靴小さいの?」
「まだ平気」
そっか、と言って離れようとすると急に袖を引かれ、ブレード部分に手をつきそうになる。
「危な!」
「ごめん」
素直に謝るあたり、本当に悪かったと思っているらしい。きっと引き留めたかったのだろうけどタイミングとやり方が悪かった。
「どうしたの?何か用?」
「隣、居て」
家に二人でいるときはこうやって外に居る時には考えられないことを言ってくる。それなりに私を信頼している、と言ってもいいだろう。私のヘアクリップを当たり前のように使って前髪をあげた、できものひとつない額にキスをひとつするだけで表情がやわらぐ。
「わかった、本取ってくるから」
寝室にある読みかけの語学書を読み切ってしまいたい。私は本を読み始めたら黙っていることを知っているユーリは何も言わず袖を放す。
-----
「あのー」
「なんだよ」
「重たいんですけど」
「俺はさっきから本の背が当たって痛い」
自分から寝転がっている人の腰にしがみついてうたたねしておいて……じゃあ離れれば?と喉元まで言葉が出てきたが、それはあまりにも酷だろう。
黙ってそのお綺麗な顔を眺めていると、不安げに眉根が寄せられる。怒らせたと思っているらしい。子供のわがままなのか、恋人に甘えたいだけなのか判断をできないでいると音もなく手を取られ、頭上でまとめられる。子供とはいえ、男の腕力。もう半年前くらいから逃れられなくなってしまっていた。思いつめたような表情をしている。顔が綺麗だと傷ついた顔も綺麗だ、なんて言ったらさらに拗ねそうだから黙っておく。
「あの〜……」
「加奈子はさ、俺が大人になるまでなにもしないって言うけど、それって誰のためなの?早く大人になりたい、大人じゃないとできないことが多すぎる」
「私のため」
即答されて拍子抜けしたのか、手の拘束が緩んだのをみて、その、もう華奢とはいえない身体を抱きしめる。予想外の重たさに、ぐぇえ、と可愛さのかけらもない声が漏れる。
「だから、ごめんね、ユーリには我慢させてるし、私も我慢してる」
「じゃあなんで」
「やっぱり、大人が悪いことをしてる気になってしまうというか……いや、何をいっても言い訳になるからやめておこうかな、私のせいにして」
未成年に手を出してはいけない、という倫理観を祖国でしっかり埋め込まれた私は、どうしても未成年のうちの彼と身体の関係になろうとは思えない。それは合意であったとしても、想像しただけで冷や汗が出てしまう。それを彼にいっても仕方のないことだろう。その言う言わない選択の正誤がどちらであれ、それがお互いのためであると思う。
「なんだそれ、狡い」
「大人だからね」
何時ものユーリがするような、嫌そうに顔を顰めているのが見なくてもわかる。
「……そんな大人にはなりたくない」
「はは、そうだね」
「好きなひとには好きでいい、っていう大人になる」
「うんうん」
「うんうんじゃねぇよ」
「えーっ……反抗期……?」
茶化し始めた私に構うのも腹が立つのか、大人しく抱きしめられることにしたらしい。こういうところは素直にかわいいと思う。可愛い子にはほっぺにキスをしてあげよう。
「またそうやって誤魔化す」
「ばれたか……」
「……嫌になったら、変に同情したりしないで、追い出して」
「……どうしちゃったのさ」
なんでもない、と耳元で囁かれる。なんでもないのにこんな弱気なことを言うなんて、なんか不安だったり、言って欲しく無いことされたくないことをしてしまったかもしれない。
「そんなこと言わないでよ、何でも言って」
「本当に平気、なんでもない。加奈子は、嫌だったら容赦なく蹴落として寝るだろうし」
「まぁ……確かにそうかもしれないけど」
女心と秋の空、なんて言い回しがあるけれど、思春期入りたてくらいの少年だって、というか人の気持ちなんて他人から見えやしないからコロコロ変わって当然で、それでいちいち気をもんでいても仕方ないとはわかる。
わかるけれど心配して損したような気になる。けれどその損したような気持ちすら、愛おしさにすり替わるのだから私がユーリを大切に思っていることは確かなのに、すべてを伝えきることは出来ていないように思える。まぁ、それはそれでいいけれど。
「今日疲れてんじゃない?早めに寝たら?」
「そうする……加奈子は?」
「…………………………寝るよ、寝るからそんな顔しないでよ」
そうやって拗ねたり甘えたりを忙しく繰り返すのがかわいい、と言ったらどんな顔をするだろう。その楽しみはあとにとっておくとして、今日は機嫌をこれ以上損ねないうちに眠るのがいいだろう。
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甘栗様リクエスト作品
それまでは縁遠かった、というかこの街にそんなところがあったこと自体知らなかった。最初こそ寒さを舐めていた恰好で行ったこともあったが、今となっては足元までしっかり守るコート着込んでいる。準備万端すぎて少し暑いくらいだ。
観客が人の声で満たされてゆく。この小さな町のどこにそんなにたくさんこのスポーツを愛する人がいたのかと驚くほどのひとびとが、粗末な椅子を埋めてゆく。少し入口寄りの、全体が俯瞰できる位置に陣取る。
今日はジュニア大会、まだテレビで出てくるとか、知る機会が限られてくると言うのに、これだけの人が集まっている。祖国である日本とのこのスポーツにおける温度差を感じる。
スマホが震え、ショートメッセージの受信を告げる。
内容も見ずに、居るよ、がんばって、といった簡素な内容を返す。こういうところはまだまだ子供で、私に対してだけいつもの威勢で食って掛かることはない。それが可愛いところなのかもしれない、と惚気で緩みきった脳味噌で考える。
日本式に考えると、男女として付き合うとなったら「付き合って下さい」等々、言葉で契約を結ぶようにして始めるのが普通だが、ロシアでは違うらしい。回りくどくなくアプローチをし、それに応えたらある程度気があると判断しても良い、という思考で動いている、らしい。
だから、あまりに退屈しすぎたために通ったスケートリンクで、練習を見るうちに話しかけてきた子供から一緒に出掛けようだのなんだの言われても、何とも思っていなかった……アジア人が珍しいのかなって思ってたよ、と我が家に入り浸るようになったユーリに何気なく言ったら本当に悲しそうな顔をされてしまった。
こればかりは反省半分、文化の違いという言葉に逃げさせてほしい、という気持ち半分、である。それでも、まだ私が頭を抱えやすい位置にいるので、悪かったよ、と抱きしめやすい。し、キスひとつで機嫌が直ってしまうのだから、まだまだ扱いやすい。
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そんなことを考えているうちに、当の本人が拍手の渦の中を滑走し、所定の位置につく。
白い肌が強烈なライトに照らされ、氷との境界が薄れるように見える。あそこにいるとどうしてもこの世のものとは思えない。それが誰であっても、だ。すこしだけフラフラと滑走し、動きが止まる。自信、すこしの緊張、表現してみたいことがあると溢れる気持ち、等々、傍観しているだけではわからないことを考えているのかもしれない。
このスポーツは本当に不思議だ。芸術性という、主観との切り離し方が気になる判断基準で評価される。その前提があったとしても、ユーリは表現者としては未だ首をひねりたくなるときもあるが、贔屓目もあるだろうが、目を離せなくなる輝きがあると思う。
皆が息を呑んで見つめる彼が、まさか私の腕のなかで目覚めるなんて。今の私だって信じられないが、今日だってそうだった。けれどあの、私の側で眠るユーリと、このリンクで喝采を浴び、笑みの一つも浮かべずにコーチのもとに戻ってゆくユーリが同一だなんていまいち信じられない。
目当ての子の演技だけ見て帰るのもいいが、最近は別日程の女子のプログラムに通うほど、すこしずつフィギュアスケートという競技を見ることが好きになってきている気がする。皆が曲をジャンプやステップ、スピンなどと、ある程度カードが決まっているなかで表現し、その巧拙も同時にはかられる。なかなかに奥深いスポーツだと思う。
閉会式も終わり、皆が夕食のことを考え出すころ、そろそろ帰ろうかと考えていると隣に乱暴に腰を下ろしたひとのために少し奥につめる。所作が雑なんだなー怖いなーなんて考えていたら、肩に重みと温みを感じて思わず飛び上がりそうになった。
「だっ、誰」
ぎりぎり、と効果音が付きそうなほどの険しい視線には心当たりがあった。金の髪からのぞく翠が誰はねーだろ、誰は、と言うように睨みつけてくる。可愛げのかけらもない、最高に不機嫌な顔で見上げてくる。
「あっなんだ、ユーリか、お疲れ」
「ん」
「かえろっか」
「うん」
変に素直なときは疲れが最高潮に来ているときだ。現に瞼がおちそうだ。手を振ってくれるユーリのチームメイトに手を振りかえし、リンクをあとにする。
まだ私より小さな、一日氷の近くにいたのだから当然と言えば当然のように冷え切った掌を握ってアパートまでの道をとぼとぼ帰る。昨日作り置きをしておきてよかった。
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「ほら、入浴剤あげるから、風呂入っておいで」
「今日は?」
「草津の湯」
素直に受け取って風呂場に行くユーリを尻目に、ご飯の支度をする。きっと風呂に入ったらさっきまでの萎れ具合が嘘みたいにたくさん食べるだろうから、バランスを一応考えて。
作る、と言っても作り置きをきれいに並べて、メインの肉だけを焼くだけ。それすら今日は面倒くさい。見ているのも疲れるのだ。ジャンプ一回一回に手に汗を握り、演技を終えた選手に心からの喝采を送っているだけなのだけど。
「いただきます」
「In the name of the Father, and of the Son, and of the Holy Spirit. Amen.」
めいめい食事前の言葉ののち、和洋折衷の食事にありつく。主食は米。味付けは洋風。それでもおいしいおいしいと食べるから問題ない。やはり成長期というだけあって、作った労力に比例しない速度でどんどん消えてゆく。
「加奈子、食べないのか?」
自分より勢いよく食べない私を見てそう言うけれど、ユーリのたべっぷりがいいだけで私のそれなりに食べている。
「大丈夫大丈夫、食べてるから」
返事の代わりに咀嚼音だけが聞こえる。味わってはいるらしく、時々思い出したように、これ美味い、と言ってくる。
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ふたりぶんの食器を洗うのはユーリの役目。少し雑ではあるけれどぎりぎり及第点といったところか。ささっと風呂に入ってきたらユーリは靴のメンテナンスをしていた。
「もう、靴小さいの?」
「まだ平気」
そっか、と言って離れようとすると急に袖を引かれ、ブレード部分に手をつきそうになる。
「危な!」
「ごめん」
素直に謝るあたり、本当に悪かったと思っているらしい。きっと引き留めたかったのだろうけどタイミングとやり方が悪かった。
「どうしたの?何か用?」
「隣、居て」
家に二人でいるときはこうやって外に居る時には考えられないことを言ってくる。それなりに私を信頼している、と言ってもいいだろう。私のヘアクリップを当たり前のように使って前髪をあげた、できものひとつない額にキスをひとつするだけで表情がやわらぐ。
「わかった、本取ってくるから」
寝室にある読みかけの語学書を読み切ってしまいたい。私は本を読み始めたら黙っていることを知っているユーリは何も言わず袖を放す。
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「あのー」
「なんだよ」
「重たいんですけど」
「俺はさっきから本の背が当たって痛い」
自分から寝転がっている人の腰にしがみついてうたたねしておいて……じゃあ離れれば?と喉元まで言葉が出てきたが、それはあまりにも酷だろう。
黙ってそのお綺麗な顔を眺めていると、不安げに眉根が寄せられる。怒らせたと思っているらしい。子供のわがままなのか、恋人に甘えたいだけなのか判断をできないでいると音もなく手を取られ、頭上でまとめられる。子供とはいえ、男の腕力。もう半年前くらいから逃れられなくなってしまっていた。思いつめたような表情をしている。顔が綺麗だと傷ついた顔も綺麗だ、なんて言ったらさらに拗ねそうだから黙っておく。
「あの〜……」
「加奈子はさ、俺が大人になるまでなにもしないって言うけど、それって誰のためなの?早く大人になりたい、大人じゃないとできないことが多すぎる」
「私のため」
即答されて拍子抜けしたのか、手の拘束が緩んだのをみて、その、もう華奢とはいえない身体を抱きしめる。予想外の重たさに、ぐぇえ、と可愛さのかけらもない声が漏れる。
「だから、ごめんね、ユーリには我慢させてるし、私も我慢してる」
「じゃあなんで」
「やっぱり、大人が悪いことをしてる気になってしまうというか……いや、何をいっても言い訳になるからやめておこうかな、私のせいにして」
未成年に手を出してはいけない、という倫理観を祖国でしっかり埋め込まれた私は、どうしても未成年のうちの彼と身体の関係になろうとは思えない。それは合意であったとしても、想像しただけで冷や汗が出てしまう。それを彼にいっても仕方のないことだろう。その言う言わない選択の正誤がどちらであれ、それがお互いのためであると思う。
「なんだそれ、狡い」
「大人だからね」
何時ものユーリがするような、嫌そうに顔を顰めているのが見なくてもわかる。
「……そんな大人にはなりたくない」
「はは、そうだね」
「好きなひとには好きでいい、っていう大人になる」
「うんうん」
「うんうんじゃねぇよ」
「えーっ……反抗期……?」
茶化し始めた私に構うのも腹が立つのか、大人しく抱きしめられることにしたらしい。こういうところは素直にかわいいと思う。可愛い子にはほっぺにキスをしてあげよう。
「またそうやって誤魔化す」
「ばれたか……」
「……嫌になったら、変に同情したりしないで、追い出して」
「……どうしちゃったのさ」
なんでもない、と耳元で囁かれる。なんでもないのにこんな弱気なことを言うなんて、なんか不安だったり、言って欲しく無いことされたくないことをしてしまったかもしれない。
「そんなこと言わないでよ、何でも言って」
「本当に平気、なんでもない。加奈子は、嫌だったら容赦なく蹴落として寝るだろうし」
「まぁ……確かにそうかもしれないけど」
女心と秋の空、なんて言い回しがあるけれど、思春期入りたてくらいの少年だって、というか人の気持ちなんて他人から見えやしないからコロコロ変わって当然で、それでいちいち気をもんでいても仕方ないとはわかる。
わかるけれど心配して損したような気になる。けれどその損したような気持ちすら、愛おしさにすり替わるのだから私がユーリを大切に思っていることは確かなのに、すべてを伝えきることは出来ていないように思える。まぁ、それはそれでいいけれど。
「今日疲れてんじゃない?早めに寝たら?」
「そうする……加奈子は?」
「…………………………寝るよ、寝るからそんな顔しないでよ」
そうやって拗ねたり甘えたりを忙しく繰り返すのがかわいい、と言ったらどんな顔をするだろう。その楽しみはあとにとっておくとして、今日は機嫌をこれ以上損ねないうちに眠るのがいいだろう。
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