風呂上がりの髪が逆立っていないところを見ると、あれはワックス等で整えているからああなっているということがわかる。
なんとなく彼はそういうことに無頓着だと思っていたから勝手に驚いてしまう。
そういった細々とした生活の癖は、時間を、寝食を共にしないと欠片も掴めないことだ。むしろ人が織りなす癖を愛おしめないとうっとおしいだけだろうから、新しい発見はむしろ歓迎するべきだろう。
そう例えばこんなとき、ひどく魅力的に感じてしまう。
朝起きてすぐの若干機嫌が悪いとき洗顔ののちシェービングクリームをつけて、(これを初めて見たときは笑い飛ばしてしまったくらい間抜けな図になる。まるでサンタクロースのような白ひげが十八歳の顔に現れるのだから)それを拭い去るように髭を剃ってゆく。
ただそれだけのこと。
世の男性(この場合は身体が男性であることを指す)は毎日一度は、人によっては二度このわずらわしさを感じているかと思うと心底同情する。
けれど見慣れない仕草にはどうにも惹きこまれてしまう。
それがあのオタベックだからだというのもある。あまりプライベートを明かさない彼だから、私的領域が垣間見えることが殊更珍しく思えるんだろう。
「……加奈子」
「あっ、いや見てるだけだから……!」
「見て楽しいものでもないだろ」
「いや〜、そこは男の人にはわからない……、グッとくるポイントがあるの、気にしないで」
「そうなのか……?」
こちらに視線は移さず黙々と手を動かしながら淡々と答えているように聞こえるが、耳の後ろが真っ赤になっていて頑張って張った意地が台無しだ。
「もうちょっとしたら朝ごはん作るよ、パンか米がどっちがいい?」
「米」
「わかった、その間に寝具を洗濯かけて?」
「わかった」
朴訥な返事しか返ってこないが、いつもこんなものだから最初の頃無愛想すぎない?と無駄に突っかかったことを思い出しては一人恥じ入っている。
剃り残しがないことを確認し、残った泡を流して終わり……にはしない。この前さすがに冬はカミソリで荒れた肌が痛々しいからと私が買ってきた乳液をつけている。夏はべたつくのを心底嫌そうにするのを半ば無理やりつけている。
それでもふり払われたことはない。私のやることに害意がないと信じてもらえていることの表れだと解釈した。
炊きたての米のにおい、これに勝る食欲をそそる香りもまずないだろう。
朝食は軽く済ませるといってもアスリートの食事。常人よりはもちろんたくさん食べる。
もくもくと食べ続ける彼を、食後のコーヒーを飲みながら眺める。と、頬のあたりに切り傷を見つけた。
「ね、それどうしたの?」
何のことか一瞬分からなかったらしく、私が指さしたところを指で摩った。
「さっき切った」
「え、大丈夫?」
「大丈夫だ……その、次からあまり見ないでほしい」
「えー……なんで?」
沈黙。
もともと私が主に喋るから私が喋らないと洗濯機の稼働音だけがここに満ちる音になる。
「その、見られると……照れる」
「あっ?!え?そうなの……?」
そんなことを真顔で言われるとこっちが恥ずかしくなってくる。照れる、照れる。もちろん言葉の意味はわかるけれど、それがオタベックの口から出た言葉ということが問題だ。
私が何をしても何とも思ってなさそうな彼が私の行動に対して照れると。
「美味しかった」
「それはよかった」
多少粗雑に洗い物を済ませて、今日も今日とて練習に行く。仕事のように休日が決まっているわけではないので自分でコントロールすることだそうだが、彼は本当に練習熱心だと思う。
自分が持ちうる時間を全て尽くしてでも、欲しいものがあるのだと以前言っていた。
それを得るにしてもしなくとも、側で見届けられる幸福を噛み締めつつ、玄関まで見送る。目立つから止めておけというけれど荷物が増える方が嫌だと言って国が支給した選手団ジャージで出かけようとしている。
「そのジャージ、気に入ってるの?」
「いや特に……あるもので十分だから」
「そっか、うん、今日も頑張ってね」
「加奈子も」
まだ何か言いたげに見つめてくるが、さすがにこの文脈からは読み取れない。しばらく見つめあい、私が恥ずかしくなって目を逸らした途端視界が揺れて頬にぬるい感触。
「いってきますのキスしたいなら、言えばいいのに」
「……いってきます」
茶化すような私の言葉に返答はなく、ただいってくるとだけ。まぁそういうところも好きだから良いんだけども。
いってきたならまた帰ってくる。何度も好きな人が家に帰ってくる喜びにも浸れる。そんな毎日だから、今日も頑張れる。
なんとなく彼はそういうことに無頓着だと思っていたから勝手に驚いてしまう。
そういった細々とした生活の癖は、時間を、寝食を共にしないと欠片も掴めないことだ。むしろ人が織りなす癖を愛おしめないとうっとおしいだけだろうから、新しい発見はむしろ歓迎するべきだろう。
そう例えばこんなとき、ひどく魅力的に感じてしまう。
朝起きてすぐの若干機嫌が悪いとき洗顔ののちシェービングクリームをつけて、(これを初めて見たときは笑い飛ばしてしまったくらい間抜けな図になる。まるでサンタクロースのような白ひげが十八歳の顔に現れるのだから)それを拭い去るように髭を剃ってゆく。
ただそれだけのこと。
世の男性(この場合は身体が男性であることを指す)は毎日一度は、人によっては二度このわずらわしさを感じているかと思うと心底同情する。
けれど見慣れない仕草にはどうにも惹きこまれてしまう。
それがあのオタベックだからだというのもある。あまりプライベートを明かさない彼だから、私的領域が垣間見えることが殊更珍しく思えるんだろう。
「……加奈子」
「あっ、いや見てるだけだから……!」
「見て楽しいものでもないだろ」
「いや〜、そこは男の人にはわからない……、グッとくるポイントがあるの、気にしないで」
「そうなのか……?」
こちらに視線は移さず黙々と手を動かしながら淡々と答えているように聞こえるが、耳の後ろが真っ赤になっていて頑張って張った意地が台無しだ。
「もうちょっとしたら朝ごはん作るよ、パンか米がどっちがいい?」
「米」
「わかった、その間に寝具を洗濯かけて?」
「わかった」
朴訥な返事しか返ってこないが、いつもこんなものだから最初の頃無愛想すぎない?と無駄に突っかかったことを思い出しては一人恥じ入っている。
剃り残しがないことを確認し、残った泡を流して終わり……にはしない。この前さすがに冬はカミソリで荒れた肌が痛々しいからと私が買ってきた乳液をつけている。夏はべたつくのを心底嫌そうにするのを半ば無理やりつけている。
それでもふり払われたことはない。私のやることに害意がないと信じてもらえていることの表れだと解釈した。
炊きたての米のにおい、これに勝る食欲をそそる香りもまずないだろう。
朝食は軽く済ませるといってもアスリートの食事。常人よりはもちろんたくさん食べる。
もくもくと食べ続ける彼を、食後のコーヒーを飲みながら眺める。と、頬のあたりに切り傷を見つけた。
「ね、それどうしたの?」
何のことか一瞬分からなかったらしく、私が指さしたところを指で摩った。
「さっき切った」
「え、大丈夫?」
「大丈夫だ……その、次からあまり見ないでほしい」
「えー……なんで?」
沈黙。
もともと私が主に喋るから私が喋らないと洗濯機の稼働音だけがここに満ちる音になる。
「その、見られると……照れる」
「あっ?!え?そうなの……?」
そんなことを真顔で言われるとこっちが恥ずかしくなってくる。照れる、照れる。もちろん言葉の意味はわかるけれど、それがオタベックの口から出た言葉ということが問題だ。
私が何をしても何とも思ってなさそうな彼が私の行動に対して照れると。
「美味しかった」
「それはよかった」
多少粗雑に洗い物を済ませて、今日も今日とて練習に行く。仕事のように休日が決まっているわけではないので自分でコントロールすることだそうだが、彼は本当に練習熱心だと思う。
自分が持ちうる時間を全て尽くしてでも、欲しいものがあるのだと以前言っていた。
それを得るにしてもしなくとも、側で見届けられる幸福を噛み締めつつ、玄関まで見送る。目立つから止めておけというけれど荷物が増える方が嫌だと言って国が支給した選手団ジャージで出かけようとしている。
「そのジャージ、気に入ってるの?」
「いや特に……あるもので十分だから」
「そっか、うん、今日も頑張ってね」
「加奈子も」
まだ何か言いたげに見つめてくるが、さすがにこの文脈からは読み取れない。しばらく見つめあい、私が恥ずかしくなって目を逸らした途端視界が揺れて頬にぬるい感触。
「いってきますのキスしたいなら、言えばいいのに」
「……いってきます」
茶化すような私の言葉に返答はなく、ただいってくるとだけ。まぁそういうところも好きだから良いんだけども。
いってきたならまた帰ってくる。何度も好きな人が家に帰ってくる喜びにも浸れる。そんな毎日だから、今日も頑張れる。