「お嬢様、今、何と」 おっしゃいましたか、と続ける言葉は確かに悲しみを孕んでいるのに穏やかな瞳の色に封じられた。ボードウィン家のメイドたる者主人の命に質問で返すなどあってはならないことだが、その命がいつもの主人と様子が違えば問いただすことも忠義であると解釈した。
「聞こえなかったかしら、加奈子」
「いえ、この加奈子・田原、曾祖母の代からボードウィン家に仕える身、主人の命を聞き逃すことなどありえません」
「……そうね、加奈子のまごころ、いつだって感謝しているわ」
「……もったいないお言葉でございます……」
「私は加奈子のことを信じているわ」
陽の下で見て居たかった笑顔は、今闇に溶けている。
夫が兄を害し、逆賊として国から捌かれようとして居ながら自分の夫への情を捨てきれない。あまりに行き場のない情だが一歩間違えばお嬢様自身も確実に立場が危うくなるということくらい聡明なアルミリア様ならきっと理解しているのだろう。
私に手配を命じた短剣を何に使うおつもりですか、と問いただす権利は手であり脚である私にはない。けれどもまさか、自害などを望んでいるのであれば話は別だ。アルミリア様の従者たるもの、お父さまであるガルス・ボードウィン卿に忠義を尽くし、アルミリア様のご様子がおかしいと報告するのが常だろう。だが今はそのガルス様ですら逆賊 マクギリス・ファリドの手中に墜ちてしまわれた。アルミリア様をお守りできるのは私しかおるまい、と思うがあまりの非力さに怒りすら感じる。

「……承知しました、お嬢様……ですが加奈子と約束してくださいまし」
「何を?」
「……いえ、出過ぎた真似を申し上げました……お嬢様、何かを傷つけようと刃を抜かれるとき、先にわたくしを」
闊達だったころの兄君に良く似た笑みを浮かべ、アルミリア様は幼少時から愛のみを以て育まれたもののみ許される鈴を転がすような声音で否定の言葉を紡いだ。

「できないわ……加奈子」
「お嬢様ッ……!!」
「ごめんなさいね、加奈子……あなたに愛された命だから大切にしたいのだけど」
恥も外聞もなく嘆く私の頭を恐れ多くも摩ってくださるアルミリア様の小さな、花より重たいものをもったことがない手が自分か夫を殺めるかと思うと気が狂いそうになる。それでも主人がそれを望むのならば私は叶える以外の選択肢はない。
「アルミリア様……」
「よろしく頼んだわ、マッキーが帰ってくる前にね」
「……………………拝命いたしました、田原の名に賭けて」
全てを諦めたい、という痛切な笑顔が似合うような御方ではない。怒りか、悲しみか、遣る瀬無さかに震える手を握って差し上げる無礼を今だけは許してくださる御方ではあらせられる。