今をときめくヒーロー、ホークスの事務所に誘われてはや一年が経った。
 俺は雄英高校経営科を卒業して、すぐに働き始めた。経営科はヒーローと違って金を得る手段が少ないというか、ヒーローをダシにして金を集める手段しか知らない。そのため卒業する前から必死で経理や経営に関する資格をとることに専念した。
 だから俺はホークスの事務所から広報・経理・総務のオールラウンダーとして声がかかった時はうれしかった。俺を認めてもらえる場がふって湧いたと思っていた。そんな純朴な俺に、今の多忙を見せてやりたい。
 啓悟はなぜか事務所の人員数を絞っていて、単純に人手が足りずに忙しい。でもなんか啓悟で理想があるっぽいから何も言わないでいるけど、しんどいもんはしんどい。何度か人員を増やすようにと言ったけどそのうちね、で終わり。労働法スレスレの生活はもうこりごりなんだけど。
 
 俺と同い年ということで、啓悟は結構腹を割って話をしてくれる。昔間接的にだけどエンデヴァーに助けられたこと、お祭りの縁日にいってみたいこと、小学校に通いたかったこと。など。
「啓悟、お祭りいったことないの?」
「まあね」
「今度行く?」
「いいや。俺だって名が売れてきたし、人だかりってあんまり好きじゃないし」
「そっか。花火は?」
「みたいかも」
「じゃさ、俺んちでタコパしつつ花火見ようよ」
「マジ? たのしそう」
「でしょ? 俺たこ焼きマジで上手だからね」

 お互いに忙しくしていると、時間はあっという間に過ぎる。夏の夕暮れ、あまりにエモいけど男二人。ロマンスの気配もない。しみったれてるわね〜と茶化すと俺というものがありながら文句あんのかと返ってくる。大人になると友達ができにくくなると聞くけど、そんなことなかった。男同士のあの茶化し合いみたいなものが好きで、男子校だった中学時代が一番楽しかったと思っていた俺は少し舞い上がっていた。
「啓悟、それ全部飲むの?」
 うちに一ケースあるんだよ、と言っても冷えてないビールはいらんとか言って六缶ケースを三つも入れてる。それにハイボール用のウイスキーの業務用みたいなでかいボトルと、炭酸水。これ持って帰るんだからな?と言って聞かせようとしてもどこ吹く風。俺が持つからいいでしょなんとかかんとか。
「二人もいるんだから、飲めるでしょ」
「肝臓を過信しすぎでしょ」
「飲めなかったら次回ね」
 さりげなく次回のことまで決まってしまった。つまみは家に冷凍の枝豆とたこ焼きがあればいいでしょという話になり、帰路についた。
 
 肝臓をアルコールに漬けるように飲んでしまう。ウイスキーを割らずに飲んだのがいけなかったのかもしれない。早々とできあがってしまった。
「晋、酒よわ」
 余裕そうな啓悟に少し腹が立ち、お前はアルコールが足りてないんですのよと言ってビールの間にウイスキーを投入した。黙って注がれるがままになっている啓悟の目線が冷たい。
「なんだァ……? 俺はすこーし酔っ払ってるけどなァ……たこ焼きはめちゃ上手だからな……みてろよ……」
「見ててやるから早く作って」
「おし」
 しうしうと音を立てて焼きあがるたこ焼きをじっと眺めている。こんなに珍しそうにたこ焼き見るやつ初めて見たなと思い、そして過去の発言と照らし合わせて一つの疑問が湧いた。
「一応聞くけど、食べたことあるよな?」
「……実はない」
「は? まじ? これが初? たこ焼きバージン?」
「バージンて。晋はさ、俺が変なこと言ってもなんでって聞かないよな」
「変なことって言うほどでもないな。だって小学校行きたかったっていうならなんかあるよなって思うじゃん」
「あ、そんなことまで言ってた?」
「うん。親戚の家を転々としているうちに通わなくなったって」
「わぁ……そんなことまで言ってた? 俺酒飲んでた?」
「俺んちの便所詰まらせるほど吐いてたじゃん」
「わあ……」
「覚えてないんか〜い!」
「ない。ごめん」
「いい、いいけどさ。酒は楽しく飲めば。……やべたこ焼きこげそう」
「焦がすなよ。たこ焼きバージンなんだから変なもん食わすな」
「わーっとるわい」
 花火の音が聞こえてきた。
 あわててソースをかけたたこ焼きと炭酸がすっかり抜けたぬるいビールを持って外に出る。むわりと夏の空気が頬を撫でる。Tシャツを脱いで半裸になるとちょうどいいけど啓悟の視線が痛い。ヒョロガリが脱ぐなや、と辛辣なお言葉付き。
 
 近くで見ると随分でかい啓悟の羽があると狭いベランダはぎゅうぎゅうになってしまう。
「なにこの狭いベランダ。給料出してんだからもっといい部屋住んだら?」
「誰かさんが人を雇わね〜から引っ越す時間がねえんだっつの」
「人は多ければ多いほど疲れるからこのくらいがいい。信頼できる人が数人いれば」
「え? 啓悟チャラそうなのにそういうところ気にするんだ」
「チャラさと関係ある?」
「チャラいのは認めるんだ」
「なんか深入りできないんだよね……何考えてるかわからんから。他人」
「あ! 花火!」
「人の話聞けや! お前から振ってきた話だろうがよ……」
「いや花火見てくれよ……めちゃ綺麗だし」
 花火が上がるたびに歓声が聞こえる。
 怯えて、縮こまる生活にも潤いが必要だ。こんな感じでいつまでもやっていきたいのだけど、そうも行かなそうだ。啓悟はいつだって忙しくて、どのヒーローも危険と隣り合わせだ。自己犠牲の精神の塊たちがウヨウヨと他人のために死んでいく世界。生まれた時からそうだったから疑問を抱いたことはないけど、不条理を感じてはいた。
「ヒーローが暇する世界」
「晋、なに? めちゃ酔ってる?」
「うっせえうっせえうっせえわ……お前が思うより吐き気する……ヴォエ!」
「酔っ払ってる晋おもしろすぎ。話の続きは?」
「ヒーローがさ、こうして酔っ払ってダチの家でゲロ吐いているくらいがちょうどいいってことよ」
「はは、晋が吐きそうなのに」
「なんだとてめコラ。ゲロで便所詰まらせヒーロー。ビール持ってこいや」
「飲み比べするって何種類か買ったけど」
「俺はサッポロビール派」
「はいはい」
 案外素直に取りに行ってくれて拍子抜けしてしまった。花火はすぐに終わってしまい、飲み会にシフトチェンジした。花より団子ってやつかもしれない。違うかな。
「啓悟はさ、彼女とかいないの」
「いないってか多分無理」
「どうして」
「初めて聞いたね。理由」
 はは、と乾いた笑いと共に返される。その瞳に感情はこもっていない。啓悟が軽薄でくらい闇の気配を被る時こういう顔をする。その顔が俺はあまり好きじゃない。俺が知らない啓悟の顔だから。
「チャラ男には彼女が……セ、セフレ?」
「いやそういうのもいない」
「ほ〜……」
「さっきも言ったけど、深入りするのが苦手っつーか……」
「セフレは深入りしないじゃん」
「子供できちゃったらどーすんの。俺そういう感じで生まれたから嫌」
「うわーなんかごめん」
「酔いが足りてないんだ。お互いにさ」
「よし、啓悟たくさん飲め。明日非番だろ」
「晋も飲めよ」
「もちろんだっつーの」
 そこで持ち出したのが缶ビールだったらよかったんだけど、業務用みたいなでかいボトルのウイスキーだったのが全ての敗因だった。俺たち二人ともアルコールに負けた。

 遠くで啓悟が吐いてる音が聞こえる。職場のオンナノコたちによく言われる。吐くまで飲む意味がわからないって。でも言葉にできないことを酒に頼って押し出してるんだと思う。啓悟だってそうだ。あんなにべらべら喋っていたのに、吐き終わるとスンとしちゃっていつものお澄まし顔だ。1Kの激狭キッチンで何か作っている。誰かが作った料理が久しぶりすぎて駆け寄ってなに作っているのか確かめたくなったけど、起き上がるのがだるくて頭だけ動かして啓悟の羽を見遣る。
「啓悟……なに作ってんの……」
「起きたか。肝炎まっしぐらのバカ。……しじみの味噌汁だよ」
「うわっ……結婚してくれ……」
 メニューのチョイスが今まさに食べたいもので、思わず口走ってしまった。好きとか愛しているより先にこの人が他に行ってしまわないように確保したいという気持ちがもれた。特段深い意味などなかったけど、そんな覚悟で口に出してはいけない言葉であったと次の瞬間に学んだ。
 
「……いいけど」
 妙な沈黙があった。酔い覚ましに飲んだぬるい水を一気飲みして、まあきっとまだ酔ってるんだろうと思ってきいた。その割には啓悟の表情が見えない。1Kでは狭すぎてぎゅうぎゅうなのに、こんな時に限って見えない。
「なにまだ酔ってんの」
「酔ってない」
「えっ……じゃあ結婚する?」
「今は無理。片付けないとならんことがある」
「なんだよ〜」
 少し、いやだいぶホッとした。急に結婚してなんていう俺も俺だけど、いいよって返事する啓悟も啓悟でしょと責任転嫁した。したけとまた次の瞬間、後悔した。
「でもお前なら一緒に生きてもいい」
 耳まで真っ赤にしてそんなこと言うもんだから誤ってキスするところだった危ない。すっかり炭酸が抜け切った昨日どちらかが飲んだビールを飲むと胃がカッと熱くなる感覚があり、そして気弱で軽率な俺の気が少し大きくなる。
「よござんすか〜?」
「晋、迎え酒した?」
 怪訝そうな顔の啓悟が俺から缶を取り上げてそのまま片手で潰した。怖い。
 
「余ってたビール飲んだ。こんなのアルコール飛んでるよ」
「……酔っ払いの言うことは本気にしない」
「え〜」
 え〜だなんて思ってない。内心ヒヤヒヤで、本気にしないって言われてやっと安心した卑怯な小心者だ。汗が滲んだ手をシーツに擦り付けて。カッコ悪くて最悪だ。啓悟はそんな俺の気持ちに気づいてか気づかぬか、いたずらっぽく笑った。
「迎え酒するなら本気でやろうぜ」
 そう言って新しいビールの缶が手渡されてしまったら、プルタブを開けるしかない。いつもの調子で飲み出したけど、なんで俺あんなこと言ったんだろう。流してもらえてよかった。啓悟はいい友達だけど、一緒に生きるとかよくわからないし、そんな覚悟もないよ。