用済みになった心電図が運び出されていく。倒れかけた建物の影にいた子供を助け出そうとしたらしい。子供は助かったが加奈子は助からなかった。よく聞く話だ。なんてこともない、日常で起こりうることではある。そんなこと、といってしまえるほど心構えはできていたのにいざ恋人として扱っていたひとの死体を目の前にすると何も言えずに呆然と立ち尽くすしかできなかった。
救出の際に切り落とす必要があったという片足。生きていたらあいつは冗談ぽくこれでお揃いだねなんて言うんだろう。これから火葬したり、葬式をあげたり色々な手続きがあるから悲しむ暇もないというけれど、握っていた手が徐々に冷たくなるさまは冷静なれないくらいの激情に襲われた。もうこの手が寒いからとかなんとか言ってコートにのポケットに手を突っ込んでくることもなければ無精髭を抜こうとしてくることもない。よくよく思い返してみたら、俺の生活に加奈子の存在が深く食い込んでいることがわかる。失ってからわかる、というのも通説だが身に染みる。
つい今朝、いってらっしゃいのチューしろとごねてた加奈子が? 晩ごはんはカレーがいいなどとリクエストしていた加奈子が?
戻らないと理解するまで時間がかかりそうだ。
「加奈子」
小さく呼んでみたが、返事はなかった。頭ではあると思っていなかったが、引っかかったなバカめ、と不遜な言葉を引っ提げて起き上がりはしないかと思ったふしはある。
火葬の日程が経つまで霊安室に保管されるというのでマンションに戻った。暗いリビングに加奈子のパジャマが投げ捨てられていた。またすぐ着るからいい、らしい。自分が死ぬなんて想定して生きているやつなんていない。けれど加奈子が俺より先に死ぬなんて誰も思ってなかっただろう。特に俺が、そんなこと想像していなかった。
「加奈子」
もちろん返事はない。さよならも言わずに逝くだなんて死にゆくまぎわによぎっただろうか。残して逝くものの多さを想像しただろうか やっと涙が感情に追いついてきた。そういうところが俺が人間みたいで嫌だ。
