あの御幸が懇願という言葉が合うような声音を、いつも余裕を崩さない表情を無意識のうちにゆがめて、先輩、俺と、付き合ってください。と言うものだから、御幸のことは単なる後輩意外の観点から見たことが無かったから少しためらった。が、ためらった分だけ御幸の顔色が悪くなって、皆が寝静まったあとの校舎、社会科準備室で、同性の後輩を性欲を以って受け入れることができるか?と責め立てるように煌々と照る月にぼんやりと浮かぶ、くちびるを青く震わせて、顔色は土色へ変えていく御幸へ、憐みとはいかないが、大事な時期にこんなに思いつめてかわいそうに、とどこか守ってやらないと、という気持ちになったのは確かだ。
やんちゃな柴犬のように野を駆け回る一年生はきっと、俺が居なくともあの持前の元気さと、人を惹きつけて離さない引力のようなもので世間をわたっていけるだろうが、たぶん、この目の前で震える特定の人間にしか腹を割らない、人間を信じて愛してと甘えるまでに他人の数倍の時間を要する後輩は、俺が守ってやらないと、消えてなくなってしまいそうな気があの夜確かに強く感じた。
あの時の御幸に魅入られたまま、今この状況である。このままいくと童貞より先に後ろの処女を失うことになる。だからといって拒絶してしまえば御幸は、いつも他の部員に見せる人を喰ったような笑みを浮かべて、すみませんでした先輩と言っていつものように過ごし、精神だけがぼろぼろと崩れていくのを、他人事のように薄笑いを浮かべているのだろう。自分の精神を自分で守れないのだろう。かわいそうに御幸、御幸、俺が居てやらないと。そんなことを口にすれば御幸は、同情なぞ許せず何も言えなくなってしまうのだろうから、黙って身体を差し出してやる。お前に、俺が心から役に立ちたいと思ったお前になら抱かれることも許容できる。
御幸は黒ビニール袋からいそいそとローションとコンドームを取り出して開封している。インターネットで同性でのセックスの仕方を調べてはみたが、物理的に、叶うとは思えない。汚い話だが便秘のときなどのことを考えると無茶意外の言葉が出てこない。悩みや不安はあとからあとから出てくるが、初めての恋にふるえる少女のように頬を染めてくちびるを塞いでくる御幸が愛おしくて、可愛らしくて、拒否したくない、もしかしたら大丈夫かもしれない、と根拠のない自信にすり替わっていく。せんぱい、クリス先輩、といつも部員たちを叱咤激励する雄の声が今はあまく湿り気を帯びて俺の名前か、すき、と言う言葉だけを発する。決して小柄ではない男二人が、下校時刻を疾うに過ぎた校舎の障碍者用トイレで密着すると、いくら通常より広いとはいえ暑くて仕方ないのだが、御幸は離れる気も、背中や胸、腹をまさぐる手を収める気も一切ないらしい。
いままで我慢してきた箍が外れた、と言わんばかりにくちびるを押し当てるだけのキスを延々するのかと思いきや一度離れ、おそるおそる御幸の舌がくちびるに触れ、感触を確かめるように往復し、ゆるゆると歯列へと侵入してくる。軟口蓋を這い回るあつい舌に応えるように舌先を触れさせると、煽るな、と言わんばかりに腕を掴んでくる。そのまま腰を浮かされ、股間に股間を押し付けられる。同性だからこそわかる、極限まで欲情している硬さを身を以って知り御幸が俺に、衝動のままに触れているということを思い知らされる。
「クリス先輩」
吐息の合間に名前を呼ばれて、気恥ずかしさに身をよじると拒絶と取ったのか、触れる手にためらいを感じる。そんなにつらそうに触れてくるなら、俺のネクタイを乱暴にほどいたところで止めておけばよかったのに。同性とセックスをしてしまうという、御幸にとっても振り返ったときにあやまちと判断してしまいそうなことを拒絶してやるのも年長者の役目なのかと、身体を無遠慮に触れる御幸の掌のマメが皮膚を掻くのを感じながら思案する。
特段触っていて心地よくは無い男の肌を撫でて、いとおしげにくちびる寄せて、楽しいのだろうか。御幸はそれでなにか気分が良くなるのだろうか。御幸が良いなら、それもいいだろう。今の俺にできることなんて、小指の爪先ほども無い。今までの人生、野球しかなかった俺が野球を失った今存在価値など限りなく薄い。父に言ったらなんと言うだろう。父は口にも行動にも出さなかったが、きっと失望しただろう。幼いころから一番応援してくれていた父を一番手酷く裏切ってしまった。父を裏切った辛さで自暴自棄になった結果後輩へ身体を委ねてしまうのだから、俺はどこで道を踏み間違えてしまったのだろうか。
俺の自傷に近い行動の補助として、後輩の性欲を利用するという発想がおかしいと判断できない俺が、御幸の判断を批判する権利などどこにもない。などど、同情だとか、御幸が迫るから、と偉そうに捏ね回してはいるが、只俺は御幸がいとおしくて、羨ましくて。そんな御幸の性欲だけでもいいから受け止めたい、それを自分にすら隠したくて雁字搦めになっているのだろう、とも考える。もう何が正しいかはわからないが確かに伝わる体温だけに縋りついていたいとつよく思う。
些か乱暴に、ベルトとスラックスを取り去っていよいよ、と言うときになって急に恐ろしくなった。生理的な、いままで雄として生きてきた名残が悲鳴をあげているのだろう。明らかに身体が強張った俺を見かねて御幸はいつもの余裕表情くずれを顔に貼り付けて、すみません先輩、やめておきますね、と。
「お前はいつでもいい子だったな」
「そうですか?先輩にはそう見えていました?」
「時々憎たらしかったがな……根はいい子だった」
「いい子は先輩のこと襲ったりしないです」
「そうやって、自分の気持ちをな、自分を責める理由にしてしまうところが可愛い、と思うんだ。そういうところが、まぁまぁ好きなんだと思うからその、あれだ、受け入れてやりたいというか」
「ひぇ」
「なんだその間抜けな声は」
「そりゃあ……憧れてて、好きで、どうにもならないくらい好きな先輩から、そんな熱烈なこと言われてみてくださいよ、誰だって動転しますって」
「ねつれ……忘れろ」
「嫌です、一生忘れません」
「やっぱりいい子じゃない、全然いい子じゃない」
その先はくちびるを貪られて言葉にならなかった。さきほどのように食らいつくすようなキスではなく、存在をたしかめるような、やさしく緊張をほどいていくような優しいキス。後輩に甘やかされる予感に頭がくらくらする。甘やかす側だったのに、ここでは甘やかされるらしい。舌と舌が、唾液がべちゃべちゃ品の無い音を立てるのをたしなめる余裕もなく、御幸が未だためらいがち触れてくる手を握り返す。手汗でべとべとになった掌をハンカチで拭いてやると、すみません、と耳元で囁かれて居たたまれない。
「そんなに緊張しているのか」
「あっったりまえでしょう、だってその、男同士のセックスって受け入れる側の方がキツいらしいので」
「俺に、そんなに労わる価値が?」
何故御幸から、気に入らないことを嫌がる子供のような目で見られなければならないのか。お前は俺じゃないだろうに。
「どうしてそんなこと言うんです」
「泣くことか!」
「だって、俺が大事で仕方ない人が!大事じゃないって言うのは嫌です!」
しゃくりあげる御幸の背をやさしくさするが一向に泣き止まない。親族以外の人間に大事にされるのは悪い気はしない。高校野球を喪った俺でも、誰かの親愛を勝ち取れるのだと思える。俺の胸に抱かれている間もじっとしている御幸ではない。シャツのボタンが外されていくのがわからないとでも思ったのか。素肌に御幸の頬が触れるのが只々照れ臭い。
「大切で、好きで、どうしようもないんです。わかりますか?先輩」
「わかった、ありがとう。でもな男の乳首を舐める理由は一切理解できない」
「頭で考えないでいいと思います」
口ではそう強がって言っているものの、いまだ経験したことが無い感覚に背筋がざわりと粟立つ。御幸の舌がなぞり、捏ね、押しつぶす度に手に力がこもってしまう。からかうでもなく只俺を高めようとする御幸は未だ着衣のままだ。
「……せんぱい、あの」
「何か」
「いえ」
ひとつ取れかけたボタンがある。後で縫い付けてやらないとならないと考えながら、御幸のシャツのボタンを外す。情緒などない。只俺ばっかりやられているのはと思っただけのこと。涙の跡が残る頬にキスをしてやると、目を見開いている。
「なんだ、間抜けな顔して」
「キス、嬉しくて」
「そうか?よかった」
初めて触れる、血のつながりのない人間のあたたかな身体とにおいに脳の芯がぐらぐらゆれるほどの幸福感。夢中でしがみ付く。年上なのに、男なのに恥ずかしいみっともないなどど考える余裕は無い。ただ目の前の温みを手放したくない一心で縋る。
「あったかいですね」
「だな」
このまま眠りたいと思ったが許されない。御幸が呪力に逆らわず、ずりおちるように床に膝をつき、股間にくちびるを寄せられ悲鳴をあげそうになる。
「何をやってるんだ御幸」
「だって、あの、クリス先輩がきもちよさそうな顔が見たくて」
「だからってそんなところは舐めなくても良い」
「ほんなほほあひまへん」
御幸の、何かを口に含んだとき出る声と、声を出すときに発生する震えに思わず膝を閉じそうになったが、御幸に開かされる。恥ずかしさに拳を握るが御幸はお構いなしに、わざと音を立てて舌を這わせる。自分だったらたとえ好きな相手にでも、抵抗してしまいそうなことを御幸は軽々やってのけるのか。嫌に感覚が鋭敏になってしまいどこに舌が当てられているのかよくわかってしまう。やめろと言ってもくちびるを離さずに嫌ですと返すものだから堪らない。
「御幸、変なところ舐めるなッ」
「やーです、ここきもちいいですか?ありのとわたり、って言うらしいです」
「そんなこと聞いてない」
「えー」
御幸ばかり余裕を崩さないのはとても気に食わない。が、反撃の気力がない。初めて他人から与えられる快感がここまで好いとは思いもしなかった。自分で処理するのとは違う、自分でコントロールできない感覚に只翻弄されるがままになってしまう。御幸が擦るタイミングで声が漏れてしまわないよう、シャツを噛みしめるがあえなく取り上げられてしまった。
舐めたあとキスするとき、わざわざマウスウォッシュをするのはどうなのだろう。大事にされていると考えて良いのだろうか。わざとらしいミント香料が鼻をつき、舌がぴり、と痺れる。狂気すら滲むやさしさにどう反応していいかわからなくなる。御幸は恍惚、いう言葉が近い表情のままくちびるを貪っている。文字通り食らいつくされそうになる。そのまま御幸の糧になって、青道の役に立ちたいといったらまた、自分を大事ににしてくださいと怒られてしまうだろうから黙っておく。
いざ、そこに、ローションで潤滑をつけているとはいえ指を入れるとなると背筋が寒くなる。しかしそこでしか繋がれない。愛情表現のひとつであるセックスその手段の一つだと割り切るにはまだ経験が浅い。精神的にも、肉体的にも逃げ場がない。だからこそ、自分に言い訳ができてよかったのかもしれない。御幸を受け入れるには仕方のないことだったと自分に言い聞かせることができる。
「怖いですか」
さきほどまでも興奮しきった獣のような瞳は影をひそめ、やさしく理性的に触れてくる。そんなに柔らかくもなければひ弱でもないのだが。
「そりゃあな、でも今更止めるなんて言うなよ」
「はい、俺のせいにしてください。痛いのも怖いのも全部」
「それは、なんだか違う気がする」
自分でもよくわからない疑問が浮かんで中断する。しかし、超えないとあとあと禍根を残しそうな気がした。
「そうですか……?俺が勝手に好きになって、セックスしたがってるのに」
「違う、違うんだ御幸」
「あっでも爪はちゃんと切りました」
「なんて言うべきかわからん」
「難しいですね」
先輩にもわからないことがあるんですね、と宣う。俺をなんだと思っているんだ。年上と言っても一年早く生まれただけなのに。その間も遠慮は無いが、身体中にキスをくれる。
「好きになったのは確かにお前だろうが、その、大事にされるのが嬉しくてもっと欲しいと思ったのは確かな、バカやめろその顔」
「だ、だって、嬉しくて死んじゃいそうです」
「お前もそんな、緩みきった顔するんだな」
「先輩は、俺がどれだけ先輩のこと好きで、あこがれていたかわかってない」
「そりゃ、わからん。俺は御幸じゃないから」
「そうですけれど」
困った顔が愛らしくて、額にキスをする。背中に回された御幸の腕に力がこもる。二、三度キスをすると、頬を緩めて腰に抱き着いてくる。
「生え際に吹き出物あるぞ、痛そうだな……」
「思われニキビです」
「まぁ……そういうことにしてやらなくもない」
「やった」
嬉しそうに吹き出物をいじる御幸に、触るとよくないぞと言うと素直にやめる。あの他人とは一線を画す雰囲気は錯覚だったのか、と思わせるほど素直に、ぎこちなくとも素直に甘えてくる。いつもの態度を知っているからこと面食らうと同時に、仄暗い優越感がにじむ。俺だけが御幸を知っているような幼い優越感。
「だから、その、俺はお前だけのせいにしたくないんだよ」
「それは、俺も先輩に大事にされてるって判断していいですか」
「…………まぁ、うん、いいだろう」
「なんですか今の間」
軽快に笑いながらも触れる手はどこか性のかおりを伴っている。耳にかかる吐息の間隔が短い。御幸の興奮を視覚以外から知ることになろうとは。ふたたびローションで指を湿らせ、大事にしたいと言った割には思い切り突っ込まれて息が詰まる。腹を内側から圧され、内臓を押し上げられる感覚。指一本とはいえ激しい異物感に加えて、最終的に挿入されるであろうモノの質量を想像して更に胃がかき回されるような感覚。額に浮いた脂汗はいい香りがするハンカチに拭われた。耐えるためにきつく閉じた瞼を開けると悲痛なほど心配そうな顔をした御幸がくちびるを噛みしめている。情けない顔だ、とからかう口調でも声が震えてしまう。他人の痛ましい表情を心配する以上に、ひどい異物感とこじあけられる痛みで、喉の奥には悲鳴が溜まっている。
急に異物感から解放されて御幸を見遣ると、指に着けていたらしいコンドームを持参のゴミ袋へ捨てていた。あまりに痛がるから飽きられたのかと思う間もなく、頬に生ぬるいくちびるが押し当てられた。
「徐々に開発することにしました」
思わず大きく息をついてしまった。飽きられていないことを確認し、今日のところはこの未知の痛みからは解放された。ここまで恐怖を煽る種類の痛みだとは思いもしなかった。御幸がいたわるように頬や首や額にキスをしてくる。そんなにキツそうだっただろうか?
「大丈夫ですか」
「いや、平気じゃない」
「……すみません、もう」
「これきりにする、と言おうとしているなら見当違いだからな」
「えっ?」
「嫌だったら、御幸を殴りつけてでも逃げてるさ」
「そ、そうですか?」
「そういうことをわざわざ言わないとわからないか」
「わかりません、だって俺先輩が言うようにいい子じゃないんで」
全く可愛くない。先輩耳真赤ですよ、耳元で囁くのも、胸の奥を絞られる感覚をゆるりと指先でやさしくほどかれているのも気に入らない。
「だから俺にもわかるように、ちゃんと、好きって言ってほしいです。俺だって怖いんですから」
生意気言ったかと思えば、悲しげに懇願してくる変わり身で、結局俺が折れてしまう。
「ところで、その股間のモノどうするつもりだ」
「えっ、と」
うまく御幸の気を逸らせたかと思えば、一緒に擦りたいです、などと宣う。こちらの返事は聞いていないらしく、お互いの収まりがつかないモノを柔く握って擦る。只々、御幸の肌すべて熱いことだけがわかる。舌を貪られていて首を動かせなものだから状況が理解できない。ツン、と生臭さが鼻をつく。唾液のにおいでなければほかの液だろう。急に恥ずかしさがよみがえってくる。俺は今、後輩に対して性的に興奮しているということを突きつけられた。
「うっわ、すげぇ」
うるさい、とそれだけ言うだけでも必死に絞り出さないと出てこない。そういうことは言わないでほしいとも言いきれないほど、自分で処理するときとは桁違いの波がやってくる。御幸の舌と、掌と、押し付けられているペニスの熱さで頭がおかしくなりそうだ。同級生から押し付けられたいかがわしいDVDの、あたまがおかしくなりそう、などどいう言葉はあながちウソではないのかもしれない。
背徳感と、性欲と、庇護欲と、その他知らなかった幸せな感覚で脳味噌が焼き切れそうになる。只御幸、御幸と喉がほころぶように出てきた言葉だけを発している今、脳味噌が正常に作動しているとは思えない。
「クリス、先輩」
やっと御幸のことを考える余裕が出来てきた。御幸も情けない顔を、暗闇でもわかるほど赤くしている。頬を両手で挟んでやるとなぜかペニスを膨らませているのだから始末におえない。何に興奮する要素があったのか。お互い様だが。
俺は俺で後輩のペニスと掌その他もろもろに興奮して絶頂を迎えそうになって居るのだから自己嫌悪すら感じる。それを振り払うほど御幸が、いとおしくて堪らない。一瞬息が詰まり、どちらのものかわからない精液のあつさと反比例するように脳味噌は現実に引き戻されていく。
御幸は一度射精しても冷めないタイプなのか熱烈なキスを欠かさず、俺の身体から先に拭き清めてくれる。匂いが残らないように制汗シートで拭きとってくれるのだから、どれだけ準備したのやら。
自分も十分拭き清め、ミーティング後ですよと言い張れるように整えてから御幸が遠慮がちに言った。
「で、クリス先輩」
「何か?」
「その冷たい目最高ですね……じゃなくて、あの、わざわざ言わないとわからないのかの続きで」
「蒸し返すつもりか?」
「その目素敵すぎてまたチンコ勃ちそうです、じゃなくて、本気です」
「これだけ許してもまだ言葉にしないとダメなのか」
「そんなに恥ずかしいですか?」
「恥ずかしいというより……怖いというか」
本音を思わず零してしまったのが間違いだったか。視界の端で御幸が眉をしかめたのを捉えた。
「怖い?」
「言いたくない」
「言ってください」
「嫌だ」
聞き分けの悪い子供のようにかたくなに拒否するが、御幸が不安げな目で見てくるものだから絆されてしまう。
「最初は御幸があまりに必死だったから付き合ってやろう、程度の気持ちだった」
御幸の喉の奥の空気がひぅと音を立てたかと思うとみるみる顔が青ざめてゆく。
「でもな、何故か、今は俺が溺れている。これから俺なんかに構っている余裕はないだろう、頭ではわかっているが」
はなれたくない、と言おうとしたところでくちびるを塞がれた。ここまで温かで、幸せな感情を教えてくれてありがとう、とは絶対に言わない。
「先輩がっ、もう嫌だって言うまでっ、ずっと大好きですっ」
なぜ御幸が涙声になるのか。
「わかったよ、ありがとう、俺も」
「も、もう一声」
鼻水すすり上げながらきつく抱きしめられたら逃げようがない。そうだ、そうに違いない。
「す、すき」
だ、という前にくちびるを奪われる。さっきから最後まで言わせてくれない。理性的な後輩だと思っていたのだがこれはいかに。何か棒状のものが股間に押し当てられる。
「御幸……」
「えへ、もう一回しませんか」
「えへじゃない……」
拒絶をしないことを前向きに肯定ととった御幸にふたたび着衣を剥ぎ取られる。月明かりが御幸の涙の跡が残る頬をやさしく照らしている。
===
2014年9月28日発行の本の再録
やんちゃな柴犬のように野を駆け回る一年生はきっと、俺が居なくともあの持前の元気さと、人を惹きつけて離さない引力のようなもので世間をわたっていけるだろうが、たぶん、この目の前で震える特定の人間にしか腹を割らない、人間を信じて愛してと甘えるまでに他人の数倍の時間を要する後輩は、俺が守ってやらないと、消えてなくなってしまいそうな気があの夜確かに強く感じた。
あの時の御幸に魅入られたまま、今この状況である。このままいくと童貞より先に後ろの処女を失うことになる。だからといって拒絶してしまえば御幸は、いつも他の部員に見せる人を喰ったような笑みを浮かべて、すみませんでした先輩と言っていつものように過ごし、精神だけがぼろぼろと崩れていくのを、他人事のように薄笑いを浮かべているのだろう。自分の精神を自分で守れないのだろう。かわいそうに御幸、御幸、俺が居てやらないと。そんなことを口にすれば御幸は、同情なぞ許せず何も言えなくなってしまうのだろうから、黙って身体を差し出してやる。お前に、俺が心から役に立ちたいと思ったお前になら抱かれることも許容できる。
御幸は黒ビニール袋からいそいそとローションとコンドームを取り出して開封している。インターネットで同性でのセックスの仕方を調べてはみたが、物理的に、叶うとは思えない。汚い話だが便秘のときなどのことを考えると無茶意外の言葉が出てこない。悩みや不安はあとからあとから出てくるが、初めての恋にふるえる少女のように頬を染めてくちびるを塞いでくる御幸が愛おしくて、可愛らしくて、拒否したくない、もしかしたら大丈夫かもしれない、と根拠のない自信にすり替わっていく。せんぱい、クリス先輩、といつも部員たちを叱咤激励する雄の声が今はあまく湿り気を帯びて俺の名前か、すき、と言う言葉だけを発する。決して小柄ではない男二人が、下校時刻を疾うに過ぎた校舎の障碍者用トイレで密着すると、いくら通常より広いとはいえ暑くて仕方ないのだが、御幸は離れる気も、背中や胸、腹をまさぐる手を収める気も一切ないらしい。
いままで我慢してきた箍が外れた、と言わんばかりにくちびるを押し当てるだけのキスを延々するのかと思いきや一度離れ、おそるおそる御幸の舌がくちびるに触れ、感触を確かめるように往復し、ゆるゆると歯列へと侵入してくる。軟口蓋を這い回るあつい舌に応えるように舌先を触れさせると、煽るな、と言わんばかりに腕を掴んでくる。そのまま腰を浮かされ、股間に股間を押し付けられる。同性だからこそわかる、極限まで欲情している硬さを身を以って知り御幸が俺に、衝動のままに触れているということを思い知らされる。
「クリス先輩」
吐息の合間に名前を呼ばれて、気恥ずかしさに身をよじると拒絶と取ったのか、触れる手にためらいを感じる。そんなにつらそうに触れてくるなら、俺のネクタイを乱暴にほどいたところで止めておけばよかったのに。同性とセックスをしてしまうという、御幸にとっても振り返ったときにあやまちと判断してしまいそうなことを拒絶してやるのも年長者の役目なのかと、身体を無遠慮に触れる御幸の掌のマメが皮膚を掻くのを感じながら思案する。
特段触っていて心地よくは無い男の肌を撫でて、いとおしげにくちびる寄せて、楽しいのだろうか。御幸はそれでなにか気分が良くなるのだろうか。御幸が良いなら、それもいいだろう。今の俺にできることなんて、小指の爪先ほども無い。今までの人生、野球しかなかった俺が野球を失った今存在価値など限りなく薄い。父に言ったらなんと言うだろう。父は口にも行動にも出さなかったが、きっと失望しただろう。幼いころから一番応援してくれていた父を一番手酷く裏切ってしまった。父を裏切った辛さで自暴自棄になった結果後輩へ身体を委ねてしまうのだから、俺はどこで道を踏み間違えてしまったのだろうか。
俺の自傷に近い行動の補助として、後輩の性欲を利用するという発想がおかしいと判断できない俺が、御幸の判断を批判する権利などどこにもない。などど、同情だとか、御幸が迫るから、と偉そうに捏ね回してはいるが、只俺は御幸がいとおしくて、羨ましくて。そんな御幸の性欲だけでもいいから受け止めたい、それを自分にすら隠したくて雁字搦めになっているのだろう、とも考える。もう何が正しいかはわからないが確かに伝わる体温だけに縋りついていたいとつよく思う。
些か乱暴に、ベルトとスラックスを取り去っていよいよ、と言うときになって急に恐ろしくなった。生理的な、いままで雄として生きてきた名残が悲鳴をあげているのだろう。明らかに身体が強張った俺を見かねて御幸はいつもの余裕表情くずれを顔に貼り付けて、すみません先輩、やめておきますね、と。
「お前はいつでもいい子だったな」
「そうですか?先輩にはそう見えていました?」
「時々憎たらしかったがな……根はいい子だった」
「いい子は先輩のこと襲ったりしないです」
「そうやって、自分の気持ちをな、自分を責める理由にしてしまうところが可愛い、と思うんだ。そういうところが、まぁまぁ好きなんだと思うからその、あれだ、受け入れてやりたいというか」
「ひぇ」
「なんだその間抜けな声は」
「そりゃあ……憧れてて、好きで、どうにもならないくらい好きな先輩から、そんな熱烈なこと言われてみてくださいよ、誰だって動転しますって」
「ねつれ……忘れろ」
「嫌です、一生忘れません」
「やっぱりいい子じゃない、全然いい子じゃない」
その先はくちびるを貪られて言葉にならなかった。さきほどのように食らいつくすようなキスではなく、存在をたしかめるような、やさしく緊張をほどいていくような優しいキス。後輩に甘やかされる予感に頭がくらくらする。甘やかす側だったのに、ここでは甘やかされるらしい。舌と舌が、唾液がべちゃべちゃ品の無い音を立てるのをたしなめる余裕もなく、御幸が未だためらいがち触れてくる手を握り返す。手汗でべとべとになった掌をハンカチで拭いてやると、すみません、と耳元で囁かれて居たたまれない。
「そんなに緊張しているのか」
「あっったりまえでしょう、だってその、男同士のセックスって受け入れる側の方がキツいらしいので」
「俺に、そんなに労わる価値が?」
何故御幸から、気に入らないことを嫌がる子供のような目で見られなければならないのか。お前は俺じゃないだろうに。
「どうしてそんなこと言うんです」
「泣くことか!」
「だって、俺が大事で仕方ない人が!大事じゃないって言うのは嫌です!」
しゃくりあげる御幸の背をやさしくさするが一向に泣き止まない。親族以外の人間に大事にされるのは悪い気はしない。高校野球を喪った俺でも、誰かの親愛を勝ち取れるのだと思える。俺の胸に抱かれている間もじっとしている御幸ではない。シャツのボタンが外されていくのがわからないとでも思ったのか。素肌に御幸の頬が触れるのが只々照れ臭い。
「大切で、好きで、どうしようもないんです。わかりますか?先輩」
「わかった、ありがとう。でもな男の乳首を舐める理由は一切理解できない」
「頭で考えないでいいと思います」
口ではそう強がって言っているものの、いまだ経験したことが無い感覚に背筋がざわりと粟立つ。御幸の舌がなぞり、捏ね、押しつぶす度に手に力がこもってしまう。からかうでもなく只俺を高めようとする御幸は未だ着衣のままだ。
「……せんぱい、あの」
「何か」
「いえ」
ひとつ取れかけたボタンがある。後で縫い付けてやらないとならないと考えながら、御幸のシャツのボタンを外す。情緒などない。只俺ばっかりやられているのはと思っただけのこと。涙の跡が残る頬にキスをしてやると、目を見開いている。
「なんだ、間抜けな顔して」
「キス、嬉しくて」
「そうか?よかった」
初めて触れる、血のつながりのない人間のあたたかな身体とにおいに脳の芯がぐらぐらゆれるほどの幸福感。夢中でしがみ付く。年上なのに、男なのに恥ずかしいみっともないなどど考える余裕は無い。ただ目の前の温みを手放したくない一心で縋る。
「あったかいですね」
「だな」
このまま眠りたいと思ったが許されない。御幸が呪力に逆らわず、ずりおちるように床に膝をつき、股間にくちびるを寄せられ悲鳴をあげそうになる。
「何をやってるんだ御幸」
「だって、あの、クリス先輩がきもちよさそうな顔が見たくて」
「だからってそんなところは舐めなくても良い」
「ほんなほほあひまへん」
御幸の、何かを口に含んだとき出る声と、声を出すときに発生する震えに思わず膝を閉じそうになったが、御幸に開かされる。恥ずかしさに拳を握るが御幸はお構いなしに、わざと音を立てて舌を這わせる。自分だったらたとえ好きな相手にでも、抵抗してしまいそうなことを御幸は軽々やってのけるのか。嫌に感覚が鋭敏になってしまいどこに舌が当てられているのかよくわかってしまう。やめろと言ってもくちびるを離さずに嫌ですと返すものだから堪らない。
「御幸、変なところ舐めるなッ」
「やーです、ここきもちいいですか?ありのとわたり、って言うらしいです」
「そんなこと聞いてない」
「えー」
御幸ばかり余裕を崩さないのはとても気に食わない。が、反撃の気力がない。初めて他人から与えられる快感がここまで好いとは思いもしなかった。自分で処理するのとは違う、自分でコントロールできない感覚に只翻弄されるがままになってしまう。御幸が擦るタイミングで声が漏れてしまわないよう、シャツを噛みしめるがあえなく取り上げられてしまった。
舐めたあとキスするとき、わざわざマウスウォッシュをするのはどうなのだろう。大事にされていると考えて良いのだろうか。わざとらしいミント香料が鼻をつき、舌がぴり、と痺れる。狂気すら滲むやさしさにどう反応していいかわからなくなる。御幸は恍惚、いう言葉が近い表情のままくちびるを貪っている。文字通り食らいつくされそうになる。そのまま御幸の糧になって、青道の役に立ちたいといったらまた、自分を大事ににしてくださいと怒られてしまうだろうから黙っておく。
いざ、そこに、ローションで潤滑をつけているとはいえ指を入れるとなると背筋が寒くなる。しかしそこでしか繋がれない。愛情表現のひとつであるセックスその手段の一つだと割り切るにはまだ経験が浅い。精神的にも、肉体的にも逃げ場がない。だからこそ、自分に言い訳ができてよかったのかもしれない。御幸を受け入れるには仕方のないことだったと自分に言い聞かせることができる。
「怖いですか」
さきほどまでも興奮しきった獣のような瞳は影をひそめ、やさしく理性的に触れてくる。そんなに柔らかくもなければひ弱でもないのだが。
「そりゃあな、でも今更止めるなんて言うなよ」
「はい、俺のせいにしてください。痛いのも怖いのも全部」
「それは、なんだか違う気がする」
自分でもよくわからない疑問が浮かんで中断する。しかし、超えないとあとあと禍根を残しそうな気がした。
「そうですか……?俺が勝手に好きになって、セックスしたがってるのに」
「違う、違うんだ御幸」
「あっでも爪はちゃんと切りました」
「なんて言うべきかわからん」
「難しいですね」
先輩にもわからないことがあるんですね、と宣う。俺をなんだと思っているんだ。年上と言っても一年早く生まれただけなのに。その間も遠慮は無いが、身体中にキスをくれる。
「好きになったのは確かにお前だろうが、その、大事にされるのが嬉しくてもっと欲しいと思ったのは確かな、バカやめろその顔」
「だ、だって、嬉しくて死んじゃいそうです」
「お前もそんな、緩みきった顔するんだな」
「先輩は、俺がどれだけ先輩のこと好きで、あこがれていたかわかってない」
「そりゃ、わからん。俺は御幸じゃないから」
「そうですけれど」
困った顔が愛らしくて、額にキスをする。背中に回された御幸の腕に力がこもる。二、三度キスをすると、頬を緩めて腰に抱き着いてくる。
「生え際に吹き出物あるぞ、痛そうだな……」
「思われニキビです」
「まぁ……そういうことにしてやらなくもない」
「やった」
嬉しそうに吹き出物をいじる御幸に、触るとよくないぞと言うと素直にやめる。あの他人とは一線を画す雰囲気は錯覚だったのか、と思わせるほど素直に、ぎこちなくとも素直に甘えてくる。いつもの態度を知っているからこと面食らうと同時に、仄暗い優越感がにじむ。俺だけが御幸を知っているような幼い優越感。
「だから、その、俺はお前だけのせいにしたくないんだよ」
「それは、俺も先輩に大事にされてるって判断していいですか」
「…………まぁ、うん、いいだろう」
「なんですか今の間」
軽快に笑いながらも触れる手はどこか性のかおりを伴っている。耳にかかる吐息の間隔が短い。御幸の興奮を視覚以外から知ることになろうとは。ふたたびローションで指を湿らせ、大事にしたいと言った割には思い切り突っ込まれて息が詰まる。腹を内側から圧され、内臓を押し上げられる感覚。指一本とはいえ激しい異物感に加えて、最終的に挿入されるであろうモノの質量を想像して更に胃がかき回されるような感覚。額に浮いた脂汗はいい香りがするハンカチに拭われた。耐えるためにきつく閉じた瞼を開けると悲痛なほど心配そうな顔をした御幸がくちびるを噛みしめている。情けない顔だ、とからかう口調でも声が震えてしまう。他人の痛ましい表情を心配する以上に、ひどい異物感とこじあけられる痛みで、喉の奥には悲鳴が溜まっている。
急に異物感から解放されて御幸を見遣ると、指に着けていたらしいコンドームを持参のゴミ袋へ捨てていた。あまりに痛がるから飽きられたのかと思う間もなく、頬に生ぬるいくちびるが押し当てられた。
「徐々に開発することにしました」
思わず大きく息をついてしまった。飽きられていないことを確認し、今日のところはこの未知の痛みからは解放された。ここまで恐怖を煽る種類の痛みだとは思いもしなかった。御幸がいたわるように頬や首や額にキスをしてくる。そんなにキツそうだっただろうか?
「大丈夫ですか」
「いや、平気じゃない」
「……すみません、もう」
「これきりにする、と言おうとしているなら見当違いだからな」
「えっ?」
「嫌だったら、御幸を殴りつけてでも逃げてるさ」
「そ、そうですか?」
「そういうことをわざわざ言わないとわからないか」
「わかりません、だって俺先輩が言うようにいい子じゃないんで」
全く可愛くない。先輩耳真赤ですよ、耳元で囁くのも、胸の奥を絞られる感覚をゆるりと指先でやさしくほどかれているのも気に入らない。
「だから俺にもわかるように、ちゃんと、好きって言ってほしいです。俺だって怖いんですから」
生意気言ったかと思えば、悲しげに懇願してくる変わり身で、結局俺が折れてしまう。
「ところで、その股間のモノどうするつもりだ」
「えっ、と」
うまく御幸の気を逸らせたかと思えば、一緒に擦りたいです、などと宣う。こちらの返事は聞いていないらしく、お互いの収まりがつかないモノを柔く握って擦る。只々、御幸の肌すべて熱いことだけがわかる。舌を貪られていて首を動かせなものだから状況が理解できない。ツン、と生臭さが鼻をつく。唾液のにおいでなければほかの液だろう。急に恥ずかしさがよみがえってくる。俺は今、後輩に対して性的に興奮しているということを突きつけられた。
「うっわ、すげぇ」
うるさい、とそれだけ言うだけでも必死に絞り出さないと出てこない。そういうことは言わないでほしいとも言いきれないほど、自分で処理するときとは桁違いの波がやってくる。御幸の舌と、掌と、押し付けられているペニスの熱さで頭がおかしくなりそうだ。同級生から押し付けられたいかがわしいDVDの、あたまがおかしくなりそう、などどいう言葉はあながちウソではないのかもしれない。
背徳感と、性欲と、庇護欲と、その他知らなかった幸せな感覚で脳味噌が焼き切れそうになる。只御幸、御幸と喉がほころぶように出てきた言葉だけを発している今、脳味噌が正常に作動しているとは思えない。
「クリス、先輩」
やっと御幸のことを考える余裕が出来てきた。御幸も情けない顔を、暗闇でもわかるほど赤くしている。頬を両手で挟んでやるとなぜかペニスを膨らませているのだから始末におえない。何に興奮する要素があったのか。お互い様だが。
俺は俺で後輩のペニスと掌その他もろもろに興奮して絶頂を迎えそうになって居るのだから自己嫌悪すら感じる。それを振り払うほど御幸が、いとおしくて堪らない。一瞬息が詰まり、どちらのものかわからない精液のあつさと反比例するように脳味噌は現実に引き戻されていく。
御幸は一度射精しても冷めないタイプなのか熱烈なキスを欠かさず、俺の身体から先に拭き清めてくれる。匂いが残らないように制汗シートで拭きとってくれるのだから、どれだけ準備したのやら。
自分も十分拭き清め、ミーティング後ですよと言い張れるように整えてから御幸が遠慮がちに言った。
「で、クリス先輩」
「何か?」
「その冷たい目最高ですね……じゃなくて、あの、わざわざ言わないとわからないのかの続きで」
「蒸し返すつもりか?」
「その目素敵すぎてまたチンコ勃ちそうです、じゃなくて、本気です」
「これだけ許してもまだ言葉にしないとダメなのか」
「そんなに恥ずかしいですか?」
「恥ずかしいというより……怖いというか」
本音を思わず零してしまったのが間違いだったか。視界の端で御幸が眉をしかめたのを捉えた。
「怖い?」
「言いたくない」
「言ってください」
「嫌だ」
聞き分けの悪い子供のようにかたくなに拒否するが、御幸が不安げな目で見てくるものだから絆されてしまう。
「最初は御幸があまりに必死だったから付き合ってやろう、程度の気持ちだった」
御幸の喉の奥の空気がひぅと音を立てたかと思うとみるみる顔が青ざめてゆく。
「でもな、何故か、今は俺が溺れている。これから俺なんかに構っている余裕はないだろう、頭ではわかっているが」
はなれたくない、と言おうとしたところでくちびるを塞がれた。ここまで温かで、幸せな感情を教えてくれてありがとう、とは絶対に言わない。
「先輩がっ、もう嫌だって言うまでっ、ずっと大好きですっ」
なぜ御幸が涙声になるのか。
「わかったよ、ありがとう、俺も」
「も、もう一声」
鼻水すすり上げながらきつく抱きしめられたら逃げようがない。そうだ、そうに違いない。
「す、すき」
だ、という前にくちびるを奪われる。さっきから最後まで言わせてくれない。理性的な後輩だと思っていたのだがこれはいかに。何か棒状のものが股間に押し当てられる。
「御幸……」
「えへ、もう一回しませんか」
「えへじゃない……」
拒絶をしないことを前向きに肯定ととった御幸にふたたび着衣を剥ぎ取られる。月明かりが御幸の涙の跡が残る頬をやさしく照らしている。
===
2014年9月28日発行の本の再録
