「来ちゃった」
 お盆は死者が帰ってくるっていうけど本当に帰れるとは思ってもみなかった。もう未練はないと思っていたけど、門をくぐってお父さんの顔見たら、黙って帰る気は失せた。
 まず、帰り用のナスでつくられた精霊牛を壊した。帰るつもりはないという意思表示だけど、多分来る時自動だったから、帰る時も自動なんだろうけど気分的な問題として。
 だだっ広い轟家はしんと静まり返っていて、誰も寄り付いていないことがわかった。嘲るような笑いと共に、生きていたなら一緒に暮らしてやってもよかったのにと思った。お父さんは怪我から現役を退いていまはボランティアスタッフとして活動しているらしい。生きる理由を突然奪われたお父さんはびっくりするくらい正気がなくて、ちょっと意地悪したら死んでしまうかもしれないと感じるほどだった。
 俺の声でしゃべる黒いもやを前にして、お父さんは最初こそ驚いたものの泣きそうな声で、燈矢帰ってきてくれたのかなんて言うもんだからちょっと、ほんのちょっとだけ好きになっちゃった。
 憎いけど、嫌いになりきれなかったから未練があったのかとか考えたけど自分の気持ちをいちいち読み下すような趣味はないので、短い間だけどお父さんとの暮らしを楽しむことにした。
 お父さんは俺が暴露したせいでもあるけど誰からも求められていない……むしろ疎まれていても、誰かのためにありたいみたいだった。そんな姿は俺からするとすごく滑稽で、もうやめればと言いたくなった。けれど俺が憧れた強くてかっこいいお父さんとは違う、泥臭くて誰からも賞賛を浴びなくても誰かのためにありたいという姿は確かに美しく写った。美しく、なんていう感じではないかも。いいな、って思っただけ。
 お父さんに小石を投げつけたガキを脅かそうとした時、燈矢俺のために怒ってくれるのはうれしいがどうかおさめてくれないかなんて言って、なんか善人っぽくてイラッとした。お父さんは俺がいるからと言って自分のペースを変えるつもりはないらしく、面白くもなんともない復興作業を眺めていた。
 
「燈矢、今日はお休みだ」
「引退したんだろ? いつも休みみたいなもんじゃねえか」
「そうでもないんだ。介護施設の夜勤はどうしても人がいないらしくて素人同然の俺でもやれることがあるんだ」
「あっそ。で、今日はどこ行くの」
「お墓だ」

 俺と、俺のおじいちゃんおばあちゃんが眠る墓は人々の怨恨を煮詰めてぶちまけたみたいに汚かった。スプレーの落書き、糞便、なんかの死骸。お父さんは泣き言一つ言わずにゴミを片付け、汚れを落としていった。花瓶に仏花を供えて手を合わせた。
「俺、こんなしけた花嫌なんだけど」
「何かリクエストがあるのか?」
「……いやいいよ。どうせ汚れるだけだし」
「そういうな。仏壇に供えさせてくれ」
「じゃあ……真っ白い薔薇がいいな」
「わかった」
 俺の家がお金持ちなのだと悟ったのは、生花を買うときにためらわないところだ。お父さんはこれからプロポーズに行くのかよってくらい白い薔薇を買って、仏壇に供えた。
「きれい……お父さん知ってる? 炎に巻かれたときって視界が真っ白になるんだ。赤とか、青じゃなくて……白いんだ」
「……」
 謝罪があったら、殺してやろうと思った。
 お父さんは黙ってただのもやである俺を撫でようとしてスカッてた。俺もなんだか切なくなってお父さんの頬を撫でたかったけど、なんかひんやりする、だなんて言わせて終わった。顎の炎は今はなく、火傷まみれの俺の指でも撫でてやれたのに。父子として生まれ、不倶戴天の敵と成り、死んで初めて俺たちは父子に戻れたような気がする。荼毘から、燈矢に戻れたような気がする。
「俺さ、明日には帰るんだよ」
「もうそんな時間なのか」
「うん。お盆終わり」
「そうか……燈矢さえよければ、また来てくれないか」
「……いいよ。お父さんのしけたツラ拝みにきてやるよ」
「ありがとう」
 お父さんは、俺はご飯食べれないと言ったのに俺の気分の問題だからと二人分の夕食を用意して、俺の写真の前に置いた。俺が生まれてすぐの写真、三歳くらい、六歳くらい、そして俺が死ぬ直前の写真。小さい頃の俺だけじゃなくて今の俺の写真も用意してくれたことにむず痒いうれしさを感じた。
 冷めていく味噌汁を眺めたり、その湯気を浴びたりしてお父さんの食事を待っていた。終わったら散歩に連れていってくれるというから。
 俺の火傷を見てくれていた病院、俺を見限る……というのは語弊があるけど当時の俺はそう感じたのでその表現を使う。見限ったときに通わせようとした学校、お世話になったお手伝いさんのお家の前……俺とお父さんの間には、お父さんの求める個性のあり方を求めることしかなかったと思っていたけど、こうして見てみたら意外と覚えていることがあった。
 お父さんはコンビニで缶ビールを二本買って、公園のベンチに腰掛けた。
「俺が生きてたら酒くらい奢られてやったのに。焦凍もそろそろ成人じゃない?」
「焦凍は俺が家にいるとあからさまに避ける」
「だよなあ」
 住宅街の公園はいやに静かで、ぽつっと灯るあかりが不気味に遊具を照らしている。
「お父さんが死んだらさ、案内してやるよ」
「どんなところなんだ? 死後の世界は」
「ネタバレしたら面白くないよ。大丈夫。お父さんが想像しているような地獄ってないから」
「そうなのか」
「俺ですらなんともないんだから」
 お父さんが暑そうにしているので、おぶさるように背中を覆ってやったら涼しそうにしている。
「眠ってしまった燈矢をおんぶして帰るとき、小さくて温かかった」
「今はでっかくて冷たいね」
「ああ」
 顔にできた火傷で表情が引き攣っていて真意のほどは読めない。
 
 お風呂について行こうとしたら今まで見たことないくらい抵抗されたので我慢してやることにした。お父さんの尊厳を守る気分になったので。
「夜勤続きで眠たいでしょ。寝なよ」
「燈矢が帰ってしまうだろう」
「来年もくるから無理しないで」
「そうか……?」
「子守唄歌ってやろうか」
「子守唄はいいから、手を握っていてくれないか」
「触れないよ」
「いいんだ。燈矢なら、俺のお願いを無碍にしないだろうから」
「お前調子乗んなよ」
 とか言いながらもまんまと手を握ってしまっている。指も何もないからもやの裾をお父さんの掌にかけるくらいしかできないけど。
「ひんやりとしていて、今の季節にちょうどいい。燈矢はいつだって孝行息子だからな……」
「今更わかっても遅い。俺が一番お父さんの理想を叶えてやれたのに」
「燈矢、燈矢の体を壊してまで得るようなものではなかったんだ」
「俺はそうじゃない。俺の身体を壊してでも欲しかったよ」
「強い火力がすべてではないと理解するまで時間がかかりすぎたんだ」
「なんだそれ。梯子外すなよ」
「燈矢は燈矢のままで、一番を目指せたんだ……」
「しらけるなあ……来世がんばろ」
「来世は、個性が消滅していたらいい」
「お父さんは個性があって狂っちゃったもんね」
「……あぁ」
「わかってるならいいよ。ゆっくりおやすみ。また来年ね」
 返事はなく、もやとなった俺に触れようと指が宙を掻いた。シワの増えたお父さんの顔に触れようとしたけど冷たかったらかわいそうだし、やめた。
 空が白み始める頃、お父さんもう行くねと言ったらまぶたが開いた。俺と同じ色の瞳が俺を見る。俺はもうその瞳を失ってしまったけど、また同じ色の瞳に生まれたいと思った。思ったけど、言わない。
「燈矢、また来れるのか」
「大丈夫、そんな顔しなくても」
 やっぱりお父さんは悲しそうな顔している時が一番きれいだな、なんて無駄な気づきを得て帰ることになりそうだ。喉に引っかかるような笑いがこぼれて、それっきり。俺は元の大きな河の流れに戻っていた。俺がいる死後の世界とはここのことで、気が遠くなるような時間を経て次の転生を待つらしい。百年二百年は誤差の範囲内だそうだ。今度生まれる時は何になるかな。今度は俺がお父さんのお父さんだったりして。
 ここにお父さんが来たら、色々話したいことがある。荼毘でもなく、燈矢でもないただの魂になったからこそできる話があるんじゃないかなって思う。

2022/11/5 wavebox