「寝て起きたらこの青い海も緑の木々も無いんだと思うとちょっと寂しい気もする」
「やめるか……?」
「いや、やめない」

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 名前もないこの星は、太陽の光がほのかに届く萎びた星だ。いくらNo.2ヒーローとしてお金をいただいたり、腕がなくなった保険金がおりたりしたとはいえ、燈矢の裁判費用やお気持ちを慮るの出費はゼロが何個あっても足りなかった。
 けれど、冷が氷叢を脅して取ったお金を得て、やっと燈矢を看取るための計画が実行に移ることとなった。
 酸素がなければ炎は燃えない。
 個性を使えなくなったことをひどく気に病んでいる燈矢にしてあげれることは、同じ立場になってやることだと思った。個性があっても、環境が揃わなければただの人なんだと、最後に教えてやりたかった。
 冷は、燈矢と話をしてくれて、最後に兄弟がひとりもいないところでお父さんを独り占めしたいと願っていることを教えてくれた。
「お父さんは、俺が死ぬと思って優しくしてんだろ」
「俺もあの戦いで大きなダメージを負った。燈矢もそうだ。どっちが先に死ぬかはわからない」
「そうかなぁ……」
 疑う気持ちを隠しもしない燈矢は俺を睨め付けてソッポを向いた。こんな態度をとっているのに、本当に俺と最期を過ごしたいと言っていたのだろうか。遠ざかる地球が視界に入らなくなる頃には不安で胸が埋め尽くされた。
 
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 木どころか、草の一本も生えていない大地に降り立つと、急に不安が込み上げてきた。練習してきたとはいえ、地球とは違う環境で燈矢の世話ができるだろうかと。
 そんな懸念は最初だけだった。正しくは、懸念を抱いていられるような余裕は初日だけだった。酸素を確保しないと燈矢も俺も死んでしまう。水も、食料も。
 食料は宇宙を股にかける行商人がいるので問題はないが、水は俺が機械を操作して溜めておかないとならない。ただ、酸素がない分水にカビやボウフラ、そういったものが湧かないのが救いだった。
 
 ある日、俺が慣れない機械の操作に手間取っていると、ふらりと燈矢がやってきて説明書をちらと見ただけでサッと操作を完了してくれた。
「燈矢、ありがとう。難しかったから助かった」
「そういうのさ、もう少し早くに聞きたかったよ。他人の助けが当たり前じゃないって認識しているお父さんの言葉」
「悪かった。燈矢。俺はまだまだ足りないところがある。みんなのおかげで今があるということ、今はわかっているはずだから」
「……ふーん」
 燈矢から言われたことに傷ついて言葉を失ったままでは前に進めないということが、地球にいる間に冷や子供たちと関わることでわかった。どうにか取り繕うとして言葉を探しているうちに興味を失われるぐらいなら、悪かったと表明して今の俺を見てもらえるようにと言葉を探す。
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「言わないと伝わらないんだよ。相手が勝手に察して思い込んでいることとか、察することを強要する態度をコミュニケーションとは呼ばないの」
「冬美、季節の挨拶の手配、そしていわゆるお母さん業、家のこと、任せっきりにしてすまなかった。これからは俺も」
「いやいいよ。わからない人に教えるより自分がやったほうが楽だし」
「そ、そうか。冬美の手間を取らせないようにと、あとは自分もできるようになりたくて……自分を支えてくれた人へのお礼や、人が生きていくうえで当たり前に行う家事などを」
「はは、言えたじゃん」
 というのは、冬美の言葉。
 
「親父、どうせ友達いねえんだろ。しょうがねえから俺がなってやろうか…… なんだその顔。焦凍は忙しいし燈矢兄は、だし、親父にかまってやれるやつはうちだと俺くらいなの。我慢しろよ」
「いや、夏雄ありがとう。友達、友達とは何をするものなんだ?」
「……まじか」
「最後に誰かと遊んだなんて、小学生の時かもしれない。だからわからないんだ。大人の友達が」
「じゃフリスビーとかからやるか……」
「やってみよう」
 そう言って近所の公園に連れ出してくれたり、あまり人がいない馴染みの居酒屋を紹介してくれたのが夏雄。
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 そんな子供たちを置いて、俺は宇宙で燈矢を看取ると意気込んできた。
 だが燈矢はすげなく、つまらなさそうにシェルターの中を歩いたり、持ち込んだ本を読んだり、元敵連合の裁判の結果を報じるニュースを見ている。
「俺は、戦いの中で死にたかった。お父さんにわざわざこんな手間取らせたり、冬美ちゃん夏くんからお父さんを引き剥がすような真似は気が引けるな」
「生きててほしい、看取らせてほしいというのは俺のエゴだ。わがままだ。また俺のわがままで家族を困らせているが、今回はみんなとたくさん話し合って決めたことなんだ」
「本当かよ ほかの、冬美ちゃんや夏くんも良いて言ったんだ」
「燈矢の、俺みたいになりたいと憧れてくれた気持ちをむげにしたことを、夏雄は一番怒っていた。燈矢の授業参観に個性が燈矢の身を苛んでいると、これ以上個性を使用できないとわかってから行かなくなったことを、冬美は一番怒っていた。冷は、俺があの時燈矢の価値を個性にだけ見出していたことを、怒っていた。最期ぐらいは、お父さんがということで一致した」
「じゃあ、お父さんは俺が死ぬまで俺のそばを、今度こそ離れないんだね?もう裏切らない?」
 かつて瀬古渡で焼け死んだ燈矢の頃に戻ったような口調に困惑したが、窓の外を見遣りながらも声は震えている燈矢に、それを指摘する気持ちはわかなかった。片腕だけになったが、燈矢のことをそっと抱きしめた。燈矢は、余すことなく焦げた身体をそっと預けた。熱を外に逃す機構を失った身体は、発熱しているのではとあわてるほど熱かった。
「お父さん、見て。地球。きれいだね。本当に真っ青」
「ああ」
 燈矢の白く濁った眼では、もう青い球体であることもわからないだろう。ただ燈矢の眼前には青が鎮座している。それだけで十分だった。
「こんなでっかい地球の長い歴史のなかでさ、ほんの一瞬だけだよ。俺らがいたの。そんな些細な出来事なのに、なんでこんなにうれしいんだろ……」
 燈矢は涙を流すための腺も、水分を溜めておくだけの機構もない。けれどおそらく燈矢は泣いているのだろう。
「お父さん、大嫌い。だけど、ずっと憧れてる。お父さんみたいになりたかった。雄英に入って、焦凍みたいに友達たくさん作って……それで、お父さんの二代目だってみんなに見せるんだ……」
「お父さんは、今は燈矢が元気でいてくれるだけで良いと思っているが、燈矢は違うんだよな。燈矢が燈矢のままヒーローになる手段を探してやれば良かった……」
「こんな時にまで後悔を聞かせないでよ……俺のこと、悪い子だと思う? 叱ってやりたいと思う?」
「ああ。人を殺すのは良くないから、叱る。間違った道に進みそうになったら、止めるのも俺の役目だ。けれど、犯してもしまった罪に関しては被害者の方に一緒に謝りに行く。燈矢だけが犯した罪ではない」
「何言ってんの。俺の罪は俺の罪。お父さんの罪はお父さんの罪。だけどまあ、状況を作ったのはお父さんみたいなもんだし、ついてきた方が心象いいかもね。俺が全てバラした後だし」
 そう言うと燈矢はひどく咳き込み、身体を折り曲げて苦しそうに呼吸をした。
「お、お医者さんを」
「いい、いらないっ……」
「でも」
「いいから、こっち来て……」
 これ以上近くに寄りようがないのに燈矢はこっちに来いという。燈矢のまぶたに頬を寄せると、満足そうに笑った。
「あったかいっていうか暑いわ。お父さん、ほんと、あっつ…い………」
 大きく息を吐くと、燈矢は二度と動かなくなった。
 永眠、という言葉がぴったりなほど穏やかに、そして日常の延長線上の死だった。燈矢、と揺り起こしても憎まれ口の一つも叩かない。燈矢の送ってきた人生からすると、安らかな死であったと思う。冬美の指示通り遺体を洗い、棺に入れた。
 意識のない燈矢は見た目以上に重たく、苦労したが最後にできる奉仕だと思うとさびしさのような感情で胸がいっぱいになった。小さい頃、ほんの数回燈矢と風呂に入ったことを思い出す。子供用のシャンプーではなく、俺と同じシャンプーを使いたがった。可愛い子。燈矢はあの時と何も変わらずずっと俺を見ていてくれていた。
 棺に入れた燈矢の顔は、先の戦いで負った傷だらけで見る影もない。燈矢を追い込んで、ほっといてしまった俺の罪の体現。いや、そんな表現はふさわしくない。燈矢は燈矢なりにそうしたいという道を行ったんだ。どんな選択をしたとしても見守ってやるのが親の役目だ。
 燈矢の棺は、俺の炎で燃やして欲しいとのことだったのでどうにか火を起こそうとするが、酸素のない宇宙空間ではできるはずもない。手をこまねいてる俺を、どこかで燈矢がからかいの言葉を今にも投げようとしているのではないかと空想した。燈矢はどうして欲しいだろうか。
 
 俺は燈矢の棺をロケットに積み込み、地球を目指した。
 
 ほんの数年だったが、それでも少し地球は様変わりしていて、瓦礫の山だった街はバラックが立ち並び、復興の一途を辿っている。環境の変化に萎びた俺を尻目に、冷、冬美、夏雄、焦凍はてきぱきと手配を済ませ、俺が炎を出して、弱った個性でも燈矢を燃やしきれるように乾燥した焚き木を用意してくれた。
「何から何まですまないな」
「燈矢兄さんのためだから」
 そうやって火傷の跡が痛々しく残る冬美は笑って言った。
 ほぅ、と優しく炎が薪を凪ぎ、燈矢を包む棺に燃え移る。骨にするまで身体を焼くとなると、且つ冷の個性が相反するため相当時間がかかるようだが、轟家のみんなは俺にメシを食べさせたり、薪を増やしたりと甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
 俺が熱中症にならないように氷を出す焦凍は「俺も燈矢兄と蕎麦打ったりしてみたかったな」と呟いた。燈矢もうどんより蕎麦派だったと、喉元まで出てきたが、言葉にならなかった。
 
 すっかり小さく、骨になった燈矢をみんなですりつぶし、下顎骨しかなかった軽すぎる骨壷に残りの燈矢を詰め込んだ。
「あら、蓋が閉まらないわ……」
「お袋、そんなに無理やり閉めなくても」
「夏雄、こういうのはキュッとやればいけるはずなの……ほらっ」
「そういうもんなのかな〜」
 笑い合う家族。
 俺はなぜこれに価値を見出せなかったのだろうか。
 
 轟家の墓はいつも荒れている。落書き、排泄物、その他の汚れが常についている。それだけ怨みを買っているのだということを目にするようで苦しい。
 
「お墓のことは後で考えましょう。今日は家に帰って、みんなでご飯を食べて、みんなで寝ましょ」
「いいね。たぶん燈矢兄さんが生きてるうちはできなかったことだ」
「そうね。私たちができなかったことを後からしても、とも思うけど、残された私たちのためにやりましょう」
「わーい」
 その夜は、家中の襖を取り外してみんなで押し合いへし合いしながら眠りについた。燈矢の骨壷がその間に挟まれ、まるでこういう未来があったかのようだ。
 
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「お盆には、兄さん帰ってくるかな」
「どうかな、お父さんがいれば帰ってくるかも」
「あー。兄さん、ファザコンだしね」
 笑い合う冬美と夏雄。話題に乗り切れず黙々とスイカを切り分けている焦凍。それを眺める冷。こんな穏やかで優しい未来に燈矢を連れて来れなかったのは悔やまれる。けれどヤケになって死んだりはしない。
 燈矢のことを見続けると誓ったのは俺だ。燈矢が犯した罪を、叶えたかった願いを、大事にしたかったあこがれを、見続ける。

2023/8/10
wavebox